top 





ある男が神と話す機会を与えられた。
男は無限の秘密を問うた。
そのとたん、神は天から落ちてきた。

ある女が神と話す機会を与えられた。
女は永遠の秘密を問うた。
そのとたん、神は年老いて死んでしまった。


『アメス=ネフェリのパピルス』より。第十八王朝。
1922年ヘルモポリス・マグナ発掘。現在は消失。





第二部 ゲーム編

第十話 始者(シシャ)



 もし「それ」がなければ、オレが見た新宿駅南口からの風景は、ごく当たり前の都会の一コマだったに違いない。タクシーで渋滞した道路と、横断歩道の手前の雑踏。外資系企業のM&Aを受けてマスコミを騒がせている証券会社、江戸時代から続く呉服屋の末裔たるデパート。雑居ビルの屋上からは、都の条例によって定められた大きさの立体広告が、まるでビルの妄想のように浮かびあがっている。ハリウッド映画に出演した俳優、清涼飲料水を飲み干す女、安心の生命保険、NPO団体の難民保護活動、あらゆる新発売、新登場、新製品……。けばけばしいそれらの広告群は、シュールレアリスム派の画家の手で描き足されたような「それ」のおかげで、まるで軽快なテーマパークの一部であるかのような印象を、見るものに与えていた。
 それの名前は海馬タワー21という、円錐形に近いオフィスビルである。竣工はまだ先だが、来春からKCの新しい本社ビルとして使われることが予定されている。高さ332メートル、地上99階。天を突き刺す針のように細い頭頂部に対し、下半身は地上に近くなればなるほど広がりをみせ、地上付近でくるりとカーブする。ちょうど一本足の巨人が、丈の足りないブーツカットジーンズを穿いているようなありさまだ。ところどころで目の錯覚を利用したり、奇妙なねじれのある側面には、さまざまなM&Wのモンスターたちが張り付き、あるいは周辺を飛び回っている――外壁に片手でぶら下がった『邪悪なるワーム・ビースト』が窓を割って侵入する気配を見せると、すかさず『砦を守る翼竜』が飛び上がって火球をぶつける――そうした寸劇があちこちで繰り広げられていて、見ている人を飽きさせない。
 中に入ると、アトラクション色の強かった外装に反して、内装は落ち着いたものだった。映画館や劇場のように、まずロビーがあり、奥へと続く扉がある。横長のロビーには趣味の良い風景画や観賞植物がぽつぽつと設えられていた。落成式でもないのに花輪や花束も飾られている。送り主はほとんどがどこかの大学のM&W学部だったが、いくつか高校からのものもあった。しばらく眺めたあと、オレは受付に向かった。
「お手持ちのカードはすべてお預かりいたします」
 カードに細工していないかチェックするのだろうと思って渡したら、唇の角度まで社則で定められているような笑顔を浮べた受付嬢は辞書のようなケースを取り出し、デッキをしまいこんで鍵をかけてしまった。疑問の声をはさむ余地もない早業だ。さらに長いコイルのような、筋肉養成ギプスのバネ部分のようなものをマイクのようにしてオレに向けて、
「――と言ってください」
「は?」
「――です」
 異国の呪文のようなわけのわからない言葉をいくつか言わされたのち、さらに腕時計、携帯電話などいくつかの持ち込み禁止品を預け、身包みはがされて(服は着ていたが)エントランスホールの扉を開けた。風が流れ込んできた。
 五百人は楽に収容できそうなスペースに、百を超えるデュエリストがたむろしていた。入り口近くにいた数人と眼が合ったが、すぐに視線をそらされた。全員オレと同じ、竜型の腕輪を嵌めている。デッキと引き換えに受付で渡された。自らの尻尾を呑み込まんとしている、白竜の細いブレスレットだ。ウロボロス。尾を噛む竜は永劫回帰の象徴であり、その起源はエジプトの古い神だとも言われている。これが新型のデュエルディスクらしいが、カードを一枚乗せる場所があるかどうかも疑わしい。それ以前に、デッキもなしにどうやってデュエルするのだろう。
 ホールをすこし歩きまわった。入ってきた扉から見て、右手には南国を演出した見事なアトリウム、左手には小芝居くらいならできそうなステージがある。天井は吹き抜けになっており、音が反響しないように工夫されていた。見上げたオレは、この建物の構造をほんの少しだけ理解した。一階は外側にロビー、内側に大ホールだが、二階以降は内側にロビー、外側がオフィスになっている。吹き抜けはただの穴ではなく、エレベーターと螺旋階段のためのスペースでもある。つまり、このビルが巨大なバウムクーヘンだとすれば、中央の穴の部分を通って上下に移動するつくりになっているのだ。
 ホール中央まで足を運ぶと、オレが三人ほど手をつないでやっと抱えきれるサイズの、堂々とした竜の彫刻がこちらを見下ろしていた。青眼の白竜、と銘打ってあるが、本物にはない陰影の深さが、なめらかなフォルムに荒々しさを加味している。一流の彫金師が彫ったもので、その制作費は「本物の」青眼の白竜に勝るとも劣らないという。さすがはゲーム業界を二分する大企業の本社ビル(予定)というべきか。
 彫刻のすぐ上には、『第一回東京国際デュエルトーナメント』の垂れ幕が下がっている。その下に小さく朱色で書かれた開始時刻まで、あと30分。
 日本中の精鋭を集めたデュエル大会が、始まろうとしていた。

 すべての経緯を詳しく語ろうとすると、話は数千年前のエジプトに飛ばなくてはならない。なぜそうなるのか、と訊かれても困る。オレだって知りたいのだ。なんでオレみたいな平凡な高校生がこんなことに巻き込まれてしまったのか。
 むかしむかし――神と同列に魔術が信じられていた時代、エジプトではさまざまな魔術や儀式が行われていた。魔術といってもそこいらのファンタジーに登場するような、呪文を唱えて物理法則を引っ込める類のものではない。むしろ魔術とは教養であり、政治だった。決して万能ではなく、代償が必要なものもあった。それは時に、人の命すら欲した。
 いにしえのヒエログリフは語る。いっとき亡国の危機に瀕し、国は力を求めた。魔術だけがそれを可能にした。力の代償は、99名の盗賊の命。犠牲は払われ、そうしてこの世に力と、それを制御するための道具が生まれた。力は三幻神と呼ばれ、道具は千年アイテムと呼ばれた。
 三幻神と千年アイテムは数千年の時を越え、今から三年前、ようやく元の世界に返されることになる。返還した人物は、初代決闘王といえばご存知の方も多かろう。委細は知らないが、ともかく彼は神が宿った三枚のカードと、千年アイテムをすべて集めて冥界に送り返したらしい。こうして一件は落着、めでたしめでたし……とは、ならなかった。
 シャム神のカードを作ってしまったことにより、神と千年アイテムは不完全ながら復活する。三幻神の力は三枚のシャム神カードに宿り、それに呼応するように千年アイテムは人の身体に憑依した。アイテムがもともと、人間の身体をベースに造られていたことを思えば、決して不思議な話ではない。
 そうして選ばれた人間こそ、エックス――千年アイテムに選ばれたデュエリスト――なのだとジュリアは語る。
 エックスはデュエルに負けない。エックスは複数存在するので、エックス以外とのデュエルでは負けない、といったほうが正確か。オレの知っているエックスは全部で四名。亜理紗とジュリア、直接会ったことはないがムーアという男、そして美作ミドリ……オレ自身だ。千年アイテムは七つある。
 いっぽうエックスの力を知ったKCとI2社は、その力を利用することを思いついた。それぞれが日米のゲーム業界のトップに君臨する大企業だが、惜しむらくは二社の関係が犬と猿のそれだった。彼らがいろいろ工作した結果、オレはI2社に、亜理紗はKCに取り込まれてしまった。オレたちは互いが相手とは知らぬままデュエルに臨み、そしてオレが勝った。
 とはいえ、勝たせてもらったといっても過言ではない。その前に何十回となく負けている。たまたま白星をあげられた一回が、あのエキシビジョンマッチだっただけだ。
 しかしI2社はまぐれだろうとなんだろうと、史上初めて亜理紗に土をつけたデュエリストを手放すつもりはなく、オレはI2社の社員であるジュリアの専属デュエリストになるという契約を交わしたのだった(両親とアキラには夏休みの間だけのアルバイトと説明した)。実質はI2社の専属も同じである。直接契約しないのは、オレが未成年だから手続きが面倒なのと聞かされた。プロでもない人間を専属にすると株主がいい顔をしないからだとも。(「デュエルに絶対に負けない」非常識な存在であるオレたちは、公式には存在しないことになっているのだ、今はまだ)
 亜理紗のほうも状況は同じらしい。KCは一度敗れたとはいえ、長い間無敗を誇った亜理紗を手放す気はさらさらなく、引き続きKC社員の専属デュエリストとして続投だという。ただし契約更新の際、一つだけ条件が付け加えられた。
「ミドリくーん! こっちこっち」
 名前を呼ばれて顔を上げると、手を挙げている人物と目があった。薄い紺のスーツを着こなした、薄化粧の佳人。杖というより長いスティックを持った少女の片手を引いている。痛いほどの視線を浴びながら、そちらに駆け寄った。
「おはよう、ミドリ君」「おはようございます」「ミドリ、おはよう」「おはよう、亜理紗」
 ナナ、亜理紗の順に一通り挨拶を交わして、パステル調のカーディガンを羽織った彼女の左手を取った。照れくささは感じなかった。あのエキシビジョンマッチから一ヶ月、眼の見えない彼女をエスコートするのも、少しは上達している。
「いよいよミドリとデュエルできるね」
「いよいよ亜理紗とデュエルできるな」
 そんな会話を交わしながら、手近な場所に彼女を座らせる。
 亜理紗に付け加えられた条件とは、「KCの許可なく(オレと)デュエルしないこと」。ふたたびオレと闘って、無敗伝説に傷を増やされては困るからだろう。オレと会うときは常にナナの監視がついていた――ナナというのはいま亜理紗の隣に座った女性だ。本名、村瀬ナナ。アルバイトとしてTAD試験官をしていたが、この一ヶ月の間に正式なKC社員として採用されたらしい。何を隠そう、亜理紗と契約を交わしたKC社員というのは彼女のことだったりする。ただし、羽住病院の看護師としての肩書きも引き続き持っている。いちおう事情は話してくれたが、社会に出たことのないオレにはいまいちぴんとこない話だった。
「……というわけで、亜理紗さんのお世話をできる人間がいなくなっちゃったのよ。それで急に、M&Wに詳しくて、眼の見えない方のお世話をした経験があって、I2社と一切関係ない女性、って人材が必要になったわけ。で、その条件にヒットするのがたまたま私だけだったのね。でも、KC社員でもない私に亜理紗さんを任せるわけにはいかないじゃない? 私は私で看護師の仕事を辞める気はなかったしね。それで形だけKCの医療チームの一員ってことで採用して、そのまま羽住病院に出向ってことになったの。うちの病院、KCの系列ってわけでもないけど、医療機器とかは結構依存してるし、出資者の一人が日本決闘協会のお偉いさんだから。ほら、ミドリ君の高校の理事長もやってるあのお爺さん」
 他人が見れば、並んだ二人は似ていない姉妹に見えたかもしれない。くるくる表情を変えて姉に話しかける明るい妹と、無表情ながらも整った眉目でそれに答える思慮深い姉と。しかし、よく観察してみるとわかるが、亜理紗に対するナナの言動はどこか距離を置いている。今日に限ったことではなく、最近はずっとそうだ。
 嫌われているわけではないと思う。本来ならオレと亜理紗はライバル会社の手先同士、ロミオとジュリエットの如く、面会など望むべくもないはずだった。だのに無理を言って週二の面会を認めさせたのがナナだ。彼女には感謝してもしきれない。
「お、美作」
「おいーっす、ご両人、調子はどう?」
 挨拶と同時に肩に手が置かれた。振り返ると、溜息をつくほど美しい少年と、溜息が出るほど美しい少女が揃っていた。百目鬼武士と蓬莱天音だ。百目鬼は縞模様の洒落た解禁シャツにホワイトジーンズという格好で、片手をジーンズのポケットに突っ込み、もう片方の手には枕でも入りそうな大きな紙袋を二つ提げていた。いっぽう天音はイルカの背を思わせる真っ黒なTシャツに膝から下を切り落としたジーンズ、腰にネルシャツを巻いて、小さなポーチを提げている。
「珍しいな。私服か」
 と見たままの感想を述べると、
「これから着替えるの。お手洗いどこ?」
 天音は視線で百目鬼の荷物を指した。いつものコスプレ衣装が入っているらしい。
「あっちよ。コインロッカーもそばに」
 オレの代わりにナナが答えると、百目鬼は礼を言ってから、
「――ところで美作、アキラ君も参加してるのか?」
「アキラ? 今頃家にいるはずだけど」
 三つ年下の弟だ。オレがこの大会に出ると知ってどうしても付いていくとだだをこねていたが、両親はそろって首を横に振った。
「ほらね、やっぱり」と天音。「あのね、さっき紙袋をぶつけちゃった人が、ちょっとアキラ君に似てたんだ。背もちょうど同じくらいで。でも別の人と一緒だったし、ちらっとこっちを見たけど何も言わなかったから」
 やっぱり人違いだったね、と天音は結んだ。百目鬼は神妙な顔で頷いて、
「世の中には同じ顔をした奴が三人いるらしいからな」
「そうなの? 日本では三人なんだ」
「ああ。もともとは古い民話でな、ある木こりがあやまって妻を池につき落としたところ、池の女神が現れてあなたの奥さんはこの10歳の幼な妻ですかそれともこの16歳の若妻ですかと訊くからいいえ私が愛しているのは30歳の古女房ですと答えたら、あなたは正直者ですからみんなあげましょうと三人の妻を娶ることになって、それぞれの間に生まれた子供が三人とも同じ顔をしていたらしい。木こりがそのことを喋ったら真似をする奴が続出してな。それ以来世の中には同じ顔をしたやつが三人いるといわれるようになった」
「へえ――ってソレ、本当の話?」
「いま作った」
 からかわれたことに気付いて花貌を紅潮させる天音は帰国子女だ。小学校の半ばで渡米し、高校になって日本に帰ってきたため、ときどき常識中の常識を知らないことがある。亜理紗も似たような環境だが、彼女の場合は外国生まれの外国育ちなので厳密には帰国子女ではない。初来日は高校に入る少し前だったらしい。
 間もなく運営側が開会式の準備を始めたので、美形カップルとはいったん別れ、オレたちは部屋の隅に移動した。人がどっと動いたとき、亜理紗が巻き込まれないようにするためだ。ホールを埋め尽くす人間はかなり増えてきていた。
 国際デュエルトーナメントは、実力のあるアマチュアをプロデビューさせることを目的とした大会のなかでは最大規模のものである。ニューヨークで始まりロンドンに飛び火し、今年からはここ東京でも行われることになった。優勝者には賞金と二年間のスポンサー契約、およびプロ大会への参加資格が与えられる。当然、出場資格は厳しい。最低でも地方の公式大会の準優勝クラスでないと書類選考で落とされる。アキラも出たがっていたが、出場資格がないと知って涙を呑んで諦めた。
 ――それに、たとえ出場できたとして、アキラじゃ一回戦も突破できるかどうか。
 アキラだけではない。これだけいる参加者のうち、何人が気付いているだろう。
 この大会は通常の大会のように、デュエルの強さを見るだけではない。カードが強いことは前提。運があることも前提。そのうえで、さらに人前に出てデュエルできるほどのプラスアルファがあるかないか、それが主催側の見たがっているものなのだ。
 そう。ある意味では、第一回戦は既にあのときから始まっていた。一ヶ月前、亜理紗と再会したあの夏の日から――

   ***

 あのエキシビジョンマッチから、亜理紗と再会するのに三日かかった。病院の側の公園にナナと一緒に現れた亜理紗は、前より少しだけ痩せていて、少しだけ親しげだった。オレに会うなり「ゴメン!」と頭を下げてから、「ほら、ミドリも謝ってよ。それで全部水に流そ?」と言った。デュエル場で謝り合ったことはノーカウントらしい。後に彼女が語ったところによると、デュエリストにとってデュエルフィールドは、勝つためなら嘘をついてもいい場所だから、ということらしい。デュエルとは関係のない場所でもう一度謝りたかった、と。オレは素直に彼女の言うとおりにし、そうしてオレたちは許しあった。
「ねえ、ミドリも東京トーナメントに出るよね?」
「もちろん。亜理紗も出るんだろ?」
 近くの喫茶店、などと洒落たものがなかったのでファミリーレストランに腰を下ろし、オレたちはこれからの闘いについて話し合った。
 明確な言葉を交し合ったわけではないが、オレたちは互いをライバルと認めている。デュエリストにとって一番の望みは何か? それはプロになってデュエルの頂点を極めることでも、名誉や称号を得ることでもない。生涯をかけて認め合えるライバルに出会うことだ。実力が近いとかそういうレベルの話ではない。たとえるなら、デュエルをしながら、相手がまるで自分の一部であるように感じる瞬間がある。そういうときは相手も同じように思ってくれていて、口に出さないでもお互いにそれがわかる。あとで確認してみると、やっぱり相手も同じように感じてくれていた――オレにとって亜理紗とはそういう存在なのだ。
 ライバルとしての感情は恋心とは離れた場所でオレの心に根を張り、一種の敬愛のようなものとして大きく成長していた。大きすぎてオレの心を覆ってしまい、時々分からなくなることがある。オレはデュエリストとして亜理紗が好きなのか、それとも女性として好きなのか? 尊敬と恋心の区別を明確にできるほど、誰かに恋した経験はなかった。
 オレの葛藤をよそに、亜理紗はオレともう一度デュエルできることが、嬉しくてしかたないと全身で主張していた。もちろんそれはオレも同様だった。たとえ裏にどんな事情があろうと。
 オレたちの闘いがなぜ許されるのか? それは、この大会でKCは亜理紗を、I2社はオレをプロデビューさせるのが目的だからだ。オレたちのデュエルは二社にとっても必然である。ジュリア曰く、それはヒーローを復活させる為らしい。耳朶にジュリアと交わした会話が蘇る。

 ――M&Wには昔、四人のヒーローがいまシた。しかし、初代決闘王は千年アイテムを返還。海馬瀬人は多忙、ペガサス、キースはもういない。唯一の希望だった五代目決闘王も、ヒーローになる前に早すぎる死を迎えました。以来、KCとI2社のつまらない意地の張り合いもあって、M&Wの人気は右肩下がりです。時代は新たなヒーローの存在を欲している。誰もがアこがれる、無敗のデュエリストを。
 ――それで、エックスを?
 ――そう。かつてのヒーローたちがそうでアったように、無敗伝説は人を魅了シます。I2社はあなたを、KCは亜理紗さんを、それぞれヒーローに仕立て上げるつもリです。あるいはスーパーアイドル、ハリウッドスター、人気スポーツ選手……ともかく、そのようなカリスマ的存在にです。スターを味方にシた陣営は、広告、デュエル、イメージ、スポンサーなど、あらゆる面で優位に立てます。そうなれば、ゲーム業界の勢力図は確実に上書キされるでショう。

 そのシナリオの嚆矢となるのが、東京のデビュー戦だ。オレと亜理紗の再戦は、そのままI2社とKCの代理戦争でもある。
 しかし、彼らの計画が綿密な歯車であれば、オレとジュリアはそこに紛れ込んだ小石だった。面従腹背。オレは亜理紗とデュエルするために、ジュリアは会社の命令には逆らえないため表向きは従ってはいるが、いずれ、と考えている。七つの千年アイテムを集め――7人のエックスの意志を意志を統一し、三枚の神のカードを手に入れれば、エックスの力は送り返すことが可能なのだ。そうなればI2社もKCもオレたちに構う理由はなくなる。ジュリアはデュエリストの任から解放され、オレはまた亜理紗といつでもデュエルできるようになる。
 障害は、三つある。
「あたし、東京に行くの初めてなんです。ナナさんは?」
「私はまあ、それなりに何度か」
 談笑する亜理紗とナナを眺めながら、オレは無意識にストローでコップを叩いていた。
 障害その1。エックスの力を封印する方法が曖昧すぎる。初代決闘王がアイテムを返還した方法をそのまま再現するというが、本当にそれでうまくいくのだろうか? そもそもエックスの力は本当に千年アイテムの力なんだろうか? ……まあ、この辺はオレが心配しても仕方ない話ではあるのだが。
 障害その2。封印を再現するには、3枚のシャム神のカードと七つの千年アイテムを集めなくてはならない。繰り返しになるが、現代の千年アイテムはエックスとイコールで繋がっている。それらを蒐集するということは、犯罪者になりたくなければ彼ら彼女らを説得して協力してもらう必要があるということだ。残り2枚の居所が分かっていないシャム神のカードも同じ。ジュリアは彼らを説得できるのか……? とまあ、これもオレが気をもむことではないといえばそうだ。
 障害その3。仮に障害その1と2をクリアできたとしよう。残りの、居場所すら分かっていない3人のエックスはみなラテンの血が流れていて、「怪しすぎるけどその便利な能力を棄てるために協力して」「オッケー人類みな兄弟だから問題ナッシング」ってな流れになったとしよう。それでも、まだ一番大きな問題が残っている。
 最大の難関は、亜理紗だった。
 ナナが店の外に出て携帯電話で話し始めた隙を見計らって、「この前の話の続きをしてもいい?」と話を切り出すと、亜理紗はわかっていたという風にうなずいて、
「一年半くらい前かな……ジュリアさんとデュエルしたとき、アイテムの封印の話を聞かされたの。たぶん、ミドリがされたのと同じ話を」
 亜理紗は懐かしむように視線を上にあげた。その動きは晴眼者のそれとまったく同じで、オレはどうして彼女が盲目にならなければならなかったのかと運命を恨んだ。
「……でも、あたしはこのチカラを棄てられない。目の事があるからじゃないの。むしろこのことに気づいた最初の頃はね、こんなチカラないほうがいいって思ってた。いっそ全部奪ってくれれば諦めもついたのに、中途半端に残らないでよ、って……でも、今は違う」
 このチカラでプロになるの。ならなくちゃいけないの、と亜理紗は熱っぽく語った。
「チカラが、ほかのデュエリストから見れば卑怯なものだってことは分かってる。KCがあたしをデュエリストとしてっていうより、お金儲けの為の、見世物みたいにしようとしてるってことも知ってる。それでもあたしは、このチカラでプロになりたい……」
 あたしね、病気だったの。と亜理紗は語った。13のとき。命にかかわる病気。望みなんかなかった。あたしと同じ病気の人は誰一人助からなかった。あたしも死ぬはずだった。でもある人に救われた。チカラを持った人だった。シャム神のカードをくれた人。そのあとすぐに死んじゃったけど、発作が起きて、本当に最期のときにね、その人に会う夢を見たの。
「だから病気が治って、チカラに気づいたとき思った。ああ、あの人にチカラを貰ったから、あたしは生きてこられたんだって」
 見えない眼で亜理紗はオレを正視した。受け継いだチカラで、しっかりとオレの目を捉えて、
「――これが、あたしがこのチカラを否定したくない理由」
 亜理紗の言う人物には心当たりがあった。未来を予知するチカラ。シャム神を手に入れた男。ヒーローになる前に、早すぎる死を迎えた、五番目の決闘王。
 亜理紗はかたわらに置いていたデッキを崩し、迷うことなく一枚のカードを引き抜いて見せた。
「あたしはこのカードと一緒に、その人の意志も継いだと思ってる。……見て、エキシマッチのあと、気が付いたらこうなっていたの」
 不思議なデザインをしていた。上半分と下半分がまったく別のカードになっている。境目は特殊加工してあるかのようにキラキラと光っていて、しかもほんの僅かずつだが動いているように見える。上半分の枠は罠カードよりもさらに赤く、しかも十ツ星のモンスターカードだ。逆に下半分は……忘れもしない、『ウリア』のテキストだった。
「……まさか、このカードは」
 彼女は首肯して、慎重に言葉を紡いだ。

「ミドリが考えている通り、『ウリア』のカードは変化しつつある。……シャム神『ウリア』から神『オシリス』に。あのエキシマッチを境に、神とアイテムのチカラが完全に復活しつつあるの」

 日本で言う魂や霊魂といったものが、古代エジプトではカーとバーにあたる。カーとは神から与えられた本質であり、生き物のみならずすべての物質に等しく存在する。バーは人格とか性格、魂といったもので、肉体的特徴以外のその人の個性だ。それは人間を生かすもの、生きている証拠であり、呼吸のことだ。さらにいえば、死後は鳥となってあの世に飛んでいく。どれがバーの正体か、と訊かれても困る。バーはさまざまに変化するものであり、古代エジプト人は、人の命をそういう風に捉えていた、としか言いようがない。とまれ、彼らはカーに肉体とバーがくっついている状態を生きている人間だと考えていた。死ぬと肉体は滅ぶが、バーは冥界と現世を行き来するようになる。カーはこの世にとどまる。このとき現世によりしろがあれば、カーとバーが再びくっつき、アクという不滅の肉体ができる。そう考えて死体を保存したのが、ミイラのおこりだ(ただし時代が下るにしたがって、ミイラは復活しないことがエジプト人にもわかってきた。そこでミイラの役割は、夜、バーが神々の世界から帰ってきたときの現世のベッドとなり、カーはバーを来世へと導くための精霊っぽいものと解釈されるようになった)。
 この思想にのっとって考えれば、I2社が神に似せて作ったシャム神のカードは、現世でのよりしろの役割を果たしたと考えられる。この世をさまよっていた神のカーとバーを呼び寄せ、アクの入れ物となったのだ。そして徐々に力をつけ、ついにはシャム神のカードを上書きしつつあるところにまで至った。神のカードが強まれば、それを制御する千年アイテムのチカラも呼応して強まる。
「あの日から、自分でもチカラがどんどん強まっていくのがわかるの。前ほど集中しなくてもカードが見えるようになってきてる」
 と亜理紗は無邪気に顔をほころばせたが、オレはもろ手を挙げての賛成はしかねた。伝承を信じるなら、もともとは戦争の為に作られたチカラだ。なんだかこのまま亜理紗がどんどん遠い存在になっていくような気がして、気が気でなかった。
 ナナが戻ってきて、いったん話は打ち切られた。
「あら、ぜんぜん進んでないじゃない。ミドリ君、わからないところでもあるの?」
「いえ――ただ、デッキ名が思いつかなくて」
 ボールペンを持ち直し、書類作成に戻る。向かいに座ったナナも同じ作業を始めた。第1回東京国際デュエルトーナメント開催要項、と赤で銘打たれた書類をときどき見直しながら、申請書の必要事項を埋めていく。ナナが書いているのは、亜理紗の申請書だった。この作業が終われば、いよいよオレと亜理紗は来るべき闘いに一歩を踏み出すことになる――。

   ***

 第1回東京国際デュエルトーナメント開催要項(クリックしてください)
 同申請書(A・Bのみ)

   ***

「えー、本日はお日柄もよく、これほど多数のデュエリストにご参加頂いたことは喜ばしい限りでありまして――」
 やがてフロアいっぱいにデュエリストが集結し、開会式が始まった。恒例の冗長な開会宣言を聞いているのは運営側の、それもある程度年のいった人間ばかり。さらに別のお偉いさんの挨拶やら「ここで開催に尽力いただいたなんとかさんからお言葉を賜り――」やら祝辞やらが延々と続き、会場全体が卒業式の練習にも似た、あくびをかみ殺しているような空気になってきたとき、ようやく挨拶ラッシュが終わってルール説明が始まった。要点だけを述べると、以下のようになる。
 一回戦はビルの一階から六階までを使って行われる。一階は大ホールであり、どこでデュエルするも自由。二階は細かくスペースが区切られていて、一階よりは少ない観客でデュエルできる。医務室もここにある。三階はデュエルチャット専用のパソコンルーム。相手と顔を合わせずにデュエルを楽しめる。六回は休憩室・展望室と食堂。基本的にここでデュエルはできない。デュエル本部は一階と三階、六階に設置されている。七階より上は立ち入り禁止。移動手段は中央と四隅に設置されたエレベーターと、吹き抜けを貫く二対の螺旋階段。および東西南北の非常階段。健常者はなるべく階段を使うこと。また各階にはスタッフが常に数名待機している。緊急の場合を除き、建物から出たら失格。
「さて、デュエルは皆さんが手首に巻いておられる、この新型デュエルディスクを使っていただきます」
 亜理紗を除き、その場にいたほとんどの人間が、小ステージの上に立った司会者の左手首に注目した。銀色の、自分の尾を噛む竜のブレスレッド。カード一枚を置くスペースはおろか、墓地も、デッキを固定できるような場所もない。本当にこんなものでデュエルできるのか?
「このデュエルディスクには、従来の音声認識システムに加え、声紋認識システムも備えてあります。登録したご本人が、登録したデュエルネームを口にすることで起動します。実際にやってみせましょう」
 司会者は左手をやや持ち上げて、声を大にして「ショー・ダウン!」と叫んだ。その瞬間、竜の腕輪に命が吹き込まれる。小動物の俊敏さでしゅるりと手の甲に這い上がり、細身のボディからは信じられないような劇的な変化が始まった。胴体部分からは、ちょうどカードを5枚置けるくらいの長さの、白銀の翼膜が腕の外側に向かって張りだす。尻尾は蔦のようにひじの関節から二の腕に向かって絡まり、プラチナ色の胴体は腕に密着した。鋭い牙と角を持った頭部は手の甲に乗り、指先に向かってまさに咆哮せんといった形で固まる。最期に、竜の額から4000というホログラムが浮かび上がった。まるでエンデの童話に出てくる、星座の名を冠する亀のように。
 物理法則を完全に無視した変身は、圧巻の一言に尽きた。聴衆のざわめきがしばらく聞こえなかったほどだ。一体どんな手品を使ったのだ?
「手品ではありません。このデュエルディスクはソリッドビジョンです。ほら」司会者は手を何度かすり抜けさせてみせる。水に浮かんだ月のように、手は空を切って決して捕まえることはできなかった。
「このデュエルディスクはKCの次世代デュエルサーバーとリンクしており、皆さんはある手順を踏むことで、ご自分のデッキをダウンロードできます。もちろんデッキもソリッドビジョンですが、内容はあらかじめ登録いただいたデッキと変わりませんし、カードに触ることもできます。実際は『触っているように感じる』だけですが」
 声紋認識システムのおかげで、たとえ同じデュエルネーム、同じデッキ名を使うデュエリストが複数いたとしても、声で判別されるため混乱は起こらないそうだ。
 基本的にこのデュエルディスクを使わないデュエルは全て無効。ただし例外はあって、二階の個室にはTADカードが用意されている。名前以外効果もイラストも書かれていない無味のカードだ。それらを使って自分のデッキを組むことは可能。
「さて、デュエルディスクの操作方法ですが、基本的にはこれまでのデュエルディスクと大差ありません。ただ、デュエルとは関係ありませんが、タディの方のみ、いくつか特典を受けられます――」
 説明はまだまだ続いているが、なんとなく主催者の意図が見えてきた。こうした大規模な大会で、運営側がもっとも腐心するのがデッキの安全の確保だという。カードの盗難は後を絶たないし、この大会ではアンティデュエルを採用しているため、カードの譲渡でトラブルが起こる可能性も大きい。
 そこで考えられたのが今回の方法だ。受付で出場者のデッキを全て回収し、デュエルには擬似カードを使う。運営側はデュエルの結果に従ってカードのオウナーシップを移動させたあと、デッキを返還する。この方法なら、すくなくともカードに関する限りはトラブルはぐっと減るだろう。
「――ロゥタディの特典については、以上になります。続いて一回戦のルール説明に参ります。これは重要ですから、よく聞いてください」
 司会者の声が重くなると、会場にぴりぴりとした緊張が走った。
「第一回戦はフリーデュエル形式です。時間の許す限り、どこでどなたとデュエルしていただいてもかまいません。敗北しても失格になることはありません。ただし――」
 そこで一呼吸入れて、会場を老獪な眼差しで見渡した。

「――ただし、一回戦には十二のルールが存在します」

 壇上の司会者は続ける。
「そのうち六つを表ルール、残りの六つを裏ルールとします。一回戦開始時点で皆様に公開されるのは、表ルールのみです。裏ルールは公開されません」
 沸騰したお湯に無理やり蓋をしたように、押さえ切れないひそひそ声があちこちから噴き出す。
「裏ルールを見る方法は一つです。それはデュエルに敗北すること。デュエルに敗北するたび、ランダムに選ばれた裏ルールが一つ、そのプレイヤーのデュエルディスクに表示されるようになっています。ただし、どのルールが表示されるかは運しだい。三回敗北しても、三回とも同じルールが表示されることがありますので、ご注意ください……」
 まるで謎かけをするような口調だった。それで確信する。裏ルールを『見る』方法は一つだが、『知る』方法は別にある。
「さて、二回戦に出場する条件は三つあります。一度しか言わないのでよく聞いてください。出場者の皆さんには、使用するデッキにあわせて、目標勝利回数(ゴール・ナンバー)が設定されています。最も使用者の多いデッキタイプには多く、マイナーなデッキは少なく。たとえば会場の90パーセントがロックバーンを使っていたとしましょう。すると、ロックバーンの使用者はより多く勝たねばならず、逆に他のデッキタイプの人間は、少ない勝利回数で済む、というわけです。回数については、あとでデュエルディスクで確認してください。一つ目の条件は、いいですか、この目標勝利回数を達成したデュエルディスクを所有することです」
 漣のような細かなざわめきは、いつしか寄せては返す大波に変わっていた。それを遮って大声が響く。
「残り二つの条件は、皆様のご賢察にお任せします。この二つの条件を見破り、満たしたデュエリストのみが、二回戦に駒を進めることができるのです。ルールの範囲内なら、どんなデュエルをしていただいても結構ですので……。なお、万一別のデュエルディスクが必要になった場合は、本部までお越しください。予備のデュエルディスクをご用意してございます」
 薄い笑いを浮かべたように見えた。クイズの出題者特有の、期待と意地悪が入り混じったにやにや顔。
「さて、最後になりましたが、こちらをご覧ください」
 そういって、司会者は紅白二つの箱を用意させた。大会最初のデュエルは運営側が指定するという。箱の中から無作為にデュエリストを二人選び、そののちデュエルする場所を指定する。選ばれたデュエリストは、速やかに指定された場所に行き、デュエルを開始すること。
「なるほど、これもヒントの一部か」
 隣の百目鬼(もちろんブラックマジシャンのコスプレ姿)が笑う。オレも同じ意見だった。あたりを見回すと、自分が選ばれるのではないかと浮ついているプレイヤーもいれば、オレたちと同じように、運営側の意図に気付いて笑みを浮かべているデュエリストもいた。既に何人かは階段のほうに向かって歩き始めている。
「オレたちも行こうか」
 どこへ? と訊き返す人間は、さいわいオレたちの中にはいなかった。
 オレが亜理紗の手を掴んだのと同時に、司会者は白い箱から勢いよく紙を抜き取り、威勢のいい声を張り上げる。
「一人目は――デュエリストナンバー22、『サトウ』! 繰り返します、デュエリストナンバー22、『サトウ』!」
「えっ……ぼ、ぼく!?」
 小さな声を上げたのは、すぐ近くで不安そうな顔を浮かべていた少年だった。
「続いて二人目を発表します――」
 司会者の腕が紅い箱に突っ込まれる。二人目のデュエリストが呼ばれたとき、オレたちは既にホール中央の竜の像の前に揃って腰掛けていた。
 わざわざ最初のデュエルを指定したのは、出場者に平等にデュエルを見せる機会を設けるため。だから大勢で観戦できない二階の個室、三階のチャットは却下される。四、五階のデュエルリングだとデュエルディスクとソリッドビジョンシステムを接続する必要があるため、デュエルリングを使わない人間にとっては説明の意味がないし、大勢の人間が四階まで移動するには時間がかかる。よって場所はここ、一階大ホールの中央ということになる。
 視線を感じて見上げると、螺旋階段に腰掛けていた数人と目があった。彼らもそのことに気付き、一足先に俯瞰からの視点を獲得した連中のようだ。
 そう、これは大会最初のデュエルであると同時に、ルール説明の延長である。公平に選ばれているように見えて、あの箱の中には限られたデュエリストの名前しか入っていないに違いない。
 やがて二人のデュエリストが到着し、いくつかの説明を受けたあと、互いに距離をとって対峙する。
 先に動いたのは、サトウと呼ばれたデュエリストだった。
「さ、サトウより“コール”します! 『パーミッション』! えっと、よろしくお願いします」
 二人目のデュエリストは、後ろで束ねた量の多い黒髪をかきあげ、変わったフレームの眼鏡の奥から鋭い視線を光らせる。
「辛党の僕とは相性が悪そうな名前だ。ふふ、ミレニアム眼鏡に誓って、ババネロカレーよりも辛いデュエルを見せてあげるよ……紫苑より“コール”! 『パワー罠』!」
 デュエルネームを合図に、デュエルディスクが起動。さらにデッキ名を“呼び出す”ことでサーバから検索し、持ち主の声と照合、デッキをダウンロードする。そして――

 


















 

 決闘盤の口からデッキが吐き出され、デュエルが始まった。二人同時に5枚の手札を引く。ソリッドビジョンでありながら触れられる、というのは本当のようだ。
 サトウの先攻。
「ドローします。カードを二枚伏せ、『豊穣のアルテミス』を召喚。エンドです」
 それが合図だった。
 それまでの静寂が嘘のように、次々と観客が列を離れていく。事情のわからない人間が見れば、彼らは皆知り合いに見えただろう。彼らは一人の例外もなく、まるで挨拶でもするように、お互いの顔を確認しあいながら列を離れていったのだから。
 突如、階段から調子っぱずれの笑い声が響いた。
「ハ――ハッハッハ!! いま列を抜けようとしている諸君!! 君たちが俺のライヴァルか!! いいねえ!! さしずめ宇宙ステーションで日本人を見つけたような気分だよ!! お互いこの仕組まれた戦場を生き抜こうじゃないか!! 二回戦で会おう!!」
 見上げると、鼻眼鏡をかけた大男が馬鹿笑いしながら二階へ上がっていくところだった。
 ファーストターンで観戦を止めた彼らは、既に一回戦のからくりに気付いている。お互いに顔を確認していたのは、潰しあわないようにするため。鼻眼鏡の大男は、ああすることで自分を印象付け、自分がわざわざ覚えなくても相手のほうから避けてくれるように仕向けたのだ。
「楽しいデュエルになりそうだ」
 百目鬼の言葉にオレは大きく頷いて、右手のデュエルディスクに顔を近づけてデュエルネームを言う。「グリーン」しかし起動せず、声を大きくして言うとやっと起動した。
 デッキ名を呼んで“コール”してみると、本物と変わらぬ質感のカードが出現した。本物のカードでないことを除けば、確かにオレのデッキだ。軽くシャッフルしてからデッキに戻し、それからタッチパネルを利用してルールを呼び出した。司会者の言った『表ルール』は、果たしてそこに書かれていた。オレはそれを読み上げる。

《其の一 同一ルールを適用したデュエルによって目標勝利数に達したプレイヤーは二回戦に出場できない。(ルールは両プレイヤーの合意によって決定する)》

 同じくルールを確認していた百目鬼が低く唸った。
「……少なくとも、最低一回はスーパーエキスパート以外のルールで勝て、ということらしいな」
「新エキスパートルールでってことか?」
「それだけじゃない。ジュニアルールも、タッグデュエルもいちおうエキスパート外のルールだ」
「変則ルールは全部オッケーだと思うよ。オープンハンド・デュエルにコイントス・デュエル。エクスチェンジド・デュエルにシークレットデュエル、10カウントマッチも」
「この書き方だと、全部違うルールを適用してもいいし、スーパーエキスパートルールでデュエルする必要もないみたいですね」
「うにゅう。よくわかんなーい」
 約一名耳慣れない声が混じっていた。振り返る。白いスーツに身を包んだ、白人の少女がそこに居た。
 彼女はジュリア。オレを除けばI2社が擁するただ一人のエックスだ。少女というのは見た目であって、実際の年齢はオレよりずっと上らしい。
「えっと、ジュリアさん、大丈夫ですか?」いろんな意味で心配で、思わず声をかけてしまう。
 彼女はしばらくしゃがみ込んで「うーーーー……」と泣いてるんだか唸ってるんだかよくわからない声を絞っていたが、急に立ち上がって、
「――ご心配なく。既に一回戦のルールは、ほぼ把握しましたから」
 オレよりずっと年上の女性の顔で言った。ブロンドの髪が光を反射した。
 まるで人格が入れ替わったような変貌だが、本人に言わせるとひどい寝ぼけ癖のようなものらしい。酔っ払うと人が変わったようになる人がいるが、彼女の場合は、覚醒する前と後では見た目まで違って見える。
「んじゃ、そろそろボクたちは行くよ。みんな、よいデュエルを!」
「ああ、お前らもな」
 百目鬼と天音の背中が雑踏に消える。亜理紗は二階の個室に行ってデュエルするという。送ろうとエレベーターに向かって歩き出した、そのときだった。

「待て。エックス――」

 全身の細胞が粟立つような声が追いかけてきた。反射的に振り返ってしまったのは、自分が呼ばれたと思ったからではない。
 低く濁っていたものの、その声には聞き覚えがあった。
「――エックス、オレとデュエルしろ……」
 そこに居たのは――天音が別人だと思ったのも無理もない。そいつは普段とはかけ離れた、暗く重い雰囲気を放っていた――アキラだった。
「お前は、誰だ」
 にもかかわらずオレがそう言ったのは、それはアキラであってアキラではなかったからだ。体はアキラのものだったが、中身はアキラではないと、一目見て確信していた。
「お前に用はない……どけ、オシリスに用がある」
「なぜそれを……!?」
 アキラの三白眼は一直線に亜理紗を捕らえている。オレはその前に立ちはだかった。
「待てよ、デュエルならオレが……」
 言い終わらないうちに、アキラの姿をした誰かの哄笑がかぶさった。
「はっ! お前が? このオレと!? ヨモツジキも持たぬ不完全なエックスの分際でおこがましい! 雑魚はすっこんでな!」
「――ミドリ」
 雑魚といわれてカッとなったオレを制して、亜理紗が一歩前に出る。
「お願い。あたしに」
 盲目とは思えぬ強い眼光だった。何も言い返せず、引き下がる。
「ルールはスーパーエキスパートルールでいいですか?」
「いいぜぇ。ただしアンティは神のカードだ」
「かまいません。行きます」
 亜理紗は左手を持ち上げ、声を大にして宣言する。
「LISAより“コール”――来なさい、『TOM』!」
 LISAというのは、亜理紗のデュエルネームだ。公式大会では本名は使われない。
「ひひひ。キラより“コール”。覚醒せよ『地獄の業火(ヘルフレイム)』」
 見えない火花が散らされ、デュエルは始まった。始まってしまった。
























 ――デュエル!

「あたしの先攻ドロー。カードを一枚伏せ、モンスターを守備表示で召喚。エンドします」
「ははあああ。興奮でどうにかなりそうだぜ。この日をどれだけ待ちわびたことか……オレはまず、『サイバードラゴン』を特殊召喚! 守備モンスターに攻撃!」
 サイバードラゴン。自分の場にカードがなく、相手にあるとき特殊召喚できる5ツ星モンスター。攻撃力2100。かなりのレアカードで、当然アキラは持っていなかったはずだ。
「あたしのモンスターは『DHEROディフェンドガイ』。サイバードラゴンの攻撃をはじきます!」
「お得意の便乗コンボか……だが、このカードの前では無力だひひひ!」
 手札の一枚を抜き取り、アキラは見たこともない壮絶な笑みを浮かべた。
 ――くそ、いったい何があったんだ? アキラ……。
 展開に頭がついていけない。いったいなぜアキラがここにいて、亜理紗とデュエルしてるのだ?
 くい、と服の袖を引っ張られた。振り返ると、ジュリアが真剣な眼差しでオレを見上げていた。
「ミドリさん、申シ上げたいことが。千年アイテムの中には、相手を意のままに操る力を持つものがアります。ひょっとシたら、彼は――」
 オレははっとしてアキラの暗く濁った眼を見た。
「――エックスの誰かに操られている?」
「はい。千年鍵か、千年ロッドの力ならそれが可能です。神のカードを手に入れるために、誰かがアキラさんを洗脳シたとしたら――」
 ぴん、と音を立てて違和感がはじけた。
「……あなたなんですか?」
「は?」
「アキラを洗脳したのはエックスの誰か――つまり、ジュリアさん、あなたという可能性もありますよね?」
「それは――違います。私の力は千年秤。洗脳の力はありません」
「それを証明できますか?」
「……できません。しかし信ジてください。私はあなたの敵ではない」
 悲痛な声だった。もしジュリアが潔癖だとしたら、無理もないだろう。だがいったん沸いた疑念は消えない。
「じゃあなんで、なんであなたは、アキラの名前を知ってたんですか?」
 アキラはキラと名乗り、オレも亜理紗もアキラの名前を呼ばなかった。ジュリアがアキラの名前を知る機会はなかったはずだ。そもそも普段のお気楽なアキラを知らなければ、洗脳されているという発想からして浮かばない。
「……あなたがエックスとわかったとき、あなたの経歴と家族構成を調査シたからです。それに、地区大会ではずっとあなたを観察していました」
 疑問は残るもののジュリアの説明は筋が通っているし、彼女が敵だという証拠はどこにもない。同時に敵ではないという証拠もない。この不安は真実の警鐘か、それともただの疑心暗鬼か。
 ――一体なんなんだ? 何が起こっている?
 アキラは(アキラを操っている何者かは)オレと亜理紗がエックスであることを知っていた。誰が教えた? 亜理紗を狙うということは、I2社か? だったらなぜジュリアが知らない? そもそもジュリアは本当のことを言っているのか? オレが不完全なエックス? ヨモツジキとは何だ――?
「オレのカードは『死霊騎士デスカリバー・ナイト』! 便乗コンボは潰すぜ」
 昏い闇の中から、黒い悍馬に跨った骸骨の騎士が姿を表す。デスカリバー・ナイトは、モンスター効果が発動したとき、自らの命を賭してそれを無効にするモンスターだ。『ディフェンドガイ』のドロー効果も対象に含まれる。
「そうはいきません。あたしのターンで『リバイバルスライム』を召喚し、デスカリバーナイトに攻撃します!」
 スライムが死霊騎士に攻撃。しかし攻撃力は死霊騎士の方が上だ。繰り出された鋭い尻尾をおどろおどろしい顔のついた盾で弾き、返す刀でスライムを両断する骨の騎士。
「スライムが破壊されたとき、500ポイント払ってスライムを蘇生――これは、モンスター効果です」
「ちぃ! 死霊騎士の効果はオレの意思に関係なく発動する……! スライムごと自爆だ!」
「カードを一枚伏せてエンドです」

「オレのターン! ドロー! スタンバイフェイズでさらにドロー!」
「永続罠『便乗』を発動です。あたしも2枚ドロー」
 引いたカードを見て、アキラは苦々しげな表情を一転させた。
「手札より速攻魔法『エネミーコントローラー』! ディフェンドガイを攻撃表示にしな!」
「それなら、カウンター罠『魔宮の賄賂』です。相手にカードを一枚引かせる代わりに、魔法の効果を無効にします。さらに『便乗』して、カードを2枚ドロー」
 がむしゃらに攻め立てるアキラの攻撃を巧妙にかわしつつ、手札差まで逆転させてしまった。いま、亜理紗の手札は7枚。アキラの手札は6枚。ソリッドビジョンのカードでは十分な能力が発揮できないのではないかというオレの不安は杞憂だったようだ。
「ぐ……!」
 踏み潰されたような悲鳴を上げるアキラ。
「あたしのターン。ドロー。スタンバイ。サイレントマジシャンLV4を召喚、さらに2枚伏せて、ターン終了です」
 凛とした動作でターンを明け渡す。空気は完全に亜理紗の味方だ。単体で強力を誇るカードを振りかざすアキラに対し、亜理紗は効果こそそれなりだが互いに補完しあえるカードで場をコントロールしている。
「ひひひ。やるなあ……そろそろオレも本気でいかせてもらおうか」
 アキラは再び気味の悪い笑みを浮かべた。
「わかってるぜえ。伏せた二枚のカード。一枚は『サイレントマジシャン』を守るための速攻魔法。そしてもう一枚は『徴兵令』。ギャンブルカードもお前にかかれば最強のピンポイント爆撃になるってわけだ……だが、そううまくいくかなあ?」
 そう言うと、何の前触れもなく手札を床に落とした。落とされたカードは、まるで強力な磁力があるかのようにアキラの手に戻る。ソリッドビジョンのカードだからこそできる芸当だ。
「……どういうこと?」
 一連の行為は見えなかったはずだが、空気で何かを感じ取ったのか、亜理紗の表情が変わった。真っ白な絵の具に少しずつ黒を足していったように、わずかな翳りが混じっている。
「ひひひ。どういうことだろうねえ? ドロー。スタンバイでもドロー」『便乗』と『サイレントマジシャン』の効果が発動する。「『ドリルロイド』を召喚するぜ。『ディフェンドガイ』に攻撃」
「――!」
 盾を持った大男がドリル装甲車に貫かれると、今度ははっきりと、亜理紗の顔に狼狽が浮かび上がった。まるで予想外の出来事が起こったような。同じ表情を前にも見たことがある。だが、まさか――。
「永続魔法『平和の使者』を出して、カードを一枚伏せる。ターンエンドだ!」
「あたしのターンです……ドロー。スタンバイ」
 『平和の使者』は毎ターン50のライフコストを必要とするものの、攻撃力1500以上のモンスターに対してすべからく攻撃を禁止する。当然、攻撃力2000のサイレントマジシャンも含まれる。 
「ひひひ! さっきまでの勢いはどうした? 震えてるぜえ?」
 亜理紗ははっとして、手札を持った左手を隠すように右手を添える。
 ――やはり、亜理紗は見えなくなっている! だが、何故だ!?
 手札を落とした以外、アキラは何もしていない。亜理紗の集中力が途切れた様子もない。あえてさっきまでと違うことを挙げるなら、アキラが狂ったような躁状態になり、ほとんど爆笑しっぱなしであることだけだ。
 亜理紗はなかなかカードを出さない。出せないのだ。突然眼が見えなくなったら誰だって立ち止まってしまう。
「ひひひ。けっきょくお前は、相手の手を覗かなければ何もできない、臆病者のデュエリストだったってことだなあ」
 残酷な言葉が放たれる。挑発だ。乗ってはいけないと普段の亜理紗ならなんなく気付けただろう。しかしいまの彼女は冷静さを欠いていた。
「そんなこと……ない。たとえこのチカラが無くても、あたしは勝ってみせます! 罠カード発動!」
 アキラがデッキに手をかけるまでもなく、自動的にデッキトップが露になる。カードは――『ホルスの黒炎竜LV6』だった。一切の魔法を受け付けない金属のボディを持つホルスは、まさに最高のラッキーカード。緊張を解かれて思わず快哉の声を上げる。
「亜理紗!」
 笑顔で頷きを返してきた。「『ホルス』でドリルロイドに攻撃します! 一枚伏せて、ターンエンド!」

 アキラの口が三日月型にひん曲がった。
「ひひひ。かかったなあ! エンドフェイズで罠カード発動!」
 オレだけではない。亜理紗もナナも、そしてジュリアさえも、そのカードの登場に驚愕して眼を見張った。
 ――こいつ、初めから亜理紗を倒すことだけが狙いか……!
 『洗脳解除』。すべてのモンスターのコントロールを正常に戻す永続罠カードは、亜理紗の天敵だ。
「『ホルス』のLV6はオレのコントロール下に戻る。さらにこのターン、『ドリルロイド』を戦闘で破壊したため、ホルスは更なる進化を遂げるぜ!」
 ホルスには二つの能力がある。一つはホルス系特有の魔法耐性。もうひとつは、レベルモンスターとしての能力だ。ホルスはモンスターを戦闘で破壊したとき、進化する能力がある。
「――『ホルスの黒炎竜LV8』……!」
 戦慄に貫かれながらその名を呼んだのは、オレたちの誰だったか。相手の魔法だけを選んで打ち消す、最強最悪のロックカード。相手のデッキタイプを問わず、これだけ凶悪なモンスターは他にない。
 亜理紗のデッキの構成は特殊だ。相手のカードを奪う罠カード、場持ちはいいものの攻撃力に欠けるモンスターカード、そして補助的な役割を果たす魔法カードで構築されている。『洗脳解除』で罠を、『ホルスLV8』で魔法カードを封じられた亜理紗に残された選択肢は、ほとんど無いといっていい。
「ひひひ。オレのターンだ!」
 自ら出したカード『平和の使者』を破棄しない限り、ホルスといえども攻撃はできない。しかしアキラは50ポイントのライフを払って『平和の使者』を維持することを選んだ。このまま包囲網を完成させるつもりか、それとも罠カードを警戒したのか。
「手札より永続魔法『波動キャノン』を出すぜ。カードを一枚伏せて、ターンエンドだ」

 選んだのは前者だったようだ。これで亜理紗はほとんどの罠、攻撃、魔法を封じられた。このまま行けば、過ぎたターン数をダメージに変換する『波動キャノン』によって大ダメージを受けてしまう。
 ナナが呻吟するように声を低めた。
「まずいわね。これであの子のデッキはほぼロックされた。これを逆転するのは容易じゃないわよ」
「もしアキラ君がエックスに洗脳サれていたとしたら、勝敗はわかラなくなりますね……」
 オレは黙っていた。亜理紗はきっとこの劣勢からでも逆転する。それは彼女がエックスだからじゃない。
「あたしのターンです。カードを一枚伏せ、モンスターを守備表示で召喚。エンド!」
 アキラがわざとらしく溜息を吐く。
「また守備表示かよお。最強のエックスといえどもこの程度か? オレはまだ切り札すら出していないんだぜえ? これじゃ弱いものいじめじゃないか」
「……ご心配なく。すぐに逆転してあげます」
「ひひひ、失望させるなよ? 永続魔法『怨霊の湿地帯』を出し――三枚の永続魔法を生贄に捧げる」
 鮮烈な既視感。瞬間、視界がホワイトアウトした。

「来い――降雷皇ハモン!」

 巨大なプラズマが落ちたのだとわかったのは、中空にセピア色の半人半竜が姿を現してからだ。肋骨をさらけ出したボディ、肩から伸びる蝙蝠のような黒い翼と骨の腕、腕の先端は鎌のように鋭く湾曲している。二本足で宙を踏みつけ、下半身から不釣合いに太く長い尻尾を垂らしている。大きさはトラクター一台分に等しい。圧巻だった。
 骨の半人半竜が口を開くと、口腔にセピア色の光が満ちる。
「サイレントマジシャンを攻撃!」
 放たれた黒褐色の光に対し、沈黙の魔術師の抵抗は意味を成さなかった。ハモンの攻撃力は魔術師のそれをはるかに凌ぐ4000。亜理紗のモンスターは灰燼となった。
「さらにハモンがモンスターを破壊したとき、相手プレイヤーに500ポイントのダメージを与える」
 追撃の光線が亜理紗のライフカウンターを直撃。続いてホルスの蒼炎が炸裂し、亜理紗の最後の守備モンスターまでも奪い去っていく。だが――。
「『素早いモモンガ』が破壊されたため、ライフを回復します。さらにデッキからモモンガを二枚、場に召喚」
 亜理紗の希望は絶やされていない。超重量級のモンスターが二体並ぶこの劣勢も、亜理紗ならなんとかできる。
「あたしのターン。罠カード『リビングデッドの呼び声』でモモンガを再生します」
 ジュリアが言っていた。三体のシャム神は神のカードを模して作られた。シャム神の召喚に三枚の生贄が必要なのは、オリジナルの神も三体の生贄が必要だったからだと。
 ――シャム神『ウリア』は神『オシリス』に変わりつつある。その告白を聞いたのは一ヶ月前だ。ならば今頃は、もう……。
 亜理紗を中心に濁った夕闇が漂いはじめる。闇が軋み、暗黒が震撼する。生まれつつある猛威に、空気すらも畏敬を感じているかのように。
「三体のモンスターを生贄に――」
 闇に染まった空気の中、亜理紗は神を呼ぶ。

「Come on――OSIRIS THE SKY DRAGON!」

 雷の咆哮で闇を切り裂いて。
 創造主の作りし神が一体。
 オシリスの天空竜、降臨。

「――オシリスで『ホルス』に攻撃します!」
 神を目にするのはこれで二度目だ。しかし背筋を駆け上がる戦慄は止めようもない。
 攻撃力は手札の数×1000。亜理紗の手札は四枚。あらゆる魔法を弾き返す金属のボディも、神の鉄槌の前では無力だった。二つの口を持つ赤龍の吐き出したプラズマ球は、吸い込まれるようにホルスの腹に命中し、内側から蒼炎の誘爆を引き起こす。
「ひひひひ!」爆音にアキラの哄笑がオーバーラップする。「これが神のカードか! 申し分ない!」
「そう思うなら、このカードで止めをさしてあげます――ターンエンド!」

「ひひひ、止めを刺されるのはどっちかなあ? オレのターン! 『ハモン』を守備表示にしてターンエンドだ!」
「あたしのターン。ドロー!」この瞬間、オシリスの攻撃力は5000に上がる。「オシリスでハモンに攻撃!」
 赤龍の雷撃は容赦を知らない。巨大すぎるプラズマ砲は一片の慈悲もなく、半人半竜をまさしく灰燼になるまで焼き尽くした。尾を引く咆哮が耳に残った。
「『ミスティック・ソードマンLV2』を召喚してターンエンドです」
 これでチェックだ。『オシリスの天空竜』は相手ターンで召喚されたモンスターの攻撃力、守備力を2000下げる効果を持つ。下げられたくなければ裏守備表示でセットするしかないが、『ソードマン』は裏守備表示のモンスターを切ることに特化した侍モンスター。この二体が場に出ている限り、対処できないモンスターなどおよそ存在しない。しかもオレの予想が正しければ、亜理紗の二枚の伏せカードは、戦闘補助の速攻魔法とカウンター罠である。たとえオレの『ラヴァ・ゴーレム』とてこの状況を打破することは難しいだろう。
 アキラのラストターン。状況がわかっていないのか、へらへらした笑みを浮かべてカードをドローした。
「まずは……リバースカードを発動。『王宮のお触れ』」
「させません! 『魔宮の賄賂』! さらにドロー効果に『便乗』します」
 オシリスの攻撃力は6000。いっぽうアキラは手札こそ六枚あるものの、場のカードをすべて失った。
 ――……おいおい。
 まったく余裕を失わない様子のアキラを見て、空恐ろしくなる。まるで自らの血で描き続ける画家ような、見るものの心をえぐる狂気だった。もう十分だろう? もう、やめてくれ。
「ひひひひひ!」
 甲高い笑いが耳をつんざく。
「勝った! あのエックスに勝った! 勝ったあああああああああははははははははははひひひひひひ!」
「――まさか!」
 焦ったようにジュリアが身を乗り出す。アキラは両手を広げて天を仰いで、
「エックスはエックスでしか倒せない――そんなルールはオレが打ち破ってやる! いくぜえ! 魔法カード発動!」
 きぃ。
 きぃ。
 啖呵を切って出された魔法カード――ところが、映し出されたのはどこか外国の庭の風景だった。白亜の平屋の側に大きな木が立っており、枝からは子供用のブランコが吊られている。
 きぃ。
 きぃ。
 風もないのにブランコが揺れるたび、鎖のきしる音がした。
「『思い出のブランコ』――でも、どうして?」
 ナナの独白に答えられるものはおらず、投げかけられた質問だけが宙に浮いた。誰もが言葉を失っていた。『思い出のブランコ』。ワンターンのみ、墓地から通常モンスターを一体蘇生するカード。しかしアキラの墓地に通常モンスターはない。フィールドにも変化はない。
 ――不発、か……?
 単なるはったりか。カードの効果を勘違いしていたという可能性もある。どちらにせよ、デュエルはこれで終焉だ。
「ねえ……? いま、なにか見えなかった……?」
 何も居ない空間に視線を向けたナナが眉を顰める。視線を追ったオレは肩をすくめた。
「別に何も。どのみちこのデュエルは亜理紗の勝ちで――うわっ!」
 一瞬の出来事だった。アキラに向かって一歩踏み出した瞬間、電流を流されたように体が勝手に飛び跳ね、尻餅をついていた。北極海に突っ込んでしまったように、踏み出した足がじんじんと痺れた。
「ひひひ……。お前らには見えていないだろうが、既にヤツはここに「居る」。もっとも、今のこいつはまだ自身の姿を定義されていない状態。イシスが暴いた真名を知らねば姿は見えないがな……」
「な……なんのことだ?」
「見せてやろう。命のかけらをついばみ踊れ――『ラーの翼神竜』!」
 宣言が終了すると同時に、爆弾が破裂した。間近で花火を見上げたときの、その何倍もの爆音と衝撃が身体を貫いた。負荷に耐え切れなくなった決闘盤が爆発したのだと思った。違った。おそるおそる開けた薄目の向こうに、黄金色の何かが見えた。
 瞠目する。それは黄金の幻獣だった。竜というよりもグリフィンに近い。獅子の胴体と鷹の頭。どことなく機械を想起させるのは、肩から生える角ばった翼のデザインのせいだろう。
 人の一人や二人簡単に踏み潰せそうな前肢を踏ん張り、黄金獣はときの声をあげた。
「――どうシて、神のカードが……!?」
 ジュリアの呟きは、この場の誰もが思っていることだった。
「ひひひ! 教えてやろう。『ラーの翼神竜』はデッキ、手札、墓地に存在する限り、通常モンスターとして扱われる!」
「待て! たとえその特殊召喚が不正ではないとしても、そのカードはいつ墓地に置かれた!?」
「ひひ、簡単なことだ。このラーは、さっきまでは『ハモン』と呼ばれていたカード! 同じく神のカーを宿したオシリスと戦闘することで、今ようやく覚醒したのさ!」
「……そんな――馬鹿な!」
 言葉に詰まる。デュエルディスクが正常に作動している以上、アキラの行為は反則とは言い難い。ジャッジに訴えても証拠がない。客観的に見てソリッドビジョンのカードに細工できる方法がない以上、不利になるのはこちら側だ。
 アキラは哀れむような目つきで、
「自らはオシリスのカードを目覚めさせておきながら、そんなことも知らなかったのか? 哀れなヤツだ」
「オレが、オシリスを――? …………あっ!」
 あのエキシマッチで『ウリア』は『ホルスの黒炎竜LV6』に攻撃した。神話によれば、ホルスはオシリスの息子で、ラーの後継となる太陽神だ。神同士の戦闘が神を目覚めさせる鍵ならば、あれが復活のきっかけだった。
 ――しかし、なぜアキラがそんなことを知っている?
 不自然な点は他にもある。なぜ、今現れたばかりのラーを、さも使い慣れたカードのように扱える? アキラの行動は、前もってラーのカードテキストを知っていなければ成り立たない。だが三枚の神のカードのデータはI2社にも存在しないと、前にローズが言っていた。
 ――ということは、ラーのカードの効果を知っていた人間――バトル・シティに参加した奴か? そいつがアキラの背後にいる……?
「『ラーの翼神竜』は三つの形態を持ち、そのうち一つを選んで特殊召喚する。今のラーは第二形態。命をついばむ死神鳥だ!」
「特殊召喚に際し、オシリスの効果が発動します! ラーに攻撃!」
 赤龍のふたつの口のうち、上が開く。放物線を描いて光珠がラーに直撃する。しかし、爆煙の中から現れたのは、傷一つついていないラーの姿だった。
「ひひひ! 残念だったな! 第二形態のラーにはモンスター効果は通用しないんだよ!」
「く……!」
 亜理紗の顔がゆがむのを満足そうに眺めてアキラは続けた。
「第二形態の特徴は命食み――プレイヤーのライフポイントを1残してすべて払うことで、攻撃力・守備力に変換することができる。さあラーよ、オレの命を食うがいい!」
 アキラのLPは1400。そのうち1399ポイントがラーのステータスにふり分けられる。
「だが、こいつが食うのはプレイヤーのLPだけじゃない。『魔導戦士ブレイカー』を守備表示でセットするぜ。モンスターを生贄に捧げることで、ラーは攻撃力・守備力を吸収することができる!」
 ラーの攻撃力が3299に上がる。攻撃されたら、亜理紗は――!!
「さあ――矮小な存在に格の違いを思い知らせてやるがいい! 『ミスティック・ソードマンLV2』に攻撃!」
 黄金のドラゴンは一度天に向かって高く吼えた。高く、どこまでも高く。額のサファイアが燃えるように光り、睨まれただけで気が狂いそうな死の眼光が、場の侍モンスターを貫いた。口腔から黄金色の炎が放たれる様は、まるで太陽が爆発したかのようだった。
「ダメージステップで速攻魔法を発動します!」
 宣言と同時に炎が到達し、ソードマンを黒炭へと変える。だが亜理紗の表情には余裕が残っていた。
「『収縮』、だと――!?」
 攻撃力を半分にする速攻魔法だ。これでラーの攻撃力は1649。ソードマンがやられても亜理紗のライフポイントは残る。『思い出のブランコ』はこのターン限りの効果。次のターンで亜理紗の勝ちだ。
 ぼた。
 ぼたた。
 喧騒の中、水滴が落ちるような音だけが妙にクリアに聞こえた。ぼた。ぼた。だれかが蛇口をきちんと閉めなかったようだ。ぼた。ぼたた……。
「――さようなら」
 静かに響いた声。それが誰の声だったのか、わかるほどそのときのオレは冷静ではなかった。
 なぜなら、亜理紗のライフカウンターは0を指していた。
「な、んで――」
 疑問が空を滑る。眼球が光景を拒絶する。
「ひひひ! ざあんねえん! 『ラーの翼神竜』の「元々の攻撃力」はゼロ! 「元々の攻撃力」を半分にする『収縮』は効かない! これで神のカードはオレのものだひひひ!」
 ソリッドビジョンが消失する。オレは夢遊病者のようにふらふらと亜理紗のほうに近づいた。
 ぼた。
 ぼたた。
 水音の正体は、亜理紗の衄血だった。口元を覆った指の隙間からどくどくとあふれて止まりそうもない。医務室に連れて行こうと手を伸ばした。空を掴んだ。
「亜理紗?」
 ふわりと亜理紗の頭が胸に押し付けられたとき、彼女は泣きたいのだと思った。肩か腰か背中か、どこに手を回せばいいのかわからず困惑する。しかし現実は残酷だった。ふ、と亜理紗の体が軽くなる。オレのシャツに赤い線を引きながら、亜理紗は崩れ落ちた。
「亜理紗!」
 叫びは空虚にこだまする。それでもオレは叫ばずにはいられなかった。昏倒した亜理紗の出血は止まらず、小さな血だまりが出来つつある。ナナの制止を振り切ってオレは叫び続けた。亜理紗。亜理紗。亜理紗。心を絞るように、叫び続けた。

 そして、奇跡が起こった。



☆アトガキ☆

 デュエル小説といいながら別ジャンルの小説になっています。広告に偽りあり。浴びせられる非難から身を守るように姿を隠しつつ、こんにちはプラバンです。
 ここまで読んでくれて、本当にありがとうございました。
 果たしてあの超絶反則的な逆転はアリなのか。アリかナシかで議論を始めたら第九話も相当あやしいんですが、アリということで勘弁してください。もうやらないから! 二度とやらないから! たぶん。(こら)

 のっけから波乱万丈な気運をはらみつつ、第二部スタートでございます。今回は第一部の補足&第二部のプロローグ、という感じて書いてみました。楽しめましたら幸いです。
 ゲストデュエリストのデュエルは次話から。出番あれだけ? と思った方々、ご安心を。再登場します。

 原作の雰囲気重視、で神のカードのテキストは英語に。カード効果はプラバンの創作です。間違いがありましたらご一報を。日本語訳はこちらです。

 オシリスの天空竜 十ツ星 幻神獣族 ATK X000 / DEF X000

 このカードを生け贄召喚する場合、三体の生贄を捧げなくてはならない。
 このカードのコントロールを変更することはできない。
 このカードが魔法カードの効果によって破壊またはゲームから取り除かれた場合、次の自分のスタンバイフェイズに特殊召喚される。
 このカードが自身の効果以外で特殊召喚された場合、エンドフェイズに墓地に送られる。

 このカードが表側表示でフィールド上に存在する限り、以下の能力を得る。
  ・このカードは罠カードの効果を受けない。
  ・このカードの攻撃力および守備力は、自分の手札の数×1000ポイントになる。
  ・相手プレイヤーがモンスターを召喚、特殊召喚、反転召喚するたび、攻撃表示なら攻撃力、守備表示なら守備力を2000ポイント下げる。この方法で攻撃力または守備力が0になった場合、そのモンスターを破壊する。この効果は相手ターンにしか発動できない。

 最後に蛇足をひとつ。
 一般に龍か竜かというのは、洋の東西で決まるそうです。
 竜というのは、西洋のドラゴンの訳語。
 龍というのは、アジアの水神の名前。
 形状で区別するなら、胴体の短いラーの翼神竜が竜で、蛇に近いオシリスの天空竜が龍なのだそうです。
 なので地の文ではオシリスは龍、ラーは竜という扱いになっています。

(追記:上記は正しい使い分け方というわけではなく、慣例としてこういう分け方がある、ということです。竜または龍の漢字にそういった意味が含まれているわけではありません。誤解された方がいたら、深くお詫び申し上げます)

 再び、ここまで読んでくれてありがとうございました。
 願わくは、また第十一話でお会いできることを祈って。


 top