top 

第五話 禁じられたカード



本文中の★をクリックすると、場の状況が表示されます。



 「オーストラリア交換留学生希望者募集中。英語に自信のない人も大歓迎! 学生課」
 「スクリーンは君を待っている! 準主役・エキストラ募集中(オーディションあり) 映画研究会」
 「地区大会間近! 大会運営ボランティア急募! 詳細はM&W部の井村まで」

 色とりどりのわら半紙にマジックで書かれたポスター群を横目に眺めながら、改めてオレは自分が大学にいることを実感していた。
 無名ではないが有名ともいい難い、地元の人間が4割、隣接する県から3割、あとの3割が別の都道府県からの学生で占められている大学だ。羽住山に建っているから羽住大学という単純なネーミングで、特色は規模のわりに大きい図書館と、去年から新設されたM&W学部――などと言うとまるでオレがここの学生のように聞こえるが、そうではない。オレこと美作ミドリはまだ高校生。ここに居るのは、とある試験を受けるためだった。
 TADというその試験は、M&Wの実力を測るためのテスト――のはずなのだが、試されているのは精神力のような気がしないでもない。「どんな状況でも冷静さを保つことができるかを見極める」という名目の下、最初の試験官など、露出度抜群のコスプレ姿で誘惑、じゃない、挑発してきた。
 事前にそういうことがあると聞かされていたおかげで、ファーストバトルを(奇跡的に)制したオレは、待合室で呼ばれるのを待ちながら、開け放たれたドアから見える廊下(と掲示板にべたべた貼られたポスター)をなんとはなしに眺めていた。ときどき大学生が行き来し、立ち止まっては談笑している。
 中学生だった自分が想像していた「高校生」と現実のオレがまったく違うように、キャンパスで眼にした大学生たちはオレの頭の中にある大学生像とはかけ離れていた。すれ違う大学生たちは、より忙しそうで、より楽しそうだった。場違いな高校生を見つけて何か言ってくるのではと構えていたが、彼らは自分の人生に夢中でオレのことなんかかまけていない。何年かのち、オレも見つけられるだろうか。鋭敏さを手放す代わりに、忘我できる何かを。
 それともオレはもう、見つけているのだろうか。
 M&Wはただの寄り道だと思っていた。その存在を初めて弟から聞かされたとき、アキラもまたある種のはしかに罹ったのだという自嘲含みの冷笑があった。オレの熱はとっくに冷めていて、同じ夢はもう二度とみられない。既に舞台は降りたのだと。
「24番の方、どうぞ」
 番号を呼ばれ、反射的に立ち上がる。自分が思ったよりずっと積極的になっていることに苦笑した。舞台から観客席に伸びる階段の、最後の段に片足がまだ残っていたのだ。そこから引き返そうとしている。競演したい人間がいるから? それとも……それとも、舞台こそがオレの聖地なのだろうか。
 再びデッキのチェックを受け、今度はいちばん右のドアを開けた。

 夢だと思った。

 試験官は恵比須顔の下に押し出しのいい体がついている、どこにでもいそうな壮年の男だった。ノーネクタイで、薄いピンクのワイシャツ、皮ベルトの高そうな腕時計をしている。少し色の抜けた短髪はむしろ若々しかった。今度はまともだと安心しかけ、視線を下にずらしたオレは眼を疑った。女子高生が穿くようなミニのプリーツスカートが見えたからだ。
 声を奪われていると、試験官はにこりと笑って、
「あらン、いらっしゃぁい」
 と身体をくねらせた。
「……ど、どうも」
 平静を装った。最初の試験官のおかげで免疫が出来ていたのかもしれない。
 示された折りたたみ椅子に座ると、テーブルを挟んで試験官が身を乗り出してきた。オードトワレの臭いが鼻をついた。
 男は鼻にかかった裏声で、
「うふふ、アタシのところに来たってことは、一人目には勝ったってことネ? 誰だったの?」
「ハーピィデッキを使う人でした。名前は知りませんけど」
「ああ、『ハーピィのナナ』ちゃんネ。色っぽかったでしょ。アタシはローズ。『人形遣いのローズ』ヨ。よろしくねン」
 ウィンクして、ごつい手を差し出してくる。曖昧に笑い返し、手を握り返した。
 ローズという名前はともかく、『人形遣い』というのはあながち嘘ではないようで、男は太い腕の中に西洋アンティークドールを抱えていた。あどけない女児を模したそれは純白のレースで身を飾られ、焦点の合わない青い双眸を宙に投げかけている。添い寝はしたくないリアルさだ。
 ローズは愛をこめた仕草で人形を捧げ持つと、
「紹介するわネ。このコはジュリアちゃん。アタシのパートナーよン。ほら、ジュリアちゃんご挨拶」
 とこちらに向かってお辞儀させる。子供の頃読んだ怪談を思い出してオレはぞっとした。魂を持った人形が腹話術師を操り、子供をさらって剥製にしてしまうという話だ。人形は仲間が欲しいのだった。
 頭を軽く振って気味の悪い想像を追い払い、デッキをテーブルの上に置いた。決闘盤にセットしようとすると、試験官に止められた。
「あ、待って。デュエルをする前に、ちょっとしたゲームをするから」
 ローズは自分のデッキを取り出すと、銀行にある札束を数える機械と同じくらいのスピードでシャッフルを始めた。速い。MTGを含めても、今まで見てきたどんなデュエリストよりも高速で、静かだった。夏の、それも締め切った部屋にいるというのに寒気がした。
「ゲーム?」
「ルールは簡単。今からデッキの一番上をめくって、お互いに見せ合うの。そのカードを元に相手のデッキタイプを推理して、五種類のカードを宣言する。相手はそのカードがデッキにあった場合、全てデッキから除外するのヨ」
 もし指定された五種類のカードが全てデッキにあった場合、最大で十五枚ものカードが削られることになる。M&Wのデッキが40枚程度で構築されていることを鑑みれば、かなり痛い数字だ。
 ――洞察力を試すテストか? いや、違う……。
 たった一枚からデッキタイプを推測しろ、というのは確かに洞察力や知識を問うているように見える。だがもし試験官のカードが『強欲な壺』や『サイクロン』などのどんなデッキにでも入っているカードだった場合、テストは無意味なものとなる。
 ――つまり、これも試験官の戦略の一部。だが何の為に? このルールなら、提案した方が不利になるということもありうる。TAD試験官がわざわざそんなことをするだろうか……?
 オレの思惑をよそに、ローズは不敵な笑みを浮かべてデッキをめくった。『ステルスバード』。反転召喚するたび、相手ライフに500ポイントのダメージを与えるモンスターだ。ここから想定されるデッキタイプは――
 ――バーンデッキ、か?
 通常、M&Wはモンスターの攻防によって相手ライフをゼロにする。だがカードの中には『墓守の呪術師』のようにLPに直接ダメージを与えるものがあり、そのようなカードばかりを集めて組んだデッキをバーンデッキという。
「さあ、五種類のカードを指名してちょうだい」
 バーンデッキに採用されるカードの種類はそれほど多くはない。だが、互いのカードを禁止できるルールを採用した以上、使用頻度の高いカード、いわゆる必須系カードは敢えて外してデッキを組んでいる可能性がある。もちろん、裏の裏をかいて基本に忠実な構築をしている可能性もある。
「……オレが指名するのは、『ステルスバード』、『仕込みマシンガン』、『波動キャノン』、『強欲な壺』それと『サイクロン』」
 前の三枚はバーンデッキでよく使われるカード、後の二枚はどんなデッキにも投入されているカードだ。
 よく使われるということは、それだけ強力ということでもある。勘が全て外れても、それらを使われるよりましだった。
「二つ正解。『ステルスバード』が二枚と、『仕込みマシンガン』が一枚。この三枚をデッキから取り除くわよ」
 やはりというか、メジャーなカードは入ってなかった。
 『人形遣いのローズ』は、それじゃあアタシの番ネ、と視線でオレの手の下にあるデッキを指した。一枚めくる。『迅雷の魔王−スカル・デーモン』
 冷や汗が伝った。スカルデーモンはデッキ最強のモンスター。禁止されれば、デッキのパワーはかなり落ちる。
 しかも上級モンスターが暴かれたことにより、オレのデッキがビートダウン(数と力にモノをいわせるデッキタイプのことだ)であることがばれてしまった。とすれば、ビートダウンにおける必須系を指名してくるだろう。
 ローズは邪悪な笑みを浮かべて、しかし予想を裏切る言葉を吐き出した。
「『魔導戦士ブレイカー』、『大嵐』、『サイクロン』、『ハリケーン』、そして『氷帝メビウス』を指名するわ」
「……しまった!」
 ここでようやく彼の意図がわかり、オレは血の気という血の気を失った。指定されたのはすべて、どんなデッキにも採用される魔法・罠を除去するカード。ハリケーン以外は全てオレのデッキに入っている。
 しかもオレのデッキには、魔法・罠を破壊するカードは他に入っていない――つまりこのデュエル、オレは魔法・罠カードを破壊することができない。
 「デッキの一番上をめくる」はカモフラージュだったのだ。ローズは最初から魔法・罠破壊系カードを封じるつもりで、『旅人の試練』のような、破壊しないかぎり相手を悩ませ続けるような永続罠、永続魔法を用意しているに違いない。
「さて、デッキが軽くなったところで、そろそろデュエルを始めましょうか」
 ローズは上機嫌でそう言い、オレはしぶしぶ頷いた。
 四枚分軽くなったデッキを改めてシャッフルし、デュエルディスクにセットする。眼を閉じて、一秒だけ祈った。

「――デュエル!」

 手札を確認して、速攻で勝負を決めることを決意した。魔法・罠を破壊する手段がない以上、長引かせれば不利になる。
「アタシの先攻。ドロー。スタンバイ」
 ローズは手札を一瞥すると、奇妙な行動に出た。『ジュリアちゃん』を顔のわきに抱え、相談するように手札を見せたのだ。
「ねえジュリアちゃん、どれにしよっか?」
 ローズの眼は本気だった。演技だとすればオスカー級の演技派か、あるいは――。魂を持った人形と魂を抜かれた腹話術師のイメージが蘇ってきて、皮膚が粟立った。
「これ? わかったわ。それじゃあ、魔法カード『成金ゴブリン』を発動」
 手札から一枚抜き、こちらに見せる。そのカードには本来あるべきイラストはおろか、効果の説明すらも書かれていない。TADの試験官は、受験者の知識を測るため、説明書きのない代用カードでデッキを組んでいるのだ。
 さいわい『成金ゴブリン』はオレの知るカードだった――相手に500ライフを与え、自分はデッキから一枚ドローする魔法カード。ノーリスクで二枚引ける『強欲な壺』が存在するので、普通のデッキでの採用率は低い。
 ――『強欲な壺』をオレが指名することを見越して入れてたってわけか……まてよ。
 絶望的なデュエルに、少しだけ光が見えた気がした。もしローズが普通のデッキでは採用されない特殊なカードでデッキを組んでいるとしたら――そこに弱点があるかもしれない。
「それから……このカードを守備表示で出して、ターン終了するわン」
「オレのターン! ドロー。スタンバイ。『ドリルロイド』を召喚。守備モンスターに攻撃!」
 鼻先のドリルを回転させ、原色の四輪駆動が守備モンスターに突撃する。4ツ星モンスター『ドリルロイド』は攻撃力こそ1600と普通だが、守備モンスターの守備力を無視して破壊することができる。すこし前、亜理紗の『DHERO ディフェンドガイ』に対抗するために入れたカードだった。
 守備モンスターが表になる。ドリルに巻き込まれ、一瞬で離散した。
「かかったわネ。アタシの守備モンスターは『執念深き老魔術師』。これでおあいこヨ」
 表になった瞬間、モンスター一体を呪い殺す厄介な魔術師だ。このカードも、『ならず者傭兵部隊』より使い勝手が悪いため、投入されることの少ないカードだった。
 早回しを見ているように地面から蔓が伸びてきて、ドリルロイドの車体を絡め取る。巨大掘削機はずぶずぶと地面に沈んでいって見えなくなった。
「一枚伏せて、ターンエンド」
 伏せカードはただの牽制。直接攻撃されても、防ぐすべはない。
「アタシのターン。ドロー。スタンバイ。……ジュリアちゃん、あの伏せカードどうしよっか? ……そっか、ジュリアちゃんって賢いわぁ。このモンスターを守備表示にして、一枚伏せるわネ。ターン終了ヨ」
 ――攻撃してこないということは、裏守備で召喚しないと効果を発揮しないモンスターを伏せている……しかし、「賢い」ということは、あえて別の戦略をとったということか……?
 耳を済ませて『ジュリアちゃん』の声を聞こうとしている自分に気付き、はっとなった。これでは完全に相手のペースだ。
「オレはモンスターを守備表示で出して、ターンエンド」
「アタシのターン。ドロー。スタンバイ。……うん。わかってるわ、ジュリアちゃん。一枚伏せて、終了ヨ」
 これでローズの伏せカードは二枚。たとえ罠であろうと、回避する手段はない。いや、ひとつだけ方法は残されている――
「オレのターン!」
 ドローした瞬間、錆びた鉄の臭いが立ち込めた。カードに触れた空気が腐りおちていく。
「守備モンスター『墓守の偵察者』を反転召喚する。その効果で、デッキより『墓守の呪術師』を特殊召喚。250ポイントのダメージ」
「んま、いやらしいカードだこと」
「続いて呪術師を生贄に――」
 蒼い遠雷がオレの名を呼ぶ。
「――『迅雷の魔王−スカル・デーモン』召喚!」
 眼が眩むほどの落雷がフィールドを走駆する。瞬息、呪術師は人の形をした蒼炎となった。炎は膨れ上がり、やがてその中から魔王が威容を現す。
「スカル・デーモンで守備モンスターに攻撃!」
 そのとたんローズは嬉しそうに人形に頬ずりすると、「きゃあっ! ジュリアちゃんさすがっ!」罠カードを発動させた。
「『マジック・シリンダー』!」
 魔王の頭上に、二つの赤い筒が出現した。二つの筒は異次元で繋がっており、一方の筒で攻撃を吸収し、もう一方の筒から攻撃を跳ね返すことができる。
「まだだ! その前にスカル・デーモンの特殊能力が発動する。雷の裁き!」
 スカル・デーモンは相手カードの対象となった場合、二分の一の確率で無効にする能力を持つ。
 雷鳴が轟き――赤い筒は落雷を受け、ばらばらに砕け散った。
「スカル・デーモンの特殊能力により、『マジック・シリンダー』を破壊。よって、攻撃は有効!」
「――まあいいわ。アタシの守備モンスターは『マシュマロン』」
 ローズのフィールドに現れたのは、鏡餅に目鼻をつけたような白ダルマ。外見どおり守備力500の弱小モンスターだが、特殊能力を備えている。
 幾筋もの蒼雷が『マシュマロン』の白い身体を串刺しにする。だがまるで煙を切ったように、モンスターにダメージは残らなかった。『マシュマロン』のとらえどころのないボディは、どんな攻撃も受け流してしまうのだ。
 マシュマロンの厄介さはそれだけではない。裏守備のマシュマロンに攻撃したプレイヤーは、500ポイントのダメージを受ける。オレのLPは4000に戻ってしまった。
「ターン、終了」
 戦闘でマシュマロンを破壊することは不可能だ。『強制転移』で味方につけるか、『ならず者傭兵部隊』の特殊能力で破壊するか……。『ドリルロイド』を蘇生させて破壊するという手もあるが、貴重な蘇生系のカードを序盤から使うのはあまり賢明とはいえないだろう。しかし、なるべく早く決着をつけなくてはならないのも事実だった。
「アタシのターン。ドロー。スタンバイ。……ふーむ。ジュリアちゃん、どうする? ……あ、そうか。じゃあアタシは一体守備表示で出して、ターンしゅう……え? このカードも? わかったわ。一枚伏せて、ターン終了ヨ」

 ローズの科白はいくらでも深読みできたが、人形というヴェールを介している以上、その素顔はわからない。とぼけた言葉を吐いておいて、ヴェールの奥で舌を出していることも考えられた。
「オレのターン! ドロー!」
 ――今はまだ、マシュマロンは破壊できない。
「スカル・デーモンのコスト250ポイントを払い、スタンバイフェイズ終了。『偵察者』を守備表示にして、ターンエンド」
「アタシのターン。ドロー。スタンバイ。このターンは何もせずに終了よン」
「オレのターン。ドロー!」
 ――よし!
「スカル・デーモンの維持コスト250を払い、スタンバイ。『ならず者傭兵部隊』を召喚。自爆することで『マシュマロン』を道連れにする!」
 柄の悪い男たちが白ダルマを囲み、にやりと笑ってダイナマイトを取り出す。次の瞬間、爆音と共に両者の姿が消えた。フィールドに残ったのは、四ツ星以下の守備モンスターと伏せカードが一枚。
 一ターン前のローズの立場になって考える。絶対無敵の防壁があり、かつ相手フィールドには上級モンスターがいる。そういう状況で、新たな守備モンスターを出すとしたら? 生け贄用ではないだろう。ローズのデッキはおそらくガチガチに守備を固めたロックデッキ。上級モンスターはほとんど入ってないはずだ。こちらの攻め手を切り崩すリバースモンスターか、マシュマロンが敗れたときの予備と考えるのが妥当。どちらにしろスカル・デーモンで倒せる可能性が高い。
「『偵察者』を攻撃表示に。バトルフェイズ。スカル・デーモンで守備モンスターに攻撃」
 蒼い落雷が守備モンスターを打ち据える。
「『クリッター』が破壊されたので、デッキからモンスター一体を手札に加えるわ。『黒竜の雛』」
 ――守備のための一手じゃなかった! 攻撃に転じるための布石!
 偵察者は既に攻撃表示にしてしまった。次のターンで揺り返しが来れば、大ダメージを受ける。だが、オレの手札には『聖なるバリア−ミラーフォース』があった。相手が攻撃した瞬間、攻撃モンスターを全滅させる罠カードだ。
「『墓守の偵察者』でプレイヤーに直接攻撃!」
「罠カード発動ヨ。『聖なるバリア −ミラーフォース−』」
「――!」
 やられた。攻撃阻止の中ではもっとも知名度の高い罠カードである。指名されるのを見越して、デッキに入れていないものと思い込んでいた。
 偵察者が相手フィールドに踏み込んだとたん、まるで見えない巨人の平手打ちを食らったかのように吹き飛ばされた。くるくると宙を舞って、地面に激突し消滅する。見えざる暴虐はそのままオレのフィールドに侵入すると、最強の魔王を苦もなく捻り潰した。
「一枚伏せて、ターンエンド!」
 互いのフィールドにモンスターはいない。LPはローズが3750、オレが3500。手札はオレが四枚、ローズは五枚。オレには二枚の伏せカード。ローズには一枚。
「アタシのターン。ドロー。スタンバイ。……うん。そうネ。『黒竜の雛』を召喚。すぐに生贄に捧げ、特殊能力を発動」
 『黒竜の雛』が消えた瞬間、闇がローズの上半身を覆い隠す。いや、闇と思ったのは誤りで、実際に現れたのはオレの身長をはるかに超える巨大な黒竜だった。ドラゴンは一声啼いたかと思うと、怒りが凝固したような真紅の双眸でオレを睨む。
 通常、デュエルディスクで投影されるモンスターの立体画像は、最大でも40センチ前後と定められている。それ以上の大きさになると悪用される恐れがあるからだ。だが極まれに――超人気の希少カードであることが多いが――その制限を受けないモンスターが存在する。
「――手札より『真紅眼の黒竜』を特殊召喚!」
 通称レッドアイズブラックドラゴン。M&Wを知らない人間にさえ知られている超レアカードである。レベル7、攻撃力2400、守備力2000のノーマルモンスターだが、恐ろしく希少なため、マニア価格では数十万は下らないといわれている。
 伝説とさえ呼ばれるカードの出現に、まるで奇跡に立ち会ったかのような感慨を隠せなかった。「これが……レッドアイズブラックドラゴン……」
 ローズは手をひらひらさせて苦笑した。
「やぁだ。TAD用に作られた代用カードヨ。本物じゃないわ」
「ひょっとして代用カードって、全てのカードに存在するんですか?」
「まあネ。TADの試験官は、現存する全てのカードを使ってデッキを構築できるの。最高のレアリティを持つ『青眼の白龍』や、全てのパーツを揃えるのは不可能といわれている『エクゾディア』でさえ、TADでは使いたい放題よン」
 二の句が告げなかった。レアカードにフェティシズムを感じるわけではないが、『青眼の白龍』も『エクゾディア』も、一生に一度、拝めるかどうかという希少なカードで、インターネットでちょいと検索すれば、これらのカードを巡って起きた辛酸な事件がずらずらと出てくる。
「――もっとも、『神のカード』だけは無理だけどネ。あのカードのデータは無いもの」
「神のカード?」
「あらン、知らない? かのバトル・シティでのみ姿を現したと言われる、伝説の三枚ヨ。『エジプシャンゴッドカード』とも呼ばれるわネ」
 バトル・シティとは、数年前、KCが初めて主催したM&Wの大会だ。公式デュエルとしては初めてアンティルール(賭けカード)を採用したという。初代決闘王はこの大会で誕生した。
「世界に一枚しかない激レアカードという噂もあれば、偽造カードとも、融合のバグで偶然生まれたモンスターとも言われてるけど、ともかく型破りに強力なカード、ってことだけは確かヨ。……もっとも、I2社のデータバンクにはそんなカードデータは無いから、やはり何らかの不正カードだったと考えるべきかしらネ。バトル・シティの頃はまだCCエンジンがなかったし、偽造カードのみのデッキで参加してた人もいたって聞くから」
 話がずれたわネ、とローズは手札から一枚抜き取り、
「一枚伏せて、レッドアイズで攻撃……はしないでおくわ、スカルデーモンの二の舞にはなりたくないもの。ねー、ジュリアちゃん? ターンエンドヨ」
 罠を読まれている。

「オレのターン。ドロー。スタンバイ」
 ドローカードは6ツ星モンスター『龍骨鬼』。手札に生け贄なしで召喚できるモンスターカードはない。
 オレは最初のターンで伏せたカードを発動させた。
「速攻魔法『リロード』。手札をデッキに戻しシャッフル。元の手札の枚数ぶんを新たにドローする」
 五枚引く。新たな手札には、一枚だけ四ツ星モンスターカードがあった。
「モンスターを守備表示。ターンエンド」
「アタシのターン。ドロー。スタンバイ。……ジュリアちゃん、このカードどうかしら? ……うふふ、気が合うわネ。それじゃ魔法カード発動。『撲滅の使徒』。これで伏せカードを破壊するわ」
 『撲滅の使徒』は伏せカードを一枚ゲームから除外し、それが罠カードなら、同名カードを全てデッキから取り除くカード。だが、かならず罠を当てられるとは限らないし、もっと使い勝手の良い『サイクロン』があるので使用率は低い。
 伏せていた『ミラーフォース』が砕け散る。
「きゃっ、ラッキー! それじゃ、レッドアイズで守備モンスターに攻撃!」
 黒竜は自身の眼のように紅い炎を吐き、オレの守備モンスター『ピラミッド・タートル』を灰に変えた。
「ピラミッド・タートルが戦闘で破壊されたことで、デッキから守備力2000以下のアンデッドモンスターを特殊召喚できる。出でよ! 『龍骨鬼』!」
 オレのフィールドに、『リロード』でデッキに戻したばかりの骨蛇が出現した。攻撃力・守備力ともにレッドアイズとまったく同じ。
「あらら、どうする、ジュリアちゃん? ……うん。アタシのターンは終了ヨ」
 ――攻め手はない。念のため、このカードで守りを固めておくか……。
「一枚伏せて、オレのターンは終了」
 続いてドローしたローズは、素っ頓狂な裏声をあげた。
「いやーン、ジュリアちゃん、やっと来たわ! 手札より魔法カード発動! 『黒炎弾』!」
 『黒炎弾』は『黒竜の雛』と同様、レッドアイズ専用のサポートカード。このターンの攻撃を封じる代わりに、レッドアイズの攻撃力の半分をプレイヤーに直接射ち込むことができる。
「さらに伏せていた速攻魔法発動。『連続魔法』! 手札を全て捨てる代わりに、『黒炎弾』の威力は倍になるわっ!」
 レッドアイズの口腔から煙が立ち上ったかと思うと、黒い炎が続けざまに発射された。合計で2400ポイントの火球は龍骨鬼の頭上を通り過ぎ、オレのライフカウンターを直撃した。
「あと1100ポイントか。もう攻撃は必要無いわネ。伏せカード発動!」
「永続魔法……『レベル制限B地区』!」
 恐れていた事態が、ついに現実のものとなる。『レベル制限B地区』がある限り、レベル4以上のモンスターは全て守備表示となり、攻撃を封じられる。オレのデッキにレベル3以下のモンスターは『クリッター』と『墓守の呪術師』のみ。
 手札は魔法カード『強制転移』と罠カード『リビングデッドの呼び声』。どちらもこの状況では役に立ちそうも無い。
 ――負けた……。
 もはや打てる手はなかった。たとえローズの言う「神のカード」とやらがデッキに入っていたとしても、この状況をくつがえすことは出来ないだろう。最初から不利なデュエルだったのだ。魔法・罠の破壊を奪われて闘うのは、片足を失ってマラソンをするようなものだ。
 これ以上続けることに意味はなかった。あとはデッキに手を乗せ、「サレンダー」という。オレに残されたのは、その程度の自由。
「一枚伏せて、アタシのターンは終了ヨ。ナナを倒した実力、見せて頂戴」

 敗北の一つや二つ、簡単に受け入れられると思っていた。勝敗なんてどっちでもいいと考えていた。アキラに誘われたから始めて、亜理紗との関係を続けたかったから続けていた。オレにとってM&Wなんてそんなものだ。そのはずだった。
 なのに、左手が動かない。
 勝手に震えだす左手。カードを引くための、手。この手をデッキに置けば、オレはこのデュエルから――恐怖から解放されるのに。
 TADを受ける前、頑張れ、といってくれた仲間の顔を思い出す。天音、百目鬼、アキラ。亜理紗にはTADを受けることを言わなかった。彼女の知らないところで実力をつけて驚かせたかった。
 ――そうだ、亜理紗はこんな奴よりずっと強かった。だからこんなところで負けてたら、亜理紗と対等になんかなれない!
 たとえ負け戦でも、最後まで足掻いてみせる。決意とともにオレは左手をデッキの上に置いた。カードを引くために。
「オレのターン! ドロー! スタンバイ。一枚伏せて、ターンエンド」
「アタシのターン」
 引いたカードを見て、ローズは急に落胆したような表情になった。
「……うん。手加減なんかしないわヨ。……も違ってたみたいネ……」
 ぼそぼそと低い声でひとりごちると、
「フィールド魔法『エクトプラズマー』を出すわ。アタシの勝ちネ」
 ローズの出したカードから、澱んだ空気があふれ出してくる。数あるフィールド魔法の中でも、最も毀誉褒貶の分かれるカードだった。このカードが場に出ている限り、ターンプレイヤーはエンドフェイズに自分のモンスター一体のエクトプラズマーを抜き出さなくてはならない。抽出された生体エネルギーは霊弾となり、攻撃力の半分を相手プレイヤーに与えるが、そのためにモンスターは死んでしまう。その残酷さゆえに使用を嫌うデュエリストもいれば、「これほどリスキーで面白いカードは無い」という意見もある。
「そうはいかない! メインフェイズ終了時に速攻魔法発動! 『月の書』!」
 モンスター一体を裏守備表示にする魔法である。レッドアイズが夜に食われ、暗黒の巨躯はみるみるうちに一枚のカードに吸い込まれて消えた。『エクトプラズマー』で裏守備のモンスターは指定できない。
 決め手を防がれたというのに、ローズの裏声は艶を増した。
「一ターン生き延びたわね……。でも、次のアタシのターンで『レッドアイズ』を反転すれば済むことだわ。それとも、あと一ターンでアタシに勝つ手段があるのかしら? どう思う? ジュリアちゃん――」
 場には『エクトプラズマー』がある。うまく使えば逆転できるかもしれなかった。『真紅眼の黒竜』を利用すれば――
 ――まだ、可能性はある!
 余計な思考が蒸発し、勝利への一本道が頭に浮かび上がる。たった一つの、高くはない可能性。だが賭けてみる価値はあった。
「エンドフェイズにもう一つの速攻魔法発動! 『スケープ・ゴート』!」
 フィールドに四体の羊トークンが現れる。攻撃・守備力は0。生け贄召喚にもできず、ただ身を守るために存在するモンスターだ。
 これで準備は全て整った。次に引くカードに全てがかかっている。望むカードを引ければオレの勝ち、そうでなければオレの負けだ。
「オレのターン! ドロー!」
 まずアンティークドール、そしてローズの順に視線を移した。

「――オレの、勝ちだ」

「まさか、この状況でっ!?」
「羊トークン一体を攻撃表示に変更! 手札より『強制転移』を発動し、『レッドアイズ』と入れ替える!」
「そうは行かないわっ。罠カード発動! 『リビングデッドの呼び声』。墓地から『黒竜の雛』を呼び出す!」
 雛と羊が入れ替わる。だがオレの狙いは、レッドアイズを奪うことではなかった。
「オレは『黒竜の雛』を生け贄に――こいつを召喚!」
 上方から光が注ぐ。かつて太陽と同一視され、いま、オレの希望の光となるカード。
「――『ホルスの黒炎竜LV6』!」
 エジプトの太陽神の名を受け継ぐドラゴンが、天井からゆっくりと降下する。その崇高さ故、全身を覆う輝く金属は、全ての魔法効果を受け付けない。
「『ホルス』なら『レベル制限B地区』の制限に関係なく攻撃できる――羊トークンに攻撃!」 
 レッドアイズの身体に勝るとも劣らない黒炎が、丸々とした羊を焼き尽くす。攻撃表示だったため、ホルスの攻撃2300がそのまま貫通し、ローズの残りLPは1450。
 オレは手札から『リビングデッドの呼び声』を抜き出した。
「カードを一枚伏せ、エンドフェイズに移行! 『龍骨鬼』からエクトプラズマーを抽出し、射出!」
 龍骨鬼の全身から白い煙が立ち上ったかと思うと、本体は灰となって崩壊した。白煙は小さなサイズの龍骨鬼を形成し、本物の蛇のような素早さでローズのライフカウンターに噛み付く。1200ポイントのダメージが追加され、残り250。
「これでターン終了! 望みどおり、ナナを倒した方法を見せてやる」
 ナナと違いローズのデッキに『サイクロン』はない。オレの勝利は確実だ。
「――『リビングデッドの呼び声』で墓地の『墓守の呪術師』を蘇生、ですか」
 その声は、『人形遣いのローズ』の裏声にしては透き通っていた。
 聞き間違いかと思って顔を上げたオレの耳に、同じ声が響く。
「ローズ。私たちの負けです。サレンダーを」
「あーん、悔しいっ! あとちょっとだったのにっ!」
 ローズが大仰に嘆いてみせる。腕に抱えた『ジュリアちゃん』を抱きしめながら。
「まさか、その人形……」
 指をさすと、ローズは秘密を共有するような笑みを浮かべて、人形をテーブルに置いた。
「はジめまして。ジュリアと申シます」
 透明なソプラノで、人形が喋った。オレの妄想が現実になったのでなければ、答えは一つしかない――誰かが人形を通してデュエルを見ていた。いや、見ていただけではなく、おそらく――
「――ローズさん、本当にデュエリストなんですか?」
「察しがいいわネ。本職はただの手品師よン。M&W歴は一週間ってとこかしら」
 マジシャンは隠したいものをあえて目立つところに置くという話を、ふと思い出した。ローズとジュリアの「会話」は、それ自体が罠だったのだ。
「……どういう、ことですか?」
「質問はあとで受け付けます――ですが、これからスる話の中で今あなたが感ジている疑問は解決するはずですので、まず私の話を聞イてください。いいですか?」
 人形から聞えてくるのは、指示することに慣れているという感じの、硬質な声。オレは首肯を返した。
「お察シの通り、先ほどのデュエルは私がローズに指示を出シていました。ローズだけではありません。こうしてあなたと話シている今も、私は数十人の試験官を介シ、日本じゅうのTAD受験者たちと同時に対戦シています。理由は二つあります。一つは、非常に遺憾なことですが、日本のTAD試験官は非常に少なく、こうシないとTADそのものが立ち行かないからです」
 人形が喋りだした話は、にわかには信じがたい話だった。聖徳太子じゃあるまいし、数十のデュエルを同時進行させるなんて――だが嘘をつく理由も無い。
「そんなに日本のデュエリストはレベルが低いんですか?」
「試験官たりうる人材が少ないという意味ではありません。むしろ実力者の数だけいえば、日本は他国を圧倒するものがあります。しかし、そのほとんどがカードプロフェッサーを志望シているため、TAD試験官になろうという人はごくわずかなのです。賃金が低いことも不人気の要因でしょう。現に、TAD試験官の多くは別に本職をお持ちです」
「つまり、試験官の数が足りないから、素人を雇って数を水増ししてる、ってことですか?」
「ご理解が早くて助カります。――しかしながら、それは建前に過ぎません。本当の理由は、私自身が出来る限り多くのデュエリストとデュエルする必要があったからです。あなたを見つけるために」
「オレ、を……?」
 なにか大きなものに巻き込まれていくような、巨大な何かを前にして、自分の非力さを思い知らされるような、そんな心細さを感じた。ジュリアは「あなたのような人」ではなく、「あなた」と言った。
「オレを知っているんですか?」
 そんなはずはないと思いながら訊いてみる。ジュリアの日本語は下手するとオレより上手いが、アクセントが少し引っかかるというか、息継ぎのために区切る場所が少々おかしいところがある。いまではほとんど聞かなくなったが、春先ごろ、日本に来たばかりの頃の天音がこういう発音をしていた。十中八九、外国人か外国育ちだ。
「いいえ。初対面です。ですので非常に失礼なお願いになってシまうのですガ……率直に申シ上げます。来週行われるM&W地区大会は知っていますね? あなたにはそこで、あるデュエリストと戦って欲シい」
「理由は?」
「それはまだ申せません。少なくとも、地区大会が終わるまでは」
「嫌だといったら?」
「拒否シないほうがあなたのためです、とだけ」
「嫌だ」
 即答して、感情をうつさないガラスの瞳を睨みつけた。「せめて姿を見せて、事情を説明してくれたら考えましたけど」
 椅子を倒す勢いで立ち上がって、人形に背を向けた。「ちょっと、ミドリくぅん」ローズの鼻に掛かった声が追いかけてくる。無視して部屋を出ようとした。
「非礼についてはお詫びシます」
 なおも食い下がってくる声に、半ばあきれてふり返る。
「別にオレじゃなくてもいいでしょう。オレより強い奴なんて、いくらでも」
「いいえ。あなたシかいないのです」
「そんなこと言われても」
「あなたシか、いないのです」
 ジュリアは、それこそ人形のように繰り返した。
「あなたシか、いないのです――エックスに勝てる人間は」



☆アトガキ☆

 気になるところで次回へ続くのは連載の鉄則。こんにちは。プラバンです。
 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

 また変な奴を増やしてしまいました。
 オネェのローズです。
 書いててなかなか面白いキャラクターですので、またどこかで出てくるかもしれません。

 さて、五話目にして、ようやく話が動き始めました。
 謎の女も出てきたりして、なんだかミステリめいた展開になっていますが、
 基本的には、ちょっとオカルトの入った何かにするつもりで書いています。

 さて、次回の話はとうぜん、地区大会編……ではありません。
 番外編です。
 本編より時間軸が戻ります。
 主人公もミドリではありません。
 舞台は海の向こうです。
 お楽しみに。


 top