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第八話 邂逅、再会、別れ(後編)


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 デュエル勝者は大会本部まで赴いて報告せねばならない。道のりは天音と一緒になった。本部に張り出されている対戦表を改めて見ることで、気合いを入れるのだという。緊張するそぶりはまったく見せないが、彼女なりに次の相手を意識しているということだろう。
 次の相手とはすなわち、メタリック・ウルフ――TAD試験官のナナをして「最強最悪」と言わしめたマッドタディだ。またの名を鋼鉄のハイエナ。そして――エックス。
 懺悔するなら、闘ってみたいという気持ちはある。天音の敗北を望んでいるわけではないが、「あなたにしか倒せない」などといわれては、興味が湧かないというほうが嘘だ。正直な話、勝てる気はまったくしないのだが。
 淡々とデュエルの結果だけ伝え、仮設テントの外に出る。天音は掲示板を背にして待っていた。濃緑のベニヤ板に貼られたトーナメント表が、風を受けてはためいていた。
 天音はくるりと身をひるがえして、オレの名前の上に指を押し付けた。
「一回戦、シード。二回戦、不戦勝。三回戦はスピードで圧倒。準決勝は苦戦しつつも最後で大逆転。ミドリ、本当に頑張ったね」
「自分でも驚いてる」
 天音は持っていた紙を丸めてオレのほうに向けた。
「ミドリ選手。ずばり、この強さの秘密はなんでしょう?」
「えーと、運?」
 天音は笑った。
「せーかい」
「正解かよ」
「亜理紗さんと何があったの」
 弾みをつけた会話が脈絡を失って、地面に墜落する音がした。
「……なにって、なにが?」
「自虐的だった。ミドリのデュエル。亜理紗さんのためにデュエルしてるようには見えなかったけど」
 オレは砂利にまみれた会話の残骸を眺める。
「戦略だよ」
「うそつき」
「…………べつに、いいじゃないか。手を抜いたわけじゃないし、勝ったんだから」
「よくないよ」天音は理不尽な暴力を受けた子供の顔をした。「敗者が救われない」
「負けて救われる奴なんて――」
「ボクはミドリに負けたけど、救われた。なんでだか分かる?」
「…………」
「あのときのミドリには、意志があったから。強くなって亜理紗さんと闘いたいっていう意志があったから、ボクは負けたことを納得できた。でも今のミドリには意志がない。ただデュエルしてるだけ」
「……ただデュエルして悪いか? M&Wなんてただの娯楽じゃないか。そりゃ、プロ目指してるお前はそういうのにこだわることも必要なのかもしれない。でも、オレは違う。普通の人間だ。勝てればそれでいい」
「違わないよ、どんなデュエルだって。人と人が闘ってる。勝つことがすべてなんて考えたら、この世で救われるのはほんの一握りになっちゃう」
「それがカードの真実だろ。そうやって選ばれたのが決闘王で、真のデュエリストだろ。敗北の代わりになにを得たって、ゲームは勝たなきゃ意味はない。それとも、正当防衛で殺された奴は成仏できて、通り魔に殺された奴は成仏できないとでも?」
「違う。単なるゲームだからこそ、愉(たの)しくなくちゃ嘘だよ。勝っても負けても愉しいデュエルが本当のデュエルだとボクは思ってる。正当防衛とかそんなのすり替えだよ。ボクたちは殺しあってるわけじゃない」
「理想と現実は違う。どんなデュエルであれ、負ければ悔しいし、勝てば楽しいさ」
「じゃあミドリは愉しかったの? さっきのデュエル」
 オレは地面とにらめっこを再開した。
「ボクはあんなデュエルをするミドリとは闘いたくない。……だから、話して? ボクがミドリのためになにができるのか、考えさせて」
 亜理紗の病室の匂いを思い出す。なぜあんなことをしてしまったのか。なぜすぐ謝らなかったのか、なぜコミュニケーションを拒絶してしまったのか。そんなことは何度も何度も自分に問い詰めた。翌々日、謝りに行った。空っぽの202号室がオレをあざ笑っていた。退院したという。連絡先は知らない。二週間を一緒に過ごした亜理紗のことを、オレは何一つ知らなかった。
 黙ってオレの言い訳を聞いていた天音は、返事の代わりにため息をひとつ寄越した。
「ミドリってさあ」
「最低だよな。わかってる」
「意外と中身は子供なんだね」
「……子供?」
「そ。百目鬼君と友達になれた理由がわかった気がする」
 そう言うと、肩から提げたバッグからケータイを取り出した。慣れた手つきで操作し、画面をオレに向ける。
「じゃーん。これは魔法の電話番号です。ここにかけると、今いちばん話したいと思っている相手と話すことができます」
 思わず手を伸ばしかけたオレを遮って、天音は一本指を立てて見せた。
「ひとつ、約束して」
 いつもの、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「もう、あんな勝者も敗者も救われないデュエルはしないで。決勝戦、たとえ相手がボクじゃなくても、全力で闘って」


 十回目の呼び出し音で諦めて切った。携帯ではなく固定電話なので、おそらく家族で留守にしているのだろう。番号を教えようかという天音の提案を固辞して携帯を返した。まだ、その資格はないと思った。
「ちょっといいですか?」
 連れ立ってデュエルグラウンドに戻る道すがら、食堂の前を過ぎた辺りで、そう声をかけられた。同時に振り返ると、大学生くらいの歳の女がこちらを見ている。トーナメントの観客ではなく、ここの学生かもしれない。シャギーを入れたショートボブ。淡い色の上品なブラウスに、ひらひらのついた膝丈のスカート。オレの知り合いではない。天音のような「絶世の」がつく美人ではないものの、しみひとつない白皙と目鼻立ちのはっきりした顔立ちは、一度見たら忘れないだろう。
 天音を見ると、疑問符の浮かんだ顔でかぶりを振った。天音の知り合いでもないらしい。
「すみません、さっき、魔術師さんとお話してた人たちですよね?」
 女が言う。馥郁とした香りがした。
 魔術師? とオレが訊き返す前に、天音が一歩前に出た。いくぶん棘のある声で、
「百目鬼君に何か用ですか」
と訊く。それでようやく得心が行った。魔術師――ブラックマジシャンのコスプレイヤーはそこらじゅうにいるが、オレたちの知り合いには一人しかいない。
「私、中学のときの知り合いなんですけど、さっき偶然見かけて。声をかけようと思ったんだけど、見失っちゃって」
「ふーん。じゃあ、一緒に来ます? それとも、カレだけ連れてきましょうか」
 天音の物言いが気に触ったのか、女性は眉間にしわを寄せた。どこか既視感を揺さぶられる顔だった。ひょっとしたら同じ中学出身かもしれないと思い始めたとき、
「いえ、今はちょっと……。あ、ひとこと伝言をお願いしてもいいですか? ミカっていえばわかります」
 ミカ。頭の中で美香という漢字を当てる。理由はない。似合ってると思っただけだ。
 首肯を返すと、彼女は思いつめた顔のままショルダーバッグを掛け直し、深呼吸を一つしてから、リップクリームを塗った唇を開いた。

   ***

 決着までに要した時間は実に五ターンである。『鋼鉄のハイエナ』の二つ名の通り、操る戦術は貪欲かつスピーディで、容赦がなかった。
「オレの、勝ちだああああ!」
 圧勝だったというのに、ウルフはまるで大苦戦の末勝利したボクサーのように諸手を挙げ、天に向かって叫んだ。途中から声が裏返っている。観客席のあちこちから拍手が起こる。オレは拍手に参加しなかった。
「――相変わらずな奴だ」
 横から低い声がした。いつの間にか百目鬼が立っている。天音のことを言っているのかと思ったが、百目鬼の視線はメタリック・ウルフに向けられていた。
 百目鬼はひとりごちるように、
「あいつなりの験かつぎらしい。ああやって場の空気を味方にすることで、運気を引き寄せるんだそうだ」
 デュエルグラウンドに視線を送ると、まだ諸手を挙げて絶叫している。運どころか雨だって引き寄せられそうだ。
「知り合いだったのか」
「腐れ縁だ」
 百目鬼の意外な一面を見た気がした。オレが知っている百目鬼は、中学までの、どちらかといえば神経質な優等生と、コスプレを始めて、自分を「僕様」と呼び習わすようになってからの唯我独尊野郎だ。どちらもメタリック・ウルフとお友達になれそうなタイプではない。百目鬼を探していた女といい、実は三つめ、四つめの仮面を持っているんではなかろうか、と考えながら美香のことを伝えようとしたとき、天音がデュエルグラウンドから出てきた。百目鬼を促して駆け寄る。ナナとアキラも付いてきた。オレたちの姿を認めると、天音は開口一番、「負けちゃった」と笑った。
 オレは気のきいた慰めが脳内検索に引っ掛からないことにいらつきながら、
「仕方ないさ。デッキの相性が悪すぎた」
と慰めにもならないことを言った。
「相手が使ってたの、ほとんど限定カードだったじゃん。そんなのじゃ仕方ないって」
 アキラがそう続けると、天音は照れたように苦笑して、
「ん、アリガト。でも、もうすこし悪あがきはできたと思うんだ。ボクもまだまだだってことだね」
と言って百目鬼を見上げた。百目鬼は誰もいないデュエルフィールドを見つめたまま、呟くように言った。
「三位、おめでとう」
「――うん!」

 闖入者が現れたのは、そのときだった。

「よう、百目鬼。久しいな」
 オレが振り返るのと、声の主が百目鬼の肩に腕を回すのは同時だった。
 間近で目にすると、思っていたより年上に見える。少なくともオレより一回り上だが井村さんよりは下。並ぶと顎の辺りがオレの目の前に来た。赤いシャツが目を引いた。
「二回戦はサレンダーしたんだってなあ? 魔術師の名が泣くぜ?」
 百目鬼はウルフの蛮行に眉をしかめて、
「……僕様は僕様のデュエルをしただけだ」
「ほぅ。だったらそのデュエル、俺にも見せてもらおうじゃないか。俺と闘え。今すぐだ」
 決闘盤の端で百目鬼の顎を持ち上げる。
「構わないだろう? 決勝戦まではまだ少し時間がある。お前を倒すには充分だ」
 百目鬼はしばらくウルフを睨みつけていたが、やがて全員に背を向けた。
「――こっちに一回戦で使ったデュエルテーブルがある」
 オレは天音と顔を合わせ、二人の邪魔にならぬよう付いていった。ナナとアキラも気になったようで、少し後ろを牛の牽引のようにのろのろとついて来た。購買部の前を通って食堂を抜け、大学の反対側に出る。金網で囲まれた六面のテニスコートの隣には運動部の更衣室として使われているコンクリート製の長屋があり、その裏手に、演劇部のものらしいどぎつい色使いの看板や畳、提灯や珍妙な色合わせの椅子やらが置いてある空間があった。デュエルに使っていた、コロッセウムを思わせる装飾がされた円形テーブルも重ねておいてある。ひとつ選び出し、二人はデュエルテーブルを挟んで向かい合った。百目鬼が先に口を開いた。
「手加減は無しだ」
「まて、調整の時間をやるよ。サイドデッキを出しな」
 本来のデッキ以外に携帯を許される、十五枚のストックをサイドデッキという。戦略を変えたり相手を意識したデッキに改造するために使われる。
「必要ない。お前が調整したいなら待ってやるが」
 ウルフの額に血管が浮き上がった。もともとあった眉間の皺をさらに深くして
「そうやって勝ち誇ってるトコロがムカつくんだって、前に言わなかったか? あ?」
 百目鬼は答えなかった。代わりに、デュエルディスクを地面と水平に持ち上げた。「準備、できたのか?」
 呼応したウルフが、吠えるように叫ぶ。

「――デュエラァ!」

「僕様の先攻だ。ドロー。一枚伏せ、モンスターを守備表示。ダン」
 百目鬼は手札を一瞥したかと思うと、何の迷いもなくカードを出した。ダンとは「やり終えた」とか「交渉成立」を意味するdone、つまりターンエンドという意味だ。
「俺のターン。ドロー。スタンバイ」メタリック・ウルフは少し考えるそぶりを見せてから、「『レッド・ガジェット』を召喚。デッキより『イエロー・ガジェット』を手札に加える。一枚伏せて終了」
 ウルフが召喚したのは、アキラの言っていた「限定カード」。三色のガジェットシリーズだ。場に出たとき、別の色のガジェットを手札に呼び込む力を持つため、常に手札にモンスターがある状態を保つことができる。攻撃力はそれぞれ1200、1300、1400と、レベル4モンスターにしてはやや低いが、魔法や罠のサポートを受ければ、これほど悩ましいカードはない。
「ドロー。スタンバイ。あいもかわらずマシーンデッキか。伏せカード発動。『手札抹殺』」
 互いのプレイヤーは手札を全て捨て、捨てた分だけ新たにドローする。二人は黙々と手札の入れ替えを行った。
「カードを一枚伏せ、モンスターを守備表示で出してダン」
「徹底防衛か。変わらんな。ドロー。スタンバイ。『カードガンナー』召喚」
 初見のモンスターだった。攻撃力・守備力共に400の機械族モンスター。自分のデッキを三枚まで墓地に送ることで、攻撃力が最大1900まで跳ね上がる。このモンスターが破壊されたとき、一枚ドローできる。
「まずいよ。あいつの狙いは……!」
 天音が上ずった声をあげる。
「手札より魔法カード『機械複製術』を発動。攻撃力500以下の機械族モンスターを一体選択し、同名モンスターを二体までデッキから出すことができる。とうぜん、選ぶのは『カードガンナー』」
 場に三体のカードガンナーが並ぶ。
「さらにデッキのカードを九枚、墓地に送ることで、全てのカードガンナーの攻撃力は1900に上昇。さらにリバースオープン。『リミッター解除』。全ての機械族モンスターの攻撃力を倍にする」
「――百目鬼……!」
 これでウルフのモンスターは、攻撃力3800が三体と攻撃力2600が一体。百目鬼の守備モンスター二体では防ぎきれない。
「お前の負けだ。カードガンナー二体で守備モンスターを攻撃」
 両腕のカノンがいっせいに火を吹き、百目鬼の場を一掃する。
「残った二体でダイレクトアタック」
「リバースカードオープン。速攻魔法『デビルズ・サンクチュアリ』」
 デュエルテーブル上の空気がゆらりと揺れ、蜃気楼の如く現れたのは、小さなメタリック・ウルフ――の姿をした『メタルデビルトークン』だ。このトークンは相手プレイヤーに化ける能力を持つ。毎ターンLP500の維持コストはかかるものの、相手そのものを自分の壁にできるという、狡猾な魔法である。
「そんなもんでびびると思ったか。『レッド・ガジェット』で『メタルデビルトークン』を撃破。さらに『カードガンナー』でダイレクトアタック」
 LPは百目鬼が200、ウルフが1400。
「エンドフェイズ。『リミッター解除』の効果を受けた全てのモンスターを破壊する。だがカードガンナーが破壊されたことで、デッキから新たに三枚引く。終了」
 百目鬼の手札は三枚、ウルフは七枚。
 ウルフの場にカードは無い。ここでモンスターを出せれば、一発逆転も可能だ。
 百目鬼は涼しげな顔で、ドローしたカードを一瞥した。
「ライフを半分支払う。魔法カード『黒魔術のカーテン』発動。デッキから『ブラック・マジシャン』を特殊召喚」
 オレは快哉を叫んだ。M&Wでもっとも人気のある上級魔術師。七ツ星で攻撃力2500・守備力2100。これで百目鬼の勝ちは――。
「……『ブラック・マジシャン』は守備表示。ダン」
「ふふん。やはりな」
「なっ!」
「ええ!?」
 ウルフとナナ、アキラがほぼ同時に声を上げた。一拍遅れてオレも言った。「百目鬼! なぜ攻撃しない!?」
 百目鬼は答えず、代わりに天音が呻吟するように呟いた。
「攻撃しないんじゃない、できないんだ……!」
「けど、ウルフのフィールドは!」
「違うんだ。トラップとかじゃなくて――」
 逡巡するように言葉を区切り、視線を百目鬼の背中に移してから、天音は思い切ったように言った。

「百目鬼君は、攻撃宣言そのものができないんだ。そういう、ひとなんだよ」

 メタリック・ウルフが口を三日月型にして笑った。嫌な笑い方だった。
「『サイバー・ドラゴン』を特殊召喚し――」
 レベル5だが、自分のフィールドにモンスターがなく、かつ相手にモンスターがいる時のみ、生け贄無しで特殊召喚できる。攻撃力は、『ブラック・マジシャン』の守備力と同じ、2100。
「『ブラック・マジシャン』に攻撃」
 ――?
 攻撃力と守備力が同じ場合、場に変化は無い。手札に速攻魔法を隠しているとも思えない。ウルフはこれで決着がつくといわんばかりに、腕組みをして攻撃の行方を見守っている。ナナもアキラも得心の行かぬ顔だ。
 機械竜の口腔が開き、無意味な攻撃が照射される――直前だった。
「――っがああっ!」
 空気の抜けるような音がして、『サイバー・ドラゴン』の姿がかき消える。いや、『サイバー・ドラゴン』だけではない。『ブラック・マジシャン』の姿も消えていた。
 百目鬼が膝を折る。壊れた人形を抱くようにデュエルディスクを抱えたまま、肩で呼吸をしていた。「百目鬼君!」天音がまず駆け寄り、半歩遅れてオレもそれにならった。顔を覗き込んだ天音が小さく悲鳴を上げる。暑さでは説明できないほど大量の汗がびっしりと百目鬼の顔を覆っていた。
「ふふん。電源を切って強制終了しやがった!」ウルフの哄笑がコンクリートに響いた。「試合放棄だ。この勝負、俺の勝ちだな!」
 天音はウルフを睨みつけた。
「ひどいよ! 人の弱みに付け込むなんて!」
「はあ? 俺はなにもしてないだろ。そいつが勝手に試合放棄しただけで」
「こんな風に勝ったって、何もならない!」
「勝てればいい。どれだけ強くても負ければ無だ。プライドなんざくれてやる。俺は勝つためにデュエルしている」
「人でなし……!」
 吐き捨てるように天音が言ったとき、ナナがオレと百目鬼の間に割り込んできた。
「ちょっと君、大丈夫?」
 百目鬼の手首を握り、続いて口を覆うように手をかざした。わずかなあいだに百目鬼の顔色は蒼白を通り越して真っ白になっていた。
「ミドリ君、本部に行ってエチケット袋もらってきて」
 聞くなりオレは本部目指して駆けた。本部でエチケット袋というとすぐにくれた。途中、スピーカーが決勝戦がどうのと言っていたが無視した。帰ってくると百目鬼は日陰に移動しており、コスチュームを脱いで上半身をむき出しにしていた。ウルフの姿は無い。代わりに後味の悪い怒りだけが居座っていた。
「大丈夫。ちょっとストレスにやられただけだから、心配しなくていいわ」
 ナナの言葉に、オレは心の底からほっとした。看護師の存在をここまでありがたく思ったのは、入院していた折、暇を訴えたら漫画を数冊届けてくれたとき以来だ。
 百目鬼の顔をそっと覗き込むと、素人目にも良くなっているのがわかった。薄目でまぶしそうにオレを見かえし、「美作、決勝」かすれるような声で言う。
「そうだ。ミドリは行きなよ。百目鬼君はボクが看てるから」
「私も一緒に。彼、脱水気味みたいだから、飲み物買ってくるわね」
「あ、それならボクが」
 立ち上がりかけた天音をナナは手で制すと、
「私が行くわ。見ず知らずの私より、よく知った人がそばに居たほうがいいでしょう」
 それからアキラのほうに向かって、「ごめん、すぐ戻ってくるから、もうすこしここで待ってて?」と手を合わせた。
 全力疾走してきたばかりの道を早足で引き返す。ナナは市内競歩大会くらいなら上位入賞は確実であろう速度でついて来た。食堂が見えてきたところで、「サイドデッキの内容は?」
「なんです?」
「サイドデッキ。いいから教えなさい」
 抵抗がないではなかったが、全て教える。ナナは爪を噛んで沈黙したあと、あるカード名を挙げた。
「いま言ったカードを入れなさい。それから、『呪術師』は抜くこと。いいわね?」
「……参考にします」
「そうして。それから……やっぱりいいわ。とにかく、油断しないで頑張ってね。敵である私がこんなこと言うのもおかしいけど」
「敵だなんて。とんでもない」
 ナナは一度だけ首を振って、小走りで食堂に入って行った。同時にスピーカーが不機嫌そうな金切り声を上げ、甲高い女性の声でオレのデュエルネームを繰り返す。オレはもう一度ナナの小さな背中を見送り、地を蹴って走り出した。

 待ってろ、ハイエナ。
 狩ってやる。

「よもや決勝戦の相手が百目鬼君のお友達だったとは。世間は狭いなあ」
 百を越える視線が、背中と横顔にざくざくと突き刺さっていた。オレは気にしないふりをして、ウルフを睨み続けていた。視線を少しでもずらせば、たちまち少なくない数の観客と目が合ってしまう。
 獲物を前にした猫のように笑うウルフに、オレはこう言い返した。
「よく言う。知ってたんだろ? オレと『ドールマスター』の準決勝をずっと見てたじゃないか」
 熱が醒めた今ならわかる。百目鬼とデュエルするなら、大会が終わってからでも良かったはずだ。それをあんな中途半端な時期にしたということは、あのデュエルをオレに見せたかった――そうすることで、オレの動揺を狙ったのだと。
 氷のように冷徹な男だ。砂粒ほどの油断が命取りになる。
「そうだったかな。ところで、百目鬼君は元気?」
 思わず殴りかかりそうになるのをぐっとこらえた。こいつはデュエルで倒す。
「元気も元気。地に這い蹲るハイエナを早く見たいって言ってたぜ」
「ふふん。オトモダチの手を借りて復讐とは、また安い男だな」
「人の弱みに付け込む野郎よりましさ」
 オレはウルフに背を向け、デュエルディスクを持ち上げた。
「『グリーン』」
 音声認識でデュエルディスクが起動し、小型の仮想パネルを映し出す。映っているのはサイドデッキの内容だ。大会中はデッキの取り外しができないため、サイドデッキとの交換はこのパネルを通じて行う。
 交換するカードを選ぶと、ディスク内で小さく機械音がし、すぐに収まった。振り返り、ウルフを睨みつける。彼は腕組みをしたまま、平然としていた。
「そろそろ始めてもよろしいでしょうか」
 審判の合図で、デュエルディスクを構えた。審判は頷き、声を大にして「これより、KC主催、美空町地区トーナメント決勝戦を執り行います!」
 オレとウルフは、ほぼ同時に叫んだ。

「――デュエル!」

 勢いをつけて五枚引く。「オレの先攻ドロー!」さらに勢いをつけて一枚引いた。
「モンスターを守備表示でセットし、ターンエンド」
 ――天音との一戦を見る限り、ウルフは「攻撃は最大の防御」タイプ。しかも一般には手に入りにくいレアカードばかり使ってくる。
 ウルフを見る。呼吸しているのかと疑いたくなるほど静かにこちらを観ていた。
「俺のターン。ドロー、スタンバイ。……」
 そう言ったきり、メタリック・ウルフは考え込んでしまった。天音のときもそうだったが、彼は最初の一ターンをギリギリまで長考に費やす。序盤の大切さを心得ている。
「――カードを一枚セット。手札より、『サイバー・ドラゴン』を特殊召喚」
 彼のデュエルディスクが光った瞬間、鋼鉄の咆哮が場の空気を揺るがせた。
 デュエルディスクからにゅるりと出てきたのは、銀色に輝く機械竜。菱形の四面体を繋げたような胴体の先に、どことなく猫を思わせるような、角ばった顔が付いている。
 サイバー・ドラゴン。レベル5だが、相手フィールドにのみモンスターがあるとき、場に特殊召喚できる。『死のデッキ破壊ウィルス』ほどではないものの、めったに拝めないレアカードだ。攻撃力は2100。
「さらに『レッド・ガジェット』を通常召喚。特殊能力により、デッキより『イエロー・ガジェット』を手札に加える。バトルフェイズ。サイバー・ドラゴンで守備モンスターを攻撃」
 機械竜の咽の奥が光ったかと思うと、淡いオレンジ色の熱線が守備モンスターを貫いた。
「オレの守備モンスターは『ピラミッド・タートル』。戦闘で破壊されたとき、デッキよりアンデッドモンスターを特殊召喚できる。『ピラミッド・タートル』を守備表示」
 灰燼の中から、その名の通りピラミッド型の甲羅を背負った亀が現れた。フィールドをぐるりと睥睨し、ドラゴンの姿を認めると、慌てて首と四肢を引っこめる。
 ――レッド・ガジェットの攻撃力1300に対し、ピラミッド・タートルの守備力は1400。攻撃はできないはず……。
 だが注意すべきは、この後のウルフの行動だ。オレの意図には当然気づいているだろう。どういうリアクションを取ってくるか?
「カードを一枚伏せ、エンド」
 ――やはり、そうきたか。
 オレの意図がわかっているなら、かならず何かは伏せてくると予期していた。問題はそれがブラフか否かということ。
 ウルフのとった行動を、もう一度検証してみる。奴はまずカードを一枚伏せてから、『サイバー・ドラゴン』を特殊召喚した。
 前に亜理紗は「モンスター、伏せカードの順で場に出した場合、攻撃阻止系の罠を伏せていることが多い」と言っていた。おそらくモンスターを守ろうという考えが、無意識にそのような順番を生んでしまうのだろう。(わかりやすく言えば、家を建てる前に門を造る人間はいないということだ)この法則を当てはめるなら、一枚目の伏せカードは攻撃阻止ではない。
 また、同じターン内に攻撃するつもりだったにもかかわらず、オレの守備モンスターの正体を確かめないうちに伏せたということは、相手のデッキタイプに関係なく使える魔法か罠であると考えるのが妥当だ。同じ理由で、戦闘補助の速攻魔法――『収縮』『月の書』『突進』など――の可能性も否定される。コンボやバーンカードを使わず、速攻で強撃を叩き込む彼のデッキの性質を考えた場合、ありそうなのは『リロード』などの手札コントロールか、罠。しかし、ガジェットデッキで手札コントロールが使われるのは、初手にガジェットが来なかった場合である。この可能性も消去。
 ――残った可能性は、『無謀な欲張り』などのドロー系罠か、ガジェットデッキ御用達のあの罠カードか……どちらにしてもトラップカードである確率が高い。となると、二枚目の伏せカードは魔法あるいは速攻魔法。状況から見れば戦闘補助の速攻魔法だろう。さっそくオレに有利な状況だ。
「オレのターン。ドロー。スタンバイ。『ピラミッド・タートル』を攻撃表示に変更し、魔法カード『強制転移』を発動!」
 ウルフは予想通りといわんばかりに頷いた。
「ふふん。やはりな。こちらは『レッド・ガジェット』をくれてやる」
 『ピラミッド・タートル』と『レッド・ガジェット』の位置が入れ替わる。黄色の亀は向こうへ。赤い歯車ロボはこちらへ。
「さらに『レッド・ガジェット』を生け贄に――」
 モンスターを墓地に送り、手札から一枚抜き出す――寸前だった。
「――生け贄に、『ホルスの黒炎竜LV6』を召喚、だろう?」
「っ!!!」
 鏡の中の虚像が反抗し始めたような衝撃に、手が止まった。手の中のカードはまさしく、ウルフが言ったとおりのものだった。
 ――まさか……まさか、すべてミスリードだったのか!?
 ウルフの最初の行動――オレのモンスターを確認する前にカードを一枚伏せた――から、一枚目のリバースが罠だと看破するのはそう難しいことではない。しかし、それが彼の用意したミスリードだったとしたら? 二枚目の伏せカードを速攻魔法と思わせることで、魔法の効かない『ホルスLV6』を召喚させるための。
 『ホルス』はローズとのデュエルで衆目に曝している。ウルフも見ていた。
 しかし、おかしなことが一点。本当に彼がこっちの行動を操っていたのだとしたら、今の一言はオレを警戒させるだけで、彼にメリットが無い。決勝戦まで来て自分の洞察力をてらう馬鹿ではない。何か目的があるはずだ。何か。
 ――もし、この思考すらも彼の計算どおりだったとしたら――「何かある」と思わせることこそが目的で、実際は何も無いのだとしたら? 本当はミスリードでもなんでもなく、ただオレを混乱させるために……いや、そう思わせることが真の狙いで、やっぱりミスリードという可能性も捨てきれない……。
 だめだ、勘繰りだしたらきりが無い。
 時計を見る。与えられた思考時間は既に半分を過ぎていた。
 落ち着け。集中しろ。オレは自分に言い聞かせた。焦りはデュエリストの敵だ。
 ――『デュエリストの敵』か……。
 デュエリストの敵は自分自身だと、天音は言った。オレの敵はオレ。なら、ウルフの敵は……?
 そうだ、恐怖という名の寄生虫を飼っているのは、彼も同じはず。
 ――賭けるしか、ない……。
「いくぜ! 『レッド・ガジェット』を生け贄に、『ホルスの黒炎竜LV6』を召喚!」
 わざと大仰な手振りを加えて、カードをデュエルディスクにセットした。赤い歯車が炎に包まれる。炎は不死鳥を経て、銀色に輝く鷹となった。
 ウルフは余裕の笑みすら浮かべてホルスを見上げている。その口角が、にい、と吊りあがった。「ふふん。俺の予言どおりになったな」
 ため息を吐かずにはいられなかった。
 安堵のため息を。
「――その言葉を待っていた」
「……なに?」
「こういう話を知ってるか? 左右どちらかの手に隠されたビー玉を当てるゲームで、出題者が一度だけ「こっちでいいのか」と訊いたら、それは「一度だけ変更のチャンスを与えることで、自分の勝利をより決定的なものにしたい」という心理の顕れだそうだ。つまり選んだ手は不正解だから、別の手を選んだほうがいい。しかし同じことをもう一度訊ねたら、それは「考え直して欲しい」と考えている。すなわち、その手が正解だそうだ」
「ふふん。その与太話がなんだ」
「あんたは二度も、「ホルスが出てくることは判っていた」とアピールした。それはつまり、本音では考え直してほしかったということだ。ホルスの召喚と、攻撃を」
 手ごたえがあった。ウルフの右目下の筋肉が少しだけ蠕動した。
「そう思うなら、攻撃してこいよ」
「ああ。『ホルスの黒炎竜』で『ピラミッド・タートル』に攻撃!」
 漆黒の炎が、煌く竜の口腔を満たす。
 発射。
 閃光と轟音。それが収まると――ピラミッド・タートルの変わり果てた姿があった。
 オレは心の中で盛大に胸を撫で下ろした。
「――計算済みじゃなかったのか? ハイエナさん」
 ウルフの顔が歪んだ。怒り顔とも、笑い顔ともつかない歪み方だった。
「グリーンとかいったな。お前は何のためにデュエルをする? M&Wに何を求めている?」
「答える義理はない」
「俺はプロになりたいと思っている。こうして地味な大会に出るのも、優勝数を増やし、プロからアマまで俺の名前を広めるためだ」
 M&Wで生計を立てている人間は二種類いて、大会の賞金や優勝商品を換金して飯の種とするフリー型と、I2社かKC、あるいはそれらの子会社に実力を買われた契約社員型に分かれる。後者はプロ選出の大会で優勝してなるのが一般的だが、名が知られたアマチュアだとスカウトされてなることもある。
「確かに有名らしいな。マッドタディのハイエナの名前は」
 マッドタディ――TAD試験にも通用する実力者でありながら、それを隠して中級者向けの大会に出場し、優勝をかっさらっていく悪質デュエリストのことだ。
「言っているのはくだらないやっかみ連中さ。言っておくが、俺はTADなんざ受けたこともない。大学も経済学部だ」
「M&W学部も出ずに、どうやってプロになるつもりだ?」
 何が可笑しいのか、ウルフはくっくっくと笑った。
「M&W学部を出た人間がプロになれると、本気で信じているのか? あそこは腐ってる。学部自体の年齢が若いため授業料はやけに高い上、上層部はカードゲームに理解がないから他の学部との差別なんか日常茶飯事。入ったら入ったで親に泣かれる。一、二年の間はろくにデュエルもできないで、時代遅れの理論や事例ばかり詰め込まされる。三年になったらライバルってことで、デュエル以外で潰しあいが始まる。それが現状だ。わかるか? え? 俺の悔しさがわかるか!?」
 それまでにやけ顔だったウルフの表情が豹変した。
「――日本のデュエリストのレベルは高い。だがこの社会は! そのことにまったく目を向けない! カードゲームなんてしょせんお遊びだ、という意識に引きずられている。M&W学部の設立も流行に乗っかったおざなりに過ぎない。ふざけるな!」
「…………」
「もう日本のM&Wは頭打ちだ。だから、俺はオーストラリアのM&W学部を目指している。日本よりはカードゲームに理解があるし、純粋に実力主義を守っている。ただ、向こうの大学は三年制だから、日本の大学で一年修了する必要がある。それで経済学部を選んだ。留学ギリギリまでTADを受けなければ、それだけ多くの大会に出場できるからな」
「……なぜ、オレにそんな話をする?」
 ウルフは凄絶な笑みを浮かべた。
「お前を俺のライバルと認めたからさ。ああ、認めてやるとも。この話はな、俺がライバルと認めた奴全員にすることにしている。俺の覚悟をより確かなものにし、全力でお前をぶっ潰すためにな」
「潰れるのはお前だ。お前が百目鬼にしたことを、オレは許さない」
「やってみろよ。これは俺のジンクスだ。今までこの話を聞いた奴は、例外なくぶっつぶれた。お前のお友達もな」
 話の内容よりも、言い方が耳に残った。
 今までオレは、百目鬼の弱点を聞きつけたウルフが、それを利用したのだとばかり思っていた。
 いくらウルフは悪人でも、そこまではしないと思っていた。

 どうめきくんは、こうげきせんげんそのものができないんだよ。

 まさか……こいつなのか?
 百目鬼がああなったそもそもの原因は――?
 
 ふざけんな。
「デュエル続行! 『ピラミッド・タートル』の効果発動! デッキから『龍骨鬼』を特殊召喚する!」
 地面が泡立ち、骨の蛇が文字通り頭角を現した。
 ウルフの伏せカードは二枚。一枚は罠。二枚目の伏せカードは速攻魔法――ホルスを嫌ったことから推察するに、相手モンスターになんらかの影響を及ぼすタイプだと推測できる。具体的には『収縮』か『月の書』だろう。残しておくのは危険だ。
「『龍骨鬼』で『サイバー・ドラゴン』を攻撃!」
「ふふん。『収縮』発動」
 モンスター一体の攻撃力を半分にする。地を滑る骨の竜はあっという間に青大将ほどに縮小され、『サイバー・ドラゴン』に押しつぶされた。
「バトルフェイズを終了し、メインフェイズ2に移行する」
 オレはこのターン、魔法も罠も出していない。なにか伏せておくべきだろう。手札のなかで使えそうなのは『スケープ・ゴート』と『仕込みマシンガン』。身を守るなら前者、攻撃するなら後者だ。当然、オレの伏せるカードは決まっている。
「カードを一枚伏せて、ターンエンド!」

「俺のターン。ドロー、スタンバイ。カードを一枚伏せ、『イエロー・ガジェット』を召喚。その効果で、『グリーン・ガジェット』を手札に加える。ターンエンド」
 ――『イエロー・ガジェット』の攻撃力は1200。攻撃表示で出したということは、伏せたのはトラップか。はたまたブラフか。
「オレのターン」
 どっちだ? 罠か、牽制か。
 オレの手札には『イエロー・ガジェット』と同じ攻撃力を持つ四ツ星モンスターが存在する。だがこいつで攻撃したとして、彼は罠を発動させるだろうか? 否、させない。オレのモンスターが犬死にするだけだ。なぜなら彼には、最初のターンで伏せたリバースがある。あれはおそらく永続罠の――。
 罠かもしれないが、ガジェットシリーズに湧いて出てこられてはもっと大変なことになる。オレは意を決して宣言した。「『ホルス』で『イエロー・ガジェット』を攻撃!」
「罠カード発動! 『炸裂装甲』」
 眼の眩むような赤い閃光と共に、ホルスの鱗が内側から弾け飛んだ。「モンスターを守備表示で出して、ターン終了!」
 攻防は一進一退だった。オレの主力モンスターは倒されたが、まだ守備モンスターが残っている。伏せたカードは、うまくすれば魔法・罠破壊系カードにチェーンして空振りさせることができる。ウルフには『サイバー・ドラゴン』と『イエロー・ガジェット』。それに罠が一枚。
 ウルフのターンが始まった。
「『グリーン・ガジェット』を召喚。デッキから『レッド・ガジェット』を手札に加える」
 黄と緑の歯車が並ぶ。
「さらに250ポイントのライフを払って、永続罠『血の代償』を発動。これでこのターン、俺はもう一度通常召喚を行う権利を得る」
 ――やはりガジェットシリーズは、生け贄のための布石!
「そいつにチェーンして『仕込みマシンガン』を発動!」
 相手の手札、場にあるカードを合計した数×100ポイントのダメージを与える罠カードだ。手札四枚と場のカード四枚、計八枚ぶんのダメージがウルフのLPから引かれた。
 ウルフはどこ吹く風といった表情で作業を続ける。
「二体のモンスターを生け贄に――『古代の機械巨竜』召喚!」
 緑と黄色の光閃が空に迸る。二つの奔流は絡み合うようにして一つになり、上天に吸い込まれるように消えていった。
 視線をフィールドに戻すと、横幅八メートルはあろうかという、エメラルド色の翼竜が出現している。嘴を模したような角ばった面構えは、脊柱を思わせる首と尻尾に繋がっていて、隙間からはケーブルがのぞいていた。手はない。背面には大小合わせて四つの翼があるが、虫に食われた古書のようにボロボロだった。足があるべき部分には歯車形の車輪がある。
 機械仕掛けのワイバーン。
 脆い、というのが外面の印象だった。嵐を越えてきた帆を彷彿とさせる両翼、配線がむき出しになっている胴体、自身の体重を支えきれず歪曲している歯車型の足、それらは腐りかけの巨木を連想させる。くすんだ翡翠色の皮膚が、物悲しい雰囲気をかもし出していた。
「――ギアガジェルドラゴンで守備モンスターに攻撃!」
 はらわたを根こそぎえぐられるような鈍い咆哮は産声にも似ていた。緑青色の風が真正面から吹き付けてきて、幻覚と分かっても顔を庇った。『古代の機械巨竜』の第一の能力だ。攻撃時に突風を引き起こし、相手の魔法・罠を封じ込める。
 アンティークシリーズ最大の脅威である『古代の機械巨竜』は最大で三つの特殊能力を併せ持つ。一つ目はリバース封じの突風。二番目以降の特殊能力は、生け贄召喚時、捧げたガジェットシリーズの色によって変わってくる。
 巨竜がおとがいを開く。咽の奥に射出口のようなものが見えたと思った瞬間、意外に小さな――林檎サイズの黒玉が飛び出してきた。標的になったオレの守備モンスター――『墓守の偵察者』が実体化し、攻撃に備えて腰を落とす。受け止めるか、躱すか。彼は受け止めるほうを選んだようだ。破るようにして脱いだ貫頭衣を手に持ち、鞭で打つように黒玉を横薙ぎに払った。失敗だった。衣が玉に触れた瞬間、身体が炎に包まれる。苦悶の表情を浮かべて無音の絶叫を放つと、前のめりに崩れた。
「――この瞬間、追加効果発動!」
 老竜が再び口腔を露にする。今度は咽の奥がはっきり見えた。ひびの入った牙の奥に、三つの凶大な銃口が備わっていた。左右の穴から発射されたのは緑と黄の光。緑色の光線はオレのデュエルディスクを貫き、黄色の光線は倒れた偵察者に当たって大爆発を起こした。
「貫通効果により、『古代の機械巨竜』の攻撃力と『墓守の偵察者』の守備力の差1000ポイントのダメージ。さらに戦闘でモンスターを破壊したため、追加で600ポイントのダメージが入る……ふふん、どうした、一方的過ぎてつまらないぞ」
 前者はイエロー・ガジェット。後者はグリーン・ガジェットを生け贄に捧げたとき加わる効果だ。
「効果ダメージならこっちにもあるぜ。『墓守の偵察者』の効果で、デッキより『墓守の呪術師』を守備表示で特殊召喚。追加効果で250ダメージ」
 ウルフは自分の尻尾に噛み付こうとしてする犬を見るように笑った。
「くくく……『墓守の呪術師』だと? まさかそれを反撃というんじゃないだろうな。何を考えてそんなハズレカードを入れてるんだか」
「……ハズレカードじゃない」
「ふふん。『サイバー・ドラゴン』でハズレを攻撃! 撃破! ははは! 弱い弱い!」
 機械竜の尻尾の一振りが、いとも簡単に呪術師を吹き飛ばした。

「これでもまだハズレじゃないと言うつもりか? 何の役にも立たない、誰も使わない、そんなカードをハズレといわずしてなんと言うんだ? あ?」
「言ってろ。このカードを馬鹿にした奴は、例外なくオレに負けた。今度はお前の番だ! いくぜ、ドロー!」
「現実を見ろよ! お前のフィールドにカードはゼロ。そして俺のフィールドには上級が二体。しかも一体はリバース封じと貫通効果つきだ。この状況でどうやって勝つつもりだ?」
「――とりあえず、その二体には退場してもらうのが理想かな」
 そうでしょう、ナナさん? と心の中で付け加える。
「無理無理! たとえ『ならず者傭兵部隊』を出したとしても、道連れにできるのは一体が関の山。次のターンでさらにモンスターを出せば、俺の勝利はゆるぎない!」
 オレはほくそ笑んだ。

「言ったな?」

 次の瞬間、フィールドのモンスターが残らず砕け散った。

 どよめきが波紋のように広がっていく。
「! 馬鹿な……何をした!?」
「これからするのさ。お前のモンスターを生け贄にしたことで、オレのモンスターの召喚条件が揃った。場に出るのは『溶岩魔神ラヴァ・ゴーレム』……こいつはお前のコントロール下に入る」
 突如、ウルフの周辺が燃え上がった――銀色の炎はウルフを拘束しつつ、巨大な鳥籠を形勢する。籠の主はどろどろに溶けた巨大人型溶岩だ。人の頭にあたる部分にぽっかり空いた空洞から、うつろな目でこちらを見返している。
 『溶岩魔神ラヴァ・ゴーレム』。相手モンスターを二体生け贄に捧げることで、相手フィールドに特殊召喚される変則モンスター。攻撃力・守備力はそれぞれ3000・2500と高いことこの上ないが、ターンが来るたび、コントローラーのライフを500ポイント削っていく。
 あいつバカだ。という声があちこちから聞こえる。ウルフも最初はあっけにとられていたが、次第に笑顔を回復し、檻の中から吠えた。
「バカだ! バカだろお前! ビートダウンになんでラヴァ・ゴーレムが入ってる!? こいつは専用デッキでのみ使えるカードだってことも知らなかったのか!」
 もちろん知っている。知った上で、このカードを入れたのだ。
 プロを目指すデュエリストはしばしば、公式ルール――スーパーエキスパートルール以外は馬鹿にして、試したことがない。それはすなわち、モンスター破壊魔法の便利さを知らないでデュエルしてきたということだ。だがモンスターの攻防が中心のエキスパートルールにおいて、狙ったタイミングでモンスターを破壊できるというのは、時に想像以上のアドバンテージを生み出す。ビートダウンのみならず、多くのデッキで『ならず者傭兵部隊』が採用されているのがそのいい証拠だ。タイミングを計らねばならず、また何かと警戒されがちな罠カードと違い、スムーズに出すことができ、一手で逆転もありうる。
 『ラヴァ・ゴーレム』はリスクも多いカードだが、オレのデッキがもともと守備型のビートダウンだったことも、採用の理由となった。しかし、いざ実戦となると使い勝手の悪さが目立ち、隠し玉とうそぶいてサイドデッキに入れていたのを、ナナの慧眼によって発掘されたのだ。
「カードの使い方はオレの自由だ。二枚伏せ、ターンエンド!」
 残る手札は一枚。魔法カード。
 ウルフのターン。早速500ポイントのダメージが入り、残り1100ポイント。
「ふふん。だが、肝心のフィールドががら空きになってるぞ。一枚伏せ、ゴーレムでダイレクトアタック!」
「心配無用だ。速攻魔法『スケープ・ゴート』」
 オレを守るように、カラフルな四体の羊が実体化する。ゴーレムの吐く火炎を浴び、残りは三体。
「守りに入って墓穴を掘ったな。羊トークンの守備力は0。貫通効果のあるモンスターで攻撃されたら、一発で終わりだ。手札より『封印の黄金櫃』を発動。デッキより『古代の機械巨人』を除外する」
 ――しまった!
 『封印の黄金櫃』は次の次のスタンバイフェイズ時に、除外したカードを手札に加えるカード。加えられる『古代の機械巨人』は、アンティークシリーズ最強クラスのモンスターだ。攻撃力は3000もある上、『古代の機械巨竜』と同じく、貫通及びリバース封じの能力を持っている。出されたら確実にオレの負けだ。
「オレのターン。ドロー。スタンバイ。まずは前のターンで使い損ねた『強欲な壺』を使わせてもらう。カードを二枚ドローし、手札は三枚。『魔導戦士ブレイカー』を召喚。その効果で『血の代償』を破壊する。ガジェット連鎖による生け贄は揃えさせないぜ。最後にカードを一枚伏せて、ターンエンド」
 伏せたのは罠カード『物理分身』。『古代の機械巨人』相手では時間稼ぎにもならないが、ないよりはマシだ。
 最後の手札は、またしても魔法カード。
「ふふん。生け贄を揃える手段は他にもある。俺のターン。ラヴァ・ゴーレムでブレイカーを攻撃!」
「おっと。その前に罠カード『強制脱出装置』発動。ラヴァ・ゴーレムはオレの手札に戻る。これで、八ツ星モンスターの召喚はかなり難しくなったな」
「いいや、俺の手札には、一瞬にして生け贄をそろえる手が眠っている……。ふふん、どうせ次のターンで決まるんだ。その前に一つ、面白いものを見せてやろう。『ラヴァ・ゴーレム』じゃないほう、お前の最後の手札を当ててやる」
「……なに?」
 焦った。手札の魔法カードは、最後の最後で逆転の切り札となる可能性を秘めたカードだ。得意のブラフか? しかし、この局面で切り出してくる意味が掴めない。
 ――わからない。ウルフは何を考えている……?

「その手札は、魔法カード」
 どんぴしゃり。息を呑んだ。暴れる心臓を押さえつけ、冷静になれと呼びかける。冷静に。沈着に。そして客観的に。
 まだ種類を当てられただけだ。確率は三分の一。あてずっぽうでも当てられない数字じゃない。しかし、ここにきて口三味線を使う必要性はあるか?
 なぜウルフは魔法だと断定できた……? 考えろ。盤面を逆転しろ。オレはウルフ。ウルフはオレ。なぜオレはこんな行動を起こした? 何を考えている? なにを恐れている?
 考えろ。考えろ。考えろ。考え#$#☆%#$&$#状況が示す可能性を%%&&%=&$$##ウルフは$&☆Σ$とは言ってない‘W%$#$%&’))‘&%$#$%&U’(%$#σ念には念を#%&E&%‘&$%$#“%&$#%$W#&#$%&”#&’%†&Ω$Y‘%W〇#$$&ウルフは何故$’%$%#%$「お前の手札を当ててやる」##%$θ#&#$&#!$&△$コールドリーディング$#&$##Q$&Q#況を打破できる#E%$&この布陣から推測でき#$WQ&#$%$#%“#%”#可能性は“%$&#$‘$魔法カード&#%”彼の狙いは$&$&□%’%U(&(たとえば「あなたのお父さんは死んでいませんね?」という質問は#%&##&#と同じ$%#(%&))’&‘%&%&――確実性の追求。

 


 ――そういう、ことか。
 オレは理解した。ウルフの立場になってみれば簡単なことだ。彼は、この駆け引きを持ち出さなくてはならなかったのだ。
 ――デュエルの明暗は、この駆け引き次第だな……。
 オレは慎重に言葉を選んだ。
「なぜ、わかった」
「ふふん。教えると思うか?」
「可能性は三分の一。勘でも当てられない数字じゃない」
「なら教えてやる。そのカードは、お前の『逆転の鍵』だ」
「……どんなカードだって、『逆境を乗り切る切り札』になりうるさ」
 言葉の小さな罠。慎重に避けて歩きつつ、こちらも罠を仕掛ける。
「やはりさっきのはただの勘だったようだな。本当にわかっているなら、オレが何のカードを持っているのか、はっきり言ってみろよ」
「ちょっと待ってください。それはルール違反です」
 審判だった。
「え? どゆこと?」
 思わず間の抜けた声を出してしまう。
「はい。カード名を挙げて相手の反応を見ることは、この大会では罰則対象に当たります。メタリック・ウルフさん、わかっていますね」
「知ってますとも。そこの人と違って、ルール説明はちゃんと聞いていましたから。しかし、今の発言は違反を誘導しようとしたと受けとれませんか。ペナルティはないんですか?」
「未遂でしたので、今回に限り見逃します。ただし、次からは知らなかったといっても言い訳にはなりませんので、グリーンさんは気を付けてください」
 審判が一歩下がり、沈黙が降りる。オレは心の中で舌打ちした。一気にウルフを追い詰めようとしたのが裏目に出た。
 ウルフに残された思考時間はほとんどない。オレがウルフなら、最後の賭けに出る。
 彼は手札から一枚抜いた。
 頼む。オレは祈った。神は信じていないから自分に祈った。モンスターを出せ。守備表示で出せ。
「このカードを、守備――」
 ウルフの手がモンスターゾーンの上空をさまよう。
 ――今笑ってはいけない。笑うな。笑うな。笑うな……。
 ウルフはじっとオレの表情を見ていたが、
「このカードを、守備のために出しておこう。カードを一枚伏せて、ターンエンド」
 おいおい、モンスターは出さないのかよ、と野次が遠くで聞こえる。
「そして予言しよう。これがお前のラストドローになると」
 オレは目を閉じた。胸の奥底から湧き上がってくる感情を、ぐっと抑える。まだだ。
 まだ、勝ったわけじゃない。
「初めて意見が一致したな。これがオレのラストドロー。そして、お前の敗北を決めるターンだ! ドロー!」
 ドローカードを確認したオレは、やっぱり神様はいるかもな、などと似合わないことを思った。
 雲の合間から聞こえてくる雷鳴。
 勝利の行進曲。
「ブレイカーを生け贄に、『迅雷の魔王−スカル・デーモン』を召喚! プレイヤーにダイレクトアタック!」
「甘い! メインフェイズ終了時に罠カード『起動砦ストロングホールド』発動! 守備力2000の盾となる!」
「手札よりカウンターマジック『月の書』発動! ストロングホールドは元の罠に戻り、ワンターンのあいだ発動を封じられる!」
「――『月の書』、だと!?」
「読み間違えたな、ハイエナさん。オレの勝ちだ!」
「ふふん。だが、俺の勝ちは変わらない。さっき伏せたこのカードを忘れたか? 罠カード発動!」
 デーモンの放った雷撃が、上空に浮かんだ巨大な円筒に吸い込まれていく。

「やられた……!!」

 発動したのは『魔法の筒』。攻撃力の半分をプレイヤーに跳ね返す罠カードである。デーモンの攻撃力の半分、1250ポイントを食らえば、オレのLPは250に低下。デーモンの維持コストがあるため、ウルフが何もしなくても、次のターンが来ればオレの負けだ。
「だが、まだだ!」
 スカル・デーモンの特殊能力は、自分が対象になる効果を、50パーセントの確率で無効にする。すなわち『マジック・シリンダー』が失敗する確率は二分の一。まだ希望は失われていない。
 この攻撃が成功すればオレの勝ち。しなければウルフの勝ち。
 オレはデーモンの特殊能力を発動させるスイッチに手をかけた。
 ――ナナ、ローズさん、アキラ、天音、百目鬼、亜理紗……!
 スイッチを押そうとした、まさにそのときだった。
「待て。俺の勝利が確定する前に、一つ教えろ。一つ前のターン、お前はどこまで読んでいた?」
 台詞の割に、勝利の笑みとはかけ離れた硬い表情だった。
「半分くらいかな。少なくとも、あの駆け引きの意味くらいはわかっていたつもりだ――」
 ウルフは舌打ちした。
「――あんたが怖がっていたものの正体。それは、魔法カード『強制転移』だ」
 生け贄を確保したというウルフの言葉が、どこまで本当だったのかはわからない。しかし、次のターン、ようやく『古代の機械巨人』が手札に加わるという段階になって、ウルフは恐ろしい可能性に気付いたのだ。
 それは『強制転移』の可能性。オレの場には攻撃力0の羊トークンがいた。もし攻撃表示の羊トークンを送りつけられれば、ウルフの負けだ。
 ウルフにとって不運だったのは、オレの手札を推理する材料が皆無だったこと。オレは前のターンで『強欲な壺』を使っていたため、使うのを一ターン待たされた『強制転移』であっても不思議ではない。なによりオレのデッキは『ピラミッド・タートル』や『スケープ・ゴート』、『墓守の呪術師』など、まるで相手に送りつけることを前提に入れているようなカードばかりだ。『強制転移』がデッキに二枚投入されている可能性は高い、とウルフは考えたのだろう。(実際には『強制転移』は一枚しか入っておらず、それゆえウルフが何を警戒しているのか思い至るのに時間が掛かったが)。
 次にウルフはこう考える。ではモンスターを出さずにおくか? 『強制転移』の発動条件を揃えさせなければ――自分のモンスターフィールドさえ空にしておけば、羊トークンを送りつけられることはない。しかし危険だ。伏せカードだけでは、オレの攻撃を防ぐには心もとない。特に次のターンが、オレにとって『機械巨人』が出てくる前にウルフを叩くラストチャンスとあってはなおさらだ。守備は固めたい。しかし『強制転移』は怖い。
「そこであんたは賭けに出た。オレの手札を当てるといい、「魔法カード」と宣言する。この短い会話の中に、あんたは二つのトラップを仕掛けていた」
 一つは人間心理。普通、『手札を当てる』と言われれば、カード名を当てられるものと思って緊張する。そこでカードの種類を宣言することで安心させ、警戒心を緩める。
 もう一つの罠は、「魔法カード」とカマをかけたこと。ウルフが警戒していたのは『強制転移』だけだから、もし外していたなら、オレの手札は警戒する必要はない。当たっていれば、「なぜわかったのだ?」とオレを動揺させることができる。この辺はコールドリーディングに近いものがある。自称超能力者などが使う「あなたのお父さんは死んでいませんね?」という質問と同種だ。父親を亡くした人なら「死んでこの世にいませんね?」という意味に聞こえるし、生きているなら「まだ亡くなっていないですね?」という意味に取れる。回答者はわけのわからないまま、ただ相手が何かを知っていると信じ込まされることになる。
「そこでとどめに『逆転の鍵』という単語。もしオレが『強制転移』を意識していたら、あの逆転の絵柄を連想しないわけがない」
「ふふん。だからお前が『逆境を乗り切る』という表現に変えたとき、これはと思ったさ」
「それがオレの仕掛けた罠だとも知らずにな。だけど用心深いあんたは、最後に力技に出た。モンスターを守備表示で出すように見せることで、オレの本音を引きずり出そうとした」
「ああ、俺の見立てでは、確かにあの時、お前はモンスターを守備表示で出して欲しいという顔をしていたはずだが――そこまでわかっていたのなら、心の中で守備表示守備表示と唱えて自分に暗示でもかけていたんだろう」
「ご明察」
 ウルフは鼻を鳴らした。上機嫌とも不機嫌ともいいかねる表情だった。ふふん、嫌なガキだ。そういわれている気がした。
 思わず笑い返しそうになって、あわてて頬を引き締める。一歩下がって、ウルフをにらみつけた。
「オレの質問にも答えろ。百目鬼はなんで攻撃宣言ができない。あんたが原因か」
「ふざけるな」
 ウルフは再び、百目鬼と対峙したときの敵意を纏わせた。
「ふざけるな。あいつは自業自得でああなった。いや、自分だけでは飽き足らず、他の人間まで巻き込んでな! そのせいで……そのせいで……っ!」
「……復讐だとしても、なんであそこまでやる必要があった」
「俺の立場だったら、お前だって同じことをしただろうぜ。それに、アレは苦しくても命に関わることはない。紙袋まで提供してやったんだ。文句を言われる筋合いはない」
「……紙袋?」
「アレは過呼吸、ようするにストレスで腹が痛くなるのと似たようなもんだ。紙袋でも口に当てて、吐いた空気を吸えば治る……いや、言い訳だな。あいつがやったことに比べればずいぶん軽いことだが、それを理由に正当化するつもりはない。恨みたきゃ勝手に恨め。俺は後悔していない」
 何一つ言い返せなかった。百目鬼を追い詰めたこの男に感じていた怒りは、既に別の感情に変わっている。
「ふふん。喋りすぎた。そろそろ観客も痺れを切らしてきた様だ。おい、いいかげん白黒つけようぜ」
「……そうだな」
 力なく肯定を返して、スイッチを押した。スカル・デーモンの特殊能力、雷の裁きが発動する。三条の雷電が雲を走り、そして――。


 そしてオレは再び大学の反対側にいる。
「ジュリアがミドリ君と話したいって言ってるから」そう言われ、ローズに人気のない場所まで連れてこられたのだ。ローズが取り出した人形は、以前見たものと微妙に違っていたが、聞こえてくる声は同じ人物のものだった。
「ごきげんよう、ミドリさん。大会の結果はローズから聞きました。……今回の結果は結果とシて、あまり深刻に受け止めないほうがいいと思います」
「……どういう意味ですか」
「失礼。それでは率直に申シ上げます。既にご存知かと思いますが、今回の大会は、組み合わせの時点から既に、我々の手が加えられております。すなわち、今回ミドリさんが優勝されたことは、もちろんご自身の実力もありますが、我々のバックアップもあったということ。それを忘れて、あまり実力を過信されても困るのです。今後のためにも」
「質問が二つあります。なぜ、オレなんかをバックアップしてくれたんですか? それと、今後ってどういうことですか」
「一つ目の質問ですが、理由はいくつか挙げられます。大きく分けて、三つ。まず、あなた自身の正確な実力を知りたかった。そのため、ふたたび私の作ったデッキと戦ってもらいたかったのです。次に、あなたは優勝シなければならなかった。あなたにエックスを倒してもらうのが、我々の目的ですから。そして最後の、しかし重要な理由が、罠をはることです。我々は他にもいくつかの手段を使い、「この大会に我々が関わっている」というヒントをばら撒いてきまシた。何の経歴もないあなたが、並み居るデュエリストを破って優勝するのは、その最大のヒントです。もし連中が罠にかかってくれたなら、そろそろ……」
 ピンポンパンポン、というチャイムに続き、大会本部がオレを呼んでいる旨が放送された。
「獲物が罠に掛かったわネ」
 ローズが微笑む。
「待ってください。エックスには勝ったんだし、もういいでしょう。説明してください」
 焦ってそう言うと、予想外の反応が返ってきた。
「……ハイ?」
「……what?」
 ローズの口と人形から、ずいぶん間抜けな声が漏れた。
「ちょっと待ってヨ。ミドリン、いつエックスと闘ったの?」
「いつって、決勝戦ですよ。メタリック・ウルフがエックスなんでしょう?」
 オレの質問に対する彼らの反応は、あんまりなものだった。
「誰ですか、メタリック・ウルフというのは」
「ここらじゃ結構名の知れたマッドタディだけど……ミドリ君、なんで彼がエックスなのかしらン?」
「……だって、ローズさんが、ウルフを倒せるデュエリストが来るって、そう言ってるって、ナナさんから聞いたから、てっきりエックスはウルフなんだと……」
「アタシが……? ああ、あのときの。それはネ、さっき言った、ばら撒いたヒントの一部ヨ。マッドタディを確実に倒せるくらいの実力者が来る、ってアタシが吹聴すれば、アタシとジュリアの関係を知っている誰かさんなら、ジュリアの関与を疑ってくれる、ってからくり」
 勘違い――? じゃあ、エックスはウルフじゃなく、別に――?
「……一体、あなたたちは誰なんです? 何が目的で、オレにどうして欲しいんですか?」
「約束どおり、すべての疑問に答えましょう。……ただし、ミドリさんがエックスに勝てたら、ですが」
「アタシたちはアナタの味方ヨ。というより、ミドリ君に味方になってほしいと思っているのはアタシたちなんだけどネ」
 再びチャイムのあと、オレを呼ぶ放送。
「ま、今は行ってちょうだい。別に危険なことはないから、楽しむつもりで」
「頑張ってください」
 頑張れと言われても何を頑張ればいいのかわからぬまま、アキラたちのところへ戻った。ずいぶん騒がしい。何があったか訊く間もなく、大会運営委員を名乗る人間に連れ出され、なぜか決勝で使ったデュエルフィールドの脇にいる。照明はさっきの倍、観客にいたっては数倍以上だった。見世物になるのは好きじゃない。何が始まるのかと実行委員に尋ねようとしたとき、機械で拡大された大音声が耳に飛び込んできた。
「美空町のデュエルファンのみなさん! お待たせしました! まもなく本日のメインイベント、エキシビジョンマッチが始まります!」
 聞いてないぞと憤慨したが、よくよく思い出してみれば、優勝者の権利と義務がどうこうという話にあったような気がする。優勝者はエキシビジョンマッチに出なくてはならない、とか言われたような気もする。どうせ関係ないと聞き逃していたが。
「午前中に行われた地区大会を勝ち抜き、栄えあるエキシビジョンマッチの挑戦資格を得たのはこちら! ミスター・グリーン選手です! みなさん拍手でお迎えください!」
 ほら行って、と背中を押され、わああああ、と割れるような歓声の中、ガチガチになりながら歩いた。緊張と昼間以上に明るい照明もあいまって、頭がどうにかなりそうだった。
「そしてええっ! 彼が挑戦するのはこの方! なんと公式大会は一年半ぶり! かつてロンドン国際デュエルトーナメントに史上最年少で出場以来、長らく姿を消していた謎の天才デュエリスト! カモン! ミス・エックス!」
 再び割れるような歓声の中、今度は二人の女性が姿を現す。一人は車椅子を押す妙齢の女性。オレは息を呑んだ。車椅子に座っている少女は、ずっと会いたいと思っていた、謝りたいと願っていた――

 見えない双眼がこちらを向く。

 オレは立ち尽くした。



☆アトガキ☆

 もはや言い訳無用のプラバンです。
 読んでくださったあなたに、格別の感謝を。

 ついに決着。そして、長らく伏せていた『エックス』の正体が明らかになりました。
 ウルフ≠エックス、というのは当初から頭にあった構想で、こうして決められたことに、爽快を感じています。
 これまでさんざん地の文で「ウルフはエックス」って言ってきたじゃないか。アンフェアちゃうんか! という意見もあるかもしれませんが、そこはほら、一人称ですし、「勘違い」の描写は第一話から何度もでてますし、「見る人によって真実は違う」なんてことも言ってますし……(だんだん小さくなる声)。

 でも、エックスの正体はそれほど意外でもなかった、という人も結構いるんじゃないでしょうか。

 今回出てきたOCG改変カード。
 『デビルズ・サンクチュアリ』
 作中では速攻魔法となっていますが、OCGでは通常魔法です。

 なんか謎の女(またか)や百目鬼の過去とか出てきましたが、とりあえず次の話で、エックスの第一部は完結となります……予定です。謎についてもほぼ、解明できると思います。
 第二部では、読者様から頂いたデュエリストたちが大暴れしますよ。
 ご期待いただければ幸いです。
  


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