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第十一話 交差(エックス)


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 それは、ある悪魔と、それと闘った少女の物語。

 その悪魔がはじめて人類の前に姿を現したのは、20世紀最後の年の、クリスマスにほど近い年の瀬だったという。もし悪魔にユーモアのセンスがあったら、赤い服を着て白ひげを蓄えていたかもしれない。悪魔は子供が好きだった。14歳以下の子供が、大好物だった。
 悪魔は20万人のよい子から1人を選んで、贈り物をした。一年分の日めくりカレンダー。一ページ目にはこう書かれている――昏倒。次をめくると、吐き気、めまい、頭痛、関節痛……めくるたびに一日を不幸な気分で過ごせる言葉が増えていく。最後の、すなわち一年後のページにはたった二文字。死ぬ。
 この悪魔的な時限爆弾に対し、現代医学は可能な限り善戦した。悪魔の正体――それはある種のウィルスだった――を突き止め、宿主の遺伝子にほんのわずかな変化をもたらすことを発見した。症状の進行を抑える薬を開発し、日々改善に勤しんだ。緒戦は優勢に進んだ。登場からわずか二年足らずで、この新しい不治の病が、しばらくすれば文献の中でのみ登場する古ぼけた疾患に成り果てると、だれもが確信しかけていた。
 ところが、あと1ピースでパズルが完成するというタイミングで、すべてがひっくり返った。実験室の中では完璧だった新薬が、臨床では何の戦果も挙げられなかった。なにひとつ。そうして戦いは振り出しに戻った。それが三年前までの状況だった。
 だから亜理紗が生き残れたのは、魔法としか言いようがないのだ。13歳の誕生日、悪魔からプレゼントを受け取ってしまった彼女は、一度はあの世行きの特急列車に乗り込んだ。だが列車が出発した直後、ぎりぎりで魔法が働き、途中下車に成功した。悪魔のカレンダーを網棚に置き去りにしたまま――。
 まさに魔法。蘇生した亜理紗は、まるで死刑執行で死ななかった死刑囚が無罪放免になるという伝説のように、死の病から開放されていた。唯一、両目の視力を失った以外は。
 魔法は二年間続いた。来てほしくない落し物係が、忘れものを亜理紗に届けにくるまで、それだけの時間がかかった。魔法を打ち消す12時の鐘の音は、おりしも亜理紗がラーの攻撃を受けて敗北した、まさにその瞬間に鳴り響いた。デュエルの直後、昏倒した亜理紗の呼吸と脈拍がおかしいことに、まず看護師のナナが気づいた。医務室に運ばれ、検査が行われた。そして残酷な現実が、ナナに、次いでオレに伝えられた。

 おかえり、日めくりカレンダー。

「再発は、世界で初めてのケースだそうよ」
 守秘義務はいいのかと心配したくなるほど委細を語ってくれたナナは、物語の最後をそう締めくくった。
「それと、15歳以上で発症したのも世界初で……とにかく前例のないこと尽くめだから、亜理紗さんがどうなるのか、本当のことは誰もわからない。これは私の個人的な意見だけど、それが良い方向に転ぶ可能性だってけっして低くはないと思うの。彼女は一度病を乗り越えて、免疫ができているはずだから」
 表が出る可能性があるということは、裏が出る可能性もあるということだが、免疫と書かれたコインの裏側について、ナナはなにも言わなかった。わざわざ口に出すまでもなく、その場の空気の重さがそのまま答だった。
 保護者兼介助人であるナナは医務室に入ることを許されたが、オレが入ろうとすると断られた。「すみませんが、規則ですので。あちらの休憩室でお待ちください」と。その場を離れたくなくて医務室の前で待ってていいかと訊くと、振り返ったナナが無理やり搾り出した笑顔と声で、「KCの医療チームは世界最高峰だから、任せておけば大丈夫よ」と告げた。「嘘か本当か知らないけど、かのバトル・シティでは、死んだ人さえよみがえらせたこともあるんだから」
 だが冗談を聞ける気分でなかったオレは、その一言にかちんと来た。
「ナナさんは冷静ですね。……看護師をやってると、人が死ぬことにも鈍感になれるんですか?」
 あとで心底後悔することになる暴言を投げつけられたナナが、そのときどんな顔をしていたのかはわからない。オレはそっぽをむいていた。わずかな沈黙のあと、ナナは凛呼とした声でこう言って返した。
「泣き叫ぶだけが、悲しみ方じゃないもの」
 それから医者を伴って医務室に入っていったナナは、10分ほどして出てくると、亜理紗の両親に連絡してくると言っていなくなった。オレは独り、誰もいない休憩室に取り残された。
 背にした壁からデュエリストたちのしのぎを削りあう声がかすかに聞こえてきたが、別世界のことのように実感がわかなかった。千年アイテムのカー。その所有者たるエックス。デュエルに負けないデュエリスト。それがどうした、どうでもいい。
 右手首に装着された、尾を噛む竜(ウルボロス)を模したデュエルディスクが目に入った瞬間、凶暴な衝動が突き上げてきて、力任せにむしりとった。ウルボロス。古代エジプトに起源を持ち、永劫回帰の象徴でもある。神は死んだか。
 思い切り床に叩きつけようとして、すんでのところで思いとどまった。返却義務を思い出したからではなく、視界がぼやけて前が見えなくなったせいだ。座り込んだ。嗚咽があとからあとから溢れてきて、止まらなくなった。
 ナナと違って、そういう悲しみ方しかできない自分の無力が、ひどく悔しかった。


 医務室から出てきた亜理紗は、服のところどころに血や焦げ跡がついていたものの、倒れたときよりは格段に顔色がよくなっていた。
 こちらには気づいていない。声をかけようとしたが、緊張していて声が出ない。呼気が声帯を素通りしてしまう。どんなに力をこめても、大きな声がでなかった。駆け寄って肩を叩けばいいのだが、なんだか無性に恥ずかしくてできなかった。
 とつぜん廊下の向こうにラーの翼神竜が現れる。亜理紗の全身が業火に包まれる。炎上、悲鳴、目を見開いた亜理紗が叫ぶ。叫ぶ叫ぶ叫ぶ叫ぶ。棺の蓋を打ち付けられた、哀れな死者のように叫ぶ。
 現れたときと同じく唐突にラーの攻撃が止む。炎の服を纏ったまま、華奢な身体が前のめりに崩れていく。崩れ崩れ崩れ崩れていく。夏の陽だまりの中で氷が解けていくような、ゆっくりとした崩壊。オレは今更になって走り出す。
 オレにとって亜理紗はどんな存在だろう? オレ、すなわち美作ミドリ(男、高校生、左利き)にとって、城ヶ崎亜理紗(女、高校生、盲目)とは? 偶然知り合った同級生。親友。きな臭いなんとかアイテムとやらに選ばれてしまった被害者同士。デュエルにおけるライバル同士。
 勘違いして、勘違いされて、喧嘩して、仲直りして。
 恋をしていると思った。敬愛かもしれないと考え直したこともあった。好きで好きで、声を聞くだけで幸せになれるときもあった。感情の振り子は一日のうちに何度も揺れた。異性に対する「好き」に振れることもあれば、親友に対する「好き」になったり、ライバルに対する「好き」だったこともあった。どれが本当かなんてわからない。どれも本当の気持ちだ。
 崩壊は続いている。小さな頭が、いまにも床に叩きつけられんばかりに傾いている。オレと亜理紗の距離はまったく縮まっていなかった。いくら走ったつもりになっても。どれだけ手を伸ばしたつもりになっても。
 畜生、ごちゃごちゃ考えていたせいだ。オレはいつだって同じところで足踏みしていて、一ミリたりとも亜理紗に近づいてはいなかった。何一つ伝えられないまま、勇気を出して声を掛けることもできないまま――。
 でも、どうすればよかったんだ? 自分の気持ちもあやふやなまま、現実をぜんぶ無視してただ好きだと叫べばよかったのか? プロになりたい、そのためにKCを裏切るわけにはいかないという亜理紗の気持ちを知っておきながら、自分だけ言いたいことを言って、あとは亜理紗が決めろと突き放せばよかったのか?
 最初に……いちばん最初に言えばよかったのだ。亜理紗が好きだと気づいた時に。
 彼女がまだ202号室にいた頃に。
 幸せが、こんなに簡単に壊れるものだと知る前に。
 でもオレはそうしなかった。
 もう遅い。もう届かない。
 オレは亜理紗を救えない。
 不意に、彼女がこちらを向く。縦に並んだ双眸と目が合う。
 厚ぼったい唇が、小さく動いた。
「うそつき」


 目の前にあるものが履き古したスニーカーだと認識すると同時に、自分が座り込んだまま、組んだ手に額を乗せて眠っていたことに気づいた。頭を上げる。医務室のはす向かいに設けられた休憩所だった。三脚の長いすと、二台の自動販売機と、一鉢の観葉植物がしつらえられている。
 自販機のたてる低いうなり声が止まるのと同時に、低めの女性の声が降ってきた。
「起きた?」
 完全に身体を起こした。目が合うと、ナナの目にわずかな罪悪感がよぎるのがわかった。視線を追って頬を触ると、ぬるりとした感触が手に残る。寝汗とごまかすには量が多すぎたし、目も腫れていた。
「亜理沙は?」
 何も気づかなかったふりをしてそう訊くと、
「まだ寝てるわ」
 ナナも何も見なかったように返してきた。
 事態がなんの進展も見せていないことに失望しかけ、そのへんを浮遊していたソリッドビジョンの時計で、亜理紗が人事不省に陥ってからまだそれほど時間が経ってないことを知った。
「さっきお友達の……コスプレしてるふたりが来てくれたんだけど、とりあえずは貧血としか伝えてないわ。後でまた様子を見に来るって。それとこれ、お友達からよ」
 紙袋を渡された。中に入っていたのは、男物の上着だ。たしか百目鬼がコスプレ前に同じものを着ていた。あまり気にしないようにしていたが、亜理紗が倒れたときのごたごたで、オレの服には結構な量の血がついている。感謝して袖を通した。ナナはもうひとつ紙袋を持っていたが、天音の上着は入ったままだった。
 百目鬼武士と蓬莱天音は、同級生にして学校一の変人カップルだ。私服自由の学校にブラックマジシャンとマジシャンガールのコスプレで登校し、お互いの関係を「弟子とお師匠サマ」と言い張っている。平凡な人間がやれば喜劇でしかないが、この二人の場合、目の覚めるような美少年と美少女であり、なんというか、様になっている。
 ふたりが本当のことを知ったらどう思うだろう? なぜ言ってくれなかったと怒るだろうか?
 だけど、とオレの中の皮肉屋が声をあげる。真実を知ったからといって、あのふたりに何ができる? 怪しげな力を持ってしまったオレと違い、実力でこの大会に出場しているのだから、デュエリストとして一流であることは認める。だが、それだけだ。しょせんはオレと同じ、無力な高校生でしかない。優しい心がいくら集まっても、現実の病気には対抗できない。
 必要なのは哀れみでも同情でもなく、もっと別の何かだった。それこそ奇跡か魔法。医学の常識をぶちやぶるような――。

 ――そんな「ルール」はオレがぶち破ってやる!

「ナナさん、アキラは? いまどこにいるんですか?」
 問いに、ナナはぎゅっと唇を結んだ。いまのオレに伝えるべきかどうか、しばらく逡巡して、口を開いた。
「アキラくんは、既に二回戦の会場に向かったわ」

   ***

 一回戦に設定された、十二のルール。半分は公開されているが、あとの半分は知らされない。隠された地雷を踏まないようにしながら、三つの勝利条件を満たしたものだけが二回戦に進める……それが一回戦の条件。
 とはいえ、一回戦は足きりだ。一定水準以下をふるいにかけることが目的である以上、それほど奇抜なブービートラップは用意されていないはず……というオレの楽観は、見事に裏切られた。
「これって、どういうことだ?」
「どういうこともこういうことも……書いてあるとおりだろ」
「つまり、そうなのか?」
「つまり、そういうことだろ」
「じゃあ、マジで……いるのか」
「ああ、マジで……いたんだな」
「実在したのか、TADの技術点で満点を取った人間……『エックス』は」
 会場を少し歩いただけで、同様の会話が耳に飛び込んでくる。KCやI2社が長らくノーコメントを貫いてきた、もはや都市伝説といわれ、誰も信じようとしなかったその存在を疑うものは、もはやこの場にはいないようだった。
 公開されていない六つのルールを知る唯一の方法は、デュエルに負けること。デュエルに一回負けるごとにひとつ、自分のデュエルディスクに表示される。六回負けたからといってすべて表示されるとは限らないが、運がよければ六敗目で全部知ることができる。
 裏を返せば、六つ表示されてしまったら失格ということだ。これはプロを選出するための大会である。「わざと負けてルールを知る」といった力技が許容されるはずもないし、それを認めるなら、はじめから裏ルールなど設定しないだろう。
 逆に一度の敗北も許されないなら、トーナメント形式にしたはずだ。結論。敗北していいのは半分未満、つまり一度か二度の負けなら、まだ這い上がるチャンスはある。そこまでは開会式の時点で予想していた。
「なあ、エックスってやっぱり、本当に誰にも負けないのかな?」
「だったらすげーよな。もはや超能力の領域だろ」
「超能力っていやーさ、たしかペガサスも……」
 だがこれは予想していなかった。裏ルールのひとつ。会場じゅうを飲み込んで騒がせている、このセンテンス。

《其の十二 エックス(TADで技術点150点を得た者)とのデュエルに勝利したプレイヤーは、無条件に二回戦出場の資格を得る》

「ジュリアさん! ミズ・ジュリア!」
 コスプレの一環として髪を染めている参加者も少なくなかったが、本物の金髪は後姿でも見分けがついた。ようやく見つけたその姿を、怒鳴るようにして呼び止める。同時に自分の語学能力の乏しさを呪う。もしジュリアの母国語で意思の疎通ができていたなら、問い詰めたいことは山ほどあった。エックスのこと、裏ルールのこと、そして……。
 だが現実に英語と日本語の垣根を行き来できるのはジュリアだけで、オレはどこまで自分のニュアンスが伝わっているのかわからないまま、手探りで会話を進めなくてはならない。
「ミドリさん、こちらはム」
 傍らにいた長身の白人を指して何か言いかけたジュリアを無視して、詰め寄った。
「ジュリアさん、答えてください。千年アイテムで人を殺せますか」
 押し黙った。隣にいた男も雰囲気を感じたのか、沈黙を守った。
「それは……」ジュリアは目をしばたかせ、唇を湿らせる動作を二度繰り返した。
「それは、あなたが誰かを殺せるか、という意味ですか?」
「千年アイテムは、もともと戦争の為に造られたと言いましたよね。それも武器としてではなく、呪物として。アイテムは、本当に人を呪い殺せるんですか? その力はいまでも残っているんですか? そして、呪われた人は……不治の病にかかって死ぬんじゃないですか?」
 古代エジプトの呪いといえば真っ先に思い浮かぶ、トゥトアンクアメンすなわちツタンカーメンの「呪い」が、当時のマスコミによるでっちあげだということは知っている。だが千年アイテムの「力」は、すくなくとも亜理紗のそれは間違いなく本物だ。ならば本物の「古代エジプトの呪い」があっても不思議ではない。
 ジュリアはしばらくオレを見つめたあと、かぶりを振った。
「いいえ。少なくとも今の千年アイテムに、人を病気にしたり、殺すような力はありません。カーだけになったアイテムには……いえ、千年アイテムはもともと、記憶に関すること以外、なにもできないのです。かつてアイテムが戦争に使われたのは……当時だけの特別な事情です」
「なら、神のカードは!? シャム神の時でさえ人を昏倒させるくらいはできたんですよね? ひょっとしたら、ラーの攻撃が引き金になって……」
「ラーの攻撃というのは、亜理紗さんのことですか? ご病気というのは、彼女が?」
 口を滑らせたという後悔はあったが、こうなったら仕方ない。もしこの件が神がらみで、何か助言をくれるとしたらジュリアしかいない。オレは事情を話した。
「そうでシたか……痛まシいことです。しかし、私はこうも言いまシた。神のカードの影響を受けない人間こそ、エックスであると」
「もうエックスじゃないとしたら? 亜理沙はあの闘いか、それより前にエックスとしての力を失ったのかも」
 ジュリアは口元に拳を当てて少し考え、隣にいた男と何事か話し始めた。初めて見る男だ。くしゃくしゃの赤毛の下で、飴玉みたいなエメラルドグリーンの瞳がくるくる動いていた。
「ミドリさん、紹介が遅れまシたが、こちらはムーア。あなたや私と同じエックスです。彼は千年リングの持ち主で、他の千年アイテムの位置を知ることができます」
 やけに背の高い、やせぎすの男だった。いちおうスーツらしきものは着ているが、ノーネクタイでポケットに手を突っ込んでいる。遥か上方からオレを見下ろし、話しかけてきた。
「ミドゥリさん、コニチワ。僕は、ムーアです。ハジメマシティ」
 差し出された手を握り返すと、酷薄そうな相好をあっさり崩した。
「僕は、アイテムの所有者を探す力を持ちます。正確には、アイテムの記憶を探知する力です。古代イジプトから続く、数千年分の記憶とか感じ取るは、僕のスキルです」
「アイテムの記憶を感知することで、エックスを探し出すことができるんですね?」
「イエス。僕もアリサのドュオゥを見ていました」ムーアはデュエルをドュオゥと発音した。「だから僕は言います。アリサはドュオゥに負けましたが、アイテムの記憶、失わない。あの子はまだ、アイテムを持ている」
「アリサは、まだエックスなんですか?」
 ムーアは自信のありそうな笑みで頷く。オレは落胆した。ムーアがアリサと呼び捨てにしたことに、ではない。もしも病気の再発が、千年アイテムや神の「呪い」によってもたらされたものなら、エックスの力が解呪の鍵になるはずだった。エックスであるオレにもなにかできることがあるはずだった。現実はそんなに都合よく行かないと、知らないほど子供ではなかったが、せっかく掴みかけた蜘蛛の糸を切られた気分だった。

「アリサはまだエクス……けれどアリサはもう、ゴッドカードの所有者ではありません」

 だが続くムーアの言葉は、蜘蛛の糸千本分に等しかった。亜理紗はなんと言っていた? あのカードを「受け継いだ」と、確かにそう言っていた。誰から? 五代目決闘王だ。最初のカードの持ち主だ。それを手放した直後、五代目は死んだ。それを受け取った亜理紗は生き延びた。符合。

 ――だから病気が治って、チカラに気づいたとき思った。ああ、あの人にチカラを貰ったから、あたしは生きてこられたんだって。

 ……落ち着け、おちつけ美作ミドリ。冷静に考えて、一枚のカードが、人の生き死にを決めることなんてありうるか? たかが紙切れが、奇跡を起こす力を持ちうるか? ネッシーもUFOも宇宙人もサンタもいないこの21世紀の日本で、そんな非科学的なことが起こりうるのか?
 答はYESだ。その紙切れは、科学の力を借りずに曇天に現出した。その威容は、誰もが目にしておきながら、写真に収めることはかなわなかった。そのカードは、かつてエジプトの神殿に封印されたにもかかわらず、神を模したシャム神のカードに宿って復活した。
 神のカードを取り戻せば、亜理紗の病気は治るかもしれない。
 礼を言うのもそこそこに、オレはきびすを返した。自分にできること、やるべきことで頭がいっぱいだった。オシリスをふたたび亜理紗のもとへ。そのためにオレができることは、一つしかなかった。

   ***

 美作ミドリの背中が人ごみの中に消えるのを待って、私は自分より頭ひとつ分高いムーアの横顔を見上げた。
「彼がミドリよ。あなたの目の色と同じ、グリーン君にして、ようやく見つけたエックス……ご感想は?」
 ムーアはお手上げだとでも言うように吹き抜けを見上げた。
「アキラ君がああ言ったのも無理はない。彼はなんていうか……不完全なんだ。エックスとして弱すぎる。普通の人間とほとんど変わらない。確かに、千年アイテムのカーは感じられるけど、それもごくわずかで……。まるで、本当にアレを持っていないみたいに見える」
「間違いなく持っていないわ、彼は。ヨモツジキ……私たちが*****と呼んでいるものを」
「まさか……そんなことがありえるのか? じゃあ彼は何だ? ブッダか? それともJesus(キリスト)か?」
「Jesus(馬鹿なこと言わないで)」
 ムーアの顔がみるみる紫キャベツになる。高校時代、彼が敬虔を絵に描いたような人間だったことを思い出した。その後に見舞われた事件のせいで、とっくに宗旨替えしていると思っていたのだけれど。彼は今でも祈りの力を信じているのだろうか。教会の前を通るたび、十字を切るのだろうか。
「……本当に?」
「誤解しないで。私は“馬鹿なこと言わないで”と言ったの。……ミドリ君がキリスト? はっ、まだペガサスのほうが可能性はあるわ。少なくとも彼は死んでる。キリストも死んでる」
「……それもそうだ」ムーアの笑い声はかすれていた。「じゃあ彼はいったい……いや、ここで考えてもしかたない。彼はきっと……何かの例外なんだろう」
「かもね」早口のブルックリンなまりで自分を納得させたムーアの、くせの強い赤髪を引っ張ってまっすぐにしてやりたい衝動と戦いながら、私は心の中で付け足した。例外は、彼だけじゃないかもしれないけど。
「ミドリ君のことはともかく、残りのエックスはどうしているの?」
「ああ、そのことなんだけど、ひとつニュースがあってね……えっと、二階の医務室に一人、これは亜理紗だろうな、可哀相に。その近くにもう一人、ずっと上の階に一人、これと僕らとミドリ君を加えて、全部で六人、この会場に揃っている」
「六人ってどういうこと?」今度は私が青くなる番だった。「千年アイテムは七つ揃わないと意味がないのよ? 七人目のエックスはどうしたの?」
「どうしたと思う?」
「予想ゲームなら他のときにやって、ムーア。とっとと答えないと、【天秤】の力で無理やり聞き出すわよ」
 もちろん本気ではなかったが、ムーアは苦笑して手を上げた。
「わかったわかった、答えるよ。七つのカーは確かに揃ってる。ただしエックスは、千年アイテムの所有者は、既に六人だ」
「それって」
「ああ、誰かが千年アイテムを狩り始めている」

   ***

「あ、ちょっと」
 遠目に見ていたときよりさらに幼い印象を受けた。決闘に勝った直後らしく、頬を緩ませながらデッキを調整している。声をかけて近づくと、少年はまんまるの目でオレを見上げ、小首をかしげた。
「すみません……えっと、どなたでしたっけ?」
「いや、初対面ですけど。もしよかったら、オレとデュエルしませんか?」
 少年はちょっと考えて、こくんと頷いた。
「ぼくのアンティ、『デス・ラクーダ』ですけど、いいですか?」
「オーケー。オレのアンティは……勝ったら好きなの持ってってくれてかまいません。ルールはスーパーエキスパートで?」
「はい、それじゃデュエルです! サトウより“コール”――」
 サトウという少年がデッキのダウンロードを始めると、さっそくオレたちを囲むように人垣が生まれた。
 ――怖い。
 衆目に晒された身体が勝手に震えだす。胃に不安と焦燥が流れ込む。注目されたり、デュエルに対する恐怖や緊張ではない。間違った道を選んでしまったのではないかという焦り。取り返しのつかないことをしようとしているのではないかという迷いが、兆弾のように頭の中で乱反射する。
 本当にオレの選択は正しかったのだろうか? それをすべきだというオレの考えは、亜理紗を待ち受ける過酷な運命を真っ向から見据えることのできない臆病なオレが作り出した、あさましい幻想ではないのか? このデュエルに意味はあるのか?
 目を閉じて、亜理紗の顔を、声を思い出した。落ち着け、美作ミドリ。『オシリス』が彼女の運命を握っているかもしれないという仮定は、いったん忘れよう。今は生死と向き合う熱い勇気より、デュエルに勝つための冷えた頭が必要だ。
 オレは亜理紗の為に勝たなくてはならないが、この決闘は彼女のためのものではない。亜理紗の存在とは切り離された、オレ自身のデュエルする理由。答えはあの大会で得た――デュエリストだからデュエルするのだ。生きることの意味に似ている。意味はなくとも意志はある。答えはなくとも、世界はここにある。
 生きる意志、デュエルする意志、たとえ繰り返す悪夢が待っていようと、意志は未来を創造する。デュエルディスクを、尾を噛む竜を握り締めた。この先に、きっと未来はある。
 身体の震えはとまっていた。オレはデュエルディスクを起動させるため、大きく息を吸い込む――


 ジュリアと別れたあと、オレは二階の休憩室に戻った。ナナはまだそこにいた。憐憫と、混乱と、悲壮を顔に貼り付けたまま笑おうとして、失敗した。さっきと微妙に化粧が違っていることに、オレは気づかないふりをした。
「まだ意識は戻っていないって……ミドリ君、何か飲む?」
 ハンドバッグを持って立ち上がる。その手首にさっきまであった竜の腕輪はなかった。彼女の選択こそが正しく、オレがこれからやろうとしていることがひどく恥ずべきことのように思われた。
「デュエルしてこようと思います」
 言ってから、決意を固めた。もう後戻りはできない。案の定、ナナは瞠目した。なにかを言いかけて口を閉ざし、こう言った。
「アキラ君を追いかけるのね? あの子、様子がおかしかったから……」
「それもありますが、もうひとつ理由があります」
「……取り返しに行くつもり? 亜理紗さんのカードを。でも」
「わかってます。オレがアキラに勝っても、カードはオレのものになるだけ。それじゃ意味がない。亜理紗が自分で取り戻さない限り、カードの所有権は亜理紗のものにならない」
 参加者同士のカードの譲渡やトレードは禁止されていた。表ルールの二番目に、はっきりそう書かれている。

 《其の二 プレイヤー同士の、カードのトレード・譲渡・売買はできない。カードの所有権は、アンティによってのみ移動する》

「そうよ……でも、亜理紗さんはまだ目覚めない。仮に目覚めても、デュエルできるとは思えない。……二回戦出場は、はっきり言って絶望的だわ」
 この大会では、本物のカードはすべて運営側に預けられ、デュエルはソリッドビジョンで構成されたカードとデュエルディスクを使用する。手元にモノがない以上、大会側のルールにのっとってカードを取り戻すしかない。目標となるアキラが二回戦に行ってしまった以上、亜理紗も絶対に二回戦に出場しなくてはならないのだ。
 オレが二回戦に出場し、『オシリスの天空竜』をアキラから取り戻しても、亜理紗に渡す方法がない。一回戦落ちの人間は二回戦が始まる前にデュエルディスクを返却しなければならず、ディスクがなければ、わざと負けてカードを渡すこともできない。
 本物のカードの返却を求めて、『オシリス』を手に入れた時点で棄権を選んだとしても、すぐに戻ってくるわけではない。預けたデッキが返却されるのは大会終了後、約二週間かかるという。それでは手遅れかもしれない。
「方法は、あります。間違っているかもしれないし、無意味かもしれないけど、オレはそれに賭けたい。……そのために、ナナさんにひとつ、協力してほしいことがあります」
 右手からデュエルディスクを外し、ナナに差し出した。
「何をするつもり?」
 ナナの問いに、オレは正直に答えた。
「イカサマを」


 ――肺臓いっぱいに吸い込んだ空気を、大声とともに吐き出す。
 声よ届け。
 オレたちの闘いは、ここから始まる。

「亜理紗より“コール”! 来たれ、『火導雷(ヒドラ)』!」

 本来なら何も起きないはずのその宣言は、オレの「左手」に巻きついてた竜を叩き起こした。呼応するように咆哮し、翼膜を広げたドラゴンは、瞬く間にデュエルディスクに変化する。
 誰も知らない、けれどオレだけは知っている。たったいま、再び奇跡が起こったことを。
 ずっと自分の声が嫌いだった。電話に出るたび「お嬢さんですか」と聞かれる、この高い声。ついこの間も、目の見えない誰かさんに女と間違えられ、ひと悶着あったばかりだ。
 けれどいま誰かさんを助けられるのは、この声のおかげだった。亜理紗のデュエルディスクに、亜理紗自身の声だと認識されてしまうこの声の。
 亜理紗が昏倒したとき、オレは何度も彼女の名前を呼んだ。亜理紗、アリサ、ALISA。そのとき、最初の奇跡が起こった。亜理紗の腕で眠っていたはずのデュエルディスクが、再起動したのだ。彼女のデュエルネーム“LISA”を音声認識したせいで。
 声紋が奇跡的に酷似していた? 音声認識に欠陥があった? わからないが、どうでもよかった。亜理紗を救える可能性があるのなら。
 “LISA”がオレのデッキ――火導雷――を使うことは、ルール上、問題ないはずだ。一回戦はあらゆる変則ルールを認めており、そのひとつに、エクスチェンジド・デュエルというものがある。これは対戦相手、または合意の上で別の人間とデッキを交換してデュエルするというもの。
 もしも“LISA”としてのオレが負けたら、亜理紗が二回戦になっても目覚めなかったら、身代わりがばれて失格になったら……不安要素はきりがなかったが、オレに交換できる手札はなかった。
 LISAとして一回戦を突破し、あとは亜理紗がアキラに勝つことを信じる。それがオレにできる最良の選択だ。
 そのためなら――
 対戦相手をまっすぐに見つめた。目が合うとちょっと顔を赤らめて、居心地悪そうにしている。ぽっちゃりというわけではないが、年相応にふくよかで、見ているだけで幸せになれそうな男の子。だが関係ない。目的のためなら、天使の羽だって残らず毟り取ってやる。

 ――デュエル!

 先攻を取ったのはサトウだった。
「ぼくのターンからです。ドローバイ」
「ドローバイ?」
 ごく普通の声で訊きかえしたつもりだったが、サトウは、その十倍もの音量で脅しつけられたかのようにおののいた。
「すっ、すみません、いつもの癖でつい。仲間内でやるときは、ドローフェイズとスタンバイフェイズは一緒にして飛ばしてるんです。それをドローバイって呼んでます。すみません。もうしません」
 なぜか小動物のようにぷるぷる震えている。
「いや、説明さえしてくれれば、好きにしてください。あと、そんなに謝らなくてもいいですから」
「すみません。えっと、カードを一枚伏せますね。『ゴブリンゾンビ』を召喚して、エンドです」
 痩身の黒剣士だった。下半身はともかく、上半身が完全に人間のそれとはかけ離れている。芋虫に似た気味の悪い頭部から白く濁った息を吐き出しながら、挑発するように片手剣をひらひらと振っていた。オレと同じ左利き。攻撃力は1100。
「オレのターン。ドロー。……スタンバイ」
 亜理紗のデュエルディスクは右利き用なので、右手でドローしなくてはならない。いつもとは左右が逆なせいで、動作がいちいちもたついた。慣れるまでしばらくかかりそうだ。
 KCの新技術による、「触れるソリッドビジョン」であるイマジナリー・カードのさわり心地は、恐ろしいまでに本物の質感を再現していた。鼻を近づければ、あのわくわくするような独特の匂いさえ嗅げるのではないかと思ったほど。
「カードを二枚伏せ、『異世界の女戦士』召喚。『ゴブリンゾンビ』に攻撃します」
 オレの出したカードもまた左利きの剣士。剣速はわずかに女戦士がまさり、ゾンビの首を切り飛ばした。
「レスポンスはありません。『ゴブリンゾンビ』をゲームから取り除きますね」
「いや、除去効果は使わない、通常の攻撃です」
「すっ、すみません!」
 耳まで紅潮させて、なぜかうっすら涙すら浮かべながら、サトウはキャンセル作業を行った。ギャラリーから、甲高い声で「あの子、ちょっとかわいくない?」という声が聞こえくると、首まで真っ赤になった。
「ゴ、『ゴブリン』の効果で、デッキからアンデッド族の『デス・ラクーダ』を手札に加えます。いいですか?」
「どうぞ。オレのターンは終わりです」
「ありがとうございます」
 ターンを終了しただけで、これだけ丁寧にお礼を言われたのは初めてだ。
「ぼくのターン。ドローバイ。カードを一枚伏せて、モンスターをセットします。以上です」
 ターンが移行する。ターン開始を宣言する前に、オレはゆっくりと深呼吸して、考えをまとめた。
 開会式のとき、オレはサトウのデッキを少しだけ見ている。彼のデッキタイプは、デッキ名と同じパーミッションで間違いない。
 カウンター罠と回転力に依存するこのデッキは、『サイクロン』『砂塵の大竜巻』などの罠除去に滅法弱い。特に、罠カードを無効化できるカードは、吸血鬼にとっての銀の弾丸と同じ効果を持つ。サトウと対戦する前にサイドデッキから『王宮のお触れ(シルバーブレット)』を装填しておくのは、デュエリストとして当たり前の行動だ。
 ただし、オレのデッキにそのカードは入っていない。何かのブラフとか、深遠な思慮の結果などではもちろんない。単純に、オレは『お触れ』を持っていないのだ。
 実を言えば、オレはデッキを含めて80枚程度しかカードを持っていない。この大会で、いやデュエリストとして、所有しているカードの少なさならトップランクに入れる自信がある。ある一枚をのぞき、全てアキラに押し付けられたカードか、トレーディングで手にしたカードだった。
 そんな体たらくだから、せっかくのサイドデッキ枠もメインデッキにあぶれた連中の補欠ベンチにするしかなく、相手のデッキタイプに合わせてメタを張る(弱点をつくようなデッキに調整すること)ことができなかった。
 もちろん、少しくらい買ってみようと考えなかったわけではない。しかし、大会直前に急に新しいカードを手に入れても、いつか天音が言っていたように、自分の戦略を見失うだけだと思い直した。
「ドロー! スタンバイ!」
 後悔はしていない。メタリック・ウルフを相手にしたときも、亜理紗を相手にしたときも、カードプールの不足は戦術で補ってきた。『王宮のお触れ』はたしかにパーミッションの大きな弱点の一つだが、それがすべてではない。
「手札より魔法カード『大嵐』を発動! すべての魔法・罠カードを破壊します!」
 場に出したカードは、パーミッションがもっとも嫌うカードの代表格。だがサトウの表情に狼狽はなかった。
「すみません、それ、許可できません。カウンター罠『魔宮の賄賂』です。アリサさんにワンドローを許す代わりに、『大嵐』を無効にします」
「あ、オレのことはグリーンと呼んでください」
「え? は、はい、すみません」
 手札が4枚に増える。ここまでは予想通り。
「伏せカードオープン。魔法カード『強欲な壺』で二枚ドローします。レスは?」
 サトウはかぶりをふった。
 そう、パーミッションの弱点は、その展開の遅さにある。スーパーエキスパートルールでは、一ターンに伏せられる罠カードは一枚。いっぽうオレは魔法と罠の二枚を伏せることができ、さらに手札から魔法を使うこともできる。この差を利用して複数のカードを同時発動させれば、確実に『許可』をすり抜けられるのだ。もっとも、パーミッション側にその弱点を克服する方法がないわけではないが。
「『異次元の女戦士』で守備モンスターに攻撃します」
「『くず鉄のかかし』を発動します。攻撃は無効です」
 ヘルメット・ゴーグル・スカーフ……どことなくオレが生まれるずっと前の学生運動でゲバ棒を持っていた連中を想起させる、哀愁めいたかかしが女戦士の前に立ちふさがった。ぴょんぴょんと飛び跳ねて邪魔なことこの上ないが、それ以上何をするわけでもない。永続罠でもないくせに、役目を終えると伏せカードに戻ってしまった。

「カードを一枚と、モンスターをセットして」
 ターン終了です、と言った瞬間、サトウが「変身」した。
 それはまさに「変身」だった。纏わせている匂いが、吐く息の温度が、草食系のそれから肉食獣のそれへと変わる。
 きらびやかな白い歯の隙間から、軽やかな嘲笑を漏らして。
 サトウは、歌うように宣言する。
「そっか――ビートダウンですね? グリーンさんのデッキ」
「……!」
 サトウの放った矢はこれ以上ないほど完璧な軌跡を描き、オレの心臓を射抜いた。ただ戦略を見抜いただけではない。ターンを終了を宣言した後に生まれる一瞬、ターンプレイヤーの重圧から開放され、隙が生まれる百分の一秒を、サトウは狙って突いてきた。
 こちらのミスではなかったはずだ。これまで出したカードは、ほぼどんなデッキでも使えるであろうカード。アンティを問われたときも、具体的なカード名は挙げなかった。つまり今の台詞は、初見であるはずのオレのプレイングから、ビートダウンの匂いを嗅ぎ分けた、サトウの恐るべき嗅覚の賜物に他ならない。
「やられた……!」
 だがオレを本当に打ちのめしたのは、デッキを看破されたことはまったく別の、サトウ自身も自覚していない、もうひとつの金の矢だった。
 ――負けた……オレは今、「殺された」……!
 たった今、サトウが垣間見せた「変身」。それはサトウの本性だったのかはわからない。もしかしたら、この愛らしい少年を敵だと思い込もうとしたオレの脳が見せた幻影だったのかもしれない。
 だがもし……もしこの少年が、洗脳されていたとしたら?
 今の「変身」は、サトウを操っている何者かの人格が、わずかに表に出てきたのだとしたら?
 そして仮に、サトウが「変身」せずに、その可能性に気づけないまま、デュエルを続けていたら?
 ――オレはたぶん、ここで……ここでなくても、どこかで必ず負けていた。相手がエックスじゃないと思い込んでデュエルして、殺られていた……!
 油断。エックスはエックス以外のデュエリストに負けることはないから――
 慢心。オレは亜理紗に勝ったから。亜理紗よりも強いはずだから――
 自惚れ。オレは一回戦の「ルール」に気づいたが、サトウは気づかなかったから――
 だから、オレが負けるはずがない。そんな風に思い込んでいたオレの心の隙を、サトウの「変身」は指摘したのだった。
 ――馬鹿な思い込みで、亜理紗の命を危険に晒した……!
 手のひらを爪が食い破るほど拳を握り締める。自分の愚かさに対する怒りが、煮え立つマグマのように噴き出していた。
 ところかまわず拳を打ち付けたかった。自分を痛めつけたかった。亜理紗に謝りたかった。
 しかしオレのすべきことは、そのどれでもない。
 ――もう絶対に、油断も慢心もしない……!
 ここで気づけてよかった。TAD試験のローズや洗脳されたアキラがそうであったように、エックスが裏にいれば、その人物にもエックスの「負けない」法則は適用される。つまり、この会場ではもはや、エックスの法則は通用しない。誰が洗脳されているのかわからないのだから。
 亜理紗の顔を思い出す。初めて会ったときの、赤面した顔。しばらくして見せてくれた笑顔。怒ったときの顔。地方大会の後、再会したときの嬉しそうな顔。
 もう一度あの亜理紗に会うために、このデュエルは絶対に負けられない。
 決意を新たに、オレは顔をあげた。
「あっ、すみません、そこまで驚かれるとは思わなくて……」
 サトウは最初に見たときの、気弱な少年に戻っている。「変身」はやはり錯覚だったのだろうか。
「えっと、タネを明かせば簡単なことなんです、グリーンさん。『大嵐』を使った後、伏せてあった『強欲な壺』を使いましたよね? ここでおやっと思ったんです。『大嵐』が本命なら、もっと別の、おとりの魔法カードを使って、カウンターを除去してから使うはずです。逆に『強欲な壺』が本命なら、『大嵐』なんか使わず、そのまま出すでしょう。頻繁にカウンターされるようなカードではないし、それこそ『大嵐』への布石かもしれませんから」
「……あるいはそう思わせるための、無意味な一手だったのかも」
「あ、そうか……じゃなくて、ぼくはこう考えました。もしかしたら、グリーンさんは、『大嵐』を『サイクロン』として使ったんじゃないかって。パーミッション、つまりボクのデッキは、よっぽどのことがないかぎり必ず『大嵐』をカウンターします。そんなカードを手札に温存していても、うまく使える機会が来るとはかぎらない。ならばいっそのこと、『サイクロン』を引いたと割り切って……」
「そこまでばれてるなら、隠しておく意味はないですね。……その通りですよ。いつ発動しても「許可」されないカードを持っておくより、『強欲な壺』を優先したかった、それだけです」
「でも……すみません、それだけじゃないでしょう? 本当の理由は『アルテミス』じゃないですか?」
 オレは何もいえなかった。このサトウという少年の読みは半端ではない。
 いくらあどけない少年に見えても、この大会に出場できている時点で既に、大勢の中から選びぬかれたデュエリストなのだ。
「グリーンさんのしたかったことは、たぶんですけど、二つあると思うんです。えっと、ひとつは『大嵐』でカウンター罠を『サイクロン』して、ぼくのフィールドに伏せカードが並ぶのを遅らせること。もうひとつは、『アルテミス』が出てくる前にカウンター罠を消費させること」
 『豊穣のアルテミス』は、カウンター罠が発動するたび、プレイヤーに手札をもたらす。パーミッションの守り神たるこの女神がいるといないとでは、一発のカウンターの重みが違ってくる。
「満点ですよ、サトウさん。そこまで完璧に把握されてしまうなんて。……でも、なんでそこからオレのデッキがビートダウンだとわかったのか、その辺を教えてくれるともっとありがたいんですけど」
 要求したのは敵に塩を送る行為以外の何ものでもなかったが、サトウはあっさりと首肯した。
「いいですよ。そこまで考えたとき、ちょっと引っかかったんです。たとえばぼくが同じ立場で同じ結論に至ったとしても、やっぱり『大嵐』は切り札になりますから、温存を選びます。なぜグリーンさんはそうしなかったか? ……その理由こそが、グリーンさんのデッキタイプを教えてくれたんです」
「『アルテミス』が決定的な理由ではなかったと?」
「はい。本当の理由は、あせり、だったんじゃないでしょうか? 釈迦に説法ですみませんが、ビートダウンはモンスターの攻撃が主体のデッキですよね。初期ライフは4000に対し、2、3回殴れば勝てるようにできている。理論上、あらゆるデッキの中で一番速く決着のつくデッキです。反面、アドバンテージを確保することが難しく、デュエルが長引いた場合、不利になりやすいデッキでもあります」
 一概には言えないが、一般にビートダウンはスタミナに欠け、後半戦に弱い。特にオレの場合はドローソースなんてないに等しいから、ラウンドを重ねるごとに膨れ上がったアドバンテージの差で不利になっていく。
 その認識が短期戦型の戦い方を生み出し、『大嵐』を切り捨てるような思考パターンを育て上げていた。オレ自身すらも気づいていなかったその意思決定の傾向を読みきって、サトウはオレのデッキを看破した……最初の心理戦は完敗だ。彼の洞察には非の打ち所がなかった。
「ひとつ格言を思い出しました。『最強のカウンター使いは、あらゆるデッキを知り尽くしたものに与えられる称号である』」
「いえ、そんな……ぼくは……」
 サトウはまた首まで真っ赤になってしまい、周りから黄色い声が飛んだ。ギャラリーに女性がやけに多いことにオレは気づいた。
「照れるのは早いですよ。まだビートダウンだとわかっただけで、オレのデッキの全てを見破ったわけじゃない」
「そ、そうですね。すみません、デュエルを続けます。手札から魔法カード『光の御封剣』を発動します。グリーンさん、すみませんが、セットされたモンスターを表にしてください」
「『墓守の偵察者』です。リバース効果によって、『墓守の呪術師』を守備表示で特殊召喚。効果ダメージが入ります」
「あっ……」
 これまで出会ってきたデュエリストたちと同様、サトウもやはり『呪術師』の登場に驚きを隠せないようだった。しかし彼の場合、まるでひっくり返したテストの問題用紙に予期せぬ問題が載っていたような、真摯な驚き方だった。
「ほ、『豊穣のアルテミス』を召喚します。そして守備モンスターを“開”きます。あ、すみません。反転召喚する、という意味です」
 開かれたのは……『デス・ラクーダ』。『番兵ゴーレム』と同系の、“開閉”能力を持ち、“開”くたびにワンドローをもたらす。コントロールデッキの原動力となるカードだ。
「それは許可できないな……『呪術師』をリリースしてカウンター罠発動! 『昇天の角笛』。許可は?」
「許可します。すみません、カウンター罠が発動したので、『アルテミス』の効果でドローさせてもらいます。カードを一枚伏せ、ぼくのターンは終わりです」
「待った。エンドフェイズで罠カードを発動します」
 あえてカード名を宣言せず、表にしたカードを見せた。『砂塵の大竜巻』。サトウにとっては見たくもないカード。ポーカーフェイスは苦手なほうだと踏んでいたが、サトウの反応はかわいそうになるくらいわかりやすかった。冷水を浴びせられた子犬のようだった。
「……それで、どっちのカードに対して発動しますくぁ?」おまけに語尾が裏返ったので、性別に偏りのある観衆が狂喜した。
「かわいいーっ」
「サトウくんがんばってーっ」

 『大竜巻』が対象にとれるのは三枚。『光の御封剣』、『くず鉄のかかし』、そしていま伏せたリバース・カード。
 オレはこの、やけに女性受けする少年に笑いかけ、死刑宣告を下した。
「もちろん……『くず鉄のかかし』に」
「やっぱり、そうですか……」
 がっくりと首を落としたサトウは、おそらくとても頭の回転が速いのだろう。学校のテストなら、勉強しなくても授業をきいただけでパスしてしまえるタイプだ。
 パーミッションという難解なデッキの選択、許可を下すときの、あるいは下さないときの躊躇のなさ、行きずりの対戦相手の名前(亜理紗)をわざわざ覚える視野の広さ、デュエルに集中しながら対戦相手への礼儀と配慮を忘れない順応性、たどたどしい手つきでカードを扱うオレの手つきや、『呪術師』を目にしてもまったく油断しない慎重さ……どれをとっても高い知性が伺える。それがあだとなった。
 他人より二手も三手も先を読む鋭敏さ――それは時として、現実の鈍さを置いてけぼりにしてしまう。最初に『女戦士』が攻撃したとき、サトウが先走って『ゴブリンゾンビ』を除去しようとしたのは、そうしたかったからではない。そうされると困るからだ。自分にとって悪いほうの状況を想定し、そのシュミレーションに頭をめぐらせていた。その結果、オレはまだどちらとも言っていないのに、除去されたほうの未来しか見えていなかった。
 今回のことはその応用だ。カードを伏せたターンのエンドフェイズに『大竜巻』が飛んできたら、普通なら“エンドサイク”(エンドフェイズではそのターンに伏せたいかなるカードも発動できないため、そのタイミングを狙って『サイクロン』などで破壊するテクニック)を想定する。だがサトウはそうは考えなかった。速すぎた彼の脳細胞は、『大竜巻』の破壊対象は三枚あるにもかかわらず、どの、ではなく、どっちの、と口走った。
 『光の御封剣』は放っておいても消えるから、それ以外の「どっち」という意味か? まさか。ほかならぬサトウ自身が「ビートダウンはスピードが命」と認めている。攻撃を防ぐ二枚のカードのうち、「どっち」を破壊するのか? という意味と見て、間違いないだろう。
 思索。サトウの頭にある「悪いほうの状況」は、『光の御封剣』か『くず鉄のかかし』を破壊されること。それはなぜか? なぜなら……なぜなら手札には、もう攻撃を防ぐカードはないから。残る一枚のリバースカードは、攻撃を防ぐカードではないから――。
 だが、この思考自体が、サトウの用意した罠である可能性もなくはない。M&Wには、“スリップ・リップス”と呼ばれるテクニックがある。口を滑らせたふりをして、さりげなく情報を与え、思考を誘導する高等技だ。亜理紗はこれが得意で、オレは過去に二度も引っかかったことがある。そのうちの一度は、「手札を全部公開する」という、とてつもなく大胆な応用技だった。
 鈍色のつむじ風が時代遅れのかかしを吹き飛ばす。これが罠かどうかは、次のバトルフェイズでわかる。
「オレのターン! 『魔導戦士ブレイカー』を召喚! 特殊能力で『光の御封剣』を破壊します。さらに『偵察者』を攻撃表示に変更し、『ブレイカー』で『アルテミス』を攻撃!」
 赤銅色の戦士がフィールドを駆け出した瞬間、あまりの緊迫感に、時間の流れが鈍くなる。緊張しているときに時計を見ると、秒針が止まって見えるあの現象を、おもいっきり引き延ばしたような錯覚。
 思考だけがどんどん加速していく。もし、このデュエルに負けたら、亜理紗になんて言えばいい? いや、そのことは忘れることにしたはずだ。集中しろ。赤銅色の剣士が繰り返す。集中しろミドリ。魔導戦士はのんびりと地面を疾駆している。その顔が亜理紗の横顔に重なる。サトウのフィールドに足を踏み入れ、そろそろ目を覚ましたころだろうか。鞘から剣を抜いてナナは両親と連絡を取れただろうか。走っている母親には一度会ったことがある。跳躍した亜理紗によく似ていた。一直線に女神に踊りかかって、いや逆だ、亜理紗が母親に似ているのだ。剣閃。
 袈裟、逆袈裟、唐竹に三条の光が走り、アルテミスの神体が六つに解体される。だが同時に頭から生えていた羽が、抱きしめるように赤銅色の鎧を捉え、ともに爆砕した。
 攻撃は成功した。オレは賭けに勝ったのだ。
「続いて、『偵察者』と『女戦士』でダイレクトアタック!」
 二体のモンスターがそれぞれの得意技を仕掛けるのを、サトウは微動だにせず受けきった。LPは残り650ポイント。手札は互いに三枚。デュエルの流れは完全にオレに傾いている。

 視線を固定したまま、サトウはぽつりとつぶやいた。
「……グリーンさん」
「はい」
「最初に声をかけられたときから、どこかで見た顔だと思ってたんです……名前も知ってたのに、『呪術師』が出てくるまで思い出せませんでした……。グリーンさんって、一ヶ月くらい前に、あのエックスに勝ったグリーンさんでしょう!? ぼく、YooTubeeで観ました!」
「ヨーチュービィで観たって……ええええええええええ!?」
 驚嘆の声を上げて、周りのギャラリーの反応を確認する。「誰?」と疑問符を浮かべているのが4、5名。「言われてみれば、あのときのあいつか」という表情が5、6名、「私ははじめから気づいていたわよ」という顔が、約半数。世界一有名な動画投稿サイトで流された割には、これでもましなほうなのかもしれない。
 ――もしかして、オレって有名人だったのか?
「ネットでもかなり意見が分かれてますけど、KCのホストデュエリストとして登場してたし、聞いたこともないカードを使ってたし……あの人は本物のエックスだったとぼくは思うんです。そしてそのエックスに、グリーンさんは勝った!」
「それはまあ、事実だけを抜き出せばそうなるけど……」
 その前に何十回と負けているのは、言わぬが花だろうか。
 サトウは自分の靴紐をじっと見つめ、やっと聞き取れる声で付け足した。
「やっぱり……そんな人に勝てるはず、ありませんよね……すみません、サレンダーします。どうせこの状況じゃ、勝てそうにないし……」
「……それは、まだわからないんじゃないですか?」
 オレが言っても白々しいことは百も承知だったが、応援隊はこんなときに限って成り行きを静観している。
「月並みですけど、まだ完全に勝負がついたわけじゃないんだし」
「いいんです……なんでかは知らないけど、今日はやたら強い人に声をかけられるんです。こっちから声をかけたときは勝てるのに、声をかけられたときは全敗しちゃって。アンティルールでデッキはぼろぼろだし、『アルテミス』は墓地に落ちちゃったし……もうだめです、この辺が潮時でです」
「……サトウさん」
 同意すべきだと、全身の細胞が叫んでいた。勝ちを取れ。迷うな。誰が為に勝たなければならないのか思い出せ。
 ――亜理紗。
 彼女ならどうしただろうか。あの闘いの最終局面、『マインドクラッシュ』を使った亜理紗なら。最後の最後まで冷静な判断力を失わなかった彼女なら。
 ――オレは絶対に負けられない。だから……。
「サトウくん、オレは……」
 人生でいちばん頭を使った三十秒が過ぎ、言葉を発しようとすると、とたんに周囲に敬意に満ちた沈黙が降りた。
「オレは、サレンダーは認めません」
「……なぜ?」
「わからない? とぼけるのもいい加減にしてくれ。これはプロを選出するための大会だ。それでなくとも、勝つだけでカードを手に入れられる貴重な機会だ。誰だって、どんな手を使って勝ちにくるに決まってる。サトウくん、君も――」
「グリーンさん、ぼくは……」
「君もどうせ、“サレンダー・アタック”を狙ってるんだろう?」
 その言葉を口にした瞬間、先ほどとは正反対の沈黙が落ちた。このデュエルを見守っていた観衆が残らず、完全に絶句していた。
 サトウの顔がみるみる紅潮する。なにかを言いかけた唇を強く結んで、涙を浮かべた目をオレからそらした。
 M&Wには、ルールの裏をかいくぐるような、反則行為すれすれのテクニックがいくつか存在する。例を挙げると、強引にスタンバイフェイズまで巻き戻して、発動したカードに手札破壊を撃つ“バックハンデス”。相手ターン中に注意を引く行動をしたり、何度も説明を求めたりなどして思考時間をぎりぎりまで奪い(制限時間を越えないところがいやらしい)、実質的なターンスキップを狙う、“テイクオーバー”など……しかしここまでなら、人によっては「勝利への執念」と評価することもあるから、せいぜいが“マッドタディ”(最低のデュエリスト)呼ばわりされるだけで済む。
 だが、“サレンダー・アタック”に手を染めた者を呼び表す言葉はない。そいつはもはやデュエリストではないからだ。
 実はI2社の定める正式な勝利条件の中に、「相手がサレンダーを宣言したとき」というセンテンスは存在しない。降伏を受け入れるのは、あくまでデュエリスト同士の慣例であり、お互いの矜持と信頼の上に乗っかった騎士道精神だ。しかし実際のルールの上には、「サレンダーとは言ったが、負けたわけではない」というシュレーディンガーの猫が、すました顔をして座り込んでいる。
 これを悪用し――たとえば降伏を宣言したあと、「デュエルディスクは決闘者にとって武器だから、デュエルが終わったら外すのが礼儀」などともっともらしいことを言ってディスクの電源を落とすように誘導し、相手側の「不正な強制終了」によって勝ちを拾ったり、相手の攻撃直前にサレンダーを宣言し、“テイクオーバー”して相手の持ち時間がなくなったところで降伏を撤回したり、さらに悪質なものになると、「いいデュエルだった、握手しよう」と言って近づき、事故を装って相手のディスクの電源を切る(もちろん意図してやれば反則だが、それを証明する方法がない)ことさえある――こうした白旗に槍を仕込むような行為を総称して、“サレンダー・アタック”と呼ぶ。デュエリストにとっては存在してほしくもない悪夢であり、その疑いをかけられることは、正統なるデュエリストにとっては最大級の侮辱となる。サトウが気色ばむのも、無理のないことだった。
 ――だが、オレは絶対に負けてはならない。だから油断もしない。慢心もしない。
 勝つためなら、泥だって被ろう。魂だって売り渡そう。
「“サレンダー・アタック”はいろんなパターンがあって、完全に防ぐ手立てはない。それにそんな危険を冒さなくても、たかが650ポイントくらい、『仕込みマシンガン』でも引けばあっという間に焼ききれる。よって、このデュエルは続行してもらう」
「そう、ですか……」
 サトウの目は見えない。絞り出した声は震えている。
「あなたには何を言っても信じてもらえないかもしれませんが……ぼくは、そんなことは少しも考えていませんでした。でも、止めてくれて感謝します。あなたにだけは、絶対に負けたくない。デュエルを続行します!」
 顔を上げたサトウの目は、「変身」しているように見えた。
「ドローバイ! 魔法カード『天使の施し』! 手札を交換し、フィールド魔法『王家の神殿』を出します! これにより、ぼくは1ターンに手札から二枚まで罠カードを伏せることができます。カードを二枚伏せて、エンド!」
 三枚の伏せカードが並ぶ。新たなリバースカードは、間違いなく罠だ。かなり危険な罠カードであることは、『天使の施し』によって墓地に棄てられた二枚のモンスターカード、『デス・ラクーダ』と『闇の仮面』が示唆している。あの二枚は、壁モンスターを犠牲にしてでも張りたかった罠なのだ。

「オレのターン! ドロー! スタンバイ!」思わず頬が緩んだ。『大竜巻』に引き続き、サトウがもっとも苦手とする上級モンスター。「『偵察者』を生贄に、『氷帝メビウス』召喚! 破壊する伏せカードは――」
「許可しません! カウンター罠『畳返し』! メビウスの特殊効果を無効にし、破壊します。さらにカウンター罠が発動したことにより、特殊召喚されるモンスターがいます!」
「――まさかっ!?」
 サトウが最後の手札を掲げる。「すみません」が口癖の少年は、もはやどこにもいなかった。
 暗雲が広がっていく。空気の密度が増していく。
 生まれてくるものの巨大さに、画像処理が追いつかないデュエルディスクが、チリチリと悲鳴を上げて紫電をほとばしらせる。
 そしてサトウが手を振り下ろすと同時に、それは誕生した。
「『冥王竜ヴァンダルギオン』! その特殊効果は、墓地の『豊穣のアルテミス』を守備表示で呼び戻します!」
 それは竜でありながら、竜ではなかった。竜人。黒紫の体躯にはところどころ、亀の甲羅のような浅い亀裂が刻まれ、まるで機械人形のような印象を受ける。肩からは翼竜のような鉤爪のある翼を広げ、サファイアのような青い目は、サトウの意思を汲むかのように煌々と光っている。
 攻撃力2800を誇る八ツ星モンスター、パーミッションの盟主の降臨だった。
「それなら、バトルフェイズに入って、『女戦士』で『ヴァンダルギオン』に攻撃!」
「させません! 罠カード『次元幽閉』発動! 攻撃モンスターを異次元のかなたに吹き飛ばします!」
「手札から『月の書』を『女戦士』に適用する! これで対象を失った『次元幽閉』は――」
「それも許可しないっ! 『魔宮の賄賂』で『月の書』を消し去ります! さらにアルテミス効果で一枚ドロー!」
 攻撃をしかけた『女戦士』の身体を、極彩色の球体が覆っていく。戦士を飲み込んだ球体はみるみるうちにビーズ玉くらいに縮まり、キン、とコインが床に落ちるような音のみを残して消え去った。
「『賄賂』の効果で一枚ドロー。……カードを一枚伏せて、オレのターンは終了」
 手札は三枚。フィールドに残ったカードは一枚。絵に描いたような没落だった。何もせず、ただ攻撃していれば勝てたのに、欲張った結果がこのざまだ。このターンの覚悟は、サトウのほうが一枚も二枚も上手だった。壁モンスターと攻撃阻止の罠という、現実的な選択肢があったにもかかわらず、彼は延命よりも逆転の一手に賭けていた。
「ぼくのターン、ドローバイ! 『ヴァンダルギオン』と『アルテミス』でダイレクトアタックです!」
 攻撃力の総和は4400。通れば負ける。
「リバースカードオープン! 『リビングデッドの呼び声』でメビウスを呼び戻す!」
「攻撃は続行です!」
 彼の岸からよみがえりし白銀の巨人は、豪腕から水の散弾を打ち出す。黒の竜人は空中でくるりと身を翻して分厚い翼ですべて受け止め、はじき返した。水弾のひとつがメビウスの防護面を打ち抜き、破壊する。仰向けに倒れる巨人の鼻先を、アルテミスが放った金色の光条が駆け抜け、オレのデュエルディスクに突き刺さった。
「……やはり、あなたはあのときのグリーンさんじゃない。彼のデッキをコピーしただけの、偽者だ」
 静かな怒りを目に込めて、サトウはオレをにらみつけた。
「なぜそう思う?」
「あの人なら……きっと、『墓守の呪術師』をよみがえらせていました。それでもライフは残せるし、ぼくのLPを削ることもできる。あのエックスを倒したグリーンさんなら、『呪術師』の可能性を信じている彼なら、そうしたはず……」
「『呪術師』の可能性? はは……笑わせてくれるね、サトウくん、こんな屑カードに可能性なんてあるもんか。こいつをデッキに入れてるのは、もっと別の理由からさ」
「別の理由?」
「そう、効果ダメージを期待してるわけじゃないし、油断を誘うためでもない……一番の理由はねサトウくん、君みたいなデュエリスト対策なんだよ」
「ぼく……みたいなデュエリスト?」
「そう。なんだかんだいって、デュエルに幻想を抱いているタイプ。初代決闘王に憧れているタイプ。あの人みたいに、カードの強さだけに依存しないデュエルをしてみたいと思っている馬鹿なデュエリストって、結構いるんだよ。そんな連中にオレが『呪術師』を見せると、「自分もそういうデュエルがしてみたい」って思うんだろうね。はは、定石どおり手堅くデュエルしていれば勝てるものを、冒険心あふれる悪手を打って勝手に自滅してくれるんだ。馬鹿だろ? そういう馬鹿を釣り上げるための仕掛けなのさ、この『呪術師』は」
 オレが説明しているあいだ、サトウは真っ白になるまで握り締めた手を、ぶるぶると震わせていた。
「ふざけないで……ください。そんなの、認めない。そんなのは、そんなのは、違う!」
「君がどう思おうと関係ないね。これがオレのやり方だ」
「あなたには負けない……手札より『強欲な壺』! 二枚伏せて、ターンエンド!」
「オレのターン!」
 三枚の手札は、同じ種類の魔法カードが二枚と、デッキ最強のモンスター。このラインナップだけでは、王手を指すにはまだ力不足だ。
「ドロー!」
 引いてしまったカードを見て、オレは少しだけ……ほんの少しだけ、落胆した。これは呪いか、あるいは祝福か。
 カーテンコールはもうすぐそこまで迫っている。どの道このターンで勝てなければ、オレたちに生き延びるすべはない。

「カードを二枚伏せて、『アルテミス』と『ヴァンダルギオン』を生贄に『溶岩魔神ラヴァ・ゴーレム』を特殊召喚する……許可は?」
 サトウは真正面からこちらを睨み付ける。オレも見つめ返した。彼の口角が、つ、と上がった。
「許可……します。ぼくの勝ちです。あなたがいま伏せた二枚のリバースカード、それが何であろうと、ぼくは絶対に許可しない。そして『ゴーレム』を特殊召喚したあなたは、このターン壁モンスターをセットすることができない。次のターン、直接攻撃が決まれば終わりです」
 サトウの場にいる『ラヴァ・ゴーレム』は毎ターン500ポイントのダメージを与える代わり、攻撃力は3000もある。ダイレクトアタックを食らえば、一発でゲームエンドだ。
「そうか、じゃあ、カウンターしてみてくれ……魔法カード発動!」
 サトウが瞠目する。本来なら、オレのやったことはまったく意味のない行動だった。速攻以外の魔法カードの場合、手札から出そうが、伏せてから発動させようが、効果に変わりはない。魔法カードをいったん伏せて、そのターンのうちに使うなんて無意味にもほどがある。「魔法カードを伏せる場合は、速攻魔法か、何も手がないときのブラフか、手札を減らすためか、次のターンで別の魔法カードとコンボするためか」――そう考えるのが普通だ。
「そう……か。ゴーレムの攻撃を阻止する速攻魔法じゃなくて……本当の狙いは、それ以上手がないように見せかけて、ぼくにゴーレムを許可させること……あの時、『呪術師』を復活させた本当の理由は、その魔法カードのライフコストを残しておくため……そうでしょう、グリーンさん?」
「……ノーコメント、ってのは?」
「はは、厳しいですね……」
 脱力したサトウが膝をつく。その姿は、まるで祈りを捧げているように見えた――『早すぎた埋葬』で墓地から復活したばかりの『墓守の呪術師』に。
「許可は……してもしなくても同じですね、ぼくの伏せカード、二枚とも『神の宣告』ですから……」

 サトウの言ったカードは、いかなる魔法・罠・召喚・特殊召喚も打ち消せる万能カウンター罠だが、LPの半分をコストとして要求される。この場合、『早すぎた埋葬』を打ち消せば、ダメージを受ける以上のLPを消費する。
「でも、なんでわかったんですか?」
「何が?」
「ぼくの伏せカードです。……だって、わかってなきゃ、こんなプレイはできたはずがない」
「はっきりした確証があったわけじゃないよ。ただ、オレだったらLPが1000切ったら焦るし、『神の宣告』があったら最優先で伏せるだろうなって、それだけ。二枚とも『神の宣告』だとは思わなかった。もう一枚は、攻撃阻止だと考えてたしね」
 伏せているはずだという確信はあった。パーミッションなら『神の宣告』は必ず三枚積んでいるはずだ。また、汎用カウンターのこのカードをアンティに出すとも思えない。ここまでのターンでサトウが引いたカードの枚数が17枚。40枚デッキから17枚を選んだとき、三枚あるカードが一枚もない確率はわずか18パーセント。裏を返せば、80パーセント以上の確率で、サトウの手札には『宣告』があった計算になる。そう伝えると、
「でも、ぼくが『ゴーレム』に対して『宣告』するかもとは考えなかったんですか?」
 確かに、ゴーレムを打ち消され、もう一枚の伏せカードが『くず鉄のかかし』か何かだった場合、『呪術師』を蘇生させても、サトウのLPはわずかに残る。次のターンで攻撃力1800以上のモンスターカードでも引かれたら、オレの負けになる。
「いや、ゴーレムはきっと許可してくれるだろうと思ってました。理由は二つあります」
「ぼくが怒っていたから……ですか?」
「気づいてたんですか? オレの作戦に」
「気づいていたというより……信じたかった、というのが正直なところです。あのエックスとのデュエルで、最後に『早すぎた埋葬』を使おうとしたグリーンさんの本心が、あんなのであるはずがない、と」
 だから、怒ったふりをしていたんです。これはきっと、グリーンさんの作戦、“プロヴォーク”だと思ったから……とサトウははにかんだ。
「サトウくん、なかなかの演技だったよー」とギャラリーの声が混じる。
 まさかと思って周囲を見回してみるが、サトウの言葉にショックを受けていた人間はオレと、明らかに小学生とわかる男の子ひとりきりだった。なんという訓練された観衆。参加者ひとりひとりが最低でも大会優勝クラスなのは伊達ではなかった。すべてがお芝居だったのだ。独演だと信じていたのは、オレ一人きりで。
「まさか演技だったとは……いやそれより、作戦とはいえ、ひどいことを言ってすみませんでした」
 サトウを怒らせたかったのは、『ゴーレム』を許可してもらうためだった。“プロヴォーク”はわざと相手を怒らせ、冷静な判断力を奪うテクニックだ。もしあの状況で『ゴーレム』をカウンターすれば、サトウは一度に三枚のカードを失い、手元には何も残らない。怒りに沸騰した頭なら、その仕打ちはさぞ屈辱的に感じただろう。
「いえ、その……なんかこっちこそすみません、逆に騙してしまったみたいで」
 と、なぜか謝るサトウ。どこまで可愛い生物なんだろうこいつは。
「サトウさんはちゃんと騙されてくれましたよ。『ゴーレム』を許可した二つ目の理由、それは、あなたがデュエルを急いでいたからだ。残りLPが少なかったことに加えて、オレのデッキに『仕込みマシンガン』があると知ってしまった」
 そう、オレの作戦は二段構えだった。“プロヴォーク”でサトウを怒らせつつ、“スリップ・リップス”によって『仕込みマシンガン』の存在を教える。だからサトウは「バーンカードを引かれる前に決着をつけなくては」と焦り、『ゴーレム』で一気に決着をつけようと考えた。
 加えてパーミッション使いの慎重な性格も、『ゴーレム』の生存に適していた。効果がはっきりしている『ゴーレム』より、正体不明の伏せカードに備えて、カウンターカードを温存しようとした。
「なるほど、全部計算済みだったんですね……やられたなあ、さすがエックスを倒した人だ」
「そんなことないですよ。エックスはオレなんかよりずっと強い……あのとき勝てたのはまぐれです」
「あとふたつだけ、わからないことがあります。グリーンさんは、どうしてぼくのサレンダーを認めなかったんですか? まさか、本当に“サレンダー・アタック”を警戒したわけじゃないでしょう?」
「……やっぱりそれ、説明しなくちゃいけませんか」
「できれば」
 真剣なまなざしを向けられ、オレは吹き抜けを見上げた。ちょうど、医務室のあるあたりを。
「正直な話……直前まで迷っていました。サレンダーを受けようと思った……。『亜理紗』は絶対に二回戦に出場しなくちゃならないし、そのためには、絶対に勝つ必要があった……」
 視線を床に落とす。サトウも、観衆も見られなかった。
「『亜理紗』ってのは本当はオレじゃなくて、親友の名前で、オレは彼女の名前を勝手に背負ってるんですけど……背負ってるからこそ、このデュエルは負けられなかった」
「なら」
「でも、そうしてくれって頼まれたわけじゃない。オレが勝手に、役に立ちたいと思っただけ。オレのやっていることは、善意の押し売りだ」
「それでも……それがその人の為になるんでしょう? だったら」
「それじゃ駄目なんです。親友としてはそれでいいけど、オレたちはデュエリストだから。ライバルで、対等だから。自分のために不本意なデュエルをさせた、なんて負い目を負わせたくないんです。オレが勝手に名前を借りてデュエルして、しかもそれがすごく楽しかったっていえなきゃ、オレは本当の意味で彼女の役に立てない」
「……でも、そんなの」
「馬鹿みたいだと自分でも思ってます。身勝手もわかっているつもりです。でもオレは、あのままサレンダーで勝って、楽しいデュエルだったと言い切れる自信がなかった。サトウさんは、あんな幕切れで納得できましたか? あれを楽しいデュエルだったと思えましたか?」
「そんなの……楽しいかどうかなんて、しょせん綺麗事ですよ。デュエルは勝たないと意味がないんです。勝たなきゃならないんだったら、方法にこだわる必要なんて、ないじゃないですか。どんな方法を使ってでも、勝って、その人には楽しかったと……楽しかったと、嘘を……」
 サトウの声はどんどん小さくなり、聞こえなくなった。
「嘘を……すみません、吐けるわけがないですよね。そんなの、優しさとは違う。正統なるデュエリストにとっては――」
「侮辱だ」
 サトウは大きく頷いた。
「じゃあ当然、『呪術師』をデッキにいれていた理由も……さっき言ったことはぜんぶ嘘で、本当は初代決闘王に憧れているからなんですね? グリーンさんもぼくらと同じ……馬鹿なデュエリストだから!」
 勢い込んで言ってから、すすすみませんっ、と顔を赤らめたサトウに、オレは微笑んで首を振った。

「まさか。オレは本気で信じてるんですよ。『墓守の呪術師』は、最強だって」

 その後デュエルは穏当に終了し(サトウがサレンダーを宣言し、オレがそれを認めると、周りから拍手が巻き起こった)、表ルールの三番目に従って、『デス・ラクーダ』はオレのサイドデッキに仲間入りした。

《其の三 デュエルに勝利したプレイヤーは、相手デッキのカードを一枚、自分のサイドデッキに加える。この方法でサイドデッキが16枚以上になってもよい。デュエルに敗北したプレイヤーは、デッキが39枚以下の場合、サイドデッキから一枚、デッキにカードを加える。この方法でサイドデッキが14枚以下になってもよい。(メインデッキに同名のカードは三枚までしか入れられない)》

 ディスクに表示されている、亜理紗の目的勝利回数は4。あと三回勝てば、二回戦に進める。
 去り際、サトウが駆け寄ってきて、他の誰にも聞こえない小声でこう言った。
「最後にもうひとつだけ、教えてください。最後に伏せてた罠カードは、なんだったんですか?」
 何を言いたかったのかは、すぐにわかった。もし『ゴーレム』も『早すぎた埋葬』もカウンターしていたら、勝敗は逆転していたか? 言葉遣いは穏やかだったが腹に秘めた情念はすさまじく、答を聞けなければ、二晩は眠れぬ夜を過ごすであろう事が見て取れた。
「サトウさんの最後の手札は?」
「『智天使ハーヴェスト』。攻撃力1800の四ツ星です」

 オレはもう一度吹き抜けを見上げた。二階、三階、四階……一回戦で使われるのは六階まで。二回戦の会場は、七階より上にある。サトウはうつむいて答を待っている。オレは慎重に口を開いた。侮辱とだけは響かぬよう、震える声に魂を込めて。
「あの罠カードは――」
 


「『Secret Barrel(仕込みマシンガン)』だったのではないですか? ミドリさん」
 サトウと別れて一分も経たないうちジュリアがそう声を掛けてきて、もう少しで喉から心臓が飛び出るところだった。
 ムーアは一緒ではなかった。デュエルの終盤から、しばらく独りで観戦していたという。
 最初から見られたのではなくて助かった。『亜理紗』として闘った理由を説明をすれば、オレがジュリアを裏切って亜理紗についたことを説明しなくてはならない。
「……なぜ、そう思うんです?」
 ジュリアはちょっと肩をすくめてみせた。
「そんな気がシただけです。ただ、それなら相手の彼がどんなプレイングを駆使シても、ミドリさんの勝利は揺るがなかったということになりますね」
 エックスはエックスでしか倒せない。それは、運命が既に決まっているということだろうか。あのときドローした罠カードは、オレがエックスに選ばれた瞬間から決定されていたのだろうか。だとすれば、エックスとは呪いか、祝福か。
 「負けない」加護をうらやむ人もいるだろう。だがそれは、エックスはエックス同士でしか本当の意味でデュエルできないという呪縛でもある。
「知らないほうが救われることもある……そう思いませんか?」
 ジュリアは何も言わなかった。代わりに……なんというか、ひどく寂しそうな笑みをうかべた。まるで人類が死に絶えた世界で、自分だけが生き残ったことを悟ったかのような。
「それよりジュリアさん、まさかそのことを聞くためだけにオレを待ってたわけじゃないでしょう?」
「そうでシた。ミドリさん、千年アイテムが狙われています」

   ***

「誰かが千年アイテムを狩り始めている……誰がやっているか分かる、ムーア?」
「わからないが、そいつはアキラ君を洗脳したやつと同一人物だ。彼にかけられていた力の根源に、複数のカーを感じた」
「他人を操るアイテムは……たしか【鍵】と【錫杖】よね。ということは、この二人のうちのどちらかが?」
「そのどちらかを倒してアイテムを奪った別の誰か、とも考えられる」
「……奪われたとしたら【鍵】ね。【錫杖】を奪うことはまず無理だわ」
「強いのか?」
「最強よ。決闘王をふたり倒してる……能力を使わずにね」
「それは、エックスの法則があれば可能だろうが……」
「あれは違うわ。「負けない」法則なんて関係なかった。運や偶然が介在する余地のない、完璧なデュエルだった。もし公式戦だったら、大ニュースになったでしょうね」
「もし、そいつが千年アイテムを集めようとしているのなら……いや、まだ決め付けるのはよくないな。僕らが知らないだけで、他のアイテムにも他人を操る力があるのかもしれない。アイテムの能力はひとつとは限らないからね。僕に“探知”のほかに“バグ”の能力があるように」
「どちらにせよ、私たちと亜理紗さんとミドリ君を省いて……容疑者は三人。犯人は二回戦の会場に行ってしまったし、元エックスはアイテムのカーを失っているから探知できない……でも、三人目は探知できるのよね? その人が誰かわかれば……」
「できるけど、行っても会えないと思う」
「どうして?」
「医務室にいるからさ。怪我でもして自分の意思で行ったのか、亜理紗と同じで、入らざるを得ない状況になったのかはわからないが」

   ***

「――ちょっと待ってください、なんか混乱してきた。一気に登場人物が増えていませんか? いままでわかっていたエックスは四人でしたよね、ジュリアさんとムーアさん、亜理紗とオレ。そして、アキラを操った奴が五人目」
 そしてその五人目が、まだ見ぬ六人目のアイテムを奪い、七人目を医務室送りにしたかもしれないという。
「四人シかいなかったのは、あの地方大会終了時点までの話です。エックスはこの世に七人、いまは六人ですが、全員がこの大会に出場シています」
「偶然……じゃないですよね。エックスが参加していることを、運営側も知っていた。三人とも、この一ヶ月でTADに来たんですか?」
「いえ、三人を見つけたのはムーアの【リング】と、ミドリさん、あなたのおかげなのですよ」
 【リング】には他のアイテムの位置を知る力がある。しかし、その能力は一ヶ月前まではほんの微弱なものだった。どのくらい微弱だったかというと、ムーアが人ごみの中に分け入ってエックスを探すよりは、TADを使ったほうがまだましだったと思わせるほど。
 しかしあの地方大会で、エックスであるオレの所有する『ホルス』がシャム神『ウリア』と接触したことで、本来の神『オシリス』が目覚めた。そのせいで、相対的に他のエックスの能力も上昇したのだという。どのくらい上昇したのかというと、当時ロンドンにいたムーアが、日本にいた三人のエックスを探知できたほど。
「ムーアさんが見つけたって事は、三人ともKC側のデュエリストなんですか?」
「そうではありません。まだ言ってませんでシたが、ムーアは私の味方です。所属シている組織が違うため、表立った協調はできていませんが、彼も封印には賛成シてくれている。その証拠に、三人ともKCともI2社とも契約シていません」
 新たなエックスの存在を、KCもI2社も、大会直前になって知ったという。もちろんそれはジュリアの意図だった。二社の勧誘戦争が勃発する前に大会が始まってしまえば、両社とも事態を静観せざるを得ない。大会中に運営サイドが特定のデュエリストに接触はできないし、すべてのエックスが集まったいま、この大会で優勝したエックスを味方につければいいのだから、あわてて動く必要もない。ジュリアにしても、どちらかと契約してしまったデュエリストより、フリーのエックスのほうが説得も決闘もしやすい。
「じゃあ、三人とも封印には賛成なんですか?」
「それが……協力シてくれると言ったのは一人だけで、あとのお二人は、別の目的のためにこちらに来たようです」
 ジュリアはやれやれと肩をすくめた。
「目的?」
「【鍵】の所有者は、能力を使ってお金儲けがシたいようです。それゆえ自分以外にエックスがいてもらっては困るらしく、私たちの排除をシにこの大会に。逆に【錫杖】の所有者は、お金ならいくらでも出すから、千年アイテムを譲って欲シいと、その交渉をシにこの大会に」
「二人とも動機はあると。少し整理させてください。いま、エックスの派閥は大きく分けて二つある。ひとつは超能力を保持したいと願う人たち。これは【タウク】の亜理紗、【錫杖】の人、【鍵】の人で計三人。もうひとつは、千年アイテムを全部集めて、冥界に返そうとしている人たち。これは【天秤】のジュリアさん、【リング】のムーアさんと、オレを含めてあと二人、計四人」
 もっとも、成り行きでジュリアサイドにいるオレだが、本心では亜理紗サイドに傾きつつある。もし『オシリスの天空竜』が本当に亜理紗の病気を押さえつけているなら、神の封印は亜理紗の命を奪うことに等しい。そんなことを許すわけにはいかない。
 頭の中でひとつの光景を浮かべてみる。七人のエックスが一人ずつ、「パズル」とか「リング」とか彫られた怪しい石版を持って、「大会」と書かれた円卓に座っていた。ところが顔に「犯人」と書かれた奴がいきなり隣の奴をぶん殴って、二枚の石版を手にした。乱暴者のそいつは、アキラを洗脳して亜理紗から神を奪い、さらにもう一人のエックスまで倒してしまったかもしれないという。
「ジュリアさん、ひとつ質問が。「犯人」はどうやって実体のない千年アイテムを奪ったんですか?」
 まさか辻強盗のように、ピストルを突きつけて「よこせ」と脅したわけではないだろう。
「カードと同じく、アイテムはアンティによって所有権を移動させることができます。具体的には、千年アイテムを賭けると宣言シた上で、デュエルに勝てばいい。相手の同意は必要ありません」
「奪われた人は? 千年アイテムをなくした人はどうなったんです?」
「どう、とは?」
「……死んだりしてませんよね?」
「まさか。だったらもっと大騒ぎになっているはずです。アイテムを外すのは、アクセサリーを外すのと同じで、人体には何の影響はありません」
「もしかして、千年アイテムを封印する必要ってないんじゃないですか? 亜理紗か、封印反対派にオレたちのアイテムを渡してしまえば、オレたちはエックスじゃなくなるし、亜理紗たちは引き続きエックスでいられる。全部丸くおさまるじゃないですか」
「アキラさんは洗脳されたままでいい、と?」
「いや、もちろん洗脳ヤローからはアイテムを取り上げて……そうだ、亜理紗が七つのアイテムを管理すればいい。亜理紗なら悪用はしないでしょうから」
 ジュリアは大きく嘆息し、かぶりを振った。
「それで、亜理紗さんの幸せはどうなるんですか?」
「亜理紗は……だって、エックスでい続けることを望んでいるんです」
「そのことではありません。人の心に入り込み、記憶を覗き、都合のいいように改変でき、未来を知ることまでできる能力を得た彼女が、幸せになれるかと訊いているのです。KCが彼女の力をデュエルの外で利用シようと考えるかもしれない可能性は? 言っておきますが、KCはただのゲーム会社ではありません。前社長の時代に、ソリッドビジョンシステムがICBMの制御や軍用ヘリ操縦のために使われていたことはご存知ですか? 今の社長に代替わりシてそうシた側面はなくなりまシたが、次の社長もそうとは限りません。
 こんな仮定はどうです? 七つの千年アイテムを手にいれた亜理紗さんはある日、許すことのできない犯罪を目の当たりにシて考えます。自分には力があるのに、それを正義のために使わなくていいのかと。そして一度でも能力を使ってシまえば、「そういう超能力がある」ことを、かならず誰かが知ることになる。その先にあるのは、超能力を追い求める者たちとの、永遠の追いかけっこです。「鬼」を全て――つまり、ほとんどの人類を洗脳シない限り、死ぬまで安息の日が訪れることはないでしょう」
 なにも言い返せなかった。ジュリアの主張は大げさだが、真実の一端を言い当てている。誰だって、超能力が実在すると知ったら、その獲得と利用に思いをはせる。亜理紗が能力を使って勝てば勝つほど、そしてその能力が強大なものであるほど、亜理紗が狙われる公算は高まっていくのだ。
 だがオレが沈黙したのは、淡々としたジュリアの語り口をそら恐ろしく感じたせいでもあった。上っ面の言葉は確かに亜理紗の行く末を案じていたが、その根底の意思には、どこか統合失調ぎみの、深くよどんだヘドロのような狂気が渦巻いているように思えてならなかった。オレは話題を変えた。
「ところで、犯人の目的は、本当に千年アイテムなんでしょうか? 亜理紗はデュエルに負けたのに、千年アイテムは奪われていない。奪われたのは『オシリス』だけ。亜理紗のアイテムはいらなかった? それとも、犯人の目的は別だった?」
 おかしいといえば、アキラを洗脳した理由も謎だ。なぜアキラなのだ? なぜオレの弟なのだ? はじめはオレに対する何らかのメッセージなのかと思ったが、アキラはオレになど目もくれず、亜理紗にというか、オシリスに固執していた。目的はオシリス……いや、神のカードなのか?
「ジュリアさん、最後の神のカードの行方はわかっているんですか?」
「今は……正確にはわかりません。神のカードの三枚のうち、『オシリス』以外の二枚を、例の三人のうちの二人が所有していました。しかしその三人は、一人がアイテムを奪われ、もう一人が医務室にいる。もしかしたら、神のカードはもう三枚とも……」
「もしそうだとしたら……三人のうち、一番強い奴が犯人、ってことになりますよね? ジュリアさん、もしかして、見当がついてるんじゃないですか?」
 ジュリアは目を伏せた。
「……三人のうち、もっとも高い実力を持つのは【錫杖】の所有者です。あまり信じたくはありませんが……ミドリさん、【錫杖】とは絶対に決闘シてはいけません。もしデュエルを申シ込まれても、決して受けないでください」
「そういわれても、オレは【錫杖】が誰なのか知りません」
「あなたは既に会っています。【錫杖】は……あっ」
 突如ジュリアは奇声をあげて目を覆った。早口の英語で何かつぶやく。苦しんでいる。「うあ……っ!!!」しゃがみこんで呻吟する。誰かを呼ぼうかとおろおろする間もなく、ジュリアは何事もなかったかのように立ち上がった。
「ジュリア、さん……?」
 そのとき返事をした「彼女」の顔と声を、オレは一生忘れることはできないだろう。
 悪意という悪意をそぎ落とした、純真な癲狂。
 髪の毛を抜くほどの痛みすら知らない無知という名の幸福。
 この世の全ての善意が詰まった逆パンドラの箱とでも言うべき、漂白されきった無垢な表情を浮かべて、「彼女」はにこにこと聞き返してきた。
「なあに?」
「…………大丈夫ですか?」
「へいき。もう痛いの無いの。ジュリアちゃんの痛いの飛んでったの」
「……じゃあ、【錫杖】のことなんですけど」
 戦前の広告で使われていたような、長い時間眺めていると背筋がぞわつく完璧な笑顔を向けられた。
「あたし知らない。ジュリアちゃん痛いの嫌い。だから知らない」
「しかし……」
「無駄ヨ。その子には、何を聞いても」
 後ろから割り込んできた声に振り返って……オレはとても奇妙なものを見た。大統領演説にでも行くかのような純白のワイシャツとベージュのスラックス。新品のポストのような真紅のネクタイ。金細工の小洒落たカフスボタン。その上に乗っかった、ローズの恵比須顔。
 TAD試験官を務めていたオカマさんである。初対面の印象が強すぎて、この人がまともな格好をしているのはなんだか違和感がある。デュエルディスクは装着していないが、KCの小さなバッジを胸につけていた。運営のアルバイトか何かだろう。
「ケーイ!」
 ジュリアの顔をした「彼女」が声を弾ませた。びっくりするほど短い歩幅でとてとて駆け寄って、ローズに抱きつく。
 次に出てきた言葉は英語だったが、なんとかオレでも理解できた。
「ケイ、遊んで!」
「ケイ?」とオレ。
「あ、アタシの本名。猿渡慧」
「ケイ、遊んで!」
「はいはい、ジュリアちゃん、それじゃあっちに行って遊びましょうネ」
 ローズの口から出てきた流暢な英語が、このとおりの意味だったかどうかは定かではないが、「彼女」がものすごく喜んだ声を上げたので、たぶんそんなところだろう。
 子供化したジュリアに半ば引きずられるようにしながら、ローズはオレのほうを振り返って、唇の動きだけで「しばらくしたら戻るから」と言い残し、どこかへ行ってしまった……タイミングよくローズが現れてくれて本当に助かった。「彼女」を放置するのは忍びないが、一緒にいるのはちょっと怖かった。
 ところで、“人形遣いのローズ”というくらいだから、やはりジュリアとはお人形遊びをするのだろうか。あのふたりが手に人形を持って遊んでいるところを思い浮かべると、ちょっとほほえましい気もする。
 本当ならもう少しジュリアに訊きたいことはあったのだが、それはしばらくお預けのようだ。オレは舌の上に用意していたさまざまな疑問を、頭の中の、「情報が足りなくてさっぱり」フォルダにしまいこんだ。
 ジュリアと出会って以来、このフォルダは重みを増す一方だ。ヨモツジキ、エックス、オレの持っているはずの千年アイテム、そして……どうしてオレには何の能力もないのか?
「ヨモツジキってのはつまり、エックスの能力を発動させるための鍵か何かか?」とひとりごちてみたが、「情報が足りなくてさっぱり」だった。フォルダを閉じ、螺旋階段のほうに向かった。亜理紗の様子を見に行くつもりだった。
 ムーアと目が合った。



☆アトガキ☆

 まずは何をおきましても、長期間の更新停止について、皆様、本当に申し訳ありませんでした。
 それでも待っていてくれた方々、本当にありがとうございます。こうして再開できたのは、間違いなく皆様のおかげです。読んでくれた方々すべてに、心から感謝いたします。

 遅ればせながらこんにちは、プラバンです。新しいパソ子ちゃんでこれを書いてます。名前はリンコ。女の子です。ネット契約をしたら一緒についてきました(それなんて萌え漫画?)。
 もちろん龍之介(前パソ)も健在です。そこ、パソコンに設定つける怪しい人間とか言わない。

 えー今回の話。すみません、第十話に引き続き、デュエルに入るまでの前置きが長いです。デュエルが終わってからも長いです。アトガキまで長いです。これ、本当にデュエル小説って呼んでいいの?

 以下、長いので箇条書きです。

 ◆声のアレについて。

 「いやいや、ねーよ!」と大半の人が言ったことと思います。
 言ってなかったら今ここで言っちゃいましょう。「これはねえだろ!」

 Q もちろんあとで納得のいく説明があるんだろうね?
 A ノーコメント

 ◆反則、およびルールすれすれの行為について。

 この小説は反則、およびそれに近い行為を推奨したり教唆するものではありません。実際のデュエルで可能だったとしても、実行しないでください。また、万が一この話からルールの穴をすりぬけるような何らかの着想を得たとしても、実行には移さないようお願いします。喧嘩になるだけです。損害をこうむってもプラバンは責任を持てません。

 デュエルは楽しむものです。ね、デュエリストの皆さん。

 ◆「生贄」召喚について。

 生贄がリリース、生贄召喚がアドバンス召喚に変更されました。チューナー、シンクロ召喚に合わせてカタカナに統一したのでしょうか。それともまさか、以前某所で言った、「親が聞いたら卒倒しそうな言葉(生け贄に捧げる)を子どもが簡単に使うようになってしまうのは、遊戯王の副作用」などということを本気で考えた親御さんがいたんでしょうか(無い無い)。はたまた転ばぬ先の、ってやつでしょうか(だとしたら怖いな)。
 なんにせよ、この話は原作準拠ですので、基本は「生贄」です。しかし、代名詞としてリリース・アドバンス召喚も使っていきたいと思います(アドバンス〜ってかっこいいですから)。どうぞよしなに。

 ◆要注意

 “YooTubee(ヨーチュービィ)”はフィクションであり、世界一有名な動画投稿サイトとは関係ありません。要注意。

 ◆オリカ

 今回はオリジナルカードがあります。原作でリシドが使ったカードです。ちょっとだけ原作より強化してあります。

 王家の神殿
 フィールド魔法 
 自分は1ターンに手札から2枚まで罠カードを出すことができる。

 ◆次回予告

 次回は番外編。亜理紗ちゃんの「はじめての相手がミドリでよかった(はーと)」物語を予定しています。なるべく早く書き上げますので、どうかチャンネルはそのままに。

 これからもどうぞよろしくお願いします。拝。


 ★ゲストデュエリストコーナー★

 今回登場したゲストデュエリスト、サトウは麦芽さん発案のキャラクターです。ご投稿ありがとうございました。

 サトウ君は中学2年生の14歳。身長が低く童顔。ちょっと自信なさげな「もじもじ」君で、その手のお姉さま方には好評のようです。ただ、本人はそのことにあんまり気づいてないご様子。環境によっては将来、大化けするかもしれません。
 一部、ちょっと設定を逸脱した言動が……申し訳ありません。精一杯愛したつもりですが、愛しすぎてはっちゃけちゃいました。

 彼の「すみません」は口癖というばかりではなく、パーミッション使いとして「許可します」「許可できません」ばかり言って相手に不快な気分にさせないよう、精一杯気を使っている証拠です。優しい子なのです。

 ちなみに……当初の予定では、彼の「すみません」は、ミドリをとことん追い詰める予定でした。「絶対に負けられない」と意気込みすぎたミドリは、サトウ君が「あっ、すみません」と謝るたびに、「自信のないふりをして何か隠しているんじゃないか」と疑心暗鬼に陥り、自滅していく、という……。
 しかし、書いてみて思いました。これは暗すぎる。デュエルはもっと楽しくあるべきだ、と。
 そうして練りなおした結果、あのようなデュエルになりました。
 楽しんでいただけたら、これ以上の幸せはありません。

 書き終えた後、サトウ君は礼儀正しくぺこりと頭を下げて、そしてあるべき場所へ帰っていきました。ありがとう。またいつか、どこかでお会いしましょう。


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