top

番外編 最強のデュエリスト



 花咲くように穏やかに眼が覚める朝は、意識の裏側に夢の残滓がこびりついている。その日もそうだった。つい今しがたまで見ていた夢の光景が、まどろみのフィルターをかぶせた向こう側に二重写しになっていて、今にも続きが見られそうだった。赤茶けた土の色。濁った水の匂い。あたしは誰かと一緒にいた。
 詳しく思い出そうと意識したとたん、皮肉なことに、それを呼び水にして頭がはっきりしてくる。あらゆる感覚が、正確なコンパスのように現実の方角を指していた。幻想は遠ざかり、クリアに開花した頭脳が、夢はもう終わりだと告げていた。おはよう、亜理紗。もう起きる時間だよ。
 さいきんは日ごとに気温が下がり続けていて、もう眠れないと分かっているのにまぶたが重い。布団の中に耳までもぐりこんで、手探りで枕頭台の時計を叩いた。
「five past six in the morning」
 午前六時五分。そろそろ母さんが起きる頃だ。観念して両目を開けた。
 盲人にとって眼瞼を開くことにいまさら意味はない。まぶたがどこにあろうと、見えないことに変わりはないからだ。起床と開眼を同時にするのは、眼が見えていたときの習慣を身体が覚えているからに過ぎない。もしかしたらもう一度光を捉えられるかも、なんて未練はとっくに捨て去っている。
 寝室を出てすぐがバスルーム。そこから右手で壁に触れながら歩くとキッチンにたどり着く。何十回と繰り返してきた行程はすっかり身体にしみ込んでいて、早足の移動が可能だった。
 キッチンは無人だった。ダイニングに入って、テレビをつける。CNNニュースにあわせていると、窓のほうからなにか甘い匂いがした。冷蔵庫から卵を取り出したとき、キンモクセイの匂いだと思い至った。うちの庭には生えていない。ここからだと数十メートルは離れた隣家の庭先に、若木が一本だけ生えている。
 ひと月まえ――“こっち側”に戻ってきて以来、あたしの感覚は鋭さを増す一方だった。五感のひとつを失ったことで神経が過敏になっているのかもしれないし、一度死んでしまったせいで、リミッターとなる何かが壊れてしまったのかもしれなかった。
 どのくらいの時間、あたしの肉体が「一休み」して(両親はそう呼んだ)いたのかはけっきょく教えてもらえなかったものの、そう短い時間でなかったことは想像がつく。生き返ってからの数日間、ひどい体の変調に悩まされた。何の前触れもなく咳や涙が止まらなくなるなんてのは序の口で、歩いている最中にいきなり膝から下に力が入らなくなったり、朝ごはんを目の前にしてさあ食べようと思ったとたん記憶が飛んで夜になっている、ということがたびたびあった(あとで聞いたところによると、その間のあたしは目を開けながら眠っているようだったという)。一週間もすると異常はだいぶおさまったが、入れ替わりにわずかに残っていた視力が急激に落ちていき、やがて完全に闇に閉ざされた。
 卵をふたつフライパンに落とし、蓋をしてキッチンヒーターのスイッチを入れる。やや弱火にして3分に設定。続いてパンを2枚、トースターの中に落とし込む。と、寝室から母さんの起き出す気配がした。ネグリジェを着替え、スリッパを履き、廊下をとんとんと歩いてくる。めっきり寒くなったせいか、いつもより歩幅が狭い。
「お母さん、おはよっ!」
 振り返って、曲がり角からちょうど姿を現した母さんを不意打ちした。
「おはよう、亜理紗。今日の調子はどう?」
「うん、元気いっぱい。お母さんは?」
「おかげさまで、元気よ」
 とつぜん機関銃の掃射音が飛び込んできて、あたしは顔をしかめた。テレビでは紛争地帯で起こった小競り合いの犠牲者数を、ベストセラー小説の発行部数と同じくらい強調して伝えていた。
「どうして平和にならないのかしらねえ」
 母さんはそういって、いとも簡単にチャンネルを切り替える。もはやこの手のニュースは当たり前になっていて、毎朝届くダイレクトメールくらいの価値しかない。朝起きて、遠くの国で人が死んだことを確認して、それでおしまい。
 でも本当は、その一つ一つに、まともに受け止めたら心がパンクしてしまうほどのかなしみが詰まっているのだ。だから武器を取る人はいなくならないし、紛争も終わらない。闘うことを選ぶのは、たぶん、自分が幸せになるためではない。理不尽に散らされた命に対し、何も出来ないことが許せないからじゃないだろうか。
 焼きあがったパンがトースターの中で跳ねるのと同時に、キッチンヒーターが料理の完了を告げた。お皿に移す作業は母さんが「わたしがやるわ」と言ってくれたので、あたしは冷蔵庫から牛乳を取り出し、慎重にコップに注いだ。たとえ途中で失敗しても、たとえばコップを落として割ってしまっても、母さんは決して手伝ってくれない。あたしが片づけを終えるまで、文句ひとつ言わずに待っていてくれる。
「こら、危ないでしょ」
 右手に牛乳の入ったコップ、左手に目玉焼きのお皿、口にパンをくわえながらダイニングに行こうとする、あたしの背中にお小言が投げつけられる。
「大丈夫よ、慣れてるからこのくらい……ほら、できた」
「んもう、お行儀わるいったらありゃしない」母さんは大げさに嘆いた。「そんなお転婆じゃ、高校生になってもカレシできないわよ」
 一ヶ月前までのあたしなら「カレシって何?」と訊き返していたところだけど、いまはそれが「恋人の男性」の一般的な呼び方であると知っている。日本の高校に行きたいとあたしが言い出して以来、家の中では日本語しか使わないことになっていた。
「いいもん。カード・プロフェッサーになって有名になったら、オトコなんか選び放題よ」
「またそんな、夢みたいなこと言って」
「ひっどーい。お母さんは味方だと思ってたのに」
「はいはい、応援してるわよ。いっぱい稼いでお母さんに楽をさせてちょうだい」
 含み笑いをしつつ、母さんはちょっと声を厳しくした。
「それにそういうものを目指すんだったらなおさら。若いうちにいっぱい恋をして、男を選ぶ力を身につけておかないと、あとでとんでもないのに引っかかるわよ」
「それってお父さんのこと?」
 冗談交じりにまぜっかえすと、照れと嬉しさが混じった声で、
「なに言ってるの。優しくて理解があってしかも国際線のパイロットなんて逸材、めったにない大当たりよ」
 と母さんは笑った。
「それにあんまり家に帰ってこないから、女だけでのんびり出来るもんね」
「こら、亜理紗」
「ごめんなさーい」
 ふたりでくすくす笑いながら、心の中でもう一度謝った。ごめんね、お母さん、あたしは本気なの。
 あたしにはチカラがある。普通の人にはない、超能力と呼ばれるチカラが。
 そのチカラをくれたのは、死んだ五代目決闘王。
 だからあたしは機関銃の代わりに、カードを取って闘うんだ。
 最強のデュエリストになるために。

   †

 選手入場口からアリーナに足を踏み入れた瞬間、桁外れの轟音に鼓膜をやられて耳が使い物にならなくなった。数万人の歓声、嬌声、罵声、怒号。全身の皮膚がびりびり震えて、お腹の辺りがカッと熱くなった。
 準決勝でここまでの観客動員数は過去に例がないという。去年行われたここと同等の大会の、観客と参加者数を全部集めてもこの半数にも満たない。このデュエルを見るためにわざわざ海を渡ってきた人間も少なくないくらいだった。
 デュエルネームはミス・エックス――『謎の女』で登録していたけど、そんな仮面はこの場では何の意味もなさなかった。観衆はひとり残らずあたしのことを知っている。あたしの正体が、ここさいきんマスコミを騒がせている「未来を観るデュエリスト」だと知っている。その真偽を確かめるために、肯定派も否定派も一堂に座して、デュエルの開始を待ち望んでいた。
「行くよ、亜理紗」
「はい」
 彼の肩に左手を乗せる。眼の見えないあたしにとって、こうして誘導してもらうやり方がいちばん安全だ。
 もっとも、これからここで起こることを全て知っているあたしにとって、危険なことなどありはしないのだけど。

   †

 NY州マンハッタン島。
 ニューヨークと聞いて旅行者が思い浮かべるものは、ほとんどがこの島に集中している。自由の女神、ブロードウェイ、セントラルパーク、MoMA、そして満艦飾のソリッドビジョンが有名な、KCニューヨーク本社ビル。
 合衆国で最も賑やかなこの島の、東側を流れる川を挟んで対岸の一部をクィーンズ区といい、あたしたちの家はこの郊外にある。一ヶ月前、退院すると同時にマンハッタンから引っ越してきた。
 家のある通りはハーフピース通りといい、住人の多くがヨーロッパに故郷を持っている。ジロラモさんもその一人だ。キンモクセイの家に住んでいる四十路の男性で、イタリア系移民の二世。ブロードウェイにある小劇場に勤めている。時間に几帳面で、毎朝決まった時間にうちの前を通って出勤する。片足がわるく、歩くスピードはあたしと同じくらい遅い。
 順を追って犯した罪を告白するなら、あたしの最初の罪は、彼を尾行したことだった。
 この一ヶ月で、あたしは自分のチカラが、デュエル中でなくても使えることを発見していた。その場合、本来の効果の代わりに、他人の【位置と存在】を“視る”ことができる。目で見えているわけでも気配を感じているわけでもないが、「2時の方向、5歩くらい進んだ先に3人いる」といったことが、なぜかはっきりと「分かる」のだ。
 ある種のヘビにはピット器官という、獲物の体温を感知することができる第三の眼があるというけれど、それと似たようなものではないかと思う。視えるのはあくまで【ソコニイル】ことだけで、視覚的な情報――大人か子供か、男か女か、知っている人か、どんな格好をしているか――などは知覚できない。
 効果は眼球に依存していて、簡単にいえば、眼の届く範囲しか“視えない”。視界の外にいたり、遮蔽物の向こう側にいる人は感知できない。また人数が増えると「大勢いる」としか分からなくなる。テレビに映った人間や、人間以外の生き物などには効果がない。ひとりの人間を一枚の手札としてたとえるなら、手札の枚数のみ確認できるような能力だった。
 さらにこの効果を発動するとき、極限まで精神を集中することで、『マインド・クラッシュ』のような追加能力が得られることもわかった――特定のカード名を宣言し、そのカードが相手の手札にあった場合、捨てさせることができる。ただし失敗すれば、こちらの手札を一枚捨てなくてはならない――すなわち、あたしは誰かを頭に思い浮かべることで、その誰かが視界のどこかにいれば、その【位置を検索】し――【ドコニイル】かがわかるのだ。『マインド・クラッシュ』と違ってその誰かに危害が及ぶことはないけど、失敗したときのペナルティは存在する。
 白杖で地面をこすりながら、これらの能力を駆使してジロラモさんを追いかけたのは、母さんが『視覚障碍者とその家族のためのシンポジウム』に出席するため、朝から出かけていた日のことだった。あたしも行くはずだったが、当日になってお腹が痛いと嘘をついた。
 ブロードウェイまで尾行したら、あとは簡単だった。ニューヨークの顔とも言える、摩天楼が立ち並ぶ五番街は、彼の勤務先からだと眼と鼻の先にあった。
 大通りでいちばん目立つその建物の主は、五代目と同じ日本人だという。
 KCニューヨーク本社ビルにあたしはそうして入り込んだ。
「アポはございますか?」
「は?」
「まことに申し訳ありませんが、アポのない方はちょっと……」
 ところがリクルーターに会わせてくれというあたしの希望は、あっさりはねつけられた。何の用かと問われることもなければ、どうやったらアポとやらが用意できるのかも教えてもらえない。KCに来ることさえ出来れば問題は解決すると思っていた、自分の浅はかさを痛感した――ちなみにリクルーターというのは、『素早いモモンガ』のことではなく、才能あるデュエリストを見つけ出し、プロとしてスカウトする人間のこと。
「でも――あたしはどうしても会わなくちゃいけないんです」
 口から出てくる言葉は、どうしようもなく子供っぽくて、赤面しながらあたしは訴えた。
「デュエルに少しでも詳しい人なら誰でもいいですから、とにかく誰かに伝えてください。あたしは、五代目決闘王からチカラを受け継いだデュエリストだって。いちどでもデュエルを見てもらえればわかりますから」
 ぶひゃはは、と下品な笑い声が響いた。笑ったのは受付嬢ではなく、奥にあるエレベーターからちょうど降りてきた女だった。
「よりにもよって五代目かよ。手品のやり方でも受け継いだってのか?」
「エリー、そんなに笑っては可哀想だよ。……連れが失礼した。僕はここのリクルーターだ。きみ、プロになりたいのかい?」
 女と一緒にエレベーターから降りてきた男が、あたしにやさしくそう訊ねた。あたしは出せる中でいちばん良い声で返事した。
「なりたいです。ならなくちゃいけないんです」
「なぜ?」
「あたしは五代目決闘王のチカラを受け継いだから。信じられないのは分かります。でも、デュエルを見てもらえればすぐに」
 スカウトマンはあたしの肩をぽんぽんと叩いて、
「すばらしい!」
「じゃあ……」
「すばらしいよ、五代目決闘王とはね。“キースの生まれ変わり”や“ペガサスの隠し子”は何百人といたけど、君はそんなやつらよりジョークのセンスがある」
 まったくもってその通りだわ、と女が便乗する。
「……でも、あたしは本物です」
 その言葉は自分でも嫌になるくらい説得力がなくて、諦観はあたしをして眼を閉じさせた。それで何が見えなくなるわけではなかったけど。
「わかったわかった。信じてあげるから、とっとと帰りな、五代目ちゃん。さもないとこわーい警備員か、君の両親か、好きなほうを呼び出すことになる」
 悔しくて頭がどうにかなりそうだった。最初からあたしを馬鹿にするためだけに希望をちらつかせたのだ。泣きたかったけど、こんな人たちの前で泣くもんかという意地のほうが勝った。唇を噛んできびすを返した。小声の冷笑が背中を突き刺した。
「たまにいるのよねぇ、ああいう手合いって。“可哀想な子”なら、なんでもうまくいくと思ってるのかしら?」
「両親のしつけのせいだろう。ああいう子はわがままいっぱいに育ってるからさ、自分のこと王女様か何かと勘違いしちゃうんだろうね」
 引き返して、チカラの一端を見せ付けてやろうという欲求を抑えるのに、どんなに苦労したことか。別に『プリティ・ウーマン』になりたかったわけじゃない。あたしが許せなかったのは、両親について言われたことだった。
 娘が他人と違う生き方をしたいと――とりわけカード・プロフェッサーになりたいなどと――言い出したときの彼らの反応は、普通の親とどこも変わらないものだった。母さんはあたしが楽しいジョークでもいっているかのような口調でこういった。目標をもつことはいいことね、でもね亜理紗、人生はそんなに簡単なものじゃないのよエトセトラ。正論と搦め手。母親というのは、子供のためならいくらでも可能性を摘み取ろうとする生き物だった。
 いっぽう優しくて頭が良くて理解がある父さんの反応はというと、男らしいことこの上なかった。あたしの話を聞くなり、「絶対に許さん」と聞く耳すらもたなかった。
「でも、あたしの人生だわ」と反論しても、
「娘が不幸になることがわかっていて放置する親がどこにいる」とにべもなかった。「そんなくだらないものより、進学して自立することを目標にしなさい。そして、お前のことを本当に理解してくれる男を探しなさい。それがお前の幸せだ」
 恨めしく思わなかったといえば嘘になる。けれど彼らの言い分は真実の尻尾を捕まえていたし、あたしもさすがに「あなたたちの娘は冥界で超能力を手に入れちゃいました」なんてことは言えなかったから、そのときはおとなしく引き下がったのだった。どちらにせよ、プロになるにはKCを訪れなくてはならない。眼の見えない、点字は読めない、友達もいないあたしにそれは不可能だし、だとすれば時間をかけて両親の信頼を勝ち取り、連れて行ってもらうしかない、という打算があった。――数日後、ジロラモさんという「裏技」の存在を知るまでは。
 あたしは引き返さなかった。このチカラは、ちっぽけな復讐心を満たすためのものではなかったから。
「あっ、ムーアさん、聞いてくださいよ、今そこで面白いことが――」
 エリーと呼ばれた女がくすくす笑いながら誰かに事の顛末を報告している。とことんまであたしを馬鹿にする気らしい。ちょっと涙が出てきた。早足でドアに向かった。帰り道はタクシーに頼るしかないが、あたしに捕まえられるだろうか。
「おいっきみっ」
 誰かが悲鳴のような声を上げた。出口に向かって走ってくる。ぶつからないように横にずれた。
「待ってくれ! 君ちょっと待って!」
 とつぜん慣性の法則とは逆方向に引き戻され、追いかけてきた男ともども、無様にしりもちをついた。
「きみ、なんて言ったって!? 五代目決闘王の力を、“受け継いだ”!?」
 地べたに座っていることも意に介さず、男は早口でまくし立てた。「五代目ちゃん」男ではない。声から察するにもっと若いようだった。20代前半くらいだろうか。
「痛い」
 文句を言うと、すぐさま謝罪して、あたしに手を貸して立ち上がらせた。
 紳士的な動作だったが、もう騙されない。
「ご、ごめん。つい力が入っちゃって。それで君、さっきそこで言ってたことを、もう一度言ってくれないか?」
「アポはございますか?」
「え?」
「まことに申し訳ありませんが、アポのない方はちょっと……」
「そっちじゃなくってーっ」
 男が今にも泣きそうな声を出したので、眼を瞠った。もしかしてこの人、あたしの話を信じてくれてる?
「いや、ごめんね。不快な思いをさせたんだよね。あの人たちに代わって、僕が謝るよ。だから、お願いだから、君が何を言いに来たのか、僕に教えてくれないか。すごく、すごく大切なことなんだ」
 すごくすごく大切なこと――彼が千年リングの持ち主であり、エックスを探していること――をあたしが知るのは、もう少し先のことになる。
「いいですよ。あたしは――」
 ともかくそんな風にして自分が何者であるかを伝え、あたしこと城ヶ崎亜理紗と、その男、ムーア・モンタギューは出会ったのだった。

   †

 ムーアは迷子の手を引くように、ゆっくりと歩いてくれた。手のひらから伝わる体温は温かく、少しだけ安心できた。
「緊張してる?」
「してません」
 ばればれの嘘。足は、生まれてすぐ立ち上がろうとする子馬のように、ぶるぶると震えていた。何万人もの注目を浴びることなど、人生でそうあることじゃない。デュエルフィールドまでの数十歩が限りなく遠く思えた。なんであたしはこんなところにいるんだっけ、などという益体もない現実逃避が頭をもたげた。
 ロンドン国際デュエルトーナメント。
 名実共にアマチュア大会では最高峰。プロと比べてもまったく遜色のない猛者どもが国境を越えて集い、プロデビューの椅子をめぐって闘う。デュエルには特別ルールが設けられ、ただ強いだけでは勝ち上がることができない。実力に加え、「プロとしての適性」が試されるぶん、ある意味では優勝するのは決闘王になるより難しいとされる。「決闘王はもっとも強いデュエリストだが、国際デュエルトーナメントの優勝者はもっとも巧いデュエリストである」とは、ニューヨーク国際デュエルトーナメントを制した男の台詞だ。ちなみに彼はのちに四代目決闘王となった。
 ファーストステージからサードステージまでは一般に公開されず、観客がつくのはファイナルステージ、つまりこのデュエルからになる。マスコミも取材に本腰を入れ始め、一般人の注目も高まる。気の早いタブロイド紙はすでにこの試合の「イカサマ疑惑」を煽ったし、今朝ホテルを出るとき、往来の小さな紳士が「ジュリアが勝つほうに一ポンド!」と叫んでいるのも耳にした。
 ジュリア――KCのライバル社であるI2社から、あたしのプロデビューを阻止するために送り込まれた刺客。この大会において、唯一あたしに勝つ可能性を秘めた女性。
 彼女もまた、エックスだった。

   †

「はっきり言って、君の希望をかなえるのは難しい」
 暖かなカフェで、ムーアはそう切り出した。昼のマンハッタンにはない唯一のもの――静けさ――がここにはある。音を出すことを許されているのは、空調と、静かな会話と、ボリュームを抑えたビリー・ジョエルだけ。
「もちろんプロになるだけなら、KCと専属契約を交わせばいい。これはご両親のサインがあればすぐにでも可能だ。だがKCとしては、そして僕個人としてもこの方法はとりたくない。なぜだか分かるかい?」
「地味だから、ですか?」
「言ってしまえばそういうことだね。いつのまにかプロになってた人より、やっぱり大きな大会でばばーんと優勝して、そのあとプロデビューしてもらったほうが、世間には受け入れられやすいし、宣伝にも効果が出る。特に君の場合、最初にできるだけ大勢の前で実力を示しておかないと、あとからイカサマでデビューしたなんてバッシングされるおそれもある。だから最低でも、数百人規模の大会を開きたい――んだけど、いまはそれができない」
「どうしてですか?」
「その質問に答える前に、少し聞かせてほしい。君自身のことと、君がプロを目指す理由について。それからできれば、五代目の能力を受け継いだ経緯についても」
「わかりました」
 あたしが話している間、ムーアは一言も発しなかった。語り終えると、「そう」といったきり、長いこと沈黙した。やや厳しいまなざしで、こちらを値踏みしているのがわかった。
 それからゆっくりと、あたしの知らなかったことを語り始めた。シャム神の製造と千年アイテムの復活。初代決闘王とXプロジェクト。チカラの正体。ムーアもまたエックスであり、千年リングの持ち主であること。そのチカラであたしを見つけたこと。デュエルにおいて、エックスはエックスにしか負けないこと。ジュリアの存在。そしてエックスをめぐる、KCとI2社の抗争。
 M&Wの歴史は、英雄の歴史でもあるのだとムーアは語った。武藤遊戯、海馬瀬人、ペガサス、キース――かつて不敗伝説を打ち立てた英雄たち。彼らこそが人気の原動力だった。彼らと同じ時代に生き、伝説を共有できるからこそ、ウィザーズはここまでの発展を遂げたのだと。
「――だからKCとI2社が袂を分かったとき、二社は英雄を取り合った。自分たちが主催の大会で優勝したデュエリストこそ、正式な決闘王だと主張しあった。これがいわゆる暗黒期……己のプライドの為に公式大会を開いて、ユーザーが置いてけぼりになった時代さ。もちろん、『アギルト』の誕生のように、いい面にも働いた。しかし、わずかな間に三人もの決闘王を誕生させたのは、いくらなんでもやりすぎだった」
 M&Wの凋落。その後のニューヨーク世界大会は、五番目の英雄を生むことには成功したものの、後味の悪いものとなった。
「そういうわけで、しばらくはKCもI2社も、しばらくは大規模大会の開催を自粛せざるを得ない状況なのさ。そりゃ、どうしてもっていうなら手がないわけじゃない。しかし……きみはまだ14歳だろう? いまはホームスクーリング(在宅教育)を受けているそうだけど、まだそこで学ぶべきことがあるんじゃないか? 僕が口を出すべきことじゃないのはわかってるけど、せめてGED(高卒と同等の証明書)は持っていたほうがいいと思う」
「嫌です。そんなに待たされるくらいなら、I2社に連絡を取ります。あっちもエックスを欲しがっているんでしょう?」
「……だと言うと思った。わかった、君の勝ちだ。ただし、プロになっても勉強は続けてもらう。この世界は君が思っているほど生易しいものじゃないし、あとになってM&Wを勉強しなかったことの言い訳にさせないためにも」
「そのことなんですけど、実はあたし、高校は日本に行こうと思っているんです」
 もちろん、プロになるのに支障が出るようなら諦めますけど、とあたしが付け足すと、
「そんなことはないよ。というか、日本はKCのお膝元だから、こっちからお願いしたいくらいだ。行きたい高校があるの?」
「いえ、それはまだ……ただ単純に、日本の高校に行きたいってだけで……」
 顔が赤くなるのが分かった。偉そうなことをいっておいて、肝心なところは子供だ。しかしムーアは気にも止めずに、
「そう、だったら、ひとつ推薦してもいいかな? 僕も高校時代に留学していたところで、府秦高校っていうんだけど、日本の高校にしては懐の深いところがあって、どんな生徒でも受け入れてくれる。留学生や帰国子女はもちろん、なんらかのプロをやりながら通ってる人も少なくない。それに理事長は日本決闘協会のお偉いさんだから、ウィザーズに対して抵抗や偏見もない――」
 決闘協会は、暗黒期が生み出したもうひとつの光だ。あまりに莫大な経済効果を生むようになったM&Wの、プロ制度や公式大会が二大企業に独占されている状況を打破するため、抑止力として結成された公的機関。国または地域ごとにひとつ存在し、それらを統括する国際組織として、M&W振興委員会がある。
 協会のなかには独自に公式大会を開催しているところもあり、それがムーアの言うところの「ないわけじゃない手」だった。三ヵ月後、イングランド決闘協会が主催する大規模大会がロンドンで行われる。出場は完全招待制で、優秀な記録を持つデュエリストしか参加できない。しかし、いまから出られる限りの公式大会で優勝しまくれば、チャンスはあるとのことだった。
「これだけは知っておいてほしい。もし君が千年アイテムの力を使ってプロデビューするというのなら、KCはきみに英雄としての、五代目決闘王のあとを継ぐものとしての役割を期待する。それは世界じゅうのデュエリストの期待を背負うことを意味する。いまの君には想像もつかない重圧だ」
 そしてムーアは、あたしがずっと言ってもらいたかった、けれど大人は誰も言ってくれなかった台詞を吐いた。

「城ヶ崎亜理紗さん、君に覚悟はありますか?」

 即答しなかったのは、逡巡したからじゃなかった。答えなんて百年も前から決まっていたけど、よく考えずに即答したと思われたくなかったから。
 自分の進路すらまじめに考えていないガキのあたしが、期待を背負うことの重みなんて分かるはずがない。けど、それくらいムーアだって分かっている。彼が問うているのはあたしの展望ではない。覚悟だ。たとえどんな目にあっても諦めないでいられるか、折れない心を持っているか、それを訊いているのだ。
 だからあたしはまっすぐにムーアの眼を視て、答えた。
「あります」
「……わかった。なら君がプロになるために、僕も全力を尽くすと約束しよう」
 あたしは震え上がった――多幸感で。それだけでもう、プロになれたような気分だった。
「まずはご両親の説得だね。それが済んだら広告代理店に連絡を取って、それから――」
「あの、ムーアさん」
「ああごめん、先走りすぎたか。なにか希望があったら聞くよ」
「そうじゃないんです。お礼がいいたくて。あたしの話を真剣に聞いてくれて、ありがとうございます」
「改まって言われると照れるな。気にしないで、これが僕の仕事なんだから」
「あたし、がんばります」
「さすが日本人。でもそんなに気負わず、気楽に行こうよ。頑張らなくちゃいけないターンってのは、そのうちいくらでも出てくるから」


 ムーアの言ったとおり、そのターンは翌週さっそく訪れた。彼ともうひとりのKC社員がうちに来て、あたしをプロにすることについて両親と話しあったのだ。あたしは同席させてもらえなかった。めったに声を荒げない父さんの怒鳴り声が聞こえてくるたび、部屋で布団をかぶって聞こえないフリをするしかなかった。
 殴られるかもしれない、と初めて考えた。しつけに暴力を使われたことは一度もなかったけど、今回だけは話が別だ。教会にいたずらを仕掛けたときとはわけが違う。
「亜理紗、ちょっと来なさい」
 母さんに呼ばれて、胃が炭酸を飲みすぎたときのように重くなった。あたしが連行されたのは、ムーアたちのいるリビングではなく、両親の寝室だった。
「まずお母さんにあやまりなさい」
 いきなり判決。裁判長たる父さんの声は意外と落ち着いていたけれど、地下に大量のマグマを隠していることは明白だった。
「でも、あたし……」
「莫迦者!」
 人格の一切を無視されたような気がして反駁しかけたあたしを、父さんは言葉で殴りつけた。
「ひとりでマンハッタンまで行ったそうだな!? それがどんな危険なことだったか分かるか!? 事故にあったかもしれん、誰かにひどい目に遭わされたかもしれん! 誘拐されてもおかしくなかった!! それを聞いて、私たちがどれだけ怖ろしかったと思う!? お母さんは真っ青になって、もう少しで倒れるところだったんだぞ!!」
「……ごめんなさい、お父さん、お母さん」
「もう二度とこんなことしないって、約束できるわね?」
「……はい」
「それなら、この話はもういいわ。それで、プロになるって話のほうだけど……」
 母さんは父さんのほうをうかがうように言葉を切った。裁判長は何も言わなかった。
「正直、わたしは反対だわ。あなたがまだ14ってこともあるけど、進路がカードゲームっていうのは、やっぱりどうしても心配なのよ。マジックアンドウィザーズって言うんですってね。ちょっと調べてみたんだけど、2ヶ月くらい前に世界チャンピオンが殺されてるんですって。青眼のナントカっていう希少なカードをめぐって、強盗事件もあったらしいわ。偏見かもしれないけど、ずいぶん乱暴な業界なんじゃない? 歴史がないことも不安よね。このゲームって、できてからまだ十年も経ってないんでしょう? たった八年でここまで成長したのはすごいことだけど、逆に言えば、同じくらいのスピードで飽きられてしまうこともありうるわけよね。今日来た二人は紳士的だったけど、この世界が女性に対して紳士的とは限らないわ。囲碁でも将棋でもプロにはちゃんと女流があるのに、カードゲームにはないんですって。そもそもプロの女性はほとんどいないそうよ。亜理紗あなた、そういう世界だってこと、ちゃんと分かってプロになるって言ってるの?」
「それは……」
 知らなかった。そのことが無性にあたしを苛立たせる。
「あたしには才能があるもん。男になんか負けない」
 だから、関係ない。いくら女性が少なかろうと、カードゲーム人口が少なくなろうと、最強ならばなにも問題はない。
「そういうことを言ってるんじゃないの。こういうことはもっと慎重に」
「考えたわ! 退院してからずっとずっと考えてた! でもお父さんは頭ごなしに駄目って言うしお母さんは本気にしてくれなかったじゃない! だったらどうすればよかったの?」
「あなたが考えてたのはどうしたらプロになれるかでしょう? 自分の将来のことなんだから、好き嫌いだけで決め付けないで、もっと広い視野を持ちなさい」
「あたしの将来のことだからあたしが決めるの! なんでお母さんにとやかく言われなくちゃいけないのよ」
「あなたはわたしたちの娘で、まだ子供だからよ」
「子供だからどうだって言うの!? お父さんとお母さんの許しがなかったら、あたしは自分の生き方を決めちゃいけないの!? あなたたちの決めたとおりに、あなたたちが安心できるように生きていかなくちゃいけないわけ?」
「もういい!」
 それまで黙ってやりとりを聞いていたお父さんが、とうとう噴火を起こした。
「言いたいことはよくわかった。亜理紗、私が前に言ったことを覚えているな? プロになるなど絶対に許さんと言ったはずだが」
「……うん」
「それでもお前は、自分の決めた生き方を曲げたくないんだな?」
「……うん」
「わかった。なら、好きにしなさい」
「いいの……?」
「勝手にしろ。そのかわり、もうおれの娘だとは思わん」
「あなた」
「お前は黙っていなさい。これは亜理紗が望んだことだ」
「でも」
「お母さん、いいよ」
「よくありません」
「仕方ないよ……本当のことだから」
 家族の一員であることより、デュエリストとして闘うことを選んだ。それがあたしの二つ目の罪。
 いちばん大切なものを切り捨てて、それでもあたしはプロになりたかった。

   †

「納得いかないわ」
 共にロンドンに向かう飛行機の中で、エリーがそんなことを言っていたのを思い出す。
「あたしは長い時間をかけて努力して、KCと繋がりを作って、百を超える大会で勝ち上がって、やっとこのトーナメントに出場することができた。なのにあんたは三ヶ月前にいきなり現れて、なぜかムーアさんの目に留まって、もうあたしと肩を並べるところまで来てる。あたしとあんたのどこが違うっていうの?」
「あたしは……五代目決闘王の代わりですから」
「またそれ? まさか本気? あんた、自分がデュエルする理由をいったいどう考えてるのよ?」
「五代目が、あたしに闘うチカラをくれたから……だからあたしはデュエルするんです」
「それで五代目のコピーになりさがるってわけ?」エリーはいかにも軽蔑したように鼻を鳴らした。「はん、頭おかしいんじゃないの。あたしはそんなの絶対に嫌。師匠が誰であろうと、あたしはあたしよ。あたしはあたしの為に、自分が幸せになるためにプロを目指すわ」
「あたしは……プロになって、幸せになりたいわけじゃありません」
「ふーん。だったらあたしはあんたを認めない。いくらあんたが強くったって、そんなのおかしいもの」
「エリーさんにわかってもらおうとは思いません」
「ええわからないわよ。わかりたくもないわ!」
 あたしとエリーの勝敗を分けたのは、ただひとつの事実。あたしはエックスで、彼女はそうではなかった。
 エックスに勝つには、同じエックスでなければならない。
 【位置と存在(ソコニイル)】を発動させて、前方を視る――ジュリアは、既にデュエルフィールドに入って、あたしを待っていた。

    †

「あたしの名前はエリー。今日からあんたのライバルよ」

 ムーアの訪問から――あたしとお父さんが最後に口をきいてから――二週間後、あたしは機上の人となって、ミラノからロサンゼルスに向かっていた。
 高校にはかならず進学し、ちゃんとした成績を維持することを条件に、母さんから引き出した台詞――「しばらく好きにさせてみようと思います」を聞かされてからの、ムーアの行動は素早かった。あっというまに世界中の公式大会の開催予定を調べ上げ、スケジュールを組み、エージェントを雇って、パスポートを手配し、むこう三か月ぶんの飛行機とホテルを予約した。あたしが決める必要のあることといったら、機内食をビーフかチキンのどっちにするかくらいだった。
 両隣に座っている女性――マーガレット・エントウィスルとエリー・レイクは、出身も年齢も趣味もすべて違っていたけれど、美人であることと、あたしの敵である点で共通していた。
 マーガレットはあたしより10歳上で、スケジュール管理や大会の付き添いなどをしてくれる人だ。律儀さではドイツ人に劣らず、軽やかなことではイタリア人に引けを取らない。タクシーを捕まえることにかけては世界一で、あたしは彼女と一緒にいる間、タクシー待ちの時間というものを2秒以上費やしたことがなかった。ただし、あたしとの相性は最悪。顔合わせの席で、あたしがオレンジの香りのする紅茶を注文し、彼女が植物臭の強いハーブティーを注文した瞬間、わけもなくこの人とは馬が合わないだろうと直感した。
 予感は当たり、ムーアがいるうちは「マーガレットよ。ペグって呼んで」と言っていたのが、彼が席をはずしたとたん、「ミズ・マーガレットでしょ? あんた礼儀も知らないの?」に変わった。一事が万事そんな調子で、腹を立てればこっちの立場が悪くなるような方法で、たびたび神経を逆なでしてきた。
 それでもエリーに比べればまだましだったかもしれない。初対面で五代目を手品師よばわりしたこの女のことを、あたしはどうしても好きになれなかった。二度目に会ったときはライバルの名乗りをあげておきながら、心中では逆のことを考えているのが明らかだった。偶然を装ってあたしの出場する大会に乗り込んできて、あたしを蹴落とそうとしたこともあった。デュエルでは勝てないと分かると、「強いだけじゃプロになれない」「あんたのデュエルには客に見られるという自覚が足りない」といったことを、うんざりするほど聞かされるようになった。
 もっとも、彼女の気持ちも分かる。あたしが来るまでは十年に一度の天才デュエリストと呼ばれ、KCの推すプロ候補の筆頭だった。なのに横から出てきた5歳も歳下の小娘に立場を奪われてしまった。あたしが同じ立場だったら、悔しくて眠れぬ夜を重ねたことだろう。
 もちろんそうしたデュエリストはKCとは関係ない場所にも山ほどいた。あたしと闘わなければ、記録を残せたかもしれないデュエリストたち。あたしと当たったせいで一回戦で散っていった優勝候補の数々。弱肉強食のルールはだれしもが理解するところだったけれど、シマウマの群れに紛れ込んだライオンをやすやすと見逃せるほど、人間の感情はよくできてなかった。
 新品のパスポートが入国印でいっぱいになる頃には、デュエル会場でわざと足を引っ掛けられたり、肩をぶつけられたりするのは当たり前になった。デッキを盗まれそうになったことも一度や二度ではない。「盗賊」「イカサマ女」「雌犬」「卑怯者」……いろんな名前で呼ばれた。テレビだったら放送できないような差別的な表現で、「あたしは盲目なのでルールブックが読めません」と書かれた紙を背中に貼り付けられたこともある。
 マーガレットさんや運営側の人が助けてくれるときもあったけど、ほとんどの場合は自分で身を守るしかなかった。【ソコニイル】を発動させて、人に近づかず、近づけないようにすることが多くなった。
 ときに悪意の深さは、あたしの予想を軽々と超えた。
「ねえ亜理紗、あなたちょっと服を買いすぎなんじゃないかしら? いま着てる服も、お母さんが買ったものじゃないわよね?」
 このまえ家に帰ったとき、母さんはめざとくあたしの服装に目を留めてそう言った。
「うん。でも、表彰台に立つとき、なるべくちゃんとした格好でいたいってのもあるし……」
「このあいだ買ったデニムのスカートはどうしたの?」
「ごめん。どこかのホテルに置いてきちゃったみたい」
「そう。それならいいんだけど」
「……ごめんなさい」
「亜理紗。生き方はひとつじゃないんだから、考え直したくなったら、いつでも立ち止まっていいのよ。それでいろいろ言う人がいるかもしれないけど、かまうもんですか。あなたの人生なんだから」
「うん……大丈夫よ」
 持っていった衣類はぜんぶ捨てた。留守中、誰かがホテルの部屋に忍び込んで、スーツケースを荒らしたので。
 デニムのスカートは、盲目のあたしでも分かるくらいに、ずたずたに切り刻まれていた。


 ロサンゼルスの大会で、あたしは致命的なミスを犯し、よりにもよってエリーに助けられた。
 これまで何度かインタビューの申し込みはあったのだけど、すべてマーガレットさんがシャットアウトしてくれていた。デビューするまでは、なにもかも『謎の女』で通せ、というのがKCからのお達しだった。もちろんあたしも記者と名乗る人間には十分注意して、貝の口を貫いた。しかし、録音機やカメラを持ってあたしの前に現れる人間だけが記者とはかぎらなかった。少し考えれば分かることだったのに。
 あたしの三番目の罪は、二回戦でデュエルした口達者な男に、自分の経歴をべらべらと喋ってしまったことだ。エリーが気付いて止めてくれなければ、チカラのことまで話してしまうところだった。翌週、デュエリスト雑誌に載った。

<カードを透視!? 謎の超能力美少女あらわる!!>

盲にもかかわらず、カードを次々と透視する女の子がいる。いま、合衆国のゲーム界はこんな噂でもちきりだ。少女の名前はエリザ・ジョウ。12歳。臨死体験によって透視能力を得たと語る彼女は、その力をM&Wに利用し、国内・国外を問わず公式大会を次々と荒らしまわっている。その的中率は脅威の100パーセント。既に7ヶ国で行われた大会を制し、将来はカード・プロフェッサーも視野に入れている。詳しいことはまだ謎に包まれているが、これからの動向が注目されるデュエリストであることに疑いはない(文責:記者)

 帰りの飛行機の中、マーガレットさんはその記事を読み上げ、長々とため息を吐いて、
「こういう雑誌の記者が取材として大会に参加してることくらい、ちょっと頭を働かせりゃわかるでしょうに。それとも、その頭はカードのこと以外には働かないの?」
「ごめんなさい」
 申し訳なさでいっぱいで、機内食がのどを通らなかった。見かねてエリーが、
「エリザ・ジョウ、12歳だって。いい加減なライターでよかったわね」
 と皮肉交じりに言ってくれて、少しだけ気分が楽になった。
「よくないです。名前はともかく、12歳って……あたし、そんなに童顔ですか?」
「そりゃま、歳相応には見えないわ。アジア系だからかもしれないけど」
「あなたの場合、顔も目も丸すぎるのよ。髪をもうちょっと伸ばすか、大人になるまで待つのね」
「大人になってもこのままだったらどうしよう」
 ふたりの美女は声をそろえた。
「メイクアップ」

   †

 先導する彼が足を止めるのとほぼ同時か、それよりも早く、あたしは立ち止まった。ジュリアとの距離はもう1メートルもない。ムーアは「幸運を」と言い残し、去っていった。
「はじめまして、亜理紗さん。それとも、ミス・エックスとお呼びしましょうか?」
 互いのデッキを交換したとき、そう声をかけられた。声は、あたしが想像していたよりもずっと若かった。痩せ型、ブルックリンなまり、あたしより頭ひとつ分ほど背が高い――声からわかったのはそれくらい。
「亜理紗でいいです。はじめまして、ミズ・ジュリア」
「エックスの話はムーアから聞いていますね?」
「ええ、あなたが【天秤】のエックスだということも」
 デッキカットを終えて、ジュリアのデッキをつき返す。ジュリアは受け取らず、あたしのデッキをもう一度シャッフルした。
「KCがあなたを認めているのは、あなたがエックスだからです。本当の意味でプロを目指すなら、アイテムを返還し、純粋に実力で挑戦すべきではありませんか?」
「アイテムに選ばれたことを含めて、あたしの実力だと考えています」
「超能力を使うのは公平ではないと思いませんか?」
「思いません。M&Wは超能力の使用を公式に認めていますし、他人にない力を使ってはいけないというのなら、並外れた洞察力や推理力なども禁止されるべきです」
「KCはあなたをいいように利用したいだけです」
「あたしもKCを利用していますから、お互い様ですね」
 しばし無言。ジュリアは驚いているようだった。あたしのことをKCの傀儡だと思っていたのだろう。
 あたしは自分のデッキを取り返した。
「千年アイテムは、エックスの超能力は、もはやこの世にあってはならないものです。三枚のシャム神のカードと共に、冥界に還さなくてはなりません」
「シャム神も千年アイテムも、復活させたのはジュリアさんでしょう?」
「だからこそ私の手で、あるべき場所に還したいのです。亜理紗さん、協力してもらえませんか?」
「嫌です。あたしはこのチカラでプロになると決めたんです」
「わかりました。……ならば、“闇のゲーム”で決着をつけましょう」
「闇の……ゲーム?」
「すこし痛いかもしれませんが、我慢してください」
 次の瞬間、激痛に頭蓋を貫かれ、あたしは絶叫した。

   †

   【次へ】


 top