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第三話 デュエリストの敵


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 ムフッ。
 ムフフフ。
 ムフフフフフ。
 笑いが止まらなかった。
 春のせいだ。このところの気温は30度を越え、アブラゼミの輪唱は耳の一部となって久しいが、きっと地球の手違いだろう。オレの世界はピンク色に満ち溢れている。ほら、そこにも綺麗なピンクの葉桜が。セミが。雲が。人生はすばらしい。

 ――「城ヶ崎」なんて呼びにくいでしょ? 亜理紗でいいよ。その代わり、あたしも「ミドリ」って呼んでいい?
 ――う、うん。……亜理紗。
 ――よかった! あたし、こうやって名前を呼び合える人ができるの、夢だったの!

 亜理紗というのは、弟が入院している病院に同じく入院している少女だ。M&Wというカードゲームがきっかけで知り合った。ここしばらくのオレは彼女の病室に日参しては、対戦相手や話し相手を勤めている。もっとも実力の差は歴然なので、相手をしてもらっているといったほうが正しいのかもしれないが。
 盲目だというのに、亜理紗の知識量には眼をみはるものがあった。デュエルをすれば博覧に驚かされ、話をすれば強記に舌を巻いた。言葉の端々から読書量の多さがうかがえた。視覚障碍者のなかでも、点字が読める人はごくわずかだとつい最近まで知らなかったオレとは大違いだ。しかしなにより驚嘆したのは、中学生だと思っていた彼女が、オレと同じ府秦高校の生徒だったこと。
「え、飛び級?」
 と聞きようによってはかなり失礼な言葉をうっかり漏らすと、
「あれ、言ってなかった?」自分とこちらを交互に指さした。「同い年」
「知らなかった。見かけたことなかったから」
「あたし通信課で、入学式しか行ったことないから」
 諦めることに慣れてしまった微笑を浮かべた。入学式の記憶を引っ張り出してその童顔を捜してみるけれど、心当たりはなかった。
 面会は、アキラを伴うこともあったし、そうでないときもあった。デュエルをしない日もあった。独りでいるときは千の言葉が浮かんでくるにもかかわらず、彼女の前に出ると一つか二つを口にするだけで精一杯だった。それでも親近感か――あるいはもう少し深い感情を抱いてくれたようで、名前で呼んでほしいといわれた。女の子にそんなことを言われたのは生まれて初めてだったから、オレはすっかり舞い上がってしまい、その後の会話はよく覚えていない。帰宅したオレを目撃した母親は、まるで雲の上を歩いているようなふわふわした足取りだったと証言した。
 だから誰が責められよう。景色の色が変わって見えるほど脳内物質をあふれさせていたオレが、アキラの見舞いを忘れてしまったことを。
「もう兄とは思わん」
 電話口から聞えてくるのは、憤懣やるかたない声。
「すまん。今度埋め合わせするから」
 手を合わせて拝むと、ややあって、大げさなため息が聞こえた。
「頼むぜー。ただでさえ動けなくて退屈なんだから」
 本来なら検査入院は終わり、アキラはとっくに退院しているはずだった。いや、一度は退院しかけたのだ。その許可が下りたことが嬉しくて、入院生活で脚が弱っていることも忘れてはしゃぎまわったのが失敗だった。階段から転げ落ちて足を骨折し、そのまま病室に逆戻りとあいなった(馬鹿が治るまで入院してろ、と両親は怒った)。
「ところで、どうやって電話かけてきたんだ? 動けないんじゃなかったのか」
「看護婦さんに携帯借りた」
「ちゃんとお礼言っとけよ。それで、用事ってそれだけか」
 アキラは珍しく口ごもった。
「いやそのー。なんていうか」
「人の携帯を借りておいて話を伸ばすな」
「実は、ちょこっと頼みたいことがあって……TADのことで」
 夏休みに入る前、アキラはTAD(デュエリストとしての実力を測るテストだそうだ)の存在を知り、友人と共に申し込んだ。試験は一週間後。その日に備え、M&Wの特訓をしてきたが、怪我のため会場には行けそうにない。このままでは申請料金がパァになってしまう、と公務員を親に持った貧乏性がアキラを焦らせた。
「でも、骨が安定するまでは絶対安静、って言われたんだろ? 事情を話せば延期してもらえないのか」
「オイラもそう思って、さっき問い合わせた。そしたらテストの日時は替えられないけど、テストを受ける人を変更することはできるんだって。で、手続きしといた」
「手続きって何の」
「受ける人の変更」
「誰に」
「愛しのお兄様に」
「…………まてコラ」
「だあいじょうぶ。ミドリ強いし。きっと高得点だせるぜ。あ、料金は割り勘な」
「……あのな」
「じゃ、そろそろ看護婦さんに悪いから切るぜ。検討を祈る」
「ま」一方的に切られた。引ったくりかなにかにあったようで、しばし呆然となる。ケータイを放り出して、ベッドに寝転んだ。白熱灯が見返してきた。
 TADはもともと、プロを目指す人間が受けるようなテストだ。オレが受けても、金を払って恥をかきにいくようなものだということは分かりきっている。
 しかしチャンスだとも思った。初対面からこっち、オレはただの一度も亜理紗に勝てないでいる。運や才覚の差ではない。才能という舞台に上がる以前に、努力と知識の積み重ねが少なすぎた。
「……やるしか、ないか」
 身を起こしてラップトップを立ち上げ、KCのウェブサイトから基本的な情報を仕入れることにする。試験まであと一週間。場所は最寄のデュエルスペースか指定された公共施設。オレの場合、羽住大学がいちばん近い。
 筆記はなく実技のみ。無作為に選ばれた二人の試験官とのデュエルというのが試験の内容だが、むろん友人同士でするような甘いデュエルであるはずがない。こちらの実力を測るということは試験官の実力はプロかそれに近いものに違いなく、だとすれば初心者も同然のオレが無策で挑んだところで万に一つも勝ち目はないだろう。

   ***

「――で、ボクの出番になったわけだ」
 例年の最高気温を軽く上まわる、記録的な熱暑だった。太陽が地球でバーベーキューをすることに決めたらしい。アスファルトを踏めば体が沈みこむのを感じ、閉め切った場所では息をするだけで喉が焼けた。出掛けに母親から無理やり「持っていきなさい」と渡されたペットボトルを、はじめは疎ましく感じていたが、いまは心底感謝している。これがなかったら死んでた。
 今は夏休み。だがオレは自分のクラスの教室にいた。他に誰もいないのにわざわざ自分の椅子を選んで腰掛けているあたり、典型的なA型だと思う。階上では吹奏楽部が猛暑にもめげず、景気よくトロンボーンだかオーボエだかを吹き鳴らしていた。あちらも窓という窓を開け放しているらしく、時折交わされる黄色い声まで聞こえてくる。
 TADを受けるからには、亜理紗と同等とまではいかなくても、せめて足許に及ぶ点数くらいは取りたい。そう思って百目鬼に電話をかけたのだが、あいにく夏風邪でダウンしていた。ブラックマジシャンのコスプレを普段着にしている変な男である。真夏にあんな通気性の悪そうなコスプレを毎日着ていれば、そりゃあ風邪だってひくだろう。仕方がないので見舞いを言って切ろうとした。ところがちょうどその場にいた天音が話を聞きつけて、助太刀を買って出てくれたというわけだ。
 やってきた天音にもう一度事情を説明すると、彼女は冒頭の科白を吐きつつ飛び乗るように手近の机に腰掛けた(O型だ、たぶん)。めくれそうになったショッキングピンクのフレアミニを手でおさえると、今度は三日月を模したような円柱型のパーティハットが落っこちそうになって、もう一方の手で受け止めた。ダブルプレイに成功したのが嬉しかったのか、オレのほうを見て少年のようににかっと笑う。手首から二の腕にかけてはスカートと同じ色の腕当て。マント状のケープ。百目鬼とはうって変わって胸元の通気性がすこぶる高いドレス風のコスプレ……ずいぶんと涼しそうな格好だ。挑発的ですらあるその格好で百目鬼の見舞いをしていたのだと気づき、テスト前とはまた違った種類の憂鬱がひょっこり顔を出した。
「……わるかったな。ふたりきりのところに電話しちゃって」
 浮気を見つかった間男のような歯切れの悪さで謝ると、天音は腕当てを取った手をぶんぶん振って、
「気にしないで。「感染すと悪いから」って言われて帰るところだったから」
「夏風邪って感染るんだっけ」
「馬鹿だったらね。だから急いで出てきた」
 笑い返しながら、しかし意思とは関係なく視線が首から下に行ってしまう。心臓が大声で「おれは男だ!」とわかりきった自己主張を始める。吹奏楽部の演奏に気をとられたふりをして外に視線を向けた。
「ミドリ、顔赤いよ? キミも夏風邪なんじゃない?」
「あ、ああ……昨日、窓開けっ放しで寝たから」
 オレの不埒な嘘を見透かしたように、天音は「減点1」とこちらを指さした。鼓動が止まるかと思った。
「デュエリストの心得その1。デュエリストはいついかなる場合でも、万全なデュエルができる状態を保つこと。健康管理はしっかりと」
 迫力に気おされてうんうんと頷くと、
「よろしい。それじゃ、ミドリを一人前のデュエリストにするための調練を始める。以後はボクを先生と呼ぶように!」
「ちょ、ちょっと待った先生。オレは別に本物のデュエリストになりたいわけじゃなくて、TAD試験で得点を取る方法を……」
「あまいっ!」腰掛けている机を、だんと叩いて天音は飛び降りた。「はっきり言うよ、今のミドリって、食物連鎖で言ったら植物プランクトンなの。最下層の、被搾取階級の、プロレタリアートなんだから」
 黒板にピラミッドを書いて底辺をばしばし叩く。
「マジですか」
「大マジです。さてここで問題。アオミドロのミドリくんが、あと一週間でせめて両生類くらいまで進化するためには、どうしたらいいでしょう?」
「デッキを改造する」
「減点100! 今から新しいデッキを作って、一週間以内に使いこなせると思う?」
「でも、TADって確か、デッキの完成度も点数に響くんだろ?」
「それはそうなんだけど、いい機会だから、TADの採点方法について、簡単に説明するよ」
 天音は黒板に向き直った。真ん中に縦の白線を引いて、
「TADが300点満点だってことは前に説明したよね。これには芸術点と技術点があって、それぞれの配点が150点ずつ。芸術点っていうのはデッキそのものの評価。AプラスからCマイナスまであって、総合力、整合性(シナジー)、オリジナリティ、使い手との相性などが評価の対象になる。技術点はデッキ以外の評価。こっちはAプラスからFまであって、プレイング、判断力、冷静さ、どれくらいデッキを使いこなしているかが評価の対象になるわけ。つまりミドリがデッキを新しくしても、技術点で引かれるから同じなんだよね」
 そう言って定期入れから名刺をひとまわり大きくしたような紙を取り出した。右上に大きく『TAD成績証明書』とある。左には彼女のモノクロ写真(さすがにマジシャンガールのコスプレはしていなかった)があり、中心に『芸術点――Aマイナス 技術点――B 総合220』とあった。
「Aマイナス……! ってことは、城ヶ崎さん、Aマイナスのデッキに勝ったってことか?」
「ううん。Aマイナスのデッキは、実はまだぜんぜんうまく使いこなせなくてさ。昨日のは、友達と楽しくデュエルするためのデッキ。城ヶ崎さんにはナイショだけど」
 なるほど、だから天音は負けても笑っていられたのだ、とオレは納得した。M&W学部の入学試験は物凄い倍率で、志望者は病的に負けを嫌がると聞く。デュエルに負けた受験生がキレて、M&W世界チャンピオンを拳銃で撃った事件は記憶に新しい。
「って、話がずれたね。答、わかった?」
 オレはかぶりを振った。
「時間がないから言っちゃうけど、正解は、デュエリストとしての自覚を持つ、ってこと」
「自覚?」
「そ。デッキを作った瞬間から、その人はデュエリスト。そう意識するだけで、戦い方も違ってくると思うよ」
「オレが、デュエリスト……?」確かにTAD試験と聞いたとき、プロ相手に勝ち目があるはずがないという諦めがあった。だが、デュエリストが同じデュエリストに望むのだと考えれば、気後れはしないですむ。「わかった。今日からオレもデュエリストだ」
「じゃあ、そのデュエリストに第二問ね。デュエリストにとって、敵ってなに?」
「デュエリストの、敵――?」
「ゲームの定義とは、勝者と敗者を分かつこと。デュエルの目的は、相手に勝つこと。では、その目的を阻むものとは?」
「対戦相手」
「ブッブー。いい? 勝者は敗者がいるから存在できるんだよ。つまり対戦相手は自分の勝利のためにいる、味方なんだよ。こう言い換えたらどう? デュエリストはなぜ負けるのか?」
 天音は鞄からデュエルディスクを取り出して腕に装着した。
「さっきはああいったけど、実力だけ見れば、ボクとミドリの間にほとんど差はないと思う。デッキの相性で言えばミドリに分があるし、経験の差があるぶんは運がミドリに味方したとして、それでもミドリはボクに勝てない。なぜだか分かる?」
 よほどひねくれた人間でないかぎり、負けるためにデッキを組むデュエリストはいない。勝つために考えたはずのデッキとプレイングで、なぜデュエリストは負けるのか? 時の運もあるだろう、人の相性もあるだろう、だがM&Wにおいて、勝者と敗者を分かつ、最後の要因は別にあるという。
「……わからない。ヒントをくれ」
「ボクの戦略、憶えてる?」
 天音のデッキはハーピィデッキ。ハーピィコンボによるラッシュをかけ、1ターンで大ダメージを叩き込む勝ち筋はよくあるハーピィデッキと変わらない。このデッキのオリジナリティは、むしろその前準備――どのようにしてハーピィコンボまでもっていくか――で問われることになる。天音の場合、『旅人の試練』で相手の動きを止め、『番兵ゴーレム』で時間を稼ぐのがそれにあたる。
 ――オレが天音と対戦した場合、厄介なのは……。
「……恐怖。罠におびえて判断を誤るのがいちばんまずいから。違うか?」
 答を出すと、天音はわが意を得たりとばかりに唇の端を吊り上げた。
「その答は、デュエルで証明してみせないと意味がないよ。覚悟はいい?」
 決闘の合図。デュエルディスクを着けた腕を突き出してみせる。
「ルールはTADルール……つまり、公式デュエルと同じルールだ。ボクを試験官と思って、全力で来なよ」
「よろしくお願いします、先生」

 ――デュエル!

「ボクの先攻! ドロー。スタンバイ。カードを一枚伏せ、モンスターを守備表示。エンド!」
 前に亜理紗との戦いで見せた戦略と、そっくり同じ陣を敷いてきた。『旅人の試練』で攻撃を防ぎ、『番兵ゴーレム』でオレのモンスターを手札に戻す。もしこのコンボを許せば、スフィンクスのクイズをかいくぐり、番兵ゴーレムを破壊できるまで、ダイレクトアタックを食らい続けてしまう。
「オレのターン。ドロー!」
 引いたカードは――
 ――げ。
 『墓守の呪術師』。攻撃力・守備力ともに800と、単体ではまったく使えない弱小モンスター。場に出たとき相手に250ポイントダメージを与える能力を持っているが、明らかにリスクとリターンのバランスが崩壊している。
 カードを選ぼうとするオレに向かって、天音が警告を発した。
「ストップ。ミドリ、スタンバイフェイズ終了は宣言したほうがいいよ」
 オレは首をかしげた。
「たとえばこういう状況を想像してみて。ボクの場には『ハーピィ・レディ1』が三体と伏せカードが一枚、ミドリのフィールドは空。手札もゼロ。そういう状況でミドリのターン、ドローフェイズで『ブラック・ホール』を引いた。どうする?」
「どうするもなにも、『ブラック・ホール』を発動させて、モンスターを全滅させるしかないな」
「トラップカード発動。『光の封札剣』。このカードで手札の『ブラック・ホール』を封印する」
「ちょっと待ってくれ。オレの『ブラック・ホール』はもう場に出してしまったんだから、意味がないんじゃないか?」
「ううん、ミドリはこのターン、スタンバイフェイズ終了宣言をしなかった。だからボクが、『光の封札剣』はスタンバイフェイズに発動させるつもりだった、とさえ言えば、ミドリがボクに確認せずに勝手にフェイズを進めたってことで、巻き戻しが発生。スタンバイフェイズまで戻って、ブラック・ホールが発動する前に、封札剣が発動するってわけ」
 まるで詩を暗誦するように淀みなく言葉を並べる。
「へー。スタンバイフェイズって、大事なんだな。じゃあ、スタンバイ。それから『墓守の呪術師』を攻撃表示で召喚。250ポイントのダメージを与える」
 呪術師は召喚されると、念力で杖を飛ばし、相手のLPに直接ダメージを与える。天音のLPは3750に減った。
「さらに一枚伏せて、ターンエンド」
「……あのね、ミドリ、恐怖を克服するのと、無謀な戦略をとるのとはぜんぜん違うんだよ? 攻撃力800のモンスターを攻撃表示なんて」
「それはどうかな。『番兵ゴーレム』の特殊能力は、どんな攻撃力の高いモンスターでも手札に戻してしまう。それなら、その能力を逆に利用させてもらうまでだ」
 天音は目を細めた。
「甘いね。デュエルはそんなに単純じゃないってこと、教えてあげるよ」
 流れるような動きでドローし、守備モンスターに手をかける。
「ミドリ、守備モンスターの正体を教えてあげるよ。この子は『ハーピィ・ガール』。攻守ともにたった500の通常モンスターさ。この子をリリースして、『霞の谷の大怪鳥』を召喚!」
 ハーピィ・レディを小さくしたようなモンスターが消え、代わりに髑髏の顔をした大鳥が現れる。攻撃力は2400。
「どうせその伏せカードは攻撃阻止系だろうけど、ボクを罠に嵌めるには――」
「いいや、罠は発動する! カウンタートラップ『昇天の角笛』!」
「えっ……!?」
 天音の顔がはっきりと強張った。
 『昇天の角笛』は自分のモンスター一体に角笛を装備させ、それを吹くことで相手のモンスターの召喚を無効にする。ただし、角笛を装備したモンスターも昇天してしまう。
 大怪鳥が消えると同時に、呪術師が膝を折った。互いのフィールドからモンスターが消え、刹那の静寂が降りる。
「わるいな。オレは最初っから、守備モンスターが『番兵ゴーレム』だとは思っていなかったのさ」
 オレは一度、天音のデュエルを見ている。そしてそのことを天音も知っている。
「デュエリストにとっての敵は、恐怖――この前と同じ戦略を取るのが、怖かったんじゃないのか、先生?」
 天音は眉根を寄せて苦笑した。
「困ったな。これじゃ、どっちが先生だか判らない。ボクはターンを終了するよ」
 このターン、天音は二枚のカードを墓地に送り、オレも二枚のカードを墓地に送った。しかしその内訳は、彼女が弱小モンスター一体と、上級モンスター一体。オレが弱小モンスター一体と、罠カードが一枚。彼女のほうが損しているはずだ。

 オレのターン。手札には『魔導戦士ブレイカー』がある。
 ――あの伏せカードは『旅人の試練』じゃないはず……だが、天音は守備力500の弱小モンスターを、次のターン生贄にするつもりで伏せていた。ということは、一度だけ攻撃を防ぐ罠カードか。
「『魔導戦士ブレイカー』を召喚。攻撃力を300ポイント下げる代わりに、伏せカードを破壊」
「罠カード発動。『和睦の使者』。このターンの戦闘ダメージは、全てゼロになる」
 天音のフィールドに、修道士のようなノーブルな顔をした集団が現れる。彼らが存在している限り、ブレイカーの攻撃は届かない。オレはターン終了を宣言した。同時に修道士団が消え去った。
「ボクのターン。ドロー。スタンバイ。まずは『ドラゴンフライ』を召喚」
 トンボというよりは『エイリアン』と『ハエ男』を融合したようなモンスターが現れ、複眼にブレイカーを映す。
「バトルフェイズ。ドラゴンフライで、ブレイカーを攻撃」
 ドラゴンフライの攻撃力は1400。対するブレイカーの攻撃力は1600である。ブレイカーの返り討ちにあい、まっぷたつに切り裂かれた。
 天音のLPが3550に下がる。
「この瞬間、ドラゴンフライの特殊能力が発動」
 ハエ男はかろうじて生きていた。今にも消えそうな命のともし火を燃やし、翅をこすり合わせて仲間を呼んでいる。
「ドラゴンフライが戦闘で破壊されたとき、攻撃力1500以下の風属性モンスターをデッキから特殊召喚できる。『ハーピィ・レディ1』!」
 半鳥人、ハルピュイアとも呼ばれる、天音の主力モンスターがフィールドに姿を現す。その攻撃力は、4ツ星モンスターとしてはかなり低い1300。だが自分自身を含め、風属性モンスターの攻撃力を300上げる能力を持っている。
「バトルフェイズ終了。メインフェイズ2で、フィールド魔法『ハーピィの狩場』を発動。全ての鳥獣族の攻撃力・守備力は200ポイントアップ。エンド」
 ハーピィの攻撃力はさらに200ポイント加算され、1800。ブレイカーでは太刀打ちできなくなった。
 ――あれ?
「なぁ、今のターン『ハーピィの狩場』を出してから、『ドラゴンフライ』で攻撃、特殊能力で『ハーピィ・レディ』を出せば、攻撃力1800のハーピィで攻撃できたんじゃないか?」
「それはムリ。『ハーピィの狩場』のもうひとつの能力『ハーピィが場に出たとき、魔法・罠カードを一枚破壊する』は、プレイヤーの意思に関係なく発動してしまうんだ。つまり、『狩場』が唯一の魔法カードだった場合、ハーピィが場に出た瞬間、『狩場』自身が破壊されることになる」
 それはいいことを聞いた。このままオレが魔法・罠を出さなければ、次にハーピィが出てきた瞬間、『狩場』は自分自身の効果で破壊されてしまうのだ。
「オレのターン」手札には、上級モンスター『迅雷の魔王−スカル・デーモン』と『氷帝メビウス』がある。ブレイカーを生贄にすれば召喚できる。だが――
「モンスターを守備表示でセット。さらにブレイカーを守備表示にして、ターンエンド」

 M&Wには伏せカードというシステムがあるゆえに、安全な攻撃ができる条件は限られている。相手に伏せカードがないことと、相手モンスターの効果がわかっていることの二つをクリアしなければならないからだ。その点で言えば、今のターン、オレはむざむざ「安全な攻撃」を見逃してしまったことになる。アキラなら嗤ってこう言うだろう。手札にせっかく上級モンスターがあるのに、何で出さないんだよ?
 ――理由は、二つある。
 ひとつは攻撃した後のことだ。ブレイカーを生贄にメビウスで攻撃したとする。ハーピィは確実に倒せ、ライフは削れる。だが次のターン、なんらかの手段でメビウスを除去された場合、オレは一転して追い込まれることになる。もし『洗脳』があれば一発で逆転負けだ。伏せカードを出しても、『狩場』があるかぎり牽制にはならない。
 天音はドローしたカードと場を見比べていたが、
「手札より魔法カード『万華鏡』を発動し、デッキから『ハーピィ・レディ三姉妹』を特殊召喚するよ」
 フィールドを三陣の風が駆け抜ける。三位一体の鳥人。牙爪の麗人たち。特殊能力はないが、専用サポートカードとのコンボは強力である。
「『ハーピィの狩場』の効果で、『狩場』自身を破壊する」
 ハーピィ1の攻撃力が1600に下がる。
「バトルフェイズ。『ハーピィ1』でブレイカーを攻撃」
 怜悧な笑みを浮かべつつ、余裕のある態度で爪を構えたかと思うと、次の瞬間、麗しき鳥人は信じがたい速度でフィールドを駆け抜けた。ブレイカーが盾を構えようとしたときには、すでにハーピィの爪は赤銅の腹部に食い込んでいる。魔導戦士は何が起こったのかわからないといった表情のまま、地面に崩れた。
「続いて、『三姉妹』で守備モンスターを攻撃」
 ハーピィの三姉妹たちは羽根を広げ、一気に天井近くまで跳躍する。獲物を狙う鷹のように、その眼がぎらりと光った。
 思わず笑みが漏れた。
「オレの守備モンスターは『ピラミッド・タートル』。アンデッド族専門のリクルーターだ」
 オレの場には伏せカードは無かった。天音にしてみれば、『ブレイカー』への攻撃は「安全な攻撃」ということになる。だが、それこそが罠。
 M&Wでは、プレイヤーは必ず攻撃側か守備側に立たされる。どちらも動けない拮抗状態というのは稀で、デッキタイプにもよるが、たいていのプレイヤーは攻撃側に立とうする。勝つのは必ず攻撃側のデュエリストだからだ。
 そこでオレの作戦はこうだ。伏せカードも上級モンスターも出さず、わざと天音の攻撃を誘い、攻撃側に立ったと錯覚させる。すると天音はこう思う。攻撃側を維持するためには、どんどん攻撃してオレの守備が揃わないようにしなくてはならない――そうしてオレの『ピラミッド・タートル』に手を出すというわけだ。
 天音のようにコンボ重視のデッキだと、意外とこの作戦が致命傷となる。優位に立ったという錯覚から、流れを無視して無理な攻撃をしてしまい、結果、デッキのリズムを捻じ曲げてしまうからだ。
 『ピラミッド・タートル』は、『ドラゴンフライ』や『素早いモモンガ』等と同様、戦闘で破壊されたとき、デッキから仲間を呼ぶ能力を持つ。条件さえ満たしていればどんなモンスターでも呼べるため、これらは総じてリクルーターと呼ばれる。
 三姉妹は急降下し、黄土の亀を唐竹に切り裂いた。
「ピラミッド・タートルの特殊能力発動。戦闘で破壊されたとき、守備力2000以下のアンデッド族モンスターをデッキから特殊召喚できる」
 モンスターの名が脳裏に浮かぶ。百目鬼のアドバイスで『カイザーグライダー』の代わりに入れたそいつの名を、呼んだ。
「来い――『龍骨鬼』!」
 ――そう、こいつこそが、オレが攻撃を仕掛けなかったもうひとつの理由。
 『龍骨鬼』は攻撃力2400を誇るレベル6モンスター。生け贄(アドバンス)召喚より、リクルーターで呼び出すほうが得であることは誰でもわかる。だがリクルーターはデッキからしかモンスターを呼べない。だから、手札に引いてしまう前に、召喚を急いだ、というのが理由のもうひとつ。
 亀の死骸が蠢く。ベキ、ベキョ、と耳を塞ぎたくなるような音を立てて、骨が集結し、巨大な蛇を形成する。死が呼び出したのは、攻撃力2400、守備力2000のレベル6モンスターだった。
「カードを一枚伏せて、ボクのターンを終了する」
 一ターンに手札から出せる魔法・罠は一枚ずつ。天音はこのターン、魔法カード『万華鏡』を使ったため、伏せたのは罠カード。『龍骨鬼』の出現後、対抗するように伏せたことを考えれば、攻撃を阻止する罠か、あるいはただの牽制か。
 ――天音には、永続罠『旅人の試練』がある……。
 ターンが移行する。ドローカードは『ゴブリン突撃部隊』。攻撃した後は一ターン眠ってしまうかわりに、レベル4としては高い攻撃力2300を持つ。
 ――ならこのカードで攻撃して、様子を見るか。
「『ゴブリン突撃部隊』を召喚。バトルフェイズ――」
「待って。メインフェイズ終了時に罠カード発動するよ。『ゴッドバードアタック』。鳥獣族一体に、一ターンのみ神鳥の力を与える」
「しまっ――!!」
 突如、落雷がハーピィを打ち据える。絹を裂くような悲鳴と共に鳥人の身体は炎に包まれた。
「このターン、『ハーピィ・レディ1』は、その命と引き換えに、二枚のカードを破壊する。ボクが選ぶのは、『龍骨鬼』と『ゴブリン突撃部隊』!」
 不死鳥が指名された二体に向かって突撃する。どちらも攻撃力2000を超える強力モンスターだが、あっという間に炎に包まれ消滅した。稼いだアドバンテージも灰燼に帰した。
 フィールドに残ったのは三姉妹のみ。オレに手はない。次のターンで天音がさらにモンスターを召喚すれば大ダメージを受けるだろう。オレは牽制のため魔法カードを一枚伏せ、ターンを終了した。
「ボクのターン」
 ターン開始と同時に、天音は射抜くような視線を向けてきた。わざと視線を逸らす。伏せカードに自信がないように振舞うことで、逆に「罠では?」と深読みさせるためだ。
「その手は食わないよ。三姉妹でプレイヤーにダイレクトアタック」
 一縷の躊躇いもない三連攻撃。LPは2050に下がった。
「……なんでわかった?」
「さあて、なんででしょう? 女の勘かな」
 天音はごまかすように笑った。
 ――さすがに、そう簡単には引っ掛かってくれない、か……。
 天音に攻撃の根拠を訊ねたのは、もし彼女が「伏せカードは罠でない」と看破していた場合、モンスターを召喚せずに攻撃したということで、「天音の手札に召喚可能なモンスターがいない」と推測できるからだ。だが、誘導尋問は見事に躱された。
「『霞の谷の大怪鳥』のときと同じ轍は踏まないよ。もうボクに油断はない」
「そいつは光栄だ」
 カードを引く。『墓守の偵察者』。
「モンスターを守備表示で出して、ターンエンド」
 続く天音のターン、ハーピィ・レディ1を召喚し、『三姉妹』の攻撃力が2250に上昇する。
「三姉妹で守備モンスターを攻撃」
 攻撃によって『偵察者』が表になる。マントに身を包んだ男が現れ、腰を落として迎撃の姿勢を取った。
 三体のハーピィ・レディはそれぞれ宙を跳び、三方向から偵察者を襲う。二体まではうまく避けたものの、背後から一撃を食らって膝を折った。倒れる前に外套から笛を取り出し、最後の力を振り絞って宙空に放る。オカリナのような音が場を抜けると同時に、偵察者は消え去った。
「『偵察者』の特殊能力発動。デッキから『墓守の』という名が付いた、攻撃力1500以下のモンスターを特殊召喚する。『墓守の偵察者』」
 二枚目の『偵察者』が現れ、ハーピィの攻撃に備えて防御体制をとる。その守備力は2000。ハーピィ1の攻撃力1600では倒されることはない。
「ボクはターンを終了する」
 偵察者が生き残ったことに、オレは安堵の息を吐いた。『三姉妹』に対抗するには、手札の上級モンスターを召喚するしか手がない。
「オレのターン。ドロー。スタンバイ。『偵察者』を生贄に、『氷帝メビウス』を召喚!」
 メビウスは召喚されると同時に津波を起こし、魔法・罠を二枚まで破壊できる特殊能力を有する。だが、魔法・罠がない今は、攻撃力2400の通常モンスターに等しかった。
 攻撃力で上回るスカルデーモンを召喚しなかったのは、切り札を温存する意味もあるが、毎ターン250ポイントのライフを払う必要があるからだ。長期戦になれば、スカルデーモンは足手まといになる。
「メビウスで三姉妹を攻撃!」
 仮面戦士が跳躍し、三人のハーピィ・レディを捕らえる。悲鳴の三重奏。それが途絶えるのを待って、ターンエンドを宣言した。手札は互いに三枚。オレの場には上級モンスターと伏せカードがあり、天音には四ツ星が一体残されているのみ。

 場の状況を見る限りなら、まったく悪くない。これが普通のデュエルなら、じっくり腰をすえて次の戦略を考えられただろう。
 しかしオレは焦りを感じ始めていた。たしかに今はオレがリードしているように見える。だが、本当の意味でゲームを支配しているのは、天音のほうだ。ハーピィデッキは後半になればなるほど、その真価を発揮する。逆にオレのデッキは後半になるほど、使えるカードは限られてくる。
「ボクのターン。ドロー。スタンバイ。モンスターを守備表示でセット。さらにハーピィを守備表示にして、エンド」
 また時間稼ぎだ。こうしている間にも、彼女がキーカードを引く確率が上がっていく。
 ――だが、オレのデッキにも対抗手段がないわけじゃない。
「『異次元の女戦士』を召喚。ハーピィ・レディに攻撃!」光剣を備えた女性が、無駄のない身のこなしでハーピィに襲い掛かる。
 女戦士の攻撃力は1500。ハーピィの守備力は1400。だが、目的はハーピィを破壊することではなかった。『異次元の女戦士』は戦闘を行った相手を、異次元に連れていく能力を持つ。
 虹色の光が二体の女性モンスターを覆い隠し――二体とも、跡形なく消えた。
「ハーピィと異次元の女戦士を、ゲームから除外!」
「……ちゃんとボクの戦略を覚えていてくれたようだね」
 これで墓地からハーピィを蘇生させる『ヒステリック・パーティ』の力は軽減されたはずだ。
「オレの攻撃はまだ終わっていないぜ。メビウスで守備モンスターを攻撃!」
「守備モンスターは、『番兵ゴーレム』」
 番兵ゴーレムは、自分のターンでしか特殊能力“開・閉”を使えない。強固な門番も、メビウスの太い腕には耐え切れず、砕け散った。
「参ったなあ。やっぱりボクにはまだ、このデッキ――」
 天音はデッキに視線を落とした。
「え?」
「――いや、やっぱりボクも、MTGやっておくべきだったかな、と思ってね。ミドリってホント、初心者とは思えないよ」
「そうでもないさ。オレが今、ほんの少しリードできてるのは、元を正せば序盤で『霞の谷の大怪鳥』の召喚を阻止できたおかげだろ? あれがなければたぶん、とっくに力負けしていたよ」
 序盤から大怪鳥が出ていれば、オレは生贄モンスターを確保できないまま、ずるずるとダメージを受け続けていただろう。さらに『狩場』では攻撃力は2600になり、龍骨鬼やスカルデーモンでも太刀打ちできなったはずだ。
 天音は肩をすくめると、
「その見極めができるのが、ホントのデュエリストだよ。あーあ、自分の勘に自信なくしちゃったなあ。番兵ゴーレムを逆利用するために呪術師を出してきたんだ、って信じ込んじゃったもの」
「人を騙すのは得意なんだ。MTGは、そういう要素が強かったから」
「天音さんは素直ないい子だから、すぐ騙されちゃうんだよね。でもこのデュエル、勝つのはボクだよ。モンスターを守備表示で出して、ターン終了」
「オレのターン」引いたのは『クリッター』。三つ目の毛ダルマは、亜理紗と初めて戦ったときのことを思い出させた。
 あのとき、彼女が使った戦術を。
「クリッターを攻撃表示で召喚。さらに伏せカード発動。『強制転移』!」
 天音の守備モンスターとクリッターが入れ替わる。
「メビウスでクリッターを攻撃!」
 巨漢の豪腕が天音のLPを削る。
「クリッターの効果で、デッキから攻撃力1500以下のモンスターを手札に加える。『ならず者傭兵部隊』!」
 攻撃力こそ1000と低いが、自爆することでいかなるモンスターも道連れにできる。
「これで次のターン、確実にメビウスのダイレクトアタックは通る。オレの勝ちだな」
「……さて、ね。デュエリストの心得その2。ゲームは最後までわからない」
 天音はカードを一枚伏せ、ターンを終了を宣言した。

 ――伏せカードは、おそらくはったりだ。
 仮に『ヒステリック・パーティ』だとしても、彼女の墓地に『ハーピィ・レディ』は一体しかいない。守備モンスターをリリースしてスカルデーモンを召喚、二体で攻撃すれば、勝ちはほぼ決まったようなものだ。
「オレのターン。ドロー。スタンバイ」
 引いたカードは、『ホルスの黒炎竜LV6』。スカルデーモンと見比べた。ここは万が一を考え、ホルスのほうを出しておいたほうがいい。彼女の伏せカードが、オレの知らない時間稼ぎでないとは限らないからだ。
「オレは守備モンスターを生贄に、『ホルスの黒炎竜LV6』を召喚」
 どうだ、と天音を見る。これでオレには上級モンスターが二体。状況は圧倒的だ――しかし、天音は笑っていた。
「助かったよ」
「……え?」
「ミドリがボクの戦略を知っているのと同様、ボクもミドリのデッキの内容を把握してるんだよ。ピラミッドタートルとか龍骨鬼とか、ちょっと変更はあったみたいだけど、コンセプトは変わってない」
 言われてみれば、天音は一度オレのデッキを見ている。だが、たった一度見ただけで、全てのカードを覚えているというのか――天音なら、やれそうな気がした。
「ミドリのデッキなら、このターンで決めるためにアドバンス召喚してくると思ったんだ。そして、いまミドリが生贄に捧げてしまったモンスターは――」
 おそるおそるカードを裏返す。『強制転移』で送ったはずの悪魔族。三つ目が恨めしそうにオレを見上げていた。
「ボクのクリッターが墓地へ送られたことにより、デッキから『ハーピィ・レディ1』を手札に加える。……ここまで言ったら、もう伏せカードの正体はわかってるよね?」
「ヒステリック・パーティ……」
 天音の挑発はこちらの計算を完全に狂わせるものだった。伏せカードは『ヒステリック・パーティ』だとあえて示唆されれば、その裏をいやでも邪推せざるを得ない。――本当は攻撃阻止型の罠ではないか? 守備モンスターを出さなかったのは、攻撃を誘っているからではないか? ――それこそが天音の狙いだとわかっていても、いったん湧き上がった疑心を鎮めるのは並大抵のことではない。
 疑心は暗鬼を生じ、暗鬼は『攻撃』と『攻撃しない』を天秤に掛ける。攻撃して罠だった場合、全滅もありうる。いっぽう『ヒステリック・パーティ』だった場合、場に大きな変化はない。リスクとリターンの差がありすぎる。
 恐怖がデュエリストの敵だと、オレはいった。それを乗り越えれば勝てると。いとも簡単に。
 だがいざ正面から恐怖の顔を拝んでみれば、どれほど自分が臆病なのか思い知らされる。
 恐怖。リスク。
 いつかのオレは、リスクを回避してしまっては面白くないと考えた。何も背負っていないからこそ、できた選択だった。
 けれど今は。
 勝ちたいと、思ってしまった。
「……このままターン終了」
「ありがと」
 危機を切り抜けたことで、天音の口調に余裕が戻ってきていた。
「それじゃあ、伏せカードの正体を教えてあげるよ。リバースカード発動! 『ヒステリック・パーティ』。手札からハーピィ1を一枚捨て、二体のハーピィを攻撃表示で蘇生。……さっき、恐怖がデュエリストの敵って言ったの誰だっけ?」
 この駆け引きは天音の勝ちだ。こうなることを計算して、伏せカードの正体を明かした。
 額の拭うと、予想外に大量の汗が手の甲にまとわりついてきた。デュエルに夢中で気が回らなかったが、そういえばかなり暑い。
「『ハーピィズペット仔竜』を召喚。ハーピィが二体存在するため、攻撃力が倍に。さらにハーピィ1一体につき300ポイント上がって、攻撃力は3000になるよ。ホルスに攻撃!」
 成長したドラゴンが、ホルスに向かって火炎弾を吐く。正面からまともに食らい、いかなる魔法も受け付けない金属のボディは、あっさり弾けた。
「二枚伏せて、ターンエンド」

「オレのターン。ドロー!」
 まだオレには『ならず者』がいる。こいつを出せば状況は逆転する。だがドローカードを見て気が変わった。
「LP400を支払い、魔法カード『洗脳』を発動。ペット仔ドラゴンをオレのしもべに」
 上級モンスターであるホルスすらも倒したドラゴンだが、ハーピィが敵となるやみるみるうちに萎縮して、攻撃力は1800に下がった。
「そしてペット仔ドラゴンを生贄に、『迅雷の魔王−スカル・デーモン』を召喚! ハーピィに攻撃!」
「そうはいかない。罠カード発動! 『旅人の試練』」
 遥かな昔から守護神として語り継がれるスフィンクスが現れ、悪魔を睥睨する。正と邪の相対。
 ――ついに来たか。
 相手の手札を一枚指名し、その種類を宣言する。そのクイズに正解しない限り、攻撃モンスターは手札に戻されてしまう。天音の得意戦術。
「右のカードを選ぶ。オレが指名するのは、魔法カードだ」
「……ついてないなあ」
 天音のカードは魔法カード『黙する死者』。スフィンクスが道を空け、スカル・デーモンの電撃がハーピィを打ち据えた。
「さらにメビウスでハーピィに攻撃。『旅人の試練』を使うか?」
 天音は首を振った。『氷帝メビウス』は生け贄召喚されるたび、魔法・罠を二枚まで破壊できるモンスターだ。手札に戻すことは、かえって相手にアドバンテージを与えてしまう。
 白銀の巨腕がハーピィのボディをまともに捕らえ、華奢な身体を吹き飛ばした。
 今の戦闘で1400ポイントのダメージを食らい、天音は残り600ポイント。対するオレは950ポイント。天音の手札は二枚。オレは三枚。
 次でどんなモンスターを出してこようと、オレのフィールドには上級モンスターが二体。手札には『ならず者』が眠っている。オレの有利は揺るがない。
「ボクのターン。ドロー。スタンバイ。手札より魔法カード『黙する死者』を発動する。通常モンスター『ハーピィ・ガール』一体を守備表示で蘇生。さらに400ライフを払い、伏せカード発動。『早すぎた埋葬』。攻撃表示で『ハーピィ・レディ1』を蘇生」
 墓地の二体のハーピィが蘇った。
「そして二枚目の『ハーピィズペット仔竜』を召喚」
 再びフィールドに攻撃力2700の竜が召喚される。
「メビウスに攻撃!」
 水の戦士も業火の餌食となる。これでオレに残されたのはスカルデーモンと、LP650ポイント。だが、この状況なら充分だ。
「最後の手札を伏せて、ボクのターンは終了だ」
 これで天音の手札は尽きた。伏せた罠カードは気になるが、次のターン『ならず者』でハーピィの一体を破壊し、スカルデーモンで仔竜に攻撃すれば終わりだ。
「オレのターン。ドロー!」引いたカードは、魔法・罠を全て破壊する『大嵐』。伏せカードを破壊すると同時に、『旅人の試練』と『早すぎた埋葬』を破壊すれば、ハーピィの一体が消え、仔竜の攻撃力は1200に下がる。これで百パーセントオレの勝ちだ。
「わるいが決めさせてもらうぜ。オレのカードは――」
 『大嵐』を発動させようとしたオレを、天音がさえぎった。
「ミドリ、またスタンバイフェイズを忘れてる」
「あ、そうか。スタンバイフェイズ。デーモンのコストを支払う」
 LPは残り400。
「……いいカードを引いたみたいね。『異次元の女戦士』を引いたときと、『洗脳』を引いたときも、スタンバイフェイズ終了宣言、忘れてたし」
「そうだっけ」
「ふふ……ところでミドリ、デュエリストの敵は恐怖。そう言ったよね?」
「ああ、そう思うよ」
「じゃあ、賭けをしようか。このデュエル、負けた方は勝った方の言うことを何でも聞く、ってのはどう?」
 天音は妖しげな視線でオレを見上げた。
「――え?」
「悪い条件じゃないでしょう? ミドリはいま、いいカードを引いたみたいだし」
 天音の言うことは間違ってはいない。だが何かがおかしい。
「どうする? いま負けているのはボクだし、悪い条件じゃないと思うけど」
「それは、そうだけど……」
 天音に残されたのは、きまぐれなスフィンクスと、罠カードがたった一枚。こんな状況で、いったいどんなカードを伏せていれば賭けを提案することができる? もしオレが彼女なら、この状況でどうやって勝つ?
 ――いや、違う。さっきの『ヒステリック・パーティ』のときと同じだ。「負け」により大きな意味を持たせ、必要以上に恐怖させるために、こんな提案を……。だとすれば、あの伏せカードは間違いなく、フェイク!
 オレは天音を、ほとんど睨みつけるようにして見た。オレの勝ちだ、天音!
 射るような視線を受け止めた天音はにっこり笑い――特大の爆弾を落とした。

「もしミドリが勝ったら、ボクはミドリの奴隷。どんな恥ずかしい命令でも聞いてあげるね」

 心臓が止まった。
「な、な、な……」
 思わず視線が天音の――胸元にいく。唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた。怒られる、と思った。
 天音は薄く笑うと、
「ふふ、この服の下が気になる? いいよ……勝ったら、全部見せてあげる」
 空気を送り込むようにして、ただでさえ大きく開いている胸元を開く。中を覗き込んで、「今日は暑いから、この下は何も着てこなかったんだ」
 天音の言葉が頭の中をぐるぐる回る。オレは夢を見てるのか? 暑さで頭がおかしくなっているのか?
「あああ暑いからって、そそそんな……」
「なんてね。本当は、ミドリと二人っきりになれるから、わざと着てこなかったの。この意味、わかるでしょ? ボク、ずっと前からミドリのこと……」
 夢でもないかぎり、絶対に有り得ない言葉がぽんぽん飛び出す。わけが判らない。これは悪夢だ。それも、とびきりたちの悪い。
「だだだだだって、お前は百目鬼のことが……そそそれに、オレは……オレには」
 もはや自分が何を口走っているのか判らない。
「百目鬼くんのことは言わないで。ねえ、城ヶ崎さんとボクだったら、どっちが可愛い?」
 妖艶とすらいえる目つきでこっちを見上げた。ダメだ。何がダメなのかわからないが、とにかくダメだ。
「そそそりゃあもももちろん……や、それよりデデデデュエルに戻ろう」
「いいよ。でも、その前に――」
 顔を上げて、瞳を閉じる。オレに向かって。これは、この姿勢は、ひょっとして――。
「ね、いいでしょ?」眼を閉じたまま言う。
 ――なんて夢だ。
 顔中の血液が沸騰するのを感じた。制止を叫ぶ心とは裏腹に、オレの顔は天音に近づいていく。帰国子女なんだ。オレは自分に言い聞かせた。海の向こうじゃ、キスなんて挨拶と同じなんだ。彼女にしたい女学年一位とキスできる機会なんて、そうあるもんじゃない。オレには付き合っている女も、好きな誰かがいるわけでもない。だから別に誰かを裏切るわけじゃ――裏切る、わけじゃ……。

 ――あたし、こうやって名前で呼び合う人ができるの、夢だったの!

「ご、ごめん!」
 オレは赤面した顔を背けた。
「ごめん。やっぱりオレ、お前の気持ちに応えられない。亜理紗が好きなんだ。亜理紗のことしか考えられないんだ。そりゃ、どっちが可愛いかっていったらお前だよ。それに頭もいいし、話しやすいし、マジシャンガールのコスプレはちょっとエッチでむちゃくちゃ可愛いし、純情可憐だし、眉目秀麗だし、美人薄命だし、いやそうじゃなくて。そうじゃないって言うのは美人じゃないって意味じゃなくて薄命じゃないって意味で。とにかく、男が100人いたら、絶対99人は振り向くと思う! それくらい可愛いよ、本当、命賭けたっていい。でも、オレは亜理紗が好きなんだ! だから、ごめん!」
 混乱する頭の中身を叩きつけるように、床に向かって一気に述懐した。
 傷つける言い方だったかもしれない。
 おそるおそる、顔を上げて天音のほうを見た。

 天音は、口を押さえて震えている。
 顔を真っ赤にして――笑っていた。

「――ご、ごめん。笑うつもりはなかったんだけど……」語尾はまだ震えている。目尻には涙まで浮かべて。「ところで、ライフカウンター、見てみ?」
 指摘されて、400ポイント残っているはずのライフカウンターを確認した。だがそこに表示されていたものは、オレの予想を裏切るものだった。
「T・U・R・N・E・N・D……なんだ、これ?」
「ターンエンド。ミドリのターンは、もう終わっているんだよ」まだ口元が笑っている。「公式TADルールでやるっていったよね? 公式ルールでは、一ターンの持ち時間は五分。それを過ぎると、自動的に相手のターンに移っちゃう。知らなかった?」
「………」
「ボクのターン。ペット仔竜で、スカルデーモンを攻撃。ハーピィで追撃のダイレクトアタック。ボクの勝ち」
「………」
 魂を抜かれたように声が出なかった。顔は紅潮していたが、怒りのためではない。穴があったら入りたい、というのはまさに今のオレのためにあるような言葉だった。
 天音はバツの悪そうな顔になって、デッキを抜き、デュエルディスクも腕から外した。
「騙したことは悪かったと思う。色仕掛けなんて、最低だよね。でも、本番の試験官も、同じくらい卑怯な手で揺さぶりをかけてくることは本当なんだ。デュエリストが、どんな状況でも冷静さを保てるか見極めるために」
 オレが黙っているのを見て、天音は続けた。
「デュエルを始める前、訊いたよね? デュエリストにとって敵とは何か? 恐怖も確かに、デュエリストの敵であることに違いはない。でも、それだけじゃないんだ。焦り、慢心、過信、欲望、先入観……デュエリストだって人間だもの。惑わされるものは、いっぱいある――」
 そこで一呼吸置くと、真剣な眼でこちらを見上げた。
「――だから、自分こそが、最大の敵なんだ」
 オレはようやく理解した。デュエリストにとって必要なのは、技術でも、経験でもなかったのだ。天音は悪役を買ってまで、それを教えてくれた。
「……そうだな、オレは、自分自身に負けた」
 自分に負けたといえば少しは恰好いいが、実際に負けたのはスケベ心。なんとも情けない想いが突き上げてきて、オレは話題を変えた。
「あ、まさか本当に、百目鬼に愛想尽かしたわけじゃないよな?」
 勇み足だったかもしれない。天音は咽の奥で笑って、
「さっきキスしておけばよかったって思ってる?」
「……まさか」
「だよね。でも、もししてたら、ボク、ミドリのこと――」
 危険な匂いのする上目遣い。蛇に睨まれた蛙のように、眼が逸らせなかった。
「――ひっぱたいてたね。うん、命拾いしたじゃん」
 苦笑する。天音も笑いを返した。いつもの、悪戯を企んでいるような子どもの表情で。
「ところで、未遂でも迷ったってことは、条件は呑んだってことだよね? 負けたら、何でも言うことを聞くっていう」
「……あ」
「夏休みの宿題、やってもらおうかなあ。それとも……」
 楽しそうに悪魔の計画を練る天音に、さっきまで死力を尽くして戦っていたデュエリストの面影はなかった。
「きーめた。ちょっと耳かして」顔を近づけてきた。さすがにもう動悸が激しくなることはなかった。「一度しか言わないから、よく聞いてね。ボクの命令は――」

「――必ず、試験官に勝ってくること。以上」

「――え?」
 天音はすっと身を翻して、チェシャ猫のようにオレと距離をとる。
「実力でボクに勝ったんだから、それくらい当然でしょ。でも、デュエルに勝ったのはボクだから、服の中身は見せてあげないけどね」
「ま、またそんなこと言って……もうひっかからないからな」
「その調子。何があっても、冷静さを失っちゃだめだよ」
 天音はウィンクすると、
「それと――これは、騙したお詫び」
 と言ってオレの頬にキスした――というのはもちろんオレの妄想で、実際には「じゃ、ボクは用事があるから先に帰るね」とオレに背を向けて、急ぎ足でドアに向かったのだった。
「今日は……サンキューな」
「You're always welcome!」
 勢いよくドアが開き、ぱたぱたぱた……と足音が遠ざかっていくのを、オレは手うちわであおぎながら聞いていた。
 と、机の上のそれに眼が留まった。
 ――天音のやつ、デュエルディスク忘れてる……。
 引っ掴んで廊下に走り出た。既に姿はなかった。玄関に向かって走り出そうとしたとき、後ろから声をかけられた。
「ミドリくん?」
 振り返る。野々村先輩が立っていた。M&W部部長を務める人物だ。オレの右腕を――デュエルディスクを着けている――を見て、すべてを見透かしたように、
「きみが……勝ったのか? あの天才の片割れに……」
「見てたんですか?」
「いや、そこの角で蓬莱くんにぶつかられてね。顔を見てわかった。あれは敗者の涙だ」
「泣いて……いたんですか?」
 オレに振られたから――なわけがない。
 オレのような素人に、あそこまで追い詰められたからだろうか。でも、亜理紗に負けたときは笑って――

 ううん。Aマイナスのデッキは、実はまだうまく使いこなせなくてさ――
 参ったなあ。やっぱりボクにはまだ、このデッキ――

 ――そういう、ことか……。
 天音ははじめから、オレを初心者扱いなどしていなかったのだ。彼女の持つ最高のデッキに、本気を乗せて戦ってくれた。だからこそ、負けたときの落胆も大きかったのだろう。
「いまはそっとしておいたほうがいい。そのデュエルディスクは、ぼくが渡しておこう。いいかな?」
 首を縦に振って、決闘盤を渡した。
「ひとつ、伝えてもらえませんか?」
「いいけど、勝者が敗者に送る言葉なんてあるのかい」
 冷笑を浮かべた野々村先輩に、オレは言った。

「約束は守る、と」



 ☆アトガキ☆

 色仕掛けは諸刃の剣。こんにちは。プラバンです。
 ここまで目を通してくださったあなたには、特大の感謝を。

 今回の話のテーマは、タイトルどおり「デュエリストの敵」です。
 天音の言葉を借りるなら、「デュエリストだって人間」であり、「敵は恐怖だけじゃない」。スケベ心を含め、自分自身が敵なんだ――そういうことを意識して書きました。
 もし何か感じることがありましたら幸いです。

 次回は、ミドリくんがTADの試験に挑みます。
 そして、亜理紗ちゃんがミドリくんをどう思っているかも明らかに。
 乞うご期待。


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