top 

第二話 魔術師の師弟


本文中の★をクリックすると、場の状況が表示されます。


「うまく美作に化けたようだが、僕様の眼はごまかされんぞ、宇宙人っ!」

 かつては城下町だった。城は戦国時代の終焉を待たずに焼け落ち、町だけが残った。昭和の終わりまでは羽住(はすみ)町と呼ばれていたが、平成になって周辺の自治体と合併し、美空町と名を改めた。いまは学生街だ。
 城のあった山は今でも羽住山と呼ばれている。山頂から見下ろした城下町の形が蓮の花弁に見えたことから蓮見山と名づけられ、のちに羽住に転じたとする説と、羽とはウサギのことで、むかしは大量に生息していたことから、羽の住む山すなわち羽住山となったとする説がある。少なくとも明治のころには羽住山として定着していたらしい。
 標高150メートルにも満たない、縦に短く横に長い死火山である。車なら30分もかからずに越えられる。山頂にはささやかな神社があり、境内はもっぱら子供の遊び場になっている。ふもとの北側には羽住大学という、偏差値でみるとそこそこの大学があり、中腹にその付属病院がある。
 さて、オレの通う府秦高校はふもとの南側、大学とは反対側に位置している。歴史を紐解けば羽住大学の付属高校だったのだが、十数年前、ブームだったインターナショナルスクールへの転身を試み、見事に失敗。経営陣を総換えして再出発したという歴史を持つ。在りし日の名残か、帰国子女や交換留学生の受け入れには熱心で、多少変わった生徒でも受け入れようという姿勢を貫いている。
 ただ――あまりにも寛容すぎたようで、毎年入学者の一割ほど、「多少変わった」どころではない生徒が集まる。変態といっても差し支えのない変わり者も、けっこういる。たとえば図書館で時間をつぶしていたオレを見つけるなり、人目もはばからず冒頭のセリフを叫ぶような奴だ。エイリアン? その言葉、そっくりそのままお返ししよう。
 夏休みで人が少なかったことは幸いだった。いっしゅん図書室中の視線という視線が集まったが、そいつの仕業だとわかると、「またか」という顔で誰もがそれぞれの作業に戻っていった。それを確認して、オレは変態に目を戻した。
「……」
 何もいわずに半眼で睨んでやると、ミスター変態は観念したように肩をすくめて見せた。日本人には馴染みのない仕草だが、こいつには妙に似合う。
「いや、登校日でもないのに学校にいるから、宇宙人が化けたのかと思って」
「オレが宇宙人なら、真っ先にお前に化けるけどな。頭から電波塔が生えてようが、目からレーザーが出ようが、きっと誰もNASAに通報しないから」
 言い返して、肩越しに背後を覗いた。誰もいない。「彼女はどうした? 一緒じゃないなんて珍しいな」
「彼女? 誰のことだ?」
「ああ、そういう「設定」だったな。『弟子』はどうした? 今日は一緒じゃないのか」
「天音なら職員室にいる。もう少ししたら来るだろう」
 そいつは手近な席に腰掛けると、持っていたハードカヴァーを開いた。『新訳とりかへばや物語』。なまじ真面目な本だったので、もうすこしで噴き出すところだった。あまりにも行動と格好が似合ってない。
 唐突だがブラックマジシャンの話をさせてほしい。M&Wというカードゲームに登場する、超人気魔導師だ。トレードマークは耳まですっぽり覆う円錐形の帽子と、光沢のある紫色のローブ。世界に数百枚とない貴重なカードの上、高橋某という著名な漫画家がデザインしたこともあって、マニア価格では数十万単位で取引されているという。
 そのブラックマジシャンが、なぜかオレの前で静かに読書している――いや正確に述べよう。

 目の前にいる変態は、ブラックマジシャンの格好をしていた。

 本名は百目鬼武士(どうめき たけし)という。顔だけ見ればどこの貴公子だと言いたくなるような線の細い美少年にもかかわらず、女子の人気は皆無に近い。筋金入りの、いや、鉄筋コンクリート入りの変人だからだ。コスプレのまま登下校し、もちろん授業もそのまま受ける。教師に注意されてもどこ吹く風。何度か家に遊びに行ったこともあるが、少なくとも数十着の「抜け殻」がクローゼットに並んでいるさまは圧巻だった。自らをブラックマジシャンであると言い切り、「ブラックマジシャンガールが永遠の恋人」と公言してはばからない。ちょっと友人になりづらいタイプだが、なぜかオレとは中学のときから馬が合い、よく行動を共にしている。
 勢いよく戸が開き、話題の『弟子』が顔を出した。さっきとは違う種類の視線が、集中豪雨となって『弟子』に降り注ぐ。意にも介さず、まっすぐこっちに歩いてきて、百目鬼に向かって手を合わせた。
「ごめーん。生徒指導の先生が放してくれなくて。あ、ミドリ、おはよう」
 現れたのは、蓬莱天音(ほうらい あまね)。親の都合で小学校と中学を合衆国で過ごした、いわゆる帰国子女だ。大陸育ちのせいか性格はあけっぴろげで、磊落ですらある。その容姿はまさしくギリシャ美術の女神の如し。一ミリの狂いもない秀麗な眉目と、水のように滑らかな髪、体温を感じさせない白磁の肌、16歳とは信じられない成熟しきったスタイル――つまり、世の高校生のほとんどが、夢想するか理想とする外見を備えた少女である。こんな田舎町でなければ、芸能界からのスカウトがかしましかったに違いない。男子の間で人気があることは前から知っていたが、先の彼女にしたい女子ランキングではなんと学年一位に輝いた。百目鬼の数少ない(というかオレを除けば唯一の)友人として特に意識せずに付き合っていたが、それ以来、なんとなく声をかけづらくなっていた。
 百目鬼は本を閉じて立ち上がると(ここだけで映画のラストシーンに使えそうだった)、オレを指差して、
「わが弟子よ、騙されるな、そいつは美作に化けて地球をのっとろうとしている宇宙人だ」
 オレは救いを求めて天音を見た。百目鬼よりよほど社交的で、小論文のテストでは現国の先生が褒めちぎるほどの名文を書く少女を。しかしオレの目にまず飛び込んできたのは、「彼女の」トレードマークである円錐形の帽子だった。胸元がえぐれたイヴニングドレス風のトップスとミニスカートは、どちらもショッキングピンクで縁取られたシアンブルー。肩甲骨は魔法使いのマントのような丈の長いケープで覆われ、おまけに手には魔法の杖まである。ブラックマジシャンの弟子は、悪戯めいた笑みを浮かべてオレを見返してきた。
「なんてことだ。キミは宇宙人だったのか」
 そういって、魔力というより打撃力の高そうな杖を構える。
「いやいや、ちょっと落ち着け。仮にひとつの星をまるごと侵略できるだけの高度な文明があったとして、それだけの科学力に無人の星をテラフォーミングする技術だけが都合よく抜け落ちているというのはどう考えてもおかしい。わざわざ地球を狙う理由は……杖を向けるな杖を」
 天音は最初からこんな格好をしていたわけではない。入学当初はごく普通の優等生だったと記憶している。が、なにを血迷ったか百目鬼(こいつは入学式からコスプレ全開だった)と一緒に登下校するようになり、三日も経たないうちにガールのコスプレをするようになったのだ。地球をのっとろうとしているエイリアンは、実は百目鬼のほうなのかもしれない。
「わが弟子よ、耳を貸してはならんぞ」
「はい、お師匠サマ。いまこそ力をあわせて地球の危機を救いましょう」
 芝居がかったセリフを吐いて、杖を重ね合わせるふたり。必殺技の名前を叫んだ。大声で。

「ブラック・バーニング・マジック!」

 二人分の見えざる魔力球――プラス、図書室じゅうの白い視線を食らったオレは、いっそ本当に地球の外まで吹っ飛ばしてくれないものかと思いながら、机に突っ伏して死んだ。悶死。

   ***

「で、美作。本当に何しに来たんだ? 補習か?」
 視線の集中砲火が収まるころを見計らって、百目鬼が訊いた。夏休みに学校にいるという状況は百目鬼と天音も同じだが、この二人にここにいる理由を聞けば、「部活だから」と答えるだろう。
 夏休みに入る少し前、ふたりはそれまで所属していたM&W部を辞めて読書部に入った。主な活動内容は図書室で本を読むことらしいが実際に活動しているところは誰も見たことがない。つまりはどの学校にもある、内申書の部活欄を空白にしたくない生徒が入るような、名目だけの部だ。ところがこのふたりは、入部以来毎日のように図書室に入り浸り、夏休みにもかまわず日参している。他所では目立ちすぎるからここでデートしているのではないかと、オレはひそかに推測している。
「ここにくればお前らに会えると思って。頼みがある」鞄からデッキを取り出してみせた。「ちょっと、デッキ診断してくれないか?」
「ウィザーズ?」天音がM&Wの略称を口にした。「いつ始めたの?」
「ちょっと前。弟に相手してくれって頼まれて」
「百目鬼くん、ちょっとストップ」
 デッキに手を伸ばしかけた百目鬼を制して、天音は顔を寄せてきた。声を低めて、「ミドリ、もしM&W部に入るつもりなら、ボクらと仲良くしないほうがいいよ。先輩たちに睨まれるから」
「まさか。高校生にもなって、そんなくだらない」
 一笑に付そうとしたが、天音の顔は真剣そのものだ。
「――最初から入ろうと思ってないし、いま絶対に入らないと決めた」
 そう宣言すると、少しだけ和らいだ。
 校内でもM&W部の評判はさまざまだ。入学試験以上に難しいとされる“入部試験”を突破した一握りの部員には選民思想めいた側面があり、煙たがっている人間も多い。十年ほど前まではマイナーな娯楽のひとつでしかなかったカードゲームなんぞを部活として認めていいのかという頭の固い主張も根強く残っている。しかしながら部員の実力は本物で、この部に所属しているだけで尊敬の念で見る生徒も多い。
 尊敬とは程遠いが、ある種の敬意はオレも抱いている。図書室に来る前、オレはM&W部の部室の前にいた――。


「やあやあミドリくんじゃないか。そんなところに突っ立ってないで、中に入ったらどうだい?」
 ノックをしようとしたとたん、できれば顔をあわせたくないと思っていたまさにその声に背中を刺されて、オレはそのまま逃げ出したくなった。独特のイントネーションは間違えようもない。
 振り返ると案の定、黒ぶち眼鏡の奥から三白眼が見返してきた。
「入部申し込みに来たんだね。なんとラッキー! ミドリくんなら入部試験なしで入れます。さあ中へ」
 肩を掴まれそうな気配を察して後ずさった。野々村先輩。M&W部の部長をつとめるこの人物が、オレは初めて会ったときから苦手だった。変人だったからではない。たしかに格好は奇人だが――私服自由の学校に学ランを着てくるセンスは「個性的」で済ませるとして、その上についている頭がスキンヘッドというのはちょっと怖いので何とかしてほしい。できることなら眉がないのもどうにかしていただきたい。舌の真ん中にあけた蛇を模したピアスも、もうちょっと目立たないものにしてくれるとさらにありがたい――しかしながらオレが苦手意識を持っているのは、その反社会的なファッションセンスでは断じてなく、
「あの入部するんじゃなくて、デッキ診断だけって、やってもらえますか?」
「もちろんだとも。毎週一回、部員の中から希望者がデッキを提出して、みんなで寸評会をやることになっている。君が望むなら今からでも人を集めて開催しよう。ようこそウィザーズ部へ!」
 この強引さは、今日に始まったことではなかった。入学式の当日から、何度断ってもしつこくM&W部に勧誘してくるのだ。最初、新手のいじめかと思った。
「勘違いしないでください。オレは入部しに来たんじゃなくて、部外者でもデッキを診断してもらえるか訊きにきたんです。入部しないと診てもらえないのなら、諦めて帰ります」
 心当たりはもうひとつあるし、という本音はもちろん口には出さなかった。
「デッキ診断だけ? それはまた奇態な」野々村先輩はわざとらしく顎に指を当ててみせた。「包丁を研ぐだけ研いで使わないのでは、包丁を持つ意味がない」
「デュエルする相手はもう決まっているんです。その人の相手ができれば十分なんです」
 ふーん? と首をかしげた野々村先輩は、突然にやけた表情を作った。
「その相手って女?」
「生物学的にいえば女ですけど」
「惚れたか」
「まさか。相手は中学生ですよ。もしかしたら小学生かも」
「ミドリ君のロリコン」
「違います」
 はっはっは、と野々村先輩は豪快に笑った。
「わかってるさ。ぼくはきみの理解者だ……好きになった人がたまたま赤いランドセル背負ってただけだよね」
「中学生ですってば」たぶん、と胸中で付け足す。「ってそうじゃなくて。別に好きになったわけじゃありませんから」
「それじゃあミドリ君はなにかい、好きでもなんでもないそのコのためにウィザーズ部に入って腕を磨こうってわけ? お人よしにもほどがある」
「現実と妄想をごっちゃにしないでください。オレはただデッキ診断を頼みに来ただけで、M&W部に入るとは一言も」
「ミドリ君こそ現実を認めたら? 今日はデッキ診断だけで満足できるかもしれない。でもデュエルを続けてたら、必ず強くなりたいと願うよ。そのとききみはこのドアを叩く。遅かれ早かれ、行き着く先は同じさ。だったら早いほうがいいと思わないか?」
「強くなりたいなんて、思ってません」
「今はね」
「これからも同じです」
「デュエルすることを諦めない限り、いずれ強さを求める。デュエリストとはそういうものさ」
「オレはデュエリストではありません」
「あくまで韜晦を続けるかい」
 野々村先輩は欧米人のように両手を広げて、くるりとオレに背を向けた。
「それもいいさ。しかしこれだけは言わせてもらおう。人生にはどんなに抵抗したって、どうしようもないことってのがある。ぼくが生物学的に女として生まれてしまったように、君はデュエリストとして生まれてしまった。これらはもはや変えようがない。『意思はすべての過ぎ去ったものに対しては怒れる傍観者なのだ』と、ツァラトゥストラが語っているようにね。諦めたまえよ、美作ミドリくん。誰しも生まれてくる前には、戻れないのさ」


 ――デッキを受け取った百目鬼は真剣な顔つきになって、一枚一枚検分しては彼独自の採点方法で机に並べ始めた。その背中にためらいなく身体を密着させた天音が覗き込んで、
「へえ、ミドリって、ホントに初心者? 結構しっかり作ってあるじゃん」と感心したような声を上げた。「ビートダウン中心で、相手が対抗してきたらコントロールに切り替えて、フィニッシャーで止めを刺す、って感じかな。ちょっと上級が多くて重い気がするけど」
 天音の並べた専門用語を解説すると、「基本は力勝負で、相手が悪いと見れば技術戦に持ち込み、最後は切り札を使って勝つ。ただし、バランスはいまいち」となる。
 デッキをちらと見ただけで戦略を見抜く鋭さといい、やはりこのふたりに相談を持ちかけたのは正解だった。オレと同じ一年生でありながら、M&W部の猛者どもを驚嘆させた天才コンビ。校内では常勝無敗、すでにプロに近い実力を持つという風説がどこまで本当かは知らないが、入部試験を突破した数少ない一年生であるからには、尾ひれのぶんを差し引いてもオレより遥かに上級者のはずだ。皮肉にも野々村先輩の言葉がそれを裏付けている。ミドリ君なら入部試験なしで、というのはつまり、正面切って入部できる実力がないから裏口から入れてやるということだ。そうまでしてオレを引っ張り込みたいと思うほどの、どんなコペルニクス的転回が部長の脳内で起こったのかは知らないが。
「たしか、美作は中学のときMTGをやってたな。基本がしっかりしている」
 目を離さず、独り言のように百目鬼がつぶやく。
 MTGというのはもちろん、かの有名な『マジシャンズ・テーブル・ゲーム』の略称だ。その歴史はM&Wよりさらに深く、すべてのカードゲームはMTGから派生したといわれる。複雑なルールと高い難易度は広く深い戦略を可能とし、MTGをかじったことのある者なら、この世のほとんどのカードゲームをこなすことができるという。
「意外。ミドリって、ゲームとか興味ないと思ってた」
「いや、まあ、その……」ごまかして百目鬼の方に向き直った。「で、感想は?」
「悪くない。ちょっと甘い部分もあるが――ああ、甘いってのは、戦略に穴があるって意味じゃなく」
 コスプレ美少年は言葉を選ぶように視線をめぐらせた。
「お前、勝利に貪欲ってわけじゃないだろう? 勝敗よりも過程を楽しむことを優先している。これはそういうデッキだ」
「もっと強くなれると思うか?」
「必要あるのか? お前の弟、アキラ君だっけ? まだ中学生だろう? 相手をするならこのデッキで十分。強すぎるくらいだ」
「ひょっとしてミドリ、進路はそっち方面とか考えてる?」
 天音が再び身を乗り出す。具体的に言われなくとも、大学のM&W学部のことだとわかった。十年前には考えられなかったことだが、CCエンジンの普及によって、ローコストでカードのソリッドビジョン化が可能になってからというもの、カードゲーム人口は爆発的に増加。M&Wはショービジネスとして確固たる地位を築いた。莫大な経済効果を生むようになったM&Wに、まず目をつけたのは、少子化による経営難に陥っていた大学機関だった。有名私立を筆頭に、行動経済学と心理学を融合させた、限定戦術研究学部――通称、M&W学部を設立。カード・プロフェッサーと呼ばれるプロデュエリストの輩出に力を入れだした。
「まさか。プロになろうなんて考えたこともない。昨日、あるデュエリストにあってさ――」
 亜理紗との勝負のいきさつをかいつまんで説明すると、天音は瞳を輝かせた。
「面白い! その子、ボクにも紹介してよ。百目鬼君も来るでしょ?」
「いいけど、僕様はデュエルしないぞ」
「じゃあボクがデュエルするの見てて。ね、いいでしょ、ミドリ?」
「もちろん。彼女も喜ぶだろうし。もし暇だったら、今からでもいい。ちょうど、アキラのところに届け物があるから、ついでに寄るつもりだった」
 天音は今まさに悪戯を仕掛けようとしている悪ガキの顔になった。女ってのはどうしてこう、他人の色恋沙汰が好きなんだろう。
「ついでに? ふーん」
「あのな、言っとくけど、その子まだ中学生だから」
「なんのこと? それより、さっそくご好意に甘えていいかな? お届け者の、ついでに」


 羽住大学付属病院は府秦高校から歩いて15分ほどかかる。このコスプレ師弟の隣を歩くのはすこしだけ抵抗があったが、何かの宣伝と思われたのか、思ったより衆目を引くことはなかった。
 先にアキラの病室を訪ね(アキラは初めて目にするコスプレに感動していた)、それから四人で亜理紗の病室をノックした。オレが先頭になって入った。
「こんにちは。あの昨日の、ミドリですけど」
 昨日と同じように亜理紗はベッドの上で半身を起こしていたが、表情は昨日とは正反対だった。
「嬉しい。本当に来てくれたんですね」
「オイラも居るぜ」
「アキラ君も。あとの二人も、来てくれてありがとう」
 魔法をかけられたように、魔術師の師弟の動きが止まった。足音で人数がわかったのだろうか。
 先に魔法の解けた弟子が一歩踏み出して、
「はじめまして、蓬莱天音です、よろしく」
 と笑いかけた。続いて師匠のほうが、
「同じくはじめまして。百目鬼武士です。ところで宇宙人の存在につ痛エエエエエッ!」
「ふたりとも高校の同級生なんだ」変態の足を踏んづけつつ、オレは解説した。「城ヶ崎さんのことを話したら、ぜひ会ってみたいって」
「城ヶ崎亜理紗です。こちらこそよろしくおねがいします」
 深々と頭を下げると、光沢のあるショートカットが頬に零れ落ちた。
「あの……お二人とも、不思議なものを着ていますよね? もし迷惑でなかったら、触ってみてもいいですか?」
 衣擦れの音で着ているものさえわかるらしい。盲目というのは機械に頼らないとなにも分からないと思っていたオレは、考えを改めさせられた。
「いいよ。どうぞ」
 天音が亜理紗に近づいて腰をかがめる。亜理紗は二の腕の辺りに手を伸ばした。
「これは……もしかして、何かのコスプレですか?」
「うん。ボクがブラックマジシャンガールで」
「僕様はブラックマジシャンだ」
「あ、そういう関係なんですか」
「そう。ボクが弟子で、百目鬼君がお師匠サマ」
 亜理紗はちょっと小首を傾げたが、すぐに笑顔に戻った。
「ありがとうございました……あたし、自分の知らないものを見つけると、とにかく触ってみたくなるっていう変な癖があるんです」
「ふふ、ボクにもあるよ、変な癖」
 さっそくデュエルディスクを取り出しながら、天音も笑う。
「面白そうなデュエリストを見つけると、デュエルしたくてたまらなくなるんだ。受けてくれる?」
「もちろん。あたしからお願いしたいくらいです」
 声を弾ませて、枕頭のデュエルディスクを手に取った。
「――デュエルの前に言っておくよ。ボクは、本気でプロを目指している。手は抜かないから、そのつもりで」
「望むところです。そのほうが、あたしも本気でぶつかれます」
 さっきまでの和気藹々としたムードは消えうせ、闘気とでも称すべきものが空気が混ざり始める。
 そしてふたりは、同時にデッキに手をかけた。

「――デュエル!」

「ボクのターンからだ。ドロー。スタンバイ」
 オレは備え付けのパイプ椅子を持ってきて、天音の後ろに座った。百目鬼も同様にして隣に座る。アキラだけは亜理紗の後ろに回った。
「モンスターを守備表示。あとは……どれにしよっかなあ」
 迷っているように聞こえるが、手札が見えているオレの眼には、天音の戦略は明らかだった。
「決めた。カードを一枚伏せてエンド」
「あたしのターンですね。ドロー。スタンバイ。あたしも一枚伏せ、モンスターを守備表示。エンドです」
 亜理紗の伏せカード。あれがオレの予想通りだとすると――おそらく、天音が先手を取る。
「ボクのターン。ドロー。スタンバイ。守備表示の『番兵ゴーレム』を反転召喚する」
 天音のフィールドに、扉に手足をつけたようなゴーレムが出現した。
「『番兵ゴーレム』が反転召喚されたことにより、特殊能力“開”が発動する」
 錆びた鉄を削るような音と共にゴーレムの腹の扉が開いたかと思うと、中から光が放射され、亜理紗の守備モンスターを弾き飛ばした。飛ばされたモンスターは、手札に戻ってしまう。
「ゴーレムで直接攻撃!」
 槍を構えたゴーレムが、鈍重な動きで亜理紗に襲い掛かる。攻撃力はわずか800。亜理紗は微笑んでいる。
「伏せカードを発動します。『徴兵令』」
 ――やはり、伏せていた。
 徴兵令。相手のデッキの一番上のカードをめくり、モンスターなら自分のフィールドに召喚できるカードだ。
「へぇ。面白いカードを使うじゃん」と天音。「ボクもギャンブルは好きだよ」
 デッキトップは――二枚目の『番兵ゴーレム』。
「当たり。『番兵ゴーレム』だよ。……流石だね」
 運を褒めたのかと思ったが、「城ヶ崎さん、ラッキーだね」とアキラが言うと、
「アキラくん、今のは運ばかり、ってわけじゃないよ」
 と天音が言った。
「どういうこと?」
 アキラが訊くと、今度は亜理紗が、
「つまりね、今のターン、蓬莱さんは直接攻撃のチャンスだったのに、攻撃したのは『番兵ゴーレム』一体だったでしょ? ということは蓬莱さんはあたしの伏せカードを警戒してわざとモンスターを召喚しなかったか、召喚可能なモンスターが手札になかったかの、どちらかってことになるの。でも最初のターン、蓬莱さんはモンスター出した後に、伏せカードを出したよね? この順番の場合、心理的に攻撃阻止系の罠を伏せていることが多いの。ということは、蓬莱さんの立場で考えてみると、あたしがたとえば『ミラーフォース』を伏せていたとしても、次のターンの反撃を恐れる理由はない、ってわけ」
「……つまり、どういうこと?」
 アキラが首をかしげる。
「蓬莱さんはあたしの伏せカードを警戒したわけじゃなく、手札に召喚可能なモンスターがなかった、ってこと。そうなると確率的にいって、デッキの一番上はモンスターカードの可能性が高いでしょ? だからあたしは『徴兵令』を発動させたの」
 40枚のデッキに入っているモンスターを、だいたい平均の17枚とすると、『徴兵令』の成功確率は約42パーセント。ただし手札を7枚引き、その中にモンスターカードは1枚だったと仮定した場合、成功確率は48パーセントまで跳ね上がる。そこまで計算すると、悪魔の方程式を解いてしまったかのように寒気が走った。
 ――あの一瞬でそこまで計算した上で、『徴兵令』を発動したのか……!?
 それだけではない。徴兵令が発動した瞬間、天音もまたそのことに気づいたのだ。その上で「ギャンブルは好きだよ」という科白。
 突如として地球の自転速度が倍になったように感じた。百目鬼を見たが、いまのやりとりに驚いた様子はまったくない。これが本物のデュエリスト。亜理紗の本当の実力。接戦の果てに惜敗を喫したというのはオレの勘違いで、実はのろまなカメに同情したウサギが、狸寝入りしていたに過ぎないのだろうか?
 天音からゴーレムを受け取った亜理紗は、
「『番兵ゴーレム』を攻撃表示で特殊召喚します」
「攻撃はキャンセルする。ターンエンドの前に、『番兵』の二番目の特殊能力“閉”を発動しておくよ」
 錆びた音とともにゴーレムの扉が閉じる。まるで時を戻したかのように、ゴーレムは元の裏守備表示に戻った。これで番兵ゴーレムは次の天音のターン、再び特殊能力“開”を使える。
 続く亜理紗のターン。彼女は番兵ゴーレムの“閉”と“開”を使い、天音の番兵を手札に戻した。番兵ゴーレムは、“開閉”を一ターンに一回ずつ使うことができる。
「これで蓬莱さんを守るモンスターはいません。番兵ゴーレムで攻撃します」
 槍を抱えたゴーレムが、さっきとは反対側に走る――天音の思惑通りに。
「そうはいかない。永続トラップカード発動。『旅人の試練』」
 天音の前面に、エジプトのスフィンクスを模した巨像が現れた。鋭い眼光に威圧され、番兵ゴーレムの動きが止まる。
「スフィンクスの前を通る者は、クイズに答えなくちゃならない。ボクの手札を一枚選び、魔法、罠、モンスターのどれか当ててみて。正解なら攻撃は通るけど、ハズレなら攻撃モンスターは手札に戻るよ」
 亜理紗の攻撃が通る確率は3分の1……百分率にして33パーセント。決して割りのいい賭けではない。
 これが天音の戦略なのだろう。発動するかどうか不明の罠を前にすれば、慎重な人間は身動きが取れなくなる。そこにつけいる隙が生じる。
 しかし亜理紗は特に迷う様子も無く、
「あたしから見て、一番左のカードを選びます。選ぶのは――たぶんですけど、魔法カードじゃないでしょうか」
 と言った。召喚できるモンスターがなく、罠を伏せたということは、手札に魔法カードがある確率が一番高い。
「……魔法カード『ハーピィの狩場』。城ヶ崎さん、本当にギャンブル強いね」
 天音は咽の奥で笑った。
 『旅人の試練』は相手を不利にするだけのギャンブルではない。手札の一枚を公開してしまうことで、自分の戦略を読まれてしまう危険も孕んでいるのだ。いま晒された『ハーピィの狩場』は『ハーピィ・レディ』や鳥獣族とコンボで発動する魔法カード。これで天音がハーピィデッキを使うことは、ほぼ亜理紗に読まれてしまった。
 ――しかし、この恰好でハーピィデッキは反則だよなあ。
 マジシャンガールそのものの天音を見ながら、こっそり心の中で考える。眼が見えない亜理紗は例外として、初対面の相手なら、間違いなくマジシャンデッキを使うと誤解するだろう。
 スフィンクスが道を譲り、ゴーレムの投擲槍がデュエルディスクに突き刺さる。
「さらにカードを一枚伏せ、守備表示でモンスターをセット。エンドです」

「ボクのターン! カードを一枚伏せ、フィールド魔法『ハーピィの狩場』を発動」
 フィールド魔法は通常の魔法とは違い、場そのものに変化を及ぼし、その発動は魔法カードとしてカウントされない(つまり、フィールド魔法を使用したターンでも、別の魔法カードを手札から使用できる)。天音が伏せたカードは魔法カードだった。
「さらに、『バード・フェイス』を召喚して、『番兵ゴーレム』に攻撃する」
 『ハーピィの狩場』では鳥獣族は凶暴さを増す。『バード・フェイス』の鋭い爪が石のゴーレムを豆腐のように切り裂いた。亜理紗のLPは1000減って残り3000。
「ターン終了」
「エンドフェイズで永続罠カードを発動します。『神の恵み』」
 カードをドローする度、LPを回復するカードだ。次のターン、さっそく亜理紗のLPが加算され、3250になる。
 一枚カードを伏せ、亜理紗はターンを明け渡した。
「ボクのターン。『バード・フェイス』で攻撃」
 ふたたび爪撃が地を走る。しかし、切り上げようとした爪は巨大な盾に阻まれた。
「あたしの守備モンスターは、『DHEROディフェンドガイ』。守備力は2700です」
 以前のデュエルでオレに止めを刺したモンスターだ。跳ね返された爪撃は、天音のライフポイントを直撃した。
「カードを一枚伏せ、ボクのターンは終了」
 『旅人の試練』の成功確率を上げるためだろう、天音は『番兵ゴーレム』を出さなかった。

「あたしのターン。ドロー」『神の恵み』が発動し、亜理紗のLPは3500に上がる。「スタンバイ。一枚伏せて、終了です」
 これで亜理紗のフィールドには、三枚の伏せカードが置かれたことになる。通常なら亜理紗に有利な状況だが、『ハーピィの狩場』フィールドではその限りではない。狩場では、すべての『ハーピィ・レディ』が、召喚と同時に魔法・罠を破壊する能力を得るからだ。
 手札は天音が三枚、亜理紗が四枚。オレは固唾を呑んで成り行きを見守った。
「ボクのターン。ドロー。スタンバイフェイズに『ディフェンドガイ』の効果で、ボクはもう一枚ドローするよ」天音の手札が一気に五枚に増えた。ドローカードは『ハーピィ・レディ1』と『万華鏡−華麗なる分身−』。
 高い防御力を誇るディフェンドガイにもデメリットはある。たった100ポイントの攻撃力もそうだが、ディフェンドガイが場を守っている限り、相手はスタンバイフェイズでデッキから一枚ドローできるのだ。
「永続トラップカード『便乗』を発動します。ドローフェイズ以外で蓬莱さんがドローする度、あたしも二枚ドロー。さらにこのドローに対し、場に出ていた『神の恵み』が発動。LPが回復します」
 亜理紗の手札が六枚に増え、LPは3750に上昇する。アキラが歓声を上げた。ディフェンドガイのデメリットをメリットに変える、見事なコンボだった。
 ――だが、このデュエルは、天音の勝ちだ。
 フィールド魔法『ハーピィの狩場』を出したとき、天音が伏せたカードは魔法カード『万華鏡−華麗なる分身−』だった。『ハーピィ・レディ』に使用することで、デッキから別の『ハーピィ・レディ』または『ハーピィ・レディ三姉妹』を特殊召喚できるカードである。もう一枚の伏せカードは、『トライアングル・X・スパーク』。一ターンの間のみ、相手の全ての罠を封じ、『ハーピィ・レディ三姉妹』の攻撃力を2700に上げる魔法カードだ。
 天音の次手を頭の中でシュミレートしてみる。『ハーピィ・レディ1』を召喚し、伏せカードを破壊すると同時に、伏せた『万華鏡』を発動。『ハーピィ・レディ三姉妹』を出し、また伏せカードを破壊。そして『X・スパーク』で攻撃力を上げると同時に罠を封じる。さらに手札の『万華鏡』を使い、新たなハーピィ1を召喚し、『神の恵み』か『便乗』を破壊すれば、全ての伏せカードはなくなる上、三姉妹の攻撃力は3500、バード・フェイスとハーピィ・レディの攻撃力は2400と2100になる。三姉妹で『ディフェンドガイ』を破壊し、残る三体でダイレクトアタックすれば、6800ものダメージを叩き込める。
 ――「天才」は伊達じゃないってことか……。
 ハーピィデッキの恐ろしさは、その展開力とサポートカードの多さだ。デッキに三枚しかない『ハーピィ・レディ』を出せなければ、サポートカードばかりが手札で腐ることになるが、いったん勢いが付けば、一ターンで一万近いダメージを与えることも可能である。まさに乾坤一擲のデッキなのだ。
「『ハーピィ・レディ1』を召喚! フィールド魔法の効果で伏せカードを一枚破壊し、さらにフィールドの風属性モンスターの攻撃力が300アップ!」
 きらびやかな真紅の長髪を翻し、美貌と凶暴を兼ね備えた人型のモンスターがフィールドに降り立った。光に包まれた女性らしい体は、最小限の布地によって覆われている。本来腕のあるべき場所には深緑の翼が生えており、尖端には巨大な爪が光っている。
「――そうはいきません。カウンター罠カード発動! 『方舟の選別』。既にフィールドに鳥獣族『バード・フェイス』が存在しているため、新たな鳥獣族『ハーピィ・レディ1』の召喚は無効になります」
 ハーピィ・レディはまるで蜃気楼だったかのように霧散した。
「あいたた。やられたぁ」
 こめかみを小突く仕草で天音が笑う。ハーピィ・レディを一枚失ったというのに余裕を失わないのは、場にバード・フェイスが残っているためだ。戦闘で破壊されると、デッキからハーピィ・レディを手札に呼び込める。そうなれば再びハーピィコンボが炸裂することになる。
「ボクはカードを一枚伏せて、ターン終了するよ」
 伏せカードは天音が三枚、亜理紗が一枚。手札は3:6。状況だけ見るなら、亜理紗の有利は揺るぎない。
「あたしのターンですね。ドロー」
 亜理紗の後ろで見ていたアキラの顔が、ぱっと明るくなった。
「スタンバイ。ディフェンドガイを生贄に、『氷帝メビウス』を召喚。二枚の伏せカードを破壊します」
 仮面戦士がフィールドに現れ、津波を起こす。天音のフィールドに伏せられていた『万華鏡』と『トライアングル・X・スパーク』が押し流された。氷帝メビウスもハーピィデッキにとっては天敵である。ハーピィコンボの成功には数多くの魔法カードが必要とされる。だがそのためには魔法カードを伏せておかなければならず、コンボを出す前に魔法カードを破壊されてしまう危険があるのだ。
 メビウスの出現によって、完全に流れが変わった。天音の表情も厳しくなる。彼女に残されたリバースカードは、前のターンに伏せた一枚のみ。
「バトルフェイズ。メビウスで『バード・フェイス』に攻撃します」
 仮面戦士の腕が鳥人の肢を捕らえ、ハンマーのように地面に叩きつける。
「……バード・フェイスが破壊されたことにより、ボクはデッキから『ハーピィ・レディ1』を手札に加える」
「二枚伏せて、あたしのターンを終了します」
 再び亜理紗のフィールドには三枚の伏せカードが揃った。

「――百目鬼、お前、どっちが勝つと思う?」
 二人の邪魔をしないよう、小声で訊いてみる。
 百目鬼は真摯な瞳で天音と亜理紗を見比べ、「天音だな」
「根拠は?」
「城ヶ崎さんからは宇宙のエネルギーを感じない」
 オレはもう一度この変態の脚を踏んづけてやろうと脚を上げた。
「ま、まて。それ以外にも根拠はある」オレの顔があまりに真面目だったせいか、百目鬼は慌てて手を振った。「ひとつ、城ヶ崎さんの闘い方がまずい。見ろ。魔法・罠ゾーンを使い切ってしまって、あれじゃ新たな魔法・罠を出すことができない。ただでさえ『ハーピィの狩場』が出てるのに、あれじゃ敵に塩を送ってるようなものだ。惨敗したお前には悪いが、レベルの高いデュエリストの戦略とは思えない」
「……惜敗だ。少なくとも昨日は」
「どっちでもいい。根拠は他にもある。ハーピィデッキは特殊なデッキだ。普通のデュエルなら、LPの高い城ヶ崎さんが勝っているように見えるだろう。しかし一撃必殺を得意とするハーピィデッキの場合、LP差はほとんど意味がない」
 頷ける話だったので、脚を下ろした。「意外にちゃんと考えてるんだな」
「失礼な。僕様を誰だと思っている」
「誰彼かまわず宇宙人だと騒ぎ立てる阿呆かと」
「おいおい、宇宙人なんて信じてるのか?」
「……で、話は戻るが、ハーピィデッキが特殊なデッキならなおさら、キーカードを二枚も失った天音が不利なんじゃないか?」
「『万華鏡』と『Xスパーク』はたしかに強力だが、切り札ってほどじゃない。ハーピィデッキの本当の切り札は、いま伏せてあるカードと、「アレ」さ……お膳立ては揃っている。アレを引けば天音の勝ちだ」
 首をかしげると、百目鬼は自信たっぷりに、「すぐにわかる」と笑った。
「ボクのターン。ドロー。スタンバイ」
 天音が引いたカードを見て、すぐにぴんときた。やはりこの勝負、天音の勝ちだ。
「ボクはまず、リバースカードを発動させる。これは永続罠『ヒステリック・パーティ』。手札を一枚捨てることで、墓地に眠る全てのハーピィ・レディを蘇生させる」
 天音はハーピィ・レディ1を手札から捨てる。同時に地面が光り、二体のハーピィが蘇生した。互いが互いの攻撃力を高めあい、フィールド効果と相俟って各攻撃力は2100。
 二体のハーピィが地面を蹴って飛ぶと、碧色の羽根がフィールドに飛び散った。
「ハーピィが復活したので、フィールド効果により、場の伏せカードを破壊! 破壊するのは左のほうだ」
「ではこのタイミングで、破壊対象になったトラップカードを発動します」
 全員の注目が亜理紗の伏せたカードに注がれる。
「トラップカード『光の封札剣』」
 オレは息を呑んだ。
 相手の手札を一枚、三ターンのあいだ封印するカード。亜理紗とのデュエルで、オレの『早すぎた埋葬』を封印し、間接的にオレの敗北に一役買ったカードだ。もしこのカードが発動していなければ、勝てていたかもしれなかった。
 今、天音の手札は四枚。『万華鏡』、『ハーピィの狩場』、『番兵ゴーレム』、そして今引いた「アレ」。もし『万華鏡』か「アレ」のどちらかを封印されれば、天音の戦略はかなり狭められる。
「いきます。あたしからみて、右から二番目のカードを選びます」
 選ばれたカードは――『万華鏡』。
「じゃあこのカードは、三ターン封印するよ」
 万華鏡が封印されると同時に碧色の羽根が爆発し、亜理紗の伏せカード『徴兵令』――を破壊する。
 ――『徴兵令』は発動させなかったのか……。
 一瞬の判断力が勝敗を左右することもある。この選択が吉と出るか凶と出るか、オレはなんとなく、亜理紗の選択は正解だったような気がした。
「さらに――」
 天音の手が「アレ」を掴む。ハーピィデッキではおそらく最強を誇る切り札の名を、天音は呼んだ。
「『ハーピィズペット仔竜』召喚!」
 フィールドに小爆発が起こり、見るからに弱弱しいドラゴンが生まれる。その攻撃力は、4ツ星モンスターとしては低めの1200。ところが二体のハーピィが側に寄ったとたん、みるみるうちにドラゴンは巨大化した。
「ハーピィが二体存在しているため、攻撃力は2400に上昇。さらにハーピィ1一体につき風属性のモンスターは攻撃力が300ポイント上がり、攻撃力は3000に」
 亜理紗を守るのは攻撃力2400のメビウスが一体と、伏せカードが一枚だ。このターンの運命は、この伏せカードが握っている。この一枚で次の攻撃を防げなければ、亜理紗の負けだ。
 百目鬼は息を止めて成り行きを見守っている。

 天音はこれ以上ないほど真剣な表情でフィールドを見直し――宣言した。
「ペット仔竜で――メビウスを攻撃!」
 ペットドラゴンが炎を吹く。炎は地を舐めながらメビウスに忍び寄り、仮面戦士を焼き尽くす、直前だった。
「速攻魔法を発動します」
 時の流れが遅くなる。CCエンジンが壊れたのではないかと思うほどゆっくりと、最後の伏せカードが姿を現した。
 
 表になったのは――『月の書』。

「――月の書を、ハーピィ・レディ1に対して発動させます」
 その先は言われなくても理解したのだろう。天音は眼を閉じて、背もたれに身を預けた。
 ハーピィ・レディが夜闇に包まれ、裏守備表示になる。ハーピィ・レディの姿が見えなくなったペット仔ドラゴンは急に弱気になり、攻撃力が元の1200に戻る。もう一体のハーピィ・レディの効果があるので、攻撃力は300上がって1500――とてもじゃないが、メビウスには遠く及ばない数値だ。
 火に囲まれた仮面戦士が手をかざす。鉄砲水が炎をかき消し、仔ドラゴンの胸部を貫いた。
「……残ったハーピィを守備表示に。エンド」
 天音の残りLPはわずか600。フィールドには二体の守備モンスターのみ。逆に亜理紗は無傷のLPと、上級モンスターが一体いる。ハーピィデッキの前にLP差は意味がない。だが勝負の流れは完全に亜理紗に傾いていた。
「あたしのターン。ドロー。スタンバイ」亜理紗の手札が四枚になり、同時にLPが4250に上がる。「……『魔導戦士ブレイカー』、召喚します」
 亜理紗のフィールドに降り立ったのは、赤銅色の鎧戦士。終わりを告げる夕日のような赤。
 決まった、と思った。魔導戦士の能力で『旅人の試練』を破壊すれば、亜理紗の攻撃にリスクは無くなる。手札にも起死回生のチャンスはない。
「……流石、城ヶ崎さん。強いね」
 亜理紗は赤面して、小声で謙遜するようなことを言った。
「でも、わずかでも可能性が残されている限り、ボクはサレンダーなんかしないよ。キミもデュエリストなら、ボクのライフか、可能性を0にして勝ってくれ」
「わかりました。ブレイカーの特殊能力発動。攻撃力を300ポイント下げる代わりに、『旅人の試練』を破壊します」
 最後の牙城が崩れ落ちる。
「バトルフェイズ。ブレイカーとメビウスで二体の守備モンスターを攻撃して、ターン終了です」
「ボクのターン!」
 天音がデッキの上に手を乗せた。このデュエルの結末は、このドローで決まる。いま彼女は何を考えているのだろう。敗北への恐怖? デッキへの信頼?
「ドロー!」
 引いたカードを見て、オレは目をみはった。ここでこのカードをひくとは、なんという……。
「……これで、可能性はゼロ。ボクの負けだ。サレンダーするよ」天音は亜理紗に向かって笑いかけた。「あーあ。負けちゃった。ボクもまだまだってことだね」
「今日はたまたま、運が良かっただけです。あたしのデッキ、ギャンブルデッキですから」
「それでも、序盤の『徴兵令』の読みは凄かったよ。それに終盤で、わざと『徴兵令』を発動させない場面があったでしょ? あれ、もし発動させてたら、ボクの勝ちだったね」
 なんでもないことのように言って、天音はさっき引いたカードを見せた。

 『万華鏡−華麗なる分身−』。

 亜理紗は一瞬、毒気を抜かれたように押し黙った――そうなのだ。一ターン早くこのカードをひいていれば、勝利の栄光は天音に与えられていたはず――まさに『徴兵令』を発動させなかったことが、亜理紗を勝利に導いたといえた。
「はは、そんな顔しないでよ。これだけギリギリの勝負で負けられたら、悔いはないから」天音は豪胆に笑って、それからこう言った。「ね、城ヶ崎さん、ひょっとして、トッドかタッド持ってる?」
 聞き慣れない単語だった。トッドカタッド? どこにある国だ?
「ええ……一応」
 亜理紗には通じたらしく、はにかみながら頷いた。
「やっぱり。ボク、220点なんだけど、それより上でしょ?」
「ほんのちょっとですけど……223点です」
「それはすごい。ハイタディまであと一歩じゃん」
「たった3点ですよ。ほとんど同じです」
「すげぇなあ。200点以上なんて、オイラには夢のまた夢かも」
 アキラまでトッドカタッドとやらを理解しているようだ。とうとう蚊帳の外に居るのはオレだけになってしまった。
「トッドカタッドって、何?」
 おそるおそるそう訊くと、まるでオレが宇宙人でしたと告白したように、全員の目つきが怪訝なものに変わった。異星人。地球外知的生命体。エイリアンのままでいいとずっと思ってきた。お人よしにもほどがある宇宙人でも、デュエルはできると。けれどM&Wという惑星は、それほど甘いものではなかったらしい。
「トッド、またはタッドっていうのはね、M&Wの試験の名前なんだけど」天音が説明してくれた。「……んーと、カードゲームって客観的に実力を測るのが難しいでしょ? それで今から数年前、デュエリストの実力をわかりやすく数値化するために、M&Wの販売元のI2社がTOD(トッド)っていう試験を始めたの。600点満点で、正式名称はTest Of Dulelists」
「TODのおかげで、初心者でも自分の実力を客観視できるようになったんだって」アキラが続けると、
「もちろんそれもあるけど、TODの最大の功績は、やっぱり大学機関にM&W学部が設立されたことだろうね。もともと設けようという動きはあったけど、それまではデュエリストの実力を試験する方法がなくて実現しなかったから」天音が引き継ぎ、
「つまり、デュエリストの実力を数字で表してもらって、自分の実力を知ったり、M&W学部に入るための資格になるのがTODとTADなんです」と亜理紗がまとめた。
「なるほど。それでトッドとタッドの違いは?」
「TADのほうが新しい。それと開催してる会社も違ってて、三年くらい前だったかな、デュエルディスクを開発したKCって会社がTODを進化させて、Test of Ability as the Duelistっていう試験を開始したんだ。こっちは300点満点。ミドリがもし受けるなら、こっちをお勧めするね」
「TAD……そういえばどっかで聞いたことがある」
「大学でM&W学部に入りたい人にとって、この試験は必須だから。受験シーズンになると新聞にも載ってるよ。あと、240点以上取ると、ハイタディって呼ばれて、公式大会でも上級者の扱いを受けられることになってる。逆に149点以下ならロゥタディって呼ばれて……その、実力が低いとみなされる。あ、でも、ロゥタディにだって本当は実力の高い人はいるんだよ? あくまでTADは、一つの評価に過ぎないから……」
 語尾に近づくにつれて増していく痛みをこらえる表情は、先ほど「ボクらと仲良くしないほうがいいよ」と言ったときと同じものだった。……おぼろげながら、このふたりがM&W部を辞めた理由がわかった気がした。TADの話が出てから百目鬼の口数が極端に減ったわけも。
「そういえば、エックスの話は知ってるか」話題をそらすように百目鬼が言った。それはなんだと訊くと、ネットの噂だが、という前置きがあって、
「TAD試験は絶対に満点を取れないらしい。それはカードゲームに「最強」があってはならないからと言われているんだが……過去にたった一人、それを取ったやつがいるらしい。その何某はエックスと呼ばれ、そいつのデュエル記録は完全に隠蔽された……なぜならエックスは絶対負けないデュエルをすることが可能で、エックスのデュエルを真似すれば、絶対に負けないデュエリストがわんさかできてしまうから、だそうだ」
「あ、それあたしも聞いたことがあります」亜理紗が遠慮がちな声をあげた。「たしか、初代決闘王が最有力候補なんですよね」
「ま、ありがちな都市伝説だけどね」天音は肩をすくめた。心なしか声は弾んでいた。「エックスの噂っていろんなバリエーションがあって、どれが最初の噂かすら分かってないし。それより、ミドリはTAD受けてみない――」
「TAD! 思い出した!」オレが突然立ち上がったので、周りは目をしばたかせた。「どこかで聞いたことがあると思ったら、これだった!」
 鞄をまさぐって、茶封筒を取り出した。宛名にはアキラの名前が、送り主にはTAD事務局とある。
「TADからの手紙。これが今朝ポストに届いててさ、よく考えたらオレ、これを渡すために病院に来たんだった。ほいアキラ」
「あ、うん」
 ふと天音のほうを見ると、いままさに悪戯を成功させた悪ガキのように頬を緩ませていた。視線で亜理紗のほうを指し、唇の動きだけで「つ・い・で・に?」と問いかけてくる。黙殺した。
 封筒の中身は、TADの申し込み受領書だった。アキラにとって初めてのTAD試験だと知ると、TAD経験者全員がそれぞれアドバイスを送る。オレに送れる言葉はなかった。
 帰り道、ぼんやりと暮れかかった空を見上げながら、オレは漠然とした不安を抱え込んでいた。百目鬼や天音とTADの話をする亜理紗は、オレとデュエルしているときよりずっと楽しそうに見えた。彼女はオレとデュエルしていて、本当に楽しいんだろうか? 昨日まではそれでもよかったかもしれないが、今は天音がいる。百目鬼もいる。アキラだってTADを受ける。223点という点数は、カード・プロフェッサーを目指している天音すら上回る実力だという。オレとの隔たりの大きさは、いったい何光年分だろう。
 ――でも、デュエルを続けてたら必ず強くなりたいと願うよ。
 野々村先輩の予言が的中してしまったことに、オレは夏だというのに身震いした。


☆アトガキ☆

 あなたは地球外知的生命体の存在を信じますか? プラバンはいたらいいな、と思っています。
 こんにちは、作者のプラバンです。はじめまして……の人はいないですよね?
 もし一話目をよんでない、という方がいらっしゃったら、ちょいと戻って、目を通してきてくださると幸いです。
 というわけで二話目です。ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

 本編に出てくるM&Wのルールは、原作のスーパーエキスパートルールを下敷きにしながらも、実はプラバンのオリジナルルールです。
 ……ごめんなさい、嘘をつきました。本当はちょこっといじくっただけです。
 たとえば「一ターンに手札から出せる魔法は一枚」というルールがありますが、今回出てきた、「ただしフィールド魔法の場合はノーカウント」というのが、「ちょこっと」の部分です。(でも、対パンドラ戦を見ると、フィールド魔法『黒魔術のカーテン』と『封魔の矢』を同時に手札から出しているように見えないことも……)


 さて、今回も懲りずにOCGとは「ちょこっと」効果の違うカードがあります。OCGプレイヤーの方は、どうか誤解されませぬよう。
『トライアングル・X・スパーク』
(使用したターン、三姉妹の攻撃力は2700より上がらない)

 それでは、第三話で会えることを願って。


※作中の野々村の台詞は、『ツァラトゥストラはこう言った 上』(岩波文庫)より引用させていただきました。

 top