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第九話 狐のジレンマ(2)



 銀色の神鷹が羽ばたき、口腔から黒い火球を吐き出す。炎は伏せカードの上を通過し、デュエルディスクを直撃した。爆風が彼女の髪を揺らし(たように見えた)、彼女はくすりと笑った。
「――まるで、ミドリと初めてデュエルしたときみたい」
 激しいデュエルの渦のなかで生じたエアポケットのように、穏やかな微笑だった。
「ミドリの行動はいつも意外で、見えなくて、だから、すごく楽しい。そんなデュエリスト、他にいなかったから……」
 デュエルディスクを下ろし、上機嫌の声で続ける。
「あたし――中学までは合衆国で暮らしていました。だから日本語は話せるけど、日本のことはあんまり知らなくて、目のこともあるし、けっこう不安だったんです。日本に来たいって、言い出したのは自分なのに」
 独白めいた言葉を紡ぐ。
「日本に来て、はじめてできた友達は、ミドリっていう女の子でした。その人はすごく親切な人で、気が合うし、一緒に居て楽しくて。あたし、はじめて、親友ができたと、思ってた……っ!」
 語尾が濁った。俯いて、続きを吐き出した。
「なのに、なのになんであなたが……っ! なんであなたがミドリなの!? あなたなんて知らない! あたしのミドリを返して! ミドリを返してよっ!!」
 ずきり、と胸にひびが入る。いや、これはオレの痛みじゃない。
 オレは彼女の好意を裏切った。これは彼女が受けた痛みだ。オレが与えた痛みだ。
「……ごめん」
「謝らないでよ! あなたに謝られたくなんてない! なんで、なんであんな――あなたは卑怯よ! どうしてあんなことが言えるの? あたしの心を踏みにじって、愉しかった!? 面白かった!?」
「無神経だったかもしれない。でも、傷つけるつもりはなかった!」
「偽善者! どうせあたしのこと軽蔑してるんでしょ! 可哀想な子だって憐れんでいるんでしょ!?」
「してない!」
「うるさい! ミドリの声で喋らないでよ! どうせ心の中じゃ、バカなことして刺されたバカ女って思ってるくせに!」
 空虚がその場を支配した。――いま、なんていった?
「ちょっと待って。刺されたって、なに? どういうこと?」
「卑怯者! まだ白を切る気!?」
「本当に知らない。怪我してたのは知ってたけど……っていうか、名前で呼べなかったことを、怒ってたんじゃないの?」
 濡れた目が大きく開かれた。
「……どういうこと?」

   †

 それは、オレが彼女の母親と遭遇し――女と誤解されていたことを知った――日のことだ。
 翌々日に退院を控えて、彼女は朝から荷物の片付けをしていた。
 そこへ、顔なじみのKC社員が訪ねてきた。
 母親に席を外してもらって、話を聞いた。
 それはこのような会話だったという。
「退院されるそうですね。おめでとうございます。調子はいかがですか」
「おかげさまで、随分よくなりました。まだリハビリが残ってますけど」
「元気そうでなによりです。心配していたんですよ。夢は、まだ見ますか?」
「ときどきは。でも、もう大丈夫です。実は、死にかけたのはこれが初めてじゃないんです。むかし病気で、もう助からないって言われたこともあったんです。それに比べれば、刺される夢くらい、たいしたことじゃありません。それよりあたし、やっぱりちゃんとKCの方々や、スポンサーさんに会って謝りたいと思うんですけど……」
「はは、それは私の仕事です。そのへんの調整はちゃんとやっておきましたから、ご心配なく」
「でも、あたしがあんなことしたせいで、せっかくお膳立てしてもらったデビュー戦が全部台無しになっちゃって……」
「あなたのせいではありません。悪いのはあなたを刺したあの男です。それにあなたの行動は、とても勇気のあるものだったと思いますよ」
「………」
「そんな顔をしないでください。ロンドン大会では、我々の事情で一方的にプロデビューを中止させていただいたんです。これでおあいこということにしましょう。三度目の正直に賭けようではありませんか」
「三度目の……大会の日程は、もう、決まったんですか?」
「まだです。今回は、もうひとつのほうの仕事の依頼に来ました。例の地区大会、やはりエックスが出てきます。あなたもご存知の、あの女です」
「ジュリアが!?」
「ええ。表向きはハイエナとかいうマッド・タディの粛清などと嘯いていたそうですが、これはあきらかにあなたに対する挑戦です。ローズという男に代理デュエルをさせる可能性がありますが、なに、構いはしません。ロンドンのときの決着をつけようではありませんか」
「……あたしも、その大会に出るんですか?」
「いいえ。この大会は我々が主催ですから、エキシビジョンマッチのホスト側デュエリストとして出場してもらうことになると思います。どうせ優勝するのはジュリアなんですから、そのほうが手間が省けます」
「どうしても、あたしが出なくちゃだめなんですか。ムーアさんじゃ……」
「それは、身体的な理由ですか? それとも、精神的な理由ですか?」
「ごめんなさい、精神的なほうです。その大会、あたしの親友も来ると思うんです。その人もデュエリストで、あたし、まだ本当のこと、言えてなくて……」
「気持ちはわかりますが……エックスを倒せるのは、あなたしかいません。返事は明日まで待ちます。こんなことを言いたくはないが、これは選ぶための時間ではありません。心の整理をつけるための猶予、と考えてください」

   †

「その日からしばらく、あなたは来てくれなかった。でも、蓬莱さんからTADを受けるんだって聞いて、その準備に忙しいのかと思ってた」
 それもある。実際には、女だと誤解されていたショックで引きこもっていたのだが。
「やっとミドリが来てくれて、そのとき、『魔王エックス』の話をしたでしょう?」
 たしかに『魔王エックスを倒せと言われた。受けるか、受けないか』という話をした。ジュリアにエックスを倒せと言われ、迷ったオレはそんな風にして亜理紗に相談したのだ。
「それで、あの話を聞かれたんじゃないか、って思って。来てくれなかったのは、あたしが刺されたことを知って――刺されるようなことをした馬鹿な女だと知って、距離を置きたくなったんじゃないか、さよならを言いに来たんじゃないかって心配で……」
 けれどひょっとしたら、すべて知らない振りをして、「エックスのこと、どうするの?」と訊いてくれているのかもしれない。「後悔の少ない道を選んだほうがいい」と言われているのかもしれない。そう考えたという。
 けれど。続くオレの質問は、彼女の希望を打ち砕いた。――なんで入院しているの?
 そんなはずはない、と彼女は思った。ミドリは知っていてそんな無神経な質問をする人間ではない。取材を名目に病院まで押しかけてきて恥知らずな言葉を吐くような輩とは違う。同情顔で好奇心を満たそうとする野次馬とは違う。だってミドリとあたしは親友なのだ。ねえ、そうだといってよ。あたしを名前で呼んでよ、ミドリ。

 ――その……亜理紗、さんが、どうして入院しているのか、と思って……。

 翌日、やってきたKCの社員に、彼女は大会に出ると伝えた。親友のことはいいんですかと訊ねた彼に、彼女はこう答えた。「親友なんて、いませんから」


 互いの話をし終わると、深い後悔だけが残った。
「ごめん。オレが、ごちゃごちゃ考えないで、素直に思ったことを言えていたら、傷つけないで済んだのに……」
「あたしこそ……あたしこそ、あなたの気持ちを考えずに邪推ばっかりして、ごめんなさい」
 ふと、狐とハリネズミの話を思い出した。小手先の読心術に取り憑かれたデュエリストの業。策士策に溺れる様は、まるでイソップ物語の狐じゃないか。オレは大切なことを忘れていた。人の心は読めない。――言葉にしないと、伝わらない。
 だからオレは、一生分の勇気を振り絞って、言った。
「オレはその……女にはなれないけど、また友達になって、くれるか?」
 亜理紗の笑顔が答えだった。
「……ありがとう!」

 そうしてデュエルは再び幕を開ける。

 ――このターン、亜理紗には『ホルスの黒炎竜』が見えていなかった……!
 彼女は『ホルス』を予見したことがある。これで、特定のカードだけは見えないという仮説は消えた。やはり、見えるときと見えないときがあるようだ。その違いは何だ?
 音を立てないように、一歩右に動いた。彼女の視線は動かない。
「あたしのターン。ドロー。『神の恵み』の効果でLPを回復します。……ミドリ」
 何かを決意したような声。
「うん?」
「あたし、本気を出しますから。いいですね?」
「もちろん」
 今までの笑みが作りものだったと気付けるくらい、それは綺麗で、深い微笑みだった。……そこで気付く。亜理紗はまた見えぬはずの視線の先にオレを捉えている。
「行きます」
 つと肌寒さを感じた。皮膚の感覚神経は辟易するくらい暑さを訴えているにもかかわらず、氷の手に掴まれたような怖気が脊髄を這い上がってくる。
 空は薄暗く、曇天が立ち込めている。不気味な暗さに、正体の知れない焦燥感が湧き上がってくる。
「場の永続トラップカード『便乗』『神の恵み』『心鎮壷』を墓地に送り――」
 亜理紗の言葉は、この時点まではまだ日本語だったにもかかわらず、オレは一瞬彼女がなにを言っているのか理解できなかった。まるで呪詛が祝詞のように、非日常の単語を繋げて言葉をつむいでいるように聞こえた。

「I shall summon――『神炎皇ウリア』!」

 それは、王だった。
 圧倒の気配。搾取の頂上。
 いきとしいけるものの、畏怖の根源。
 食物連鎖の終点。
 視界に収まりきらぬほど長大な、赤龍の姿をした、
 それは、王だった。

 その場にいる誰もが、それに注目されることを悚(おそ)れて、身動き一つできないでいた――ただ一人を除いて。
 この迫力の真下に居てさえ、冷淡と言えるほど落ち着いた声で亜理紗は言う。
「『神炎皇ウリア』は、表側表示の罠カード三枚を墓地に送ることによって、特殊召喚されるモンスターです。守備力はゼロですが、攻撃力は、あたしの墓地にある永続罠の数×1000ポイント、つまり、4000です」
「4000!?」
 聞いたこともない数値だ。あの『青眼の白龍』を軽く越えている。強すぎる……いや。
 ばらばらになりそうな意思をかき集めて、自分に言い聞かせる。落ち着け。ただのモンスターだ。
 ――そうだ、所詮はカード。『心鎮壷』が消えたことで、『月の書』の封印が解けた。守備表示にできれば……!
「さらにその特殊能力は、一ターンに一枚、相手フィールド上にセットされた魔法・罠カードを破壊できるというもの。『心鎮壷』で封じられていたカードを破壊します」
「チェーンして『月の書』を――」
「無駄です。ウリアの特殊能力に対し、魔法・罠を発動することはできません」
 赤龍がゆっくりと空から降りてくる。間近で見るその威容に、オレは慄然とした。これが、人の手によって作り出された幻像? 人の頭ほどもある金色の瞳は濡れたように光り、燃えさかる体毛は風を受けて揺れている。吐く息は白く、触れば火傷では済まないことがわかる。赤龍は血のように真っ赤な口を開くと、一本一本がオレの胴回りほどもある牙で、『月の書』をケーキのように噛み砕いて見せた。
 金の瞳がオレを見据える。まるで意志があるような、眼。
 目が合ったのは一瞬で、赤龍はすぐにオレの存在など忘れたかのように天に昇っていく。その頃になってようやく、オレは全身汗だくになっていることに気付いた。
 ――だが、まだだ!
 最後の伏せカードは『聖なるバリア−ミラーフォース−』。ホルスを出すと同時に伏せたカードだ。読まれていない可能性はある。
 心の中で念じた。攻撃して来い。その瞬間、ウリアはバラバラだ。
「『ウリア』で攻撃――」
 亜理紗はオレのフィールドを指した。息が止まる。
 攻撃宣言は、その対象を選ぶまで完了しない。
「――すると、思いましたか?」
 細切れになった一秒が、時計の短針よりも遅く過ぎていった。
 額の汗を拭きたくなるのをじっとこらえる。大丈夫。こんなブラフ、MTG時代に何度も経験した。相手はオレのリアクションを待っている。挑発も受け流しも、とぼけることさえヒントを与えてしまう。沈黙はもっとも愚かな選択だ。だからオレは、言うべきことだけを舌に乗せる。
「攻撃しようとしまいと、そんなことは瑣末な問題さ――オレが勝つことに変わりはない」
 亜理紗は刀のように薄い微笑みを浮かべた。デュエリストの眼。全てを見通す盲の眼。
「次のターン、その『ミラーフォース』が砕け散っても、同じコトが言えるか楽しみです。一枚伏せて、ターンエンド!」
「なっ――!」
 ――また、カード名を当てた!
 『ドリルロイド』のときと同じだ。見えないはずのカードをぴたりと当ててしまう。鬼才、究極、超人――どんな形容も彼女には当てはまらない。たった一つ当てはまるとすれば、それは――完璧。
 完璧なデュエリスト。
 それが、エックス。
 ――いや、完璧なデュエリストなんていない。いるはずがない!
 現に亜理紗は何度かミスを犯している。思い出せ、亜理紗とのはじめてのデュエルを。
 一度目は『光の封札剣』。『スカル・デーモン』を封印するはずが、位置を間違えた。
 二度目は『徴兵令』。『強制転移』を無効にするはずが、失敗した。
 そして今回、手札の『スカル・デーモン』と『ホルスの黒炎竜』が見えていなかった。
 ――そういえば、『ホルス』が出てきたのは、『スカル・デーモン』の直後だったはず。
 まてよ。たしか『徴兵令』の失敗も、『スカル・デーモン』のすぐ後だったはずだ。
 二つ失敗は連続して起きている……『スカル・デーモン』が彼女の能力を邪魔しているようにも見えるが、ただのカードにそこまでの力は無いだろう。むしろ引き金になったのは――まてよ。
 今回のデュエル、『スカル・デーモン』が出てくる前に何があった?
 もし、あれが原因だとしたら、攻略方法もあるんじゃないか?
 ――あのとき、『光の封札剣』を外した理由だけがまだわからないが……。
 透視の法則は、霧が晴れるように、少しずつ見えてきている。
 互いの手札は二枚。彼女の伏せカードは二枚。オレの手札の『物理分身』と『昇天の角笛』ではウリアに太刀打ちできない。
 デッキに眠る、ウリアを倒せるカードを思い浮かべる。モンスター破壊、除去、コントロール奪取など、多くてあと四枚。残された切り札は、それだけだ。
「オレのターン! ドロー!」
「ドローフェイズ終了時に罠カード『徴兵令』を発動します。『ならず者傭兵部隊』ですね。守備表示で出します」
 デッキをめくる。果たして『ならず者傭兵部隊』の絵柄がオレをあざ笑っていた。
 ――これで、切り札はあと三枚……!
「スタンバイでデーモンのコストを払う。手札より魔法カード『強欲な壺』発動! 二枚ドロー!」
 LPは残り1100。チャンスは一度。この二枚と、さっき思いついた仮説に賭けるしかない。
 ――仮説が間違ってたら、そのときは潔く負けを認めてやる。
 もういちど深呼吸してから、オレはまっすぐ亜理紗に向き直った。
「今引いた二枚のカードは、『洗脳』と『異次元の女戦士』」
「――?」
「亜理紗、どうせオレの手札が見えるんだろ? だったら、その前に教えてやるさ。『異次元の女戦士』を守備表示で出し、すべてのモンスターを守備表示にして、ターンエンド!」
 その瞬間、会場中の視線がオレに集まるのがわかった。
 亜理紗は子供の悪戯につき合わされているような笑みを浮かべて、
「それ、あたしが使った手じゃないですか。でも、無駄ですよ。見えるのは手札だけじゃ――」
 言いかけた彼女の顔が凍りつく。

「嘘……見えない!? なんで!?」

「くくくく……」
 オレの忍び笑いで状況を理解したのだろう。亜理紗は狼狽と驚愕の混じった顔でこちらを向いた。もし盲目でなかったら、彼女の目にはずいぶん間抜けなものが見えたに違いない。もといた位置から、二メートルも右に移動した場所で、しゃがみ込んでいるオレの姿が。
 そう、いかにカードを透視できても、そのカードの位置がわからなければ意味がない。ターンエンドを宣言したあと、オレは音を立てないようにして、ここまで移動していたのだ。
 亜理紗は常にオレの位置を把握しているわけではない。さっきも一歩動いたとき、彼女はしばらくオレのいた位置に向かって話しかけていた。その隙に移動すれば、透視を発動した瞬間、彼女にとっては突然オレが消えたように見える。
 ――これで、亜理紗は自分の意思で透視のスイッチをオンオフできるということが証明されたな。
「ミ、ミドリ、ずるい……」
「ずるくないさ。本気で戦うってことは、精神的なものだけじゃない、目も鼻も口も耳も、髪の毛の先から爪先まで、利用できるものは全部利用するってことだ。だからオレも、亜理紗の能力をずるいとは思わない」
 一枚のカードを抜き取り、亜理紗の前に突き出した。
「ひとつ問題。オレは今、一枚のカードを亜理紗に見せている。このカードの名前を当てられるか?」
「……その質問に、なんの意味があるの?」
「わからないなら答えなくてもいい。でもヒントその一。これは今ドローしたカードじゃない」
 これまでさんざん「手札もデッキも見えている」とオレを追い詰めてきた亜理紗だからこそ、この問題に答えなくてはならないと感じているはずだ。――その心理が自分を追い詰めるとも知らずに。
「……ぶ、『物理分身』」
「その言葉が、聞きたかった」
 やはりオレの仮説は間違ってなかったようだ。今の言葉で、オレの中にあった一番大きな疑問が氷解した。
「亜理紗、君はオレのデッキや手札が常に見えているわけじゃない。おそらく精神を集中して、やっと一枚か二枚が見えるといった程度だろう。しかも、何度も使うには集中し続けねばならず、途中で緊張が途切れてしまうと、その後しばらくは見えなくなる……違うか?」
 彼女は肯定も否定もせず、ただ「続けて」と答えた。
「さっき、『スカル・デーモン』と『ホルス』が見えなかったのは、あの直前、ローズさんがいきなりでかい声を出したせいだ。あれでびっくりして、透視ができなくなった」
 それで最初のデュエルも説明がつく。『徴兵令』を外したのは、封印したと思っていた『スカル・デーモン』が出現したことに驚いたせいだ。
「そして今の言葉で確信した。亜理紗は今、透視が使えない……だからオレの手にあるこのカードがなんなのかわからない」
「……『昇天の角笛』だったんですね。そのカード」
 諦観めいた嘆息をつく亜理紗。
「残念ながら、それもハズレ」カードをくるくる回して、胸ポケットにしまう。「M&Wのカードなんて誰も言ってないぜ。今のは生徒手帳カード、高校のね。……言っただろ? 利用できるものはなんでも利用する、それが本気だ、って」
「さすが、ですね」亜理紗は口角を釣り上げた。「ここまで正解に近い答えを出した人は、ミドリがはじめてです。でも今更それに気付けたとしても、もう場の趨勢はひっくり返せない」
「いや、ひっくり返してみせるさ――来い」

 亜理紗は上空を指し、宣言する。
「あたしのターン! まず、ウリアの効果発動。『ミラーフォース』を破壊します。さらに『ならず者傭兵部隊』を生け贄に捧げ、守備モンスターを破壊!」
「オレの守備モンスターは『クリッター』。その効果で、デッキから『ピラミッド・タートル』を手札に加える!」
「ウソツキ。『リバイバルスライム』を召喚して、『スカル・デーモン』に攻撃します」
 スカル・デーモンの守備力はわずか1200。対するリバイバルスライムの攻撃力は1500。スライムの重さに耐え切れず、潰される迅雷の魔王。
「続いて、『ウリア』でホルスを攻撃です!」
 轟く咆哮につられたように、地上で羽根をたたんでいたホルスが、再び空中に飛び立つ。空を支配し、悠然と獲物を待ち構える赤龍に対し、ホルスはさながら機械仕掛けの小鳥だった。空中戦は、ウリアの一噛みで決着が付いた。
 ――オレのモンスターは全滅。だが、このままエンドしてくれれば、希望は繋がる……!
 『異次元の女戦士』は嘘だったが、『洗脳』を引きあてたのは本当だ。400ライフと引き換えに、相手モンスターを奪う魔法である。オレのLPは1100。ウリアさえ奪ってしまえば、彼女の場はがら空き同然になる。次のドロー次第では決着が付く。
 亜理紗を見る。やや考え込むような表情を見せた後、彼女は残酷な宣言を下した。
「エンドフェイズで『光の封札剣』発動。対象はあたしから見て、一番右のカード」
 選ばれたカードは――『洗脳』。
「まさか……もう、見えるようになったのか?」
「違います。今のは帰納法――ただの、推理です」
「推理!?」
「そう。嘘の上手い人は、必ず嘘に真実を含ませる。ウソツキのミドリのことだから、『強欲な壷』で『洗脳』を引いたというのは本当だったんじゃないですか?」
「……う」
「ミドリは左利き。左手でカードを引いて、右手の手札に加える。ふつう、手札は左側が見えるように重ねて持つから、この方法でカードを引くと、特別意識してないかぎり、新しく引いたカードは左に足していく。ミドリに手札シャッフルの癖はないし、眼が見えないあたしに対してそれをするとは思えない。つまり、あたしから見て一番右の手札が、新しく引いたカード――『洗脳』ということになる」
「――そうか! 最初のデュエルで、『スカル・デーモン』ではなく『早すぎた埋葬』を封印したのは……」
「ええ、ミドリが左利きだと知らなかったから。右利きだと、さっきのロジックはまったく逆になる。だからあのとき、あたしは一番左のカードを選んでしまった……おかげで、ミドリが左利きだということに気付けたんですけど」
 ぞくり。
 とどまるところを知らない論理の奔流を聞きながら、鳥肌が立つほどの戦慄と至福を感じていた。オレは亜理紗の強さを誤解していた。彼女の強みは不完全な透視能力でも、明晰な頭脳でもない。相手以上に相手のことを理解する想像力こそが、彼女の本質だったのだ。
 彼女に会えた偶然に、震えるほどの喜びを感じた。これほどの強敵に、めぐり逢うことすらできないデュエリストだって多いはずだ。
「オレのターン。ドロー」引いたのは手札交換魔法。「モンスターを守備表示で出し、ターンエンド」
 同時にオレのフィールドを被っていた『光の護封剣』が砕け散る。
「あたしのターンですね。ドロー。スタンバイ。カードを一枚伏せ、『リバイバルスライム』で守備モンスターを攻撃します」
「『ピラミッド・タートル』が破壊されたので、『魂を削る死霊』を守備表示で特殊召喚」
 『魂を削る死霊』は戦闘によっては破壊されない。彼女はターンエンドを宣言した。

 『ウリア』を倒せるカードはデッキにあと二枚。失敗したら勝ち目は無い。――『洗脳』の返還は見込めないだろう。亜理紗のデッキの性質上、『マインドクラッシュ』があることはほぼ間違いないからだ。
 オレのターン。ドローカードは『異次元の女戦士』。戦闘した相手を異次元に連れ帰る能力を持つ。単体でウリアを倒す可能性を秘めたカードの、最後の一枚だ。
 ――どうする。ただ守備表示で出しても、亜理紗はきっと攻撃してこない。かといって攻撃を仕掛けたらオレのライフが0になってしまう。なら……。
「モンスターを守備表示で出し、二枚伏せてターンエンド!」
 モンスターの命と引き換えに召喚・特殊召喚を無効にする『昇天の角笛』は、ウリアには使えないが、『異次元の女戦士』を倒せるモンスターが出てきた場合の備えだ。おとりとして手札交換魔法も一緒に伏せたため、ウリアの能力で破壊される確率は二分の一。
 ――もっとも、まだ透視が復活していなければの話だが……。
 祈るように亜理紗に視線を送る。透視が復活すれば、すべてのブラフが無駄になる。亜理紗を驚かせるネタは尽きた。……正直、このデュエルは時間との勝負でもあるのだ。
 亜理紗は顔を上げ、にっこり笑った。
「――なるほど、『異次元の女戦士』は厄介ですね」
「! まさか……!」
「ミドリには残念なニュースですが、そろそろ見えるようになってきました。ドロー。スタンバイ。ウリアの効果で右の伏せカード、『昇天の角笛』を破壊」
 『女戦士』の守備力は1600。リバイバルスライムでは倒せない。
「ふー。危ない危ない。見えるのがあと一ターン遅かったら、ウリアで『女戦士』に攻撃してたかもしれません」
「よく言うぜ。危ない橋を渡るタイプには見えないけどな」
「あら、こう見えてもあたし、危ない橋は好きなんですよ。昔は近所でも有名ないたずらっ子でした」
「……その話はデュエルが終わったらぜひ聞きたいな」
「あたしが勝ったら教えてあげます。ターンエンド!」
「それは残念。オレのターンだ。ドロー!」
 ――よし! まだ足掻ける!
 ドローカードは、ウリアを倒すことのできる最後のカード。正真正銘、これが最後の切り札。
 ――問題は、亜理紗の場に残る最後の伏せカード。攻撃力4000のウリアがいるんだから、攻撃阻止系とは考えにくいが……。
 手札は『天罰』と『物理分身』。
 ――他に手は無い。これが最後の賭けだ!
「『異次元の女戦士』を反転召喚! 『リバイバルスライム』を攻撃!」
 腰をため、女戦士は剣を構える。流れるような動きでスライムを横なぎに切り裂くのと、スライムの鋭い尻尾が女戦士の腹部を貫くのは同時だった。
「『女戦士』の効果発動! リバイバルスライムと共に、ゲームから除外」
 相打ちになった格好のまま、女戦士が印を結ぶと、虹色の光がふたつのモンスターを包み込み――跡形も残さず消えた。
「バトルフェイズ終了。手札より魔法カード『強制転移』を発動! ウリアと死霊を交換してもらう!」
 強制転移。互いに場のモンスターを一体ずつ選び、コントロールを交換する。今、互いのモンスターは一枚しかない。
 観客の声援はざわめきを超えて轟音になっている。浴びせられる歓声と罵倒。その渦中に居ながらしかし、亜理紗は無表情だった。
「……これで終わり、ですね」
 観客の興奮が鎮まるまで待って、ようやく彼女は口を開いた。
「ミドリならあたしに勝てるかもしれない、という予感はずっとあったんです。あたしは心のどこかで、そんなデュエルができる日をずっと待っていた」
 オレは黙っていた。彼女の言葉には、どこか底知れぬものがあった。表面は凪を装いながらも、水面下では悔恨の激流を秘めているような――。
「――だから、残念だけど、この結果は受け止めなくてはならないんですよね、ミドリ」
 顔を上げる。そうして亜理紗は、今まででいちばん優しい微笑を浮かべた。

「あなたの……負けです」

 リバースカードオープン。
「『徴兵令』……!」
「ミドリ。デッキの一番上にある、『ドリルロイド』を渡してください」
 それがどういうことを意味するのか、考える必要は無かった。彼女の『ドリルロイド』とオレの『死霊』が交換され、次のターン、『ドリルロイド』に『ウリア』の攻撃が炸裂する。
「これでチェックです……。でもミドリ、あたし、ミドリと戦えたこと、誇りに思う」
 科白とは裏腹に、泣きそうな顔だった。
「次のデュエルを、楽しみにしてるから――」
 か細い亜理紗の声を遮って、オレは一歩前に出る。
「それはどうかな。デッキをめくってみるまで、デュエルはわからないぜ」
「信じたくない気持ちはわかります。でも、あたしの力は知ってるでしょ? もう、はっきり見えているんです。デッキの一番上はドリルロイド。絵柄もテキストも、ぜんぶ見えてる。未来はもう、決まっているんです」
 苛立ちと憐憫がない交ぜになった声音を遮り、オレは自分の足元を指差す。
「いいや――デッキという名の未来が見えても、現在の、ほんのささやかな出来事が未来を変えることだってある。それを見せてやるぜ! リバースカードオープン!」
 それはあまりにもささやかで、オレ自身も存在を忘れていたカード。
 どうせ役に立たないだろうと、おとりとして出しておいた速攻魔法。

「未来を変えろ――『リロード』!」

 車椅子が大きく揺れ、介助人が慌てて抑えた。それくらい、亜理紗の驚きは凄まじいものだった。
「――そ、それはっ!!!」
 速攻魔法『リロード』は手札をすべてデッキに戻し、シャッフルした後、再び同じ枚数の手札を引くというもの。今、オレの手札は二枚。この二枚を交換することに意味はない。だが、デッキシャッフルによって、デッキの一番上のカードは『ドリルロイド』ではなくなる。
 ――しかも今のショックで、とうぶん透視は使えない! チャンスだ!
 シャッフルの終わったデッキを戻し、手札を二枚引く。会場に夜の静寂が訪れた。この一枚、この一枚がモンスターか否かで、デュエルの運命が決まるのだ。
「行くぜ――」
 勢いをつけて一枚抜く。引いたカードは――

「――デュエルは、まだ終わらない!」

 引いたカードは『早すぎた埋葬』。
「『徴兵令』の失敗により、このカードはオレの手札に加える。さらに『強制転移』の効果が解決され、モンスターを交換!」
 赤龍はオレの上空に、『死霊』は彼女のフィールドに移動する。
「ウリアを生け贄に『氷帝メビウス』召喚! さらにカードを一枚伏せ、ターン・エンド!」

 最後の手札『早すぎた埋葬』を握りしめ、丹田に力を込めて顔を上げた。このターンを最後まで立っていられたほうが、デュエルの覇者となる。
 次のターン、オレは『早すぎた埋葬』で『ならず者傭兵部隊』を復活させれば、いかなるモンスターを消し去ることができる。念には念を入れて、ダイレクトアタックを一度だけ防ぐ罠カードも伏せてある。
 ――亜理紗にとっては、このターンがオレを倒すラストチャンス……。
「あたしのターン。ドロー。スタンバイ。カードを一枚セット。『クリッター』を召喚し、『魂を削る死霊』を攻撃表示に変更します」
 ラストターンだと言うのに、亜理紗は特に気負う気配も見せず、淡々としている。それは、彼女のこなしてきたデュエルの数を、暗に物語っていた。
「手札より魔法カード発動――」
 出されたカードを見て、眼を閉じた。もしこのデュエルを操っている神様がいたとしたら、つくづく逆転劇が好きなんだと思う。まさか最後の最後まで来て、こんな残酷などんでん返しを用意しておくなんて。
「『強制転移』です。『魂を削る死霊』はお返ししますね。その代わり『氷帝メビウス』を頂きます……あたしの、勝ちです」
 ――でもさ、神様。
 そんなに逆転が好きなら、あと一つくらい、大逆転があったっていいだろ?
「罠カード『物理分身』発動! クリッターの攻撃力・守備力をコピーした、ミラージュトークンを守備表示で特殊召喚。……メビウスの代わりに、こいつで我慢してくれ」
「嘘……」
 呆然とした亜理紗を尻目に、クリッターを模した鉛色のトークンは向こうへ、攻撃表示の『死霊』はこちらへ。
 勝負が決したことは、誰の目にも明らかだった。
 ややあって、亜理紗はくすくすと笑い出した。
「あーあ。まさかこんなことになるなんて、すっごい予想外。でも、いちおうクリッターで死霊に攻撃しておきます。なにが起こるかわからないのが、デュエルですから」
 クリッターのローリングタックル。死霊はよろめいたが、しっかり立っていた。死霊は戦闘では破壊されないのだ。
 亜理紗のLPは1600。メビウスでクリッターを倒し、死霊で止めを刺せばオレの勝ちだ。
「オレのターン。ドロー。メビウスでクリッターを攻撃!」
 静かな会場に、メビウスの作り出す水音だけが響く。誰もが終焉を待ち望んでいる。
「そして……」
 最後のカードを使おうとした、そのときだった。
「待ってください!」
 亜理紗の悲鳴のような声に、会場中が何事かと注目する。
「審判! グリーンさんはスタンバイフェイズの終了宣言をせずにバトルフェイズに入りました! よって、巻き戻しを請求します!」
「許可します」
 審判が合図すると、あっという間にクリッターが蘇った。彼女のLPも200から1600に戻っている。
「亜理紗……どうして」
「スタンバイフェイズ終了時に罠カードを発動します。『マインドクラッシュ』! 手札の『早すぎた埋葬』を捨ててください」
 いくつか混乱の声が上がる。どういうことだとわめいている者もいる。彼女の意図がわかった人間は誰もいないようだった――オレ以外には。
「どうして、わかった?」
 そう問うと、返事の代わりに亜理紗はぷいと横を向いた。ふて腐れたように、唇だけ動かした。「わかってるくせに」
 オレは苦笑を返し、二体のモンスターに攻撃宣言を下した。
 ――まったく、これじゃどっちが勝者かわかりゃしない。
「きまったああああああ! このデュエル、挑戦者の勝利だあああああ!」
 ファンファーレやら行進曲やらがスピーカーから鳴り出す。観客席は既に収集が着かない状態になっている。いくつものフラッシュ、ケータイの撮影音の一斉攻撃が始まった。
 ――こういうのも悪くないけど……。
 できれば一ターン目から、お互いベストな状態で闘いたかったと思うのは、勝者のエゴだろうか。デュエルディスクに眼を落とす。残り400ポイント。オレは『早すぎた埋葬』で『墓守の呪術師』を蘇らせるつもりだった。ジュリアの執着から考えて、引き分けにすればかならず、再戦の場を作ると考えたから――。
 ――まあ、いいか。
 明日になったら、天音にたのんで、亜理紗に電話をかけよう。そして、またデュエルしよう。
 オレたちは、デュエリストなんだから。

   ***

 備え付けのインスタントコーヒーは、ほとんど味がしなかった。
 調度品といっても、ベッドと机以外はほとんど何もない、繁華街から少しずれた場所に位置するビジネスホテルの一室だった。オレとローズは簡易椅子に坐って、ジュリアが話を切り出すのを待っていた。
 コーヒーが配られてから五分が経とうとしているのに、ジュリアが一向に口を開かないのは、あまりにも話がこみ入っていて、何から話していいのか分からないから――というわけではなさそうだった。
「あーもう、いいかげんにしなさい!」
 ローズが怒鳴ると、ジュリアはかわいそうなほどびくっとしてスカートから手を離した。目じりに光るものを溜めてローズを見上げ、「で、でもねローズちゃん」と英語で言った――調子のいいときで3割、わるいときで5割ちかく間違える、オレのリスニング能力を信じるとするならば。
 かろうじて理解できたのは最初の一言だけで、子音をばりばり省略した容赦ない合衆国イングリッシュでなにかをまくしたてるジュリアに対し、オレができたことはといえば、受け答えするローズの、後退しかけている生え際を見ながら、「日本人でも英語の上手い人はいるんだなあ」と馬鹿な感想を持つことくらいだった。じっさいニュースで耳にする外国のお偉いさんのスピーチと比べても、ローズの発音はまったく遜色なかった。それに対し、舌ったらずの甘え声を出す『ジュリア』からは、TAD試験会場で話した女の影はかけらも感じられない。声音だけはでない。ごてごてとレースで飾り立てた服装の趣味といい、ときどき手首で涙を拭く仕草といい、まるで叱られた子供だった。あのあとなにかの事故に遭って、その後遺症でこうなってしまったのかと疑いたくなる。
 ローズが不意にオレのほうを振り替えって、
「ごめんねー。このコ、普段はちゃんとしてるんだけど、仕事の後はいつもこうなのよ」
 いったいどんな議論を交わしたいたのか聞いてみると、なんとジュリアは座るとスカートに皺ができて嫌だという、わけのわからん理由でごねていたらしい。
「……オレはてっきり、あの人形の中身と話せるもんだと思ってたんですけど」
「信じられないと思うけど、このコがそのジュリアなのよ。ちょっと待ってて、今、強制的にエンジンかけるから」
 ローズは立ち上がると、ジュリアの肩に両手を置いて、ゆっくりした英語でささやくように何か言った。「責任(レスポンシビリティ)」だけは聞き取れた。驚くべき変化が起こった。ぐずぐずと赤い眼をしていたジュリアが、すっと背筋を伸ばしたかと思うと、マッターホルンの絶壁もかくやという険しい表情になった。十年以上の経年変化を、一秒に凝縮して見せられたようだった。
 大人の女になったジュリアは、例の、人形そっくりの声音で口を開いた。
「失礼シました……はジめまして、ジュリアです。お会いできて嬉シいです、ミドリさん」
「は、はじめまして……美作ミドリです。こちらこそ」
 握手を求めてきたジュリアに応じながら、こっそりと彼女を観察する。
 予想通り、ジュリアは黒髪黒目の日本人ではなかった。ところどころ茶の混じった金髪を顎の辺りまで伸ばし、縁の太い眼鏡の奥に灰色の瞳を持っていた。20代後半だとは後で聞いた情報だが、オレはずっと年上の印象を持った。
 多重人格ではないという。これも帰りの車中でローズから聞いた話だ。精神を病んでいるのではないかと口にしたオレに、ローズはこんなことを言った。
「ミドリくんが思っているより、世の中にはいろんな人がいるのヨ。アタシは良くも悪くもオカマっていう、マイノリティのなかでも知名度の高いほうにいるから、いまさら「お前は病気だ」なんて否定されたりは……まあ、あるにはあるけど、少ないわ。ジュリアちゃんのそれも知名度が低いだけで、同じなんじゃないしら。『普通』ではないけど、あれがあのコの実像なのヨ。少なくともアタシはそう思って付き合ってる」
 ジュリアはもう一度居住まいを正すと、緑がかった灰色の視線をオレによこした。
「さて、お呼びだてシた理由は他でもありません。エックスのことです。ローズさん、例の写真を」
「もう彼には見せたわ。ミドリン、さっきのスナップ写真、持ってる?」
 首肯を返して、写真を取り出した。もう一度眺めてみる。写っているのはスカル・デーモンとオレの背中。他に変わった所はない。
「それは、13ターン目に撮った写真をそのままプリントアウトしたものヨ。アタシの言ってる意味、わかるかしら?」
 亜理紗が『神炎皇ウリア』を出したターンだ。――そこで違和感に気づく。アングルがおかしい。撮影者はデュエルではなく、その上空、厚い雲をメインにすえている。まるで空を飛んでいる何かを狙ったかのように。
「まさか……写ってない?」
 ローズは大きく頷いた。
「その写真だけじゃないの。ありとあらゆる角度から、何枚もウリアを撮ったけど、どこにもあの姿は写ってなかったわ。ビデオも全滅」
「……故障じゃないんですか? ソリッドビジョンって精密機械に影響を与えてしまうんでしょう?」
「よく見て。ミドリくんのモンスターは写ってるわ。カメラの故障とは考えにくい。となると、原因はあのカード、そのもの」こちらの反応をうかがうように、ローズは一呼吸おいた。「ジュリアはこう仮説を立てたわ。デュエルディスクはあのカードの画像データを読み込めなかった。ウリアは、最初からソリッドビジョン化されてなかったんじゃないか、ってネ」
「じゃあ、オレが見たウリアは何だったっていうんですか? ローズさんも見たでしょう?」
「集団ヒステリー」
 ローズの答は簡潔だった。
「特定の集団が、同時に同じ妄想や幻を見る現象ヨ。こっくりさんに代表されるターニング・テーブルや呪術的儀式で、参加者全員が霊を見たと証言する例は昔から報告されているわ。カードゲームはもともと占術から派生したものだし、あそこにいたのは誰もがM&Wという概念を共有する人たちばかり。集団妄想が起こってもおかしくはないわネ」
「バカな!」
 あの威圧感が、存在感が、幻だった?
「ミドリくん、落ち着いて。その可能性があったから、観客を何人かつかまえて訊いてみたの。モンスターの体色、目の数、翼の形状、腕の有無、皆、まったく同じ答を返してきたわ。あれは集団ヒステリーではありえない。もし幻視の類なら、細部が食い違うはずだもの。カメラに写らない何かは、確かに存在していたのヨ」
「いったい――なにが?」
「その先は、私から説明シましょう」ジュリアがようやく口を開いた。「あのカードを、そしてエックスを生み出してシまった、責任者とシて。
 しかし、これから私がする話は、時に現実とかけ離れているように聞こえるかもシれません。私どもとて、起こっている全てを理解シているとはいえません。ですがどうか、最後まで聞いてください。始まりはそう、ペガサスという男が、M&Wを生み出シたことから始まります――」
 今からさかのぼること約十年、ペガサス・J・クロフォードという青年の手によって、M&Wは生み出された。ペガサスはもともとラスベガスのカジノをいくつか経営する大富豪の一人息子だったが、あるとき、なにを思ったか古代エジプト神話をモチーフにしたカードゲームのデザインを始めた。
「今でこそ古今東西の神話や伝説の坩堝となったM&Wですが、そのころはまだ、エジプト神話関連のものばかりでシた。ミドリさん、あなたの所有する『ホルスの黒炎竜』がまさシくそうですね。ホルスは古代エジプトで長きにわたって崇拝されていた太陽神の名前です。エジプト名はヘル。隼を象徴とし、ウジャトの両眼は月と太陽だといわれています」
 発売当初から大ヒットを記録したM&Wは、四年後、つまり今から六年前には、すでに初の全米大会が開催されるほどの人気ゲームにのし上がっていた。そこで優勝した人物は、さすがのオレでも知っている。悪名高き元全米チャンプ、バンデット・キース。出場した大会の賞金を残らず掻っ攫っていくことから、盗賊の異名がついた。
「このキースを、I2社は徹底的にパブリシティに利用シました。この年始まったTOD――Test Of Duelistsのイメージキャラクターに抜擢シ、彼を通じてプロのデュエリストの存在を世間に認知させまシた。M&W学部の設立も、彼の影響と言えるでショう。そういう意味では、彼の功績は大きい」
 しかし、とジュリアは声を一段階低めた。
「名声がキースを変えたのか、それとももともとそうだったのか、一年もシないうちに、彼は女性問題や暴力沙汰、イカサマ騒動など次々と問題を引き起こすようになります。彼自身、自らイエロー・ジャーナリズムにネタを提供シ、見返りを得ていたこともあったようです。そこでペガサスは、100万ドルを餌に彼を賞金マッチの場に釣り上げ、デュエリストとシて再起不能の傷を負わせまシた。……キースから見れば、利用するだけされて棄てられたように感ジたでショうね。もちろん、お互い様なのですが。
 さて、キースが表舞台から消えたのと同時期、ペガサスはKC社長の海馬とある契約を交わシます。内容は大雑把に言って、I2社はM&Wの人気キャラクターを貸シ出す代わりに、KCはゲームシステムを提供する、というものでシた。ペガサスはKCのソリッドビジョンシステムを必要とシていましたシ、海馬は当時進めていた、Zプロジェクトをより明確なものにできたのです」
「Zプロジェクト?」
「海馬ランド建設計画のことです。当初の予定では、今のようにM&Wのキャラクターではなく、動物たちが主役でシた。それでZoo(動物園)プロジェクトと呼称されていたようです。
 それから一年後、つまり今から四年前、ある事件をきっかけに、KCで次のビッグプロジェクトが立ち上がりまシた。これは、Yプロジェクトと呼ばれています。ユウギムトウのYといえば分かりますか」
「すいません、政党には詳しくないもので」
「人名です。武藤遊戯。のちに初代決闘王となった少年です」
 オレは小学校を卒業するかしないかの頃、KCの株価暴落が話題になったことがあった。その引き金を引いたのが、なんとこの少年だという。
「ペガサスがキースを下シた話は覚えていますね? この圧倒的な勝利によって、ペガサスはゲーム界のカリスマとなり、M&Wの売り上げは倍増シたといわれています。海馬も日本で同じ経営戦略を採っていました。M&Wを含めたあらゆるゲームの頂点に立つことで、自らを子供たちの憧れの的とシていたのです。だからこそ、彼が遊戯に敗北シたことは、KCの信用に大きく響いてシまった。
 再戦のため、海馬は武藤遊戯に関するあらゆる調査を指示シました。それがYプロジェクトです。そして彼らは――遊戯の心に、二人の人間が住んでいることを発見シたのです」
 ジュリアはすっかり冷めたコーヒーに手を伸ばした。
「話がよく見えないんですが、初代決闘王が二重人格だったことと、オレと亜理紗を闘わせたことにどんな関係があるんですか?」
「彼はただの二重人格ではなかったのです。彼のもう一つの人格は、千年パズルと呼ばれるアイテムが生み出シていたものでした。このアイテムの解析こそ勝利の鍵だと考えたプロジェクトのメンバーは、Yプロジェクトから人員を裂き、新たにXプロジェクトとシて、千年アイテムにまつわる調査・研究を始めまシた」
「つまり、亜理紗も千年パズルとやらを持っている、と? それがあの超能力をもたらしているんですか?」
「いい線ですが、それは正確ではありません。Xプロジェクトについてはひとまず置いておきまショう。もう少シだけ、お付き合いください。この年は、M&Wの歴史の中でも激動の一年でシた。まずI2社主催の大規模公式大会、『デュエリストキングダム』を隠れ蓑に、KC乗っ取り未遂事件が起きまシた。表沙汰にはなっていませんが、水面下では誘拐や株の違法取引など、さまざまな抗争があったそうです。紆余曲折を経て、ペガサスが志半ばで倒れたこともあり、結局はKC側の勝利に終わりまシた。そしてこの事件によって、ゲーム業界のパワーバランスはひっくり返ります。これまではI2社の補佐役にすぎなかったKCが、I2社にほぼ無断で大規模な大会――バトル・シティの開催に踏み切ったのです。しかも、KCはその優勝者である遊戯に、『決闘王』という称号まで与え、優勝商品として、世界に一枚ずつしかないカードを三枚、送ったのです」
「いわゆる『エジプシャンゴッドカード』ネ。ペガサスが直接デザインした、最後にして最強のカードといわれているわ」
「余談になりますが、このときグールズという違法カード売買組織が壊滅シたことも、海馬の手柄に花を添えました。そうなってくると、面白くないのはM&Wの開発元であるI2社です。バトル・シティのすぐ後、I2社は新たな大会を開催シ、優勝者に『二代目決闘王』の称号を与えてシまいます」
「実際には表彰式で、『第二の決闘王』としてこれからも頑張ってほしい、と言ったのが、曲解されて世間に伝わってしまったわけなんだけどネ」
「それに報復するように、KCはTODを改良したTADを始め、二社の関係はさらに悪化シます。I2社がペガサスを失って混乱の只中だったこともあり、M&W界の主導権をめぐり、二つの会社は己の力を誇示するように次々と大きな公式大会を開催。三代目、四代目の決闘王が誕生シました。この期間はM&W界にとって、まさに暗黒期だったといえます」
 この混乱がもたらした唯一の利点が、ユーザーの質の向上だった。いわゆる「上がしっかりしないなら自分たちが」という発想だ。この年から翌年にかけて、ネットを通じてさまざまな情報交換、自主的な大会の開催などが活発になり、それまでにないハイレベルなデュエリストやチームが数多く生まれた。なかでも最も有名になったのが、五代目決闘の所属するチーム『アギルト』だ。
「当然の帰結とシて、M&W人気は下がる一方、I2社では、製造権をKCに譲ってはという話さえ持ち上がる始末でシた。そこで私を含む反対派が、I2社の、そしてM&Wの人気を取り戻すべく打った大博打が、ニューヨークシティで行われた世界大会だったのです。我々は絶対に失敗するわけにはいかなかった――そして私たちは、M&Wの禁忌に触れてシまったのです」
 お代わり淹れようか、とローズが三つのコーヒーカップを持って立ち上がった。くねくねした立ち居振る舞いを目の端で捉えながら、オレは聞かされた話が頭からこぼれ落ちないようにするのに精一杯だった。
 Xプロジェクト。I2社とKCの確執。エジプシャンゴッドカード。写真に写らないウリア。
 M&WとI2社の再興のために、禁忌に触れたジュリア。
 ――オレと亜理紗は、いったいなにに巻き込まれているんだ?
 湯気をのせたカップが運ばれてきた。ジュリアは一口飲んで、話を再開した。
「当時、企画部にいた私は、M&W大会史上、もっとも成功を収めたバトル・シティを参考にシました。その一環とシて、エジプシャンゴッドカードに酷似したカードを三枚、造り出すことにシたのです。神の名を冠するカードを」
「もしかして、それが」
「そうです。そうシて造られたカードの一枚が、亜理紗さんの所有する『神炎皇ウリア』なのです。もともとは五代目決闘王に送られたものでシた。デザインを行ったのは、美術チームの責任者だった、ムーアという男です。
 話は前後シますが、大会が行われる少シ前、われわれはこの三枚の新カードのデバッグに勤シんでいました。デバッグというのはわかりますか?」
「バランス調整のことですよね?」
「そうです。試作段階のカードを既存のデッキに組み込み、どう動くか、ゲームバランスを壊シていないかなどをひたすら調べる地道な作業です。当時は大体数人から十数人でデバッグを行っていまシた。カードの知識さえあれば難シい作業ではありませんから、手の空いた者が気分転換にやっていた節もありまシたね。私とムーアももちろん参加シていました」
 最初はなんともなかった。ところが大会が近づくにつれ、そのカードを使うと急に気分がわるくなったり、酷いときには一時的な昏睡状態に陥る人間が現れたのだという。ジュリアはデバッグに使っていた部屋を変えたり、専門家を呼んで調べさせたが、原因はわからなかった。そのうち、カードの幻影を見る者まで現れ、だんだんと、神の呪いだという噂までがたった。
「んなバカな」
「当時の私も同じ気分でシた。私とムーアだけは、そういうことは一切ありませんでシたから。結局、私たち二人が無事であるということを根拠に、呪いは否定され、三枚のカードは上位入賞者の手に渡ってシまったのです」
 世界大会は大成功を収め、業界にかつての盛況が戻ってきた。ジュリアとムーアにも積極的なヘッドハンティングの声がかかるようになる。KCからも熱烈なオファーが来たらしい。ジュリアは断ったが、ムーアという男は好条件を求めてKCに移籍した。ところが彼を待っていたのは、カードメイカーとしての仕事ではなく、KCの専属デュエリストとしての待遇だった。
「なぜ?」
「ここでXプロジェクトを思い出シてください。プロジェクトはあれからずっと続いており、千年パズルに関する二つの大きな事実を発見シていまシた。まず、千年アイテムは七つあり、千年パズルはそのひとつなのですが、この千年アイテムの所有者――これをプロジェクトではエックスと呼称シています――は、同じエックス以外の人間にデュエルで負けることはない、という事実です」
「……どういう、意味ですか?」
「そのままです。エックスは絶対にデュエルに負けない。負けたことがない」
「しかし……そんな、まさか。だって、ありえないでしょう?」
「事実です。もう一つの事実は、千年アイテムが古代エジプトに由来シ、ペガサスの作り出シたエジプシャンゴッドカードとも何らかの関係がある、ということです。ゴッドカードは、千年アイテムにクオリファイドされた――選ばれたものシか使うことができなかった。それ以外の人間が使えば昏睡したり、発狂したり、最悪の場合、死に至ることもあったそうです」
「それって……!」
「私たちがデバッグに使ったカード――われわれはシャム(にせ)・ゴッドカードと呼んでいますが、それと似ています。ここからは仮説ですが、千年アイテムとは、おそらく古代エジプトの神――神という言葉が信ジられなければ、スピリチュアル・パワーと言い換えてもらっても構いませんが――それを制御するためのアイテムだったのではないでショうか。そのことに気づいたペガサスが――いい忘れまシたが、彼も千年アイテムの所持者でシた――カードをヨリシロとして、神の力を持つカードを作り上げた。それが、三枚の神のカード」
「ちょ、ちょっと待ってください。それが本当なら、そのエジプト神のカードは今どこに?」
 ジュリアは残念そうに首を振った。
「もうこの世にはありません。バトル・シティの後、初代決闘王が、全ての千年アイテムと共に、エジプトのあるべき場所に封印シたそうです」
 しかし、シャム・ゴッドカードを作り出してしまったために、それらは新たなよりしろとして働き、封じられたはずの神の力を甦らせた。神が現世に戻ったことで、連鎖して千年アイテムの力も甦ったが、既にアイテムそのものは失われていたため、新たなよりしろとして人間の身体を選んだ。そうして選ばれた新たなエックスが、亜理紗なのではないか――そうジュリアは締めくくった。
「…………でも、仮説、なんですよね。もっと科学的に調査すれば、まったく別の要因が見つかるかもしれないわけで」
「それは否定シません。ただ、この仮説には傍証があります。千年アイテムの所持者に選ばれると、現代科学では説明のつかない異能の力を得られるそうです。パズルは結束の力、リングは探知の力、義眼は心眼の力、天秤は裁きの力、錫丈は支配の力、鍵は侵入の力、そしてタゥクは、予知の力を。そして亜理紗さんは、われわれの知るかぎり、デッキの一番上を知る力を持っている。それを可能にする力は、一つシかない」
「じゃあ亜理紗の力は透視じゃなく、未来予知……?」
「私はそう考えています」
「しかし……。そもそもなんで、そんなものに亜理紗が選ばれたんです?」
「千年アイテムの選別方法については、私にもわかりかねます。ただ、最初に選ばれたのは、亜理紗さんではなく、“アギルトの託宣者”――五代目決闘王だったのかもシれない。彼もまた、予知能力と『ウリア』の持ち主でシた。しかし何らかの理由で、亜理紗さんがウリアとその力を受け継いだ」
 五代目決闘王は二年前に死んでいるはずだ。ということは、亜理紗はその代わりとして選ばれた……?
「私の仮説が正シければ、この世にエックスは7人いるはずです。シャム神の一枚を使いこなすことができ、あなたを除けばこれまで無敗の経歴を誇っていた城ヶ崎亜理紗、そシて、デバッグでなんら影響を受けなかった私とムーアはエックスであると言えるでショう。今まで分かっていたエックスはこの三人でシた。しかし今、四人目が現れた」
 灰色の両眼がオレを見据える。オレはコーヒーカップに目を落とした。
「途中から、なんとなく予想がついてました。でないとエックスはエックスにしか倒せないというルールが成り立たない。……そうか、TAD試験は、エックスを探すための網だったんですね」
「その通りです」
 KCがムーアを引き抜いたのは、このためだった。一戦目でプロ級のデュエリストと戦わせ、勝ちぬいた人間とムーアを闘わせる。正確には、ムーアが指示を出している代理人をだ。そうすればムーア一人で何十人もの相手と同時にデュエルができる。ムーアに勝てばそいつがエックス。負ければただの人間か、ムーア以下の力を持つエックス。代理人がデュエリストである必要はなく、アルバイトでいい。その中に、ジュリアは自分の息のかかった人間をもぐりこませることに成功していた。かくしてローズという網に引っかかったのが、オレだったというわけだ。
「エックスの話についてはよくわかりました。しかし、なぜ亜理紗とオレを闘わせたんです? オレを見つけた時点でこの話をしてもよかったはずでは?」
「念のため、です。……結局のところ、私は私がエックスであるという完全な証拠を持ちません。本物のシャム神を使ったことはなく、亜理紗さんには勝てなかった。確実にエックスであると分かっている人間は、この世でただ一人、亜理紗さんシかいない。その亜理紗さんに勝てれば、間違いなくエックスであると証明できる」
 だからジュリアは罠を張った。ローズがジュリア側の人間だという情報をあえてばらまき、KC側の関係者(それがナナだったことは、運命というべきか)の前で、地区大会に出場してウルフを倒すと宣言する。さらにトーナメント表に細工まですれば、いくら鈍感な人間でも、ジュリアの宣戦布告に気付く。KCはジュリアを迎え撃とうと亜理紗を出すが、相手はオレだった……そういう筋書きだ。
「オレが負けるとは考えなかったんですか」
「……あなたを信ジていまシたよ。二年前、私が亜理紗さんと闘ったときは、引き分けに持ち込むのがやっとでした。その私を、あなたは倒シてくれたのですから」
 それでようやく話は今につながる。ジュリアの目論見は成功し、オレは亜理紗に勝って、めでたくエックスであると証明してしまったわけだ。
「お話は良く分かりました。で、とどのつまり、あなたの目的は何なんです? オレがその何とかアイテムに選ばれたってことを確かめて、どうしようって言うんですか?」
「ミドリさん、企業から見て、エックスにはどんな価値があるか判りますか」
「? なにかあるんですか?」
「『絶対に負けないデュエリスト』はそれだけで価値があります。たとえばどれだけ高額な賞金マッチを開催シても、「エックスに勝てば」という条件をつけるだけで、賞金は誰にも渡さずにすむ。これだけでも、エックスの価値が分かるでしょう」
「企業が……そんなことを?」
「実際に彼らの頭の中にあるのは、エックスというヒーローを世に放つことです。ペガサスや海馬、初代決闘王といった伝説の、次なる一ページとシて。そして伝説を「所有」できた企業は、圧倒的なアドバンテージを得ることができる。
 I2社とKCの確執は、エックスという人材の奪い合いに収束シようとシています。どちらの企業も血眼になってエックスを探シています。そしてあなたがエックスであると証明シてシまった以上、もはや中立は許されません。かならずどちらかにつかなくてはならない」
「そしてI2社のジュリアさんとしては、オレを味方に引き込みたい。だからこんな手の込んだことをした……ということですか?」
「そうだといったら、どうシます?」
「お断りします」
 オレは席を立った。
「わけの分からない闘争に巻き込まれたくはありません。オレがデュエルする理由を誰かに決められたくもありません。失礼します」
「話はまだ終わっていません」
「オレは協力しません」
「だからこそ、です」ジュリアは語気を強めた。「だからこそ、私の話はあなたにとって価値があるはずです。どうぞ、座ってください」
 オレはジュリアの顔と指された椅子を見比べ、ローズを見た。ウインクされた。
「……聞くだけですよ」
「ありがとうございます。実を言えば、私もミドリさんと同ジ意見です。私はもともとデュエリストではない。企画部の人間です。しかしI2社は私にデュエリストとシて生きる道シか用意してくれない……だったら、どうすればいいと思います?」
「I2社を辞める」
「霞を食べて生きていけるならそうシますが。それ以外で。ヒントはさっきの話の中に出てきまシた」
「……初代決闘王、武藤遊戯」
「正解です。彼が行った儀式をもう一度行う。エックスの能力は消え、I2社もKCもエックスを追う必要はなくなる。七つの千年アイテムと、三枚の神のカードがあれば可能です」
「エックスの能力が消えれば……亜理紗は、何も見えなくなってしまいますよね」
「はい」
「だったら、お断りします。ジュリアさんには申し訳ないですけど、企業の問題は企業の中で解決してください。オレはだれにも与しません。I2社にもKCにも、ジュリアさんにも」
 ジュリアは子どものわがままに付き合う母親の表情をした。
「そんなことが許されると、本当に思っていますか? 世界に名だたる大企業が、子ども一人に何もできないと?」
「……そのときはそのときです。少なくとも、あなたにつく理由はない」
「理由はあります。このままでは、あなたはもう二度と、亜理紗さんとデュエルできない。KCがそれを許さないでしょう」
「KC側につけばいい。亜理紗の味方ならデュエルできる」
「一度はI2社側についたあなたを、果たシて彼らが信用シますか?」
「…………そういう、ことですか。オレと亜理紗を闘わせた本当の理由は」
「言ったはずです。「念のため」だと」
 ジュリアがオレと亜理紗を闘わせた本当の理由はこれだったのだ。オレがジュリアの依頼を受けて、亜理紗と闘った。その既成事実を「念のため」作り上げるために、オレには何も知らされなかった。
「……オレと亜理紗は親友です。誰の許しを得なくても、デュエルしようと思えばできる。これまでだってそうだった」
「だったら、訊いてみますか?」
 メタリックレッドの携帯電話を差し出された。
「なんですか」
「亜理紗さんにつながります」
「彼女は携帯をもってません」
「そばにいる人間は持っています」
 オレは既に番号が表示されているそれを受け取って、発信ボタンを押した。数回のコールのあと、亜理紗ではない女性の声で、「もしもし」
「もしもし、えー、美作ミドリと申しますが、亜理……城ヶ崎さんはそちらにいらっしゃるでしょうか」
「え、ミドリ君!?」
「な、ナナさん!?」
 どこでこの番号を、と訊かれて、しどろもどろにジュリアって人が、と答えると、それだけでナナは全ての事情を理解したようだった。
「……そっか。ジュリアが。言ったでしょう? 私はあなたの敵だって。私はKC側の人間だもの。彼女に替わるわ」
「もしもし」今度は間違いなく亜理紗の声だった。「もしかして、今、ジュリアさんと一緒にいるの?」
「うん」
「そう……じゃあ、もうあたしたち、普通にデュエルできないね」
「そんなこと……ないと思う。オレはどこにも所属するつもりはない。I2社の味方でなければ、KCだって……」
「無理だよ……あたしたちがいくら望んでも、KCは許してくれない」
「許す許さないの問題じゃないだろう」
「……私が勝手にデュエルしたら、いろんな人に迷惑がかかるもの」
「だったら、そんなとこ辞めてしまえばいい!」
「それは……できない。私は、プロになりたい。ならなくちゃいけないから……」
 泣くのをこらえているような声。亜理紗にとってどうしても譲れない、大切なものがそこにあることがわかった。
 オレはどうすればいい? KCについても、亜理紗とデュエルすることは叶わない。ジュリアにつけば、全盲の亜理紗が唯一見ることのできるものまで奪ってしまう。I2社につけば、亜理紗と闘うことはできるかもしれないが、友達づきあいすることは許されないだろう。
「それでも、オレは亜理紗とデュエルがしたい。何度でも……!」
 叫びながら、これではまるで告白だと思った。顔が熱かった。亜理紗が「あたしも。あたしもミドリとデュエルがしたい」と言ってくれたときは、幸福感にめまいがした。
「もし……もし、ミドリがジュリアさんサイドに行ってくれたら、デュエルできるかもしれない」
「……え?」
「あたしは、ミドリに負けたままじゃ、かっこ悪くてプロになれない。そういうことにするの。ミドリは、あたしの千年アイテムと、『ウリア』が欲しい。あたしたちの目的が一致していれば、KCとI2社はあたしたちを闘わせてくれる。きっと、その舞台を用意してくれる。あたしたちはそこで闘って、……勝ったほうが目的を果たす。恨みっこなし」
「……でも、千年アイテムを失ったら、亜理紗は……その」
「それも含めて。恨みっこなし」
 そこまで言い切られてしまっては、もはや反論の仕様がなかった。既にチップはテーブルの上に置かれてしまったのだ。オレに決められるのはチップの変更ではなく、テーブルにつくかつかないかだけ。
 電話を終えたオレは、ジュリアに向き直った。

「ジュリアさんに、協力します。……亜理紗と、もう一度闘うために」


エックス 第一部 デュエリスト編 完




 ☆アトガキ☆

 第一部完。お久しぶりです、プラバンです。
 恒例のアトガキでございます。
 大変長らくお待たせしました。
 ここまで読んでくださった方、ずっと待っていてくれた方に、心よりの感謝を。
 長くてごめんね。

 さて、ようやくエックスの本当の正体が明らかになりました。
 エックスは特定の人の名前ではない、と推理されていたあなた、大正解です。
 今回は外してしまったあなた、大丈夫です。伏線はまだまだあります。(趣旨が違う)

 むかしむかし。若き日のプラバンは友人に向かって、「誰も悪くない悲劇が書きたい」とのたまったことがあります。
 ハッピーエンドを作るために悪者を登場させたり、主人公に悲劇を味あわせたり、そういうことはしたくない、と。
 悲劇に思えたことは、本当はなんでもなかった。ただの勘違いだった、そういう、誰にとっても円く収まるハッピーエンドが書きたい……と、おぼろげに考えていました。
 だから、こうしてミドリと亜理紗が(いちおう)ハッピーエンドを迎えたことに、ほっとしています。
 しかし青春はこれからだ。がんばれミドリくん。

 第一部は、デュエル嫌いのミドリがデュエリストとして成長していく話、を意識していました。
 それは書き手であるプラバンにとって、真のデュエリストとはなんなのか、問い直す過程でもありました。
 デュエリストとはなにによって確立されうるか? デュエリストをデュエリストたらしめているものとは何か?
 ミドリ君の目指す真のデュエリスト像がどんなものか、まだわかりませんが。
 「デュエリストだからデュエルする」という答えに至り、デュエリストとしての自覚に目覚めたことだけは確かなようです。
 これからも彼と、彼の仲間を応援してやってくださると、生みの親として、これほど嬉しいことはありません。
 ご愛読ありがとうございました。

 それでは、第二部をお楽しみに。


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