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第九話 狐のジレンマ


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 やがて寝息が聞えてくると、天音は音を立てぬようにそっと立ち上がった。オレもそれにならった。雨は止んでいる。いったいどんな寝顔をしているものかと覗きこんだ。美少年のそれというより、あどけない少年の寝顔があった。普段の整った顔立ちを見慣れているだけに、ぽかんとした表情がいっそう幼く見えたのかもしれない。廊下に出た。天音はオレを見あげ「ありがとう」と言った。「ごめんなさい」に聞えた。きっと彼女もそういいたかったのだろう。オレは「気にしてない」のつもりで「どういたしまして」と返した。
 それきり天音は俯いてしまい、オレのほうから話しかけることもなかったので、玄関までのわずかなあいだ、気まずい沈黙と同行することになった。家を出るなり「じゃね」と言って別れた。昏く濡れた路面を走り去っていく彼女の後姿を見ながらオレは漠然と、自分のついた嘘について考えていた。
 天音の姿が消えると同時に、待ち構えたように白のライトバンが現れ、オレの前で止まった。


 話は一時間ほど前にさかのぼる。
 既に閉会式も幕を閉じ、人気の減った会場に、オレは所在なく突っ立っていた。
 ジュリアの体が空くまであと一時間。「それまでどこかで遊んでらっしゃい」とローズに送り出されたものの、ぼんやりする以外にすることがない。家族には遅くなると電話した。大学の校舎でも見学しようかと立ち上がったとき、誰かに名前を呼ばれた気がした。
「――ミドリ」
 薄暮の中に見慣れぬ少女が立っていた。タイトなホワイトジーンズ、マドラスチェックの上着を羽織り、革の肩掛けバッグを提げている。天音だと気付くのに数秒を要した。
「誰だかわからなかった」
 挨拶代わりに見たままを述べると、
「さすがにあのままじゃ寒いから、着替えてきたの。みんなは?」
「アキラとナナさん……看護婦さんは病院に戻った。井村先輩は機材の片付け。百目鬼の具合は?」
「ぜんぜん大丈夫。ただの日射病だって。今、家で寝てる。あ、それと」
 天音は心底ほっとした声で言った後、一呼吸おいて、
「            」
 と言った。
「なんだ、知ってたのか。エキシビジョンマッチの結果」
「途中から見てたの。それで、亜理紗さんのことなんだけど、ミドリに」
 派手な電子音をかき鳴らして、ビートルズのメロディが割り込んでくる。天音は「ちょっとごめん」と言って携帯に出た。「大丈夫?」「うん。ミドリと一緒にいる」「今から? ちょっと待って」そこで通話中の携帯から顔を上げて、「ミドリ、これからちょっと時間ある?」
「一時間くらいなら」
「百目鬼君がさ、ミドリの口から直接、決勝戦とエキシマッチの様子を聞きたがってるんだけど、いいかな?」
「もちろん」
 というわけで十分後、オレは百目鬼の部屋にいた。途中で夕立に降られたため(デッキは天音のバッグに入れて事なきを得た)、タオルを借りて頭を拭きながら部屋を見回してみる。オレの部屋と違って広い。しかもこれは寝室で、彼の部屋は別にあるのだ。ベッド脇にはミュージックコンポとCDラック(どれもオレの知らない洋楽だ)、白木のチェスト(「普通の」服はすべてここに仕舞ってある。クローゼットはコスプレ衣装でいっぱいだからだ)、定番すぎてあまり見かけない黒ベルの目覚まし時計。カレンダーもポスターもないが、唯一、何も入っていない額縁が壁に掛かっている。
 百目鬼はTシャツにバミューダショーツという涼しげな姿でベッドに横たわって、白い顔だけをこちらに向けていた。倒れたときに比べればいくぶん血の気が戻った気がするが、それでも平常とは程遠い。顔色が青いぞ大丈夫かと訊くと、
「青は嫌いだ」
 思わず天音と顔を見合わせた。百目鬼は何かに憑かれたように、
「青なんか嫌いだお前は青がなにをしたか知ってるかあいつはボクがやめてくれって言ったのにあんちくしょうぶっこわしてやるふざけんな乱暴な消えてしまえばいいお前がミドリでよかったアオだったら縁を切っていたかもしれないからな」
「ほんっとうに、大丈夫か? オレは美作だ。わかるか?」
「……ああ、美作か。悪いな。ちょっと混乱しているだけだ。シニフィエの話は覚えているか?」
「井村さんの話?」
「そうだ。赤という言葉がなければ赤色は見えない、言葉がなければ認識もないという話だったな。僕様は時々、青という言葉を忘れてしまいたくなる時がある。そこには」
 といってわずかに上体を起こす。視線の先を追うと、空の額縁があった。
「本当は大事な写真が入ってたんだが、青も一緒に写っていたから、取ってしまった。……変な奴だと思うだろう?」
「お前の変態さには十分慣れてる。どうした、何があった。オレに話せることか?」
 百目鬼はしばらく俯いていたが、やがてゆっくり首を振った。
「大したことじゃない。久しぶりに旧友に会ったんで、昔の失敗を思い出して動揺してただけだ。それより、決勝戦はどうなった? 勝ったのか?」
「まあな」
「じゃあ、エキシマッチにも出たんだな? なら、そっちから教えてくれ。決勝戦の様子は大体想像がつくから」
 雷鳴が轟き、雨粒がいっそう強く窓を叩き始める。急に部屋の温度が低くなった気がした。
 オレは百目鬼を見返して、
「わかった。うまく語れる自信はないが――まあ、聞いてくれ」


 鼓膜が割れるような歓声だった。
 デュエルフィールドから見下ろすグラウンドが狭く感じるのは、あまねく広がっている観客のせいだ。フィールド――六メートル四方の即席ステージを境に、外側は文字通り人、人、人、人、人……で埋め尽くされている。床机やブルーシートに座っている人も多い。様々な顔があった。小学校に入る前のような小さな男の子から、ケータイをこちらに向けているOL風の女性、車椅子に坐した白髭老人、松葉杖をつく中年男性、髪を染めた高校生らしきグループ、ブラックマジシャンガールのコスプレをした母娘、ひときわ背の高い緑の目をした外国人、「Go! Win! Green!」と書いた画用紙を掲げている女子中学生、ラフな恰好でカメラを回している鬚男、半分寝惚けたような眼の詰襟学生……さながら運動会の父兄のような賑わいだ。共通項のない集団の、誰もが期待に瞳を輝かせている。彼らのM&Wに対する情熱が、人いきれと一緒に押しよせてくるようだった。
 グラウンドの周縁部には、サッカーの屋外競技場にあるような巨大スクリーンが設置されている。デュエルが始まれば、オレたちの姿が大写しになるのだろう。声までは拾われないと信じたい。
 オレは万感の思いを込めて、これから闘う相手――ミス・エックスに視線を送った。
 彼女と出逢ったときのことは、昨日のことのように思い出せる。アキラの病室と間違えて彼女に不審者扱いされたのだった。誤解が解けると彼女は言った。「あたしとデュエルしてくれませんか?」しぶしぶ弟に付き合っていただけのオレに、デュエルする理由ができた。彼女と過ごした日々は楽しかった。好意を寄せられれば桃源を垣間見、それが誤解に基づくものだと知ったときは地獄の底を見た気がした。そんな日々もまた楽しかった。それなのに。
 それなのに。
 断ち切ってしまった絆が、めぐり巡っていま、オレに牙を剥いている。たった一度、あのとき彼女の名前を呼べなかった罰がこれなのか。オレがあの時名前さえ呼べていれば、未来は変わっていたのか。それとも――?
 耳障りな機械音を露払いに、スピーカーが司会者のだみ声を流し始めた。
『――えー、ミス・エックスは事情により介護人を必要とされますので、美空自立支援センターの方が補助に付かれます。彼女はデュエルにおいては身体的補助を担当し――』
 車椅子に乗った彼女は、病室で見たときよりずっと小さく見えた。華奢ななで肩。赤い唇、つんとした鼻。光沢を放つおかっぱ頭に、彼女が盲目であることを示す細い銀の輪が挟まっている。外見を見る限り、普通の女の子だ。大きな瞳がその役割を果たしていないことが、わるい冗談のように思えてくる。
『――えー、デュエルにおける敗北条件は、三つあります。一、ライフが0以下になった場合、二、デッキ枚数が0になった場合、三、その他エクゾディアなど特殊条件により、相手プレイヤーがえー、勝利した場合。エンドフェイズ時にえー、これらの条件のいずれかを満たしていた場合、えー、そのプレイヤーは敗北します。双方のプレイヤーがえー、条件を満たしていた場合はえー、引き分けとなります。続いて、えー、ダメージステップにおける注意点について――』
 罪悪感が今更ながらに胸を締め付けた。闘いたくない。闘うべきではないと叫んでいるオレがいる。なぜオレが彼女と戦わなくてはならない? M&Wを続けていたのは、彼女とこんな風に戦うためではなかった。こんな場所で争うためじゃなかった。同じ目線でものを見、感じ、そして共通の話題を持ちたかっただけなのに。
 このデュエルは、受けるべきじゃない。
 ――本当に?
 心の片隅で、もう一人のオレがゆっくりと起き上がる。本当にそうか? オレはただ、彼女から逃げ出したいだけじゃないのか? ウルフやローズ、ナナと闘ったのは、本当に彼女のためだけだったか?
 デュエルを逃げ口上に使うなよ。
「――ミス・エックス、デュエルの前に、聞いてほしいことがあります」
 観客までは届かない大きさの声でそう切り出すと、彼女の表情がはっきりとこわばった。勘のいい彼女のことだ。声でオレだと気付いたのだろう。グリーンという名前から、もしかしたらという予感もあったかもしれない。
「この大会に出たのは、もともとオレの本意じゃありませんでした。ある人から、出てくれといわれて出場した、それだけです。でもデュエル自体は楽しかったし、この大会に出てよかったと思えました。さっきまでは、本当にそう思っていました」
 彼女は身じろぎもせずに聞いている。乾いた唇を舐め、続けた。
「でもオレ、気付いたんです。このままじゃ、あなたとは闘えない。――すごく身勝手に聞えると思うけど、闘う前に、あなたに謝らなくちゃならないんです。M&Wを続けてこられたのも、この場所にもこられたのも、みんなあなたのお陰です。でも、オレ、あのとき――」
 彼女は相変わらず無表情で、オレの右肩あたりに目線を投げている。スピーカーからは長広舌が続いている。ふと、彼女が口を開いた。
「――もう、いいんです」
 彼女の口元には、わずかな笑みすら漂っていた。
「謝る必要なんてないです。気にしてませんから。それより、グリーンさん」
 グリーンさん。
「はい」
「あたしはデュエリストで、あなたもデュエリストです。あたし、全力で闘います――だからあなたも、本気で戦ってください。いろいろあったけど……このデュエルは対等に戦いたいんです。お互い、いい思い出になるような、デュエルを」
 いっしゅん彼女の真意を測りかねて、返事が遅れた。彼女はこういっているのだ。最後にいいデュエルをしようと。いい思い出だけ残し、他の事はすべて忘れようと。水に流してやり直そうという意味ではない。出会う以前に、他人に戻ろうという意味だった。
 ふたりの審判がフィールドに上ってくるのを目の端に捉えながら、地面を睨みつけた。
「わかりました。……これが最後のデュエルだと思って、全力で闘います」
 彼女は返事をしなかった。

 そしてデュエルの開始を告げるベルは鳴り、
 オレたちはデュエルする為の生き物になる。

「――デュエル!」

「あたしの先攻です。ドロー。スタンバイ」
 介助人の女性は車椅子の横に陣取り、特にデュエルの手助けをするわけでもなく佇んでいる。女性の位置からではどちらの手札も見ることができず、中立の立場を保っていた。
「カードを一枚セットして、ターン・エンドです」
 忘れもしない、これは初めてのデュエルで、一ターン目に彼女が使った戦術だ。あのとき吃驚の声を上げたのはオレとアキラだけだったが、今はその何倍、何十倍という驚きの声が響いている。
 ひときわ粗暴な大声で、手ェ抜くな! と野次が入った。
 ――違う。彼女は本気だ……!
 現在、M&Wにおける最良の初手は、特殊なデッキをのぞいて、守備モンスターと伏せカードが一枚ずつとされている。だがこれは、それを超える可能性を秘めた一手だ。実際に目の当たりにすればわかる。たった一枚だからこその、この威圧感。この一枚には彼女の覚悟がすべて詰まっている。それがわかっていてむざむざ攻撃を仕掛けられるのは、思考を放棄した人間だけだ。
 伏せカードを破壊するのは簡単だ。だからこそ迂闊に破壊できない。デュエルのセオリーを知らない初心者じゃあるまいし、『サイクロン』が出てきた場合の対処も、当然考えてあるはず――という葛藤にオレが至ることを見越した上で、彼女はこの戦略を選んだからだ。
 ――考えられる可能性は、四つ。
「ドロー! スタンバイ」
 伏せカードに対し、オレがしうる予想は二つだ。『炸裂装甲』などの攻撃阻止系であるか、ないか。前者である場合、伏せカードを破壊して攻撃。後者である場合はそのまま攻撃するのが正解だ。基本的には、そうだ。だったら伏せカードを破壊して攻撃すれば万全かというと、実はそうでもない。
 『冥府の使者ゴーズ』。さいきん何かと話題に上がるカードで、場にカードの無い状態で攻撃を受けたとき、手札から特殊召喚される上級モンスターである。彼女の狙いがゴーズの召喚なのだとしたら? オレの手札に魔法・罠を破壊する手はあるが、攻撃を防ぐ手段はない。ゴーズを出されれば、形勢は一気に不利に傾く。かといって伏せカードを警戒せずに攻撃して、『炸裂装甲』に嵌ったらどうなるかは言わずもがなだ。
 ややこしくなった。状況を簡略化すると、

 @ 伏せカード:攻撃阻止系 ゴーズ:有り
 A 伏せカード:攻撃阻止系 ゴーズ:無し
 B 伏せカード:ブラフ   ゴーズ:有り
 C 伏せカード:ブラフ   ゴーズ:無し

 この四通りが考えられる。@なら攻撃しない。Aなら伏せカードを破壊して攻撃する。B、Cは何もせずに攻撃が正解だ。
 ――ならば、一番つぶしのきく「何もせずに攻撃」を選ぶか?
 否。これはサイコロを振ってどの目が当たるかという問題ではなく、デュエリストとしての彼女が、どんな手をとりうるかという問題なのだ。
 ――デュエリストなら理由のない行動はしない。だからこそ、正解を当てる方法はあるはず!
 確率論を持ち出せば、彼女の手札に四ツ星モンスターは「ある」。あえて出さなかった。その理由は?
 『冥府の使者』が手札にいるなら、攻撃阻止系のみを伏せるメリットは言うまでもない。ゴーズがないのに攻撃阻止系だけを伏せるというのは隙ができやすいが、以前のデュエルでオレがやらかした無謀を思えば、考えられないこともない。現実的な戦略はこの二つだ。
 逆に、手札にゴーズ、伏せカードはブラフという陣形は、普通ではありえない。オレの手札に魔法・罠を破壊する手段がなければ成功しない作戦――のように見えるからだ。しかし、最も恐ろしく、警戒すべきなのはこの手である。先にも述べたとおり、伏せカードは攻撃阻止型と考えるのが妥当だ。それがいちばん当たり前の、現実的な思考だからこそ――
「グリーン選手、残り三十秒です」
 歳若い審判がそう警告する。――くそ、可能性が多すぎて、考えがまとまらないうちに時間が過ぎていく。
 手札から一枚抜き出し、デュエルディスクに押し付けた。
「『魔導戦士ブレイカー』召喚。攻撃力を300ポイント下げることで、伏せカードを破壊!」
 これは試金石だ。手札にゴーズがあるかどうか知るための、もっとも簡単で頭の悪い方法。伏せカードが『炸裂装甲』なら、ゴーズの有無は判らず、相手の罠を葬っただけでもよしと諦めるしかない。しかし、ただのブラフだった場合、彼女の手札には間違いなく――
「永続罠カード『便乗』です」
 観客席から聞こえる驚きの声は、さっきよりずっと少なかった。
 ――やはり、手札に『冥府の使者ゴーズ』がある!
「残り十秒」
「カードを一枚伏せます」
 再び考え込む。時間ギリギリまでゴーズ対策を練るつもりだった。あのひと、なんで攻撃しないのー? 子供のものらしい、あどけない声が聞えた。
 ――『冥府の使者ゴーズ』は、ダメージを受けたときに特殊召喚される厄介なモンスター。戦闘ダメージなら同等の攻撃力・守備力を持つトークンを生み出し、効果ダメージなら同量のダメージを返してくる……。
「時間です。エックス選手のターンに移りました」
 審判が彼女の方に向き直る。
「はい。でも、その前に、ちょっとグリーンさんの誤解を解いておきましょうか」
 車椅子を動かして少し前に出る。デュエルが始まるまでの泣きそうな顔とはうって変って、ずいぶんと晴れやかな表情だった。
「グリーンさん、あたしの手札に『冥府の使者ゴーズ』があると思ったから攻撃しなかったんですよね? 残念ながら、その読みは大はずれです」
 頭部を囲む銀色の輪がきらりと光を反射した。
「こういう言葉を知ってますか? “狐はたくさんのことを知っているが、ハリネズミはでかいことを一つだけ知っている”。グリーンさんは、そして多くのデュエリストは、狐タイプの人間です。いろんなことを知ってるから、いろいろ疑っちゃう。だからそこを利用されてしまうと、ハリネズミよりよっぽど騙されやすくなっちゃうんです。ほら、疑り深い人ほど詐欺に遭いやすい、って言いますよね」
「そうかもしれない。現にオレは、この会話の真意は何かとずっと考えてます」
「ほら、そんなふうに考えるから騙されたんですよ。って言っても、言葉だけじゃ信じてもらえませんよね?」
 そう言うと彼女は――オレは自分の目が信じられなかった――あろうことか、手札をすべて公開した。これには観客が黙っていなかった。真面目にやれ、という意味の罵詈讒謗が放たれる。
 彼女はたっぷりオレの目に手札を焼き付けたあと、
「ほら、ゴーズなんて無かったでしょう?」
 と、破顔して手札を戻した。日向に咲いた花のように涼やかな微笑だ。いっぽうオレは日陰に咲く花のような頼りない笑みを浮かべて、
「――対等に闘うんじゃ、なかったんですか?」
 と返すのがやっとだった。彼女はにっこり微笑み、とどめをさした。

「わかりません? これでやっと、“対等”だと言ってるんです」

「…………っ!」
 意味を理解すると同時に、赤面して唇をかみ締める。そんなオレに追い討ちをかけるように、
「あたしのターンです。ドロー。スタンバイ。『徴兵令』を伏せますね。それから、『リバイバルスライム』を守備表示で出して、ターン終了です」
 と高らかに宣言する。彼女に一度たりとも勝てなかったオレは、眼を伏せて耐えるしかなかった。これが実力の差なのだといわれて、反論できない自分が情けなく、悔しかった。
 最初のターンで彼女がとった行動の意味は、今ならわかる。答えさえわかれば、それはゴールからたどる迷路のように一本道の論理だった。
 彼女の手札は『リバイバルスライム』『氷帝メビウス』『DHERO ディフェンドガイ』『徴兵令』『便乗』『便乗』の六枚。『便乗』だけを伏せたのは、もちろんオレに破壊させるためだ。さきに述べたとおり、普通なら伏せカードは『炸裂装甲』の親類と考える。そこでオレが伏せカードを破壊すれば、「保険もなしに『便乗』だけを伏せるわけがない。手札に『ゴーズ』があるに違いない」とミスリードできるし、伏せカードを破壊できなければ、オレは高確率で攻撃しない――まさに狡猾な狐のために作られたトラップだ。それでも時間さえあれば気付けたかもしれないが、公式戦の時間制限、ミスの許されない緊張状態の中だからこそ生きてくる作戦でもあったわけで――やはり、彼女の方が一枚上手だったということか。
 オレのターン。
「『ゴブリン突撃部隊』を召喚します。ブレイカーで守備モンスターを攻撃」
 『リバイバルスライム』の守備力は500。赤銅色の魔導戦士の剣は、いとも容易く守備モンスターを切り裂――かなかった。
「残念でした。モンスターは『DHERO ディフェンドガイ』です」
「くっ!」
 『ディフェンドガイ』の守備力は2700。ブレイカーとの攻撃力の差分が引かれ、オレのLPは1100ポイントも削られる。
「ほら、また騙された。手の内を見せてから騙すのは、詐欺の初歩じゃないですか」
 まるでハンデをやるといわんばかりの態度は、このための布石――いや、そもそも一手目からの行動のすべてが、オレを動揺させ、この状態に持ってくるための罠だったのだ。手札公開のインパクトに惑わされて、まったく気付けなかった。
「ちなみに、伏せカードは本当に『徴兵令』ですよ。さすがにもう信じてもらえないでしょうけど」
「……ターン、終了です」
 オレのLPは早くも残り2900。手札は互いに四枚。
「あたしのターンです。ドロー。スタンバイ。一枚伏せてから、『徴兵令』を発動します」
 宣言と同時にこちらに向かって手を差し出す。握手を求めているのではないことは、掌が上向きであることから明らかだ。まるでなにかをもらうことを期待しているかのような姿勢。
「どうしました? 早くデッキの一番上をめくってください」
「……」
 デッキトップの正体を半分以上確信しながら、デッキをめくる。

 ドリルロイド。

 ――やっぱり……見えているのか? デッキの一番上が。
 それは無理だ、と理性が言う。いったいどんなトリックを使えば、デッキの一番上を知ることができる? たとえ方法があったとしても、彼女は全盲だ。目が見えないのだ。頭の輪っかはカードスリーブに施されたバーコードを読み上げるタイプ――つまり、彼女は自分のカード以外は「読めない」。
 しかし、と経験が反駁する。これまで何度も彼女のデュエルを見てきたが、『徴兵令』を外したのは、たった一回じゃないか。普通、デッキを占めるモンスターの割合は半分弱。オレのデッキの場合は十七枚だから、『徴兵令』の成功確率は約42%のはず。できすぎている。
 ――欺瞞だ、これも。あらかじめ手を突き出していたから、まるで結果を知っていたように見えたに過ぎない。外れたら外れたで、さもそのことを知っていたような、別のリアクションを用意してあったのだろう。レトロフィッティングとかいう、自称超能力者がよくやる手だ。そうでなくては――もし、そうでなかったら……。
 かけるべき言葉が見つからず、無言でやわらかそうな掌にカードを滑り込ませた。渡す方法に問題でもあったのか、今度は中年の審判が「グリーン選手」と呼ぶのでそちらを向いた時だった。

「『ドリルロイド』でブレイカーを攻撃します」

 その矛盾にオレが気付いたのは、二体のモンスターが同士討ちによって消えた後だった。
「なんで……なんで『ドリルロイド』だと?」
 オレは無言でカードを渡した。デッキに『ドリルロイド』が入っていることすら、彼女は知らないはずだ。
 審判を見た。若いほうは視線をそらし、中年の審判は素気ない声で「デュエルを続けてください」と促す。しかし、と食い下がろうとしたが、「エックス選手がイカサマ行為を行った形跡は認められませんでした。判例上、プレイヤーが知覚し得ない情報を知覚しながらも、反則行為が行われた可能性が考えられない場合、『第六感』を使ったプレイングとして認められます」とにべもない。
 審判の言うとおり、M&Wは公式に『超能力によるプレイング』を認める唯一のカードゲームである。M&Wの創造主、ペガサス・J・クロフォードが超能力者だったからだ。今から五年前、彼があるデュエリストを下した際、相手のデッキ内容をすべて紙に書き出したというのは有名な逸話である。このデュエルは諤諤たる議論をかもしたが、けっきょくペガサスの勝利は揺るがなかった。ちなみにその後、この「判例」を蓑に、超能力を騙ってイカサマ行為をするデュエリストが雨後の筍のごとく出現したが、ネットなどで「イカサマの見破り方」などの知識が共有されるにつれ、自然と淘汰されていった。
 ただし、ペガサス以外に本物の超能力デュエリストも一人だけ存在したという。数年前、ニューヨークで開催された世界大会に出場したその男は、公認ジャッジの環視のもと、「未来が見えている」としか考えられないプレイをぶちかまし、初出場にもかかわらず五代目決闘王の地位を掻っ攫っていった。
 ――超能力なんて本当にあるのか? だが……。
 自称超能力デュエリストはともかく、ペガサスと五代目だけは、超能力以外では説明がつかなかったことも確かだ。かつて著名なマジシャンが集まってトリックを解こうとしたこともあったらしいが、けっきょく「トリックではない。マジックだ」という結論に至ったと聞く。ペガサスとその対戦相手は裏で手を結んでいたという噂も持ち上がったが、そいつは自分が勝つほうに全財産を賭けていたことが分かり、その線も消えた。
 ――まさか、彼女も?
 視線を感じたように、彼女はうすい微笑をこちらに向けた。
「これでターン終了です」

「ドロー。スタンバイフェイズに『ディフェンドガイ』の効果によって、もう一枚ドローします」
「永続罠カード『便乗』を発動します。あたしも二枚ドロー」
 互いの手札が六枚に増える。『ディフェンドガイ』を生贄に上級モンスターを召喚しなかったのは、これが狙いか。
 状況は悪い。『ゴブリン突撃部隊』は上級モンスター並みの攻撃力を持つが、彼女の『DHERO ディフェンドガイ』の守備力には到底及ばない。ドリルロイド以外でディフェンドガイを倒す方法はいくつかあるが、カードを消費するのは避けたい。ここは二枚目の『ドリルロイド』を引き当てるか、ディフェンドガイが生贄になるのを待ったほうがいい。
 ――くそ、こんなことなら、デッキをいじるんじゃなかった。
 ウルフとのデュエルの後、オレは何枚かサイドチェンジを行った。デュエル中に発見した弱点を補完するためだったが、そのとき『ラヴァ・ゴーレム』を含むバーン系をほとんど外してしまったのだ。
「モンスターを守備表示。ターンエンド」
「あたしのターンです。カードを二枚伏せ、『サイレント・マジシャンLV4』を召喚。エンドします」
 フィールドに降り立ったのは、全身を白装束で固めた女魔術師。全身から燐光を放ち、目深に被った帽子の中から、深い湖を思わせる静かなまなざしを投げかけている。
「オレのターン。ドロー。スタンバイフェイズでさらにドロー」
「では『便乗』してあたしもドロー。さらにグリーンさんが二枚ドローしたことにより、『サイレント・マジシャンV4』の攻撃力が1000ポイント上がります」
 彼女の場にいる白魔術師は、攻撃力・守備力とも1000の弱弱しいモンスターだが、対戦相手がドローするたび、攻撃力が500ポイントずつ上がる効果を持っている。
 ――だが、それでも攻撃力は2000。まだゴブリンでも倒せる……!
「『ゴブリン突撃部隊』で『サイレント・マジシャンLV4』に攻撃!」
「伏せカードオープン! 『月の書』をゴブリンに対して発動します。攻撃は無効です」
「モンスターを守備表示で出し、カードを二枚伏せる! さらに伏せておいた『光の護封剣』を発動し、ターン終了!」
「エンドフェイズで『心鎮壷』を発動します。いま伏せられた二枚は、このカードが場にある限り、発動できません」
 ――強い……!
 こちらの攻め手を淡々と、しかし的確に受け流していく。天才デュエリストの呼び名は、誇張ではなかったらしい。
 場を見れば実力の差は一目瞭然だ。彼女のカードは互いに補強し合っているが、オレのカードはそれぞれの実力以上は発揮していない。コンボデッキとグッドスタッフの違いといえばそれまでだが、これほど簡素かつ効果的なコンボデッキは見たことがない。

「あたしのターン。ドロー。スタンバイ。カードを二枚伏せ、『DHERO ディフェンドガイ』を生け贄に、『氷帝メビウス』を召喚します。伏せカード一枚と、『光の護封剣』を破壊します」
 『心鎮壷』によって封じられた『月の書』と『強制脱出装置』のうち、後者が破壊される。
「『サイレント・マジシャン』でゴブリンを攻撃。さらに、メビウスで右の守備モンスターを攻撃します」
 白き魔術師が杖を振ったかと思うと、ゴブリンのカードはまっぷたつになった。メビウスの豪腕で吹き飛ばされた『墓守の偵察者』は、ソリッドビジョンを映写している紫の柱にぶつかって消滅する。
「『墓守の偵察者』の効果で、『墓守の呪術師』を特殊召喚します。守備表示」
「ターンエンドです」
 呪術師の効果ダメージが入ったとはいえ、いまだLPには大きな開きがある。手札は四枚ずつ。彼女の場には上級クラスの攻撃力を備えたモンスターが二体。いっぽうオレの手札には引いたばかりの『ホルスの黒炎竜LV6』があるが、攻撃力2300では相打ちすらかなわない。
 ――勝てるのか?
 この状況を覆すだけなら、それは可能だ。モンスターを犠牲にしなければならないが、手札には『リビングデッドの呼び声』もある。だがオレの疑問は、もっと別の場所にあった。
 ――彼女に勝てる人間が、この世に存在するのか?
 彼女が使っているのは、少なくとも推理小説の探偵が使うような帰納法ではない。知覚情報の八割は視覚から得るといわれている。いかに超人的な推理力を持っていたとしても、判断材料が健常者の二割しかなくては、ここまでぴたりと当てることはできないだろう。彼女にあるのは、人間の範疇をはるかに超えた何かだ。
 不自然さには、とっくに気付いている。『徴兵令』、『予言』、『光の封札剣』。ギャンブルデッキだといってしまえばそれだけだが、実際の強さはファンデッキのそれを超えて余りある。そこから導き出される可能性の幅は、決して広くはない。

 透視能力。

 テレビで見る盲人は大概、視線がずれている。耳で「見よう」としているからだろう。しかし彼女と初めて顔を合わせたとき、オレは彼女が盲目であることに気付かなかった。彼女は正確にオレの顔をとらえ、目があったからだ。
 全盲というのは本当だろう。だが、可視光線の代わりに、別のものが見えていたとしたら? たとえばある種の蛇は通常の眼の他に、赤外線を感知することができる。昆虫の中には人間の目では感知できない光を捉えるものもいる。そうした能力が彼女にもあって、それでカードの内容を知ることができるのだとしたら?
 ――勝てる、わけがない。
 だってそうだろう。こちらの手札を、伏せカードを、デッキすら見通してしまう相手に、どうやったら勝てるというのだ。これが漫画なら奇想天外なコンボの一つでも思いついて逆転するのだろうが、あいにくオレのデッキにそんなものはないことは、オレ自身が一番よく知っている。
 天音なら、可能性がゼロになるまで闘い続けるだろう。百目鬼はわからないが、ウルフなら、やっぱり強がりをいいながら闘い続けると思う。ナナならサレンダーするかもしれない。
 なら、オレは?
 サレンダーするか? それとも無駄な戦いを続けるか?
 横手から、グリーンさんガンバってえ、と黄色い声がした。ああ、観客がいたんだっけ。せめて形だけでも闘い続けなくちゃいけないかな――そう思いながらそちらを見た。見てしまった。
 眼下に広がる、人の波。
 百や二百ではきかない人数が、自分の一挙一動に注目している。数え切れない期待がオレに注がれている。
 膝が震えた。
 オレは――バカだ。
 ひもつきの地方大会で優勝したくらいで、何を勘違いしていたんだ。
 オレに敗れ、泣いていた天音。負けたとわかった瞬間、腹の底からうなるような声を上げてその場に泣き伏したウルフ。
 彼らに比べて、オレはなんだ。
 ずっとジュリアを言い訳にして、考えるのを先延ばしにしていた。流されるまま、覚悟もなしにここまで来てしまった。オレは何のためにデュエルする? オレに敗れたデュエリストたちの前で。M&Wを愛する人たちの前で。
 天音やウルフのようにプロになりたいわけでもない。アキラのように強くなりたいわけでもない。ただ一人の女の子と共通点が欲しかったから、オレにとっての理由はそんなものだった。この場にいる理由としては、あまりに軽くてくだらない。デュエルする理由を他人に求めてばかりのオレより、この場所にふさわしい人間はいくらでもいる。
 ――サレンダーしよう。オレには最初から、闘う資格が無かった……。
 目を閉じてしまいそうになる、そのときだった。
「ミドリーーーーン! がんばれえええええっ!!!」
 どこにでもありそうじゃない大音声の裏声が、オレを現実に引き戻した。観客から失笑が起こる。そちらを向くと、デジカメを構えたローズが、運動会の父兄よろしく満面の笑顔でぶんぶん手を振っていた。
 ――そうか。
 M&Wを続けていたのは、好きな人のためだった。大会に参加したのは、ジュリアにそうしろと言われたからだった。けれどデュエルしてきたのは、彼女じゃない、ジュリアでもない。オレ自身だ。天音、ナナ、ジュリア、ムサシ、ローズ、そしてウルフを倒したのは、ほかならぬオレなのだ。
「オレのターン! ドロー!」
 プロになることがすべてじゃない。強くなることがすべてじゃない。
 その上で自問する。
 なぜオレはデュエルするのか?
「カードを一枚伏せ――」
 ――答えは簡単だ。
「『墓守の呪術師』を生け贄に――」
 誰かのためにデュエルするわけじゃない。
 自分のためにデュエルするわけじゃない。

 デュエリストだから、デュエルするんだ。

「召喚するのは――『迅雷の魔王−スカル・デーモン』!」
「――っ!」
 彼女の顔がわずかに歪む。デュエルが始まって以来、初めて見せる微笑み以外の表情だった。
「さらに守備モンスターを反転召喚し、『氷帝メビウス』に攻撃!」
 鈍重な外見からは予想も付かない速度で、四足のモンスターがメビウスに肉薄する。それが足許にたどりつく直前に、仮面戦士は跳躍した。宙で一回転し、地面に向かって豪腕を振りかぶる。投げた。水弾は四足モンスターの背に命中し、甲羅ともども砕け散った。
「『ピラミッド・タートル』が戦闘で破壊されたことで、デッキから新たなアンデッドモンスターを特殊召喚する!」
 地面が盛り上がり、亀裂から誕生したのは鬼の顔を持つ骨の竜。裂けた口元を広げ、敵を睥睨する。
「『龍骨鬼』で『サイレント・マジシャンLV4』を攻撃!」
 『龍骨鬼』の攻撃力も、沈黙の魔術師にはわずかに届かない。掌から放たれた星屑型の光が、骨の竜を四つに切り裂く。だが次の瞬間、技を放った姿勢のまま、女魔術師は倒れ臥した。その背中には、地面から伸びた骨の尻尾が突き刺さっていた。
 『龍骨鬼』は相手が人間型――魔法使い族、戦士族――の場合のみ、戦闘の結果に関係なく、即死攻撃を与えることができるのだ。
「最後に『スカル・デーモン』でメビウスに攻撃!」
 魔王の眼光が鋭く光る。咆哮と共に放たれるは雷の豪雨。刹那の後、メビウスは一握りの砂となった。
 『ピラミッド・タートル』と『龍骨鬼』の犠牲により、オレのLPは残り1600ポイント。だが形勢はひっくり返った。彼女のモンスターは残らず消えうせ、オレの場にはデッキのエースカード。
 勝てるかどうかはわからない。むしろ、勝敗なんてどうでも良かった。彼女と全力で闘えれば、どっちが勝つかなんて大した問題じゃない。
 小難しい理由なんて要らない。
 誰かの期待を背負う必要もない。
 デュエルする自分を選んだその瞬間から。
 ――オレはデュエリストなんだ。
 震えはいつの間にか止まっている。深呼吸したのは、落ち着くためではなかった。
 肌は焼けるように熱いのに、感覚はどこか遠い。まるでどこか別の世界でデュエルをしているようだ。
「ターン・エンド!」

 静寂を守っていた会場が、歓呼の声に沸いた。

「……エンドフェイズに罠カードを発動します」
 会場の興奮が収まるのを待って、彼女は『神の恵み』を発動させた。平静を装ってはいるが、隠し切れない動揺が声を通して伝わってくる。
 ――ひょっとして、今のは見えていなかったんじゃないか?
 前にも『スカル・デーモン』が出てきたとき、彼女は驚きの声を上げていた。……まさか、レアカードは予見できない? いや、『ホルスの黒炎竜LV6』を当てたことがある。
 ――思い出せ。何かがヒントがあるはずだ……!
 最初のデュエルのとき、彼女は『光の封札剣』でスカル・デーモンを封じようとして失敗した。また、『徴兵令』でオレの『強制転移』を防ごうとしたが、できなかった。オレの知る限り、彼女がミスをしたのはこの二回だけだ。
 ――見える場合と見えない場合がある、ということか……?
「ドロー。魔法カード『光の護封剣』を発動。一枚伏せて、あたしのターンはエンドです」

 光の剣が降り注ぎ、魔王を囲う檻となる。
 伏せられたのは、罠カード。モンスターはいない。手札には『リバイバルスライム』があるにもかかわらず。
 ――罠かもしれない。だがこれは、彼女の能力を見極めるチャンス。
「オレのターン。ドロー! スタンバイ。カードを一枚伏せ、『リビングデッドの呼び声』発動。蘇らせるのは『墓守の呪術師』!」
 冥界から舞い戻ったことにより、再び『呪術師』の効果ダメージが発生する。
「『呪術師』を生け贄に――『ホルスの黒炎竜LV6』を召喚!」
 燃え上がるフィールド。尾を引くいななきを残して炎の中から鋼鉄の鷹が飛び立った。銀色に煌く双翼を拡げ、護封剣の届かない上空に停滞している。
 もし、『ホルスの黒炎竜LV6』があるのを知りながら『リバイバルスライム』を出さなかったのなら、罠カードは確実に発動する。だが、もしこの攻撃が通ったなら、オレの手札は透視されていなかった――少なくとも、ホルスのカードは見えていなかったことになる。
 オレは宣言した。
「『ホルスの黒炎竜』でプレイヤーに、ダイレクトアタック!」


「攻撃が成功したとすれば、だ」
 半身を起こした百目鬼が興奮気味に言う。
「ライフポイントが1350で並ぶことになるな。12ターン目にして、いよいよ佳境に入ってきたわけだ。まったく、リアルタイムで見てた奴らがうらやましい……で、続きは?」
 オレはゆっくりとかぶりを振った。
「いいや。やっぱり罠だった。伏せカードの正体は『破壊輪』。で、1150ポイントも食らって……あとはもう、ぐだぐだ。あっさり負けたよ」
「200ライフじゃ、ろくな反撃もできなかったわけか。残念」
「途中まではけっこういい勝負だったのにね。やっぱり城ヶ崎さんは強い。さすがは223点」
 肩をすくめる天音にちらと視線を送って、百目鬼は百年労働した後のようなため息を吐いた。
「エキシビジョンマッチだからといって、いや、エキシビジョンマッチだからこそ、あっさりと決着がついてしまうものだな。美作、礼を言う。それと、優勝おめでとう」
「おう、じゃ、次はウルフのデュエルだな」
「……いや。少し疲れた。眠らせてもらえないか。雨が止むまで雨宿りしていっていいから」
 布団にもぐりこむと、百目鬼は目を閉じた。
 やがて寝息が聞えてくると、天音は音を立てぬようにそっと立ち上がった。オレもそれにならった。雨は止んでいる。いったいどんな寝顔をしているものかと覗きこんだ。美少年のそれというより、あどけない少年の寝顔があった。普段の整った顔立ちを見慣れているだけに、ぽかんとした表情がいっそう幼く見えたのかもしれない。廊下に出た。天音はオレを見あげ「ありがとう」と言った。「ごめんなさい」に聞えた。きっと彼女もそういいたかったのだろう。オレは「気にしてない」のつもりで「どういたしまして」と返した。
 それきり天音は俯いてしまい、オレのほうから話しかけることもなかったので、玄関までのわずかなあいだ、気まずい沈黙と同行することになった。家を出るなり「じゃね」と言って別れた。昏く濡れた路面を走り去っていく彼女の後姿を見ながらオレは漠然と、自分のついた嘘について考えていた。
 天音の姿が消えると同時に、待ち構えたように白のライトバンが現れ、オレの前で止まった。


「ミドリン、これあげる」
 運転するローズのポケットから出てきたのは、デジカメで取られた写真だった。ひと目でデュエルフィールドだとわかったのは、スカル・デーモンの背中が写っていたからだ。手前のプレイヤーの背中に見覚えはないが、オレと同じ服を着ていた。
「はあ、どうも。これ、さっきの?」
「そ。エキシビジョンマッチのスナップ写真ヨ」
「はあ」
「綺麗に取れてるでショ。ふつう、立体映像をカメラで撮るとコマ落ちしてるんだけど、ほら、テレビとかでもそうじゃない? やっぱり本場のソリッドビジョンシステムは凄いわネ」
「はあ」
「このまま科学の進歩が続けば、いつか写真やビデオも立体映像になる日がくるのかしら」
「はあ」
「ミドリン、緊張してるの?」
 ジュリアと会うことに、と言外に含ませてくる。
「それもありますけど」
「けど?」
「……オレって、まだまだ子供だなあって思って」
 ローズは思いっきり噴き出した。
「ゴ、ゴメン。でも、なんでいきなり? なにかあったの?」
「デュエルって、相手の心を読むものでしょう? オレ、昔からそういうのは得意だったから、人間関係も簡単だと思ってきたんです。でも、そうじゃなかった。一番知りたいと思っていた人の心も、一番近いと思っていた友人の心も、オレはぜんぜんわかってなかった」
 ローズは笑顔を引っ込めて、ハンドルを切った。
「そんなもんじゃないの。人の心なんて。心理学の教授だって奥さんの心がわからなくて離婚されるんだから。シュレーディンガーの猫って知ってる?」
「聞いたことはあります。なんでしたっけ」
「何事も蓋を開けてみるまではわからない、ってことヨ。人の心なんてわけのわからないものをあれこれ考えるより、やれることやっとけ、って諺」
「……そうですね」
 その解釈はたぶん間違っているしそもそも諺ですらないと思ったが、今のオレには必要な言葉だった。ほんの少しだったが、罪悪感が癒された気がした。
 ……嘘をついてくれといったのは天音だ。百目鬼の家に向かう道すがら、天音がそう切り出したとき、オレはまず反対した。意味のない嘘だ。すぐにばれる。そう反論すると、
「もちろん、ずっと嘘を突き通してっていうわけじゃないよ。いつかはばれると思うし、その前にボクから本当のことを言うつもりだけど」
「いっとくけど、今は真夏だ。エイプリルフールじゃない」
「わかってる。その真夏に、水分補給も忘れて、日射病になるまで百目鬼君は人を捜して走り回っていたんだ。ミカさんを覚えてる?」
 誰のことかわからなかったが、ほらあの伝言頼んだ人、といわれて思い出した。
「まってくれ。ミカさんの言伝は伝えたんだよな? 『いつもの場所で待っています。今度の日曜にきてください』って」
「あのあとすぐに。そしたら、ミカさんを追いかけて行っちゃった」
 道理で天音のデュエルが始まっても、百目鬼の姿が見あたらなかったわけだ。
「百目鬼君は……なんていうか、むかし、ミカさんと後味の悪いデュエルをしちゃってさ。それがトラウマになってるらしいんだ。それはミドリのデュエルとはまったく関係ないんだけど……でも、今日の城ヶ崎さんのことを教えたら、また百目鬼君はミカさんのことを思い出しちゃう。また、倒れるまで自分を追い詰めちゃう。だから、ミドリには本当に悪いとおもうけど、せめて今日だけは嘘をついてあげて。お願い」
 拝むようにして頼まれ、結局オレは了承した。
 天音が正しかったのかどうかはわからない。たぶん、百目鬼はオレの嘘を見破っていたと思う。その上で騙されたふりをしてくれたのだ。
 窓の外に目をやると、再び小雨が降り始めていた。昏い空を見上げながら、オレは口の中で、百目鬼に謝った。すまん百目鬼。破壊輪は嘘なんだ。本当は、デュエルはまだ続いていた――

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