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番外編 最強のデュエリスト(3)


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 眼球は燃えるように熱く、視神経は凍りついたようにずきずきと痛んだ。いったい何を、と言おうとして不意に、それまでの激痛が、ずっと掘っていたトンネルがやっと開通したような開放感に変わっていることに気付いた。数秒遅れて、自分の身体に何が起こっているのかを理解した。
 見える。
 眼が見えている。
 顔を覆っていた両手をゆっくりともぎ離す。その光景は電気信号に分解されて視神経を伝わり、ふたたび映像として脳内で忠実に再現された。記憶にあるよりもずっと細く、女っぽい両の手。けれどこの手相には見覚えがあった。あたしの手。
「なんで、眼が……?」
「それより、周りをよく見てください」
 半年ぶりに目で見る世界は赤黒かった。暗色の霧のようなものがデュエルフィールド全体に漂っており、すぐ近くにいるジュリアの姿でさえぼんやりとしている。黒い革靴からのぞく白皙。カーキ色っぽいズボン。ボタンダウンのシャツと、動きやすさを優先した短めのジャケット。あまり長くない髪をひっつめに結んでいて、もしデュエルディスクがなかったら、仕事から抜け出してきた編集者か新聞記者に見えなくもない。細面の真ん中をしっかりと鼻筋が通っていて、その両側に窪んだ両眼がはめ込まれている。セル縁の眼鏡を掛けていた。
 はっとして視線を上に向けたが、茫洋とした赤い闇に阻まれて、外の景色や観客を見ることはかなわなかった。まるであたしたちを中心とした数メートルだけが現実から切り離され、別の世界に飛ばされたようだった。
 ジュリアに視線を戻す。
「これは……いったい?」
「七つの千年アイテムがもたらす能力はそれぞれ違いますが、すべてに共通している能力がひとつあります。それは闇のゲームを開くこと。そしてここは、闇のゲームに参加しているものだけに見える、一種の異空間です」
 ムーアから少しだけ聞いたことがあった。海馬瀬人もまたこのゲームを体験したことがあり、それが海馬式裸眼立体映像――いわゆるソリッドビジョンの開発に繋がったのだという。
「異空間? でも、大会が……」
「ご安心を。私たちは瞬間移動したわけではなく、精神の位相をちょっとずらしただけです。私たちにしか見えないソリッドビジョンに囲まれていると考えてください。外から見ている分には、普通にデュエルしているように見えます」
 つまりはマジックミラーのようなものらしい。こちらからは見えないのに向こうから見られていると想像すると、いい気はしなかった。
「それにしても……ずいぶんと気味の悪い空間ですね。お化け屋敷みたい」
「しかしあなたの眼が見えているのは、この空間のおかげなんですよ。闇のゲームでは、ルール違反は即時敗北となる代わり、互いの条件は限りなくフェアになります。私の眼だけが見えるのでは不公平なので、あなたの視力も復活したのです」
「……でも、それだけのために、こんなご大層な空間を作ったわけではないですよね?」
「ご明察のとおり、闇のゲームの敗者には、絶対に逃れることのできない罰ゲームが与えられます。その内容は私の意志で決められ、たとえば敗者には死をと設定することもできます」
 まるで死をもてあそぶような台詞。
「ふざけないでください。そんなデュエル、受けるわけがないでしょう」
「失礼、単なるたとえです。私とて命のやりとりがしたいわけではありません。もっともそうであっても、一度闇のゲームが始まった以上、決着がつくまでここから逃げ出す方法はありませんが」
「逃げ出したらどうなるんですか?」
「できません。ここは現実とは完全に隔離された空間なのですから。あちらからこちらに干渉することはできませんし、こちらからも不可能です。もっともギャラリーがいる関係上、双方の『声』だけは通過できる設定にしてありますが」
「………」
 ジュリアの悪意を垣間見た気がした。ギャラリーから飛んでくる声は声援などではない。観客の大多数はあたしのイカサマを確信し、あたしが馬脚を現すことを望んでいる。
「そうそう、まだ言ってませんでしたね。このデュエルで敗者が勝者に差し出すものは、命ではなく、千年アイテムです」
「つまり、私が勝ったらジュリアさんの【天秤】は――」
「あなたのものになる。私が勝てば、結果は逆になる。よろしいですね?」
「のぞむところです。私はこんなところで負けるわけにはいきません」
「では先攻を決めましょう」
 ジュリアは公式大会用のコインを取り出した。
「これで決めましょうか。ヘッドオアテール(表か裏か)?」
「ヘッド(表)」
 コイントス。裏が出た。ジュリアはあたしにというより観客に向かって、
「尻尾(テール)が出ましたね。……未来を観ていれば外さなかったでしょうに」
 と言った。外野の声が大きくなる。
「……全てをみちゃったらつまらないでしょう? ハンデですよ」
「ならお言葉に甘えて、私の先攻……と言いたいところですが、それが作戦とも限りません。後攻を選びます」

 ――デュエル!

   †

「あたしの先攻! ドロー、スタンバイ」
 カードを引くと同時にチカラを発動させた――相手がデュエルをしているデュエリストの場合、【位置と存在(ソコニイル)】は「近い将来、相手が発動するカードの位置と存在」または「相手が2ターン以内に引くカードの位置と存在」のどちらか一枚を視せてくれる。普通の人間を相手にするときと違うのは、カードの内容も知ることができる点だ。反面、一度の発動に比べ物にならないほど気力が必要で、デュエル中に何度も使うことはできない。集中力には限界がある。電池切れの近い電化製品のように、ちょっとずつ使っていくのが、いちばん長持ちするやり方だった――

 千年アイテムは、持ち主によって能力が変わるのだとムーアは言う。
「もちろん基本的な方向性は変わらない――たとえば僕の【リング】は、探索と潜伏の性質を持っているらしい。しかし、Xプロジェクトが調査した、前のリングの持ち主の能力と、僕の能力はやはり異なっている。だから、君と五代目の能力が違っていても、別に不思議ではないと思うよ」
「でも……あたしの眼が見えないから、こういうチカラになったんでしょうか?」
「それはありうる。でもそれは、アイテムが君を認めたからこそ、君を助けるような能力になったんだと思う。そういう意味では、喜ばしいことなんじゃないかな?」

 ――ジュリアが2ターン後に引くカードは、魔法カード『強欲な壷』。
「カードを一枚伏せて、モンスターを守備表示。ターンエンド」
「私のターンですね。ドロー。スタンバイ。あなたの伏せカードに対し、魔法カード『撲滅の使徒』を発動します」
 魔法・罠破壊。ただし破壊されたカードが罠だった場合、同名のカードをデッキから取り去ることができる。
「……カウンターして、『徴兵令』を発動します」
「ではカードをめくります……『強欲な壷』です。モンスターではないので、これは私の手札に加えます。どうしました? “予言のエリザ”らしくもない」
「……っ!」
 “エリザ”として他人から受けた誤解の数々を思い出し、思わず頭に血が上った。怒りで精神が集中し、ひとりでにジュリアのデッキの一番上にある、通常モンスターが視える――いけない、冷静に冷静に。
 ジュリアは何食わぬ顔でターンを続けた。
「カードを一枚伏せたあと、『N・グラン・モール』を召喚し、守備モンスターに攻撃します。その効果で、双方のモンスターが手札に戻ります」
「『DHEROディフェンドガイ』を手札に戻します」
「それは、あなたの黄金コンボを構成する一枚ですね……。しかし、いかに強力な守備力を持っていても、このカードの前では無力です。ターンエンド」
 あたしのデッキは『ディフェンドガイ』が生み出す恩恵を受けるカードが多い。これを封じられるということは、イグニッションキーを取り上げられることを意味していた。
 ――もっとも、封じることができたらの話だけど。
「ジュリアさん、カードの選択を間違えましたね。あたしのデッキの前では、手札は安全な避難所ではありません。『魂を削る死霊』を召喚し、ダイレクトアタック!」
 直接攻撃が成功したとき、『死霊』は相手の手札を一枚、「ランダムに」捨てさせることができる。ランダムの解釈はさまざまで、完全な無作為でないと認めないとするルールもあるが、ほとんどの公式大会では「相手に選ばせるのがランダム」と定義されている。
 それはあたしの【位置を検索(ドコニイル)】の前では作為と化す。
 精神を極限まで集中して、いま見たばかりのカードをジュリアの手札で検索した。
「あたしから見て、左から2番目のカードを捨ててください」
 紫布をかぶった髑髏が、ジュリアの手札に大鎌を突き立てる。ジュリアは顕微鏡をのぞく化学者の眼をした。
「それがあなたの未来視ですか……たしかに、一筋縄ではいきませんね」
「カードを一枚伏せて、あたしのターンは終わりです」
「エンドフェイズで罠カードを発動します」
 表になったのは――『強欲な贈り物』。対戦相手に二枚のドローをもたらす罠。それで自分になにかメリットがあるわけでもない、相手の手札が8枚以上あるとき発動する『大暴落』か、『便乗』とコンボするくらいしか考えられないカードだった。
「……なんのつもりですか」
 手札が6枚に増えたが、素直に喜べなかった。
「あなたに恥をかかせてあげようと思いまして。ここまでされて負けたら、デュエリストとしてのあなたの名は地まで落ちるでしょう? KCもあなたをデビューさせることは難しくなる」
「……まともにデュエルする気はないんですか?」
「ありません。私は“正統なるデュエリスト”とやらではありませんので。目的のためならどんな手段でも使います」
 ムーアさんはジュリアの能力を知っているらしく、教えられそうになったこともある。あたしは断った。ジュリアの意図がどうあれ、正々堂々とデュエルしたかったから。そんなデュエリストとして最低限のラインを、しかしジュリアはやすやすと越えてみせる。
「あなたの能力についてもムーアから聞き出そうとしたのですが、断られてしまいました」
「……あなたは、卑怯です」
「あなたに負けたデュエリストも、同じことを思ったでしょうね。私のターン。『ジェネティック・ワーウルフ』を召喚。『死霊』に攻撃します」
 二本の足でフィールドを駆け抜け、四つ手を広げてアルビノの獣戦士は咆哮をあげる。突進の勢いを利用して、鮮血に染まった爪であたしのモンスターを貫いた。既に死んでいる死霊は戦闘では決して倒れることはないが、攻撃力はおそろしく低い。いっぽう『ワーウルフ』の攻撃力は、デメリットなしの四ツ星モンスターとしては最上級の2000。死神をやすやすと振り回し、あたしのライフカウンターに叩きつけた。
「カードを一枚伏せて、ターンエンド」
 手札に『強欲な壷』があったにもかかわらず、発動しなかった。ということは、伏せカードはよほど重要な魔法カードか。
「ターン終了時に『神の恵み』を発動します。これ以降、あたしがカードをドローするたび、250ポイントのライフを回復します。あたしのターン。カードとモンスターをセットし、『死霊』を守備表示にしてエンド」

 できれば『便乗』を伏せておきたかったけど、手札になかった。伏せたのは『予言』。ジュリアが強力なモンスターを出そうとしても、その未来を感知し、逆に利用することができる。
「私のターン。ドロー。スタンバイ。『ドリルロイド』を召喚し、守備モンスターに攻撃します」両腕と鼻先がドリルになった機械モンスターは、あたしの『ディフェンドガイ』の天敵だ。伏せていたそのカードに風穴を開けられた。
「さらに500ポイントのライフを払う代わり、永続罠カード、『スキルドレイン』を発動」
「罠カード……?」
 ということは、前のターン、ジュリアはあえて『強欲な壷』を使わなかったということになる。そうまでして罠カードを伏せたということを知られたくなかったのだろうか?
 【ソコニイル】を使っても良かったが、【ドコニイル】を使ったせいで、まだすこし疲労が残っている。なるべく気力は温存しておきたかった。
「この罠が存在するかぎり、場のモンスターの能力はすべて無効化されます。不死属性の消えた『死霊』に『ワーウルフ』で攻撃します」
 攻撃宣言を聞いた獣人は、耳をぴんと立て、血の色をした双眸をカッと開く。二十爪の猛攻の前に、細腕の骸骨は一瞬で引き裂かれた。
「対ビートダウンには無敵を誇るあなたのデッキですが、弱点がないわけではありません。『ディフェンドガイ』といい『死霊』といい、あなたはモンスターの特殊能力に依存しすぎています」
「分かっています。それをカバーする手立てがあたしのデッキにないとでも?」
「いいえ。しかし、あなたがどんな対抗手段を打ってこようと、私の思考はさらに上を行きます。ターン終了!」
 あたしのターン。最大の防御力を誇る男が消えた今、ワーウルフを止めるには、上級モンスターを召喚するしかない。
「モンスターを守備表示で出して、エンド」
「そのモンスターにドリルロイドで攻撃します」
 火花を散らすほどキャラピラーを回転させて、車型モンスターが突進してくる。だがドリルの回転速度はさっきよりもはるかに勢いがない。
「『スキルドレイン』があだになりましたね。ドリルロイドの破壊能力が発生しないため、あたしの『素早いモモンガ』が戦闘で破壊されます」
 モモンガの眼が青く光る。死に際の雄たけびによって、デッキから二体のモモンガが呼び出される。一体はワーウルフに引き裂かれたが、一匹が生き残った。モモンガは戦闘で破壊されるたびにライフを500回復してくれる。残りLPは3300。
「あたしのターン。ドロー」タイミングのいいことに、『便乗』を引いた。「モモンガをリリースして、『氷帝メビウス』を出します」
「『スキルドレイン』がある限り、メビウスの能力は発動しませんよ」
「わかってます。メビウスでドリルロイドに攻撃。カードを一枚伏せて、ターン終了!」
「私のターンですね。亜理紗さん、これが見えますか?」
 圧倒的状況を確信しているものだけが浮かべられる表情をして、ジュリアはあたしに訊いた。その手には一枚のカード。能力ではなく、視力で読むことができた。
「……罠カード『万能地雷グレイモヤ』ですね。また、あたしに恥をかかせるとでも言うつもりですか?」
「言うつもりです。このカードを伏せますから、注意してください」
 ジュリアは見せたカードを手札に戻すことなく、そのまま伏せた。
「さらに『強欲な壷』を発動して、デッキから2枚引きます」
「『便乗』を発動して、あたしも2枚ドローします。さらに『神の恵み』も発動します」
 あたしとジュリアの手札が、それぞれ6枚と4枚に増える。ジュリアの行動は、あきらかにデュエルのセオリーから外れていた。『グレイモヤ』の公開を抜きにして考えても、『強欲な壷』でもっといいカードを引けるかもしれないのに、先に罠カードを伏せるのはどう考えてもおかしい。
 ――もしかして、あらかじめ引くカードを知っていた? それがジュリアの能力?
 いや、超能力が実在することを知らない相手ならともかく、あたしに対してこんなに簡単に尻尾を掴ませるのはおかしい。非効率的なプレイはただのブラフ。弄んでいるつもりなのだ。
 『グレイモヤ』は攻撃した瞬間、あたしのいちばん攻撃力の高いモンスターを破壊するカード。攻撃はできない。
「伏せカードと、守備モンスターを追加してターン終了」

 さらに【ソコニイル】でジュリアの手の内を探った。どうやら次のターン、『ワーウルフ』を生贄にアドバンス召喚を狙っているらしい。
「私のターン。ドロー、スタンバイ」
「スタンバイフェイズで『予言』を発動します。あたしから見ていちばん左のカード。攻撃力は2000以上です」
 通常モンスター『フロストザウルス』。6ツ星で攻撃力2600。
 カードの受け渡すとき、小声で囁かれた。
「相手が使う予定のカードと、引く予定のカードが分かる。それがあなたの能力ですね、亜理紗さん」
「……さあ、どうでしょう?」
「いまさらとぼけたって遅いですよ。確かにそれは、対デュエリストならば無敵の能力でしょう。しかし、私には通用しない」含み笑い。「決闘者であるかぎり突破できない思考の限界を、私は超えていますから」
「……どういう、意味ですか?」
「こういう意味です――」
 デュエルに戻ったジュリアは、いっしゅん凄絶な笑みを浮かべた。
「――『可変機獣ガンナードラゴン』を通常召喚します」
「……!」
 やられた。ジュリアの目的は、あたしに勝つことではなかったのだ。あたしがイカサマを使っていると観衆に思わせ、KCがあたしのデビューについて二の足を踏むようにできれば、負けたってかまわない。だから、デュエリストなら必ず選ぶ「最善手」を取る必要がない。あたしが何もしなければ、ジュリアはこのターン、フロストザウルスを生贄召喚していたのだろう。それができなくなったので、かえって良いほうの戦術を取らせてしまった。
 チカラは未来を変える。だけど、それが良いほうに転ぶとは限らない。
 これでこのデュエルは、ただ勝てばいいだけのものではなくなった。勝った上で、観衆に実力を見せ付け、イカサマの汚名を返上しなくてはならない。でなければたとえ優勝したとしても、KCはあたしのデビューを認めないだろう。
 ガンナードラゴンはステータスを半分にする代わり、生贄なしで召喚することができる七ツ星のしもべ。ただし『スキルドレイン』の支配下で半減能力は失われるので、攻撃力2800の上級モンスターに戻る。
「ガンナードラゴンでメビウスを、ワーウルフで守備モンスターに攻撃します」
「……500ライフを払って『リバイバルスライム』を再生します」
「カードを一枚伏せて、ターン終了ですが、ひとつ聞かせてください。あなたはなぜ生贄の必要ない、能力値も高い『ガンナードラゴン』を選ばなかったのですか? ……もしかして、私の手札をのぞいている誰かが、このカードが見えなかったとか?」
 ジュリアが言い終わらないうち、聴衆の嘲笑があたしを包んだ。あたしを否定する雑言の雨。あたしという人格を陵辱するためだけの罵倒の数々。

 ――でもね亜理紗、人生はそんなに簡単なものじゃないのよ
 ――この世界は君が考えてるほど生易しいものじゃない

 状況は、絶望的。
 何もかも投げ出して、泣き出せば楽になれることは知っていた。涙は女の武器と開き直るつもりはないけれど、世間は闘いを諦めた人間に対してはおおむね同情的だ。
 だけど、膝はつかない。ついていいはずがない。
 心が折れれば、チカラも消える。五代目を受け継ぐことはできなくなる――

 デュエルの中で何度もチカラを行使しているうち、わかったことがある。
 それは、チカラはあたしの“覚悟”に反応するということ。
 五代目決闘王と交わした言葉。それらを心に強く描き、“受け継ぐ覚悟”を決めることで、チカラは発動する。

 ――“覚悟”さえあれば、この状況だってひっくり返せる!
 あたしはなるべく自然に見えるよう、ジュリアに向かって笑いかけた。
「……それで、あたしのチカラを否定したつもりですか?」
「ええ。そのつもりですが」
「だったら教えてあげます。あたしがガンナードラゴンを選ばなかったのは、プロを目指すものとしてのサーヴィス精神。あなたにそれを召喚させ、場を盛り上げておいて、さらなるカードで逆転するため」
 嘘だった。いまの手札にそんな手はない。けれど次のターンで逆転の一手を示せれば、嘘を本当にすることができれば、ジュリアの目論見をつぶすことができる。あたしは次のターンに全てを賭ける“覚悟”を決めていた。
「なるほど、言われてみればここは、カード・プロフェッサーを選出するための大会でしたね」
 ギャラリーには聞こえない程度の声で、ジュリアはそんなことを呟く。
「……あなたに負けたデュエリストに同情します。あたしのターン、ドロー!」
 引いたのは『光の封殺剣』。あたしの手札に手札破壊カードはこれを含めて2枚あるが、これらで逆転することは難しい。他に使えそうなのは、『収縮』と『強制転移』。しかしフロストザウルスでワーウルフを攻撃したくても、場には『万能地雷グレイモヤ』がある。

 逆転の手が手札になければ、相手から貰えばいい。【ソコニイル】を発動して、ジュリアの手の内を読んだ。突破口を見つけた。
「リバイバルスライムを生贄に、フロストザウルスを召喚し、ワーウルフに攻撃!」
「罠カードをお忘れですか? グレイモヤを発動して、フロストザウルスを破壊します」
「いいえ、あたしの切り札はこっちです――『徴兵令』発動!」
 ジュリアのデッキトップは、ガンナードラゴンと似たような効果を持つが、ステータスにおいてさらに上回る『神獣王バルバロス』。このカードで攻撃すれば、場の趨勢は一変する。グレイモヤがなくなったジュリアに残されるのは、何の能力もないワーウルフと、わずか2枚の手札のみ。一方あたしには6枚もの手札がある。
 ジュリアは微動だにせず、怜悧な視線であたしを貫いた。
「ならばこちらも、伏せカードを発動します」
 まだ眼が見えていて、ニューヨークにいた頃、希望は黒と茶色をしていた。それはこれから引くカードの色だったから。
 そして今、絶望は赤紫色をしている。罠カードの枠の色。
「『ギャンブル』。未来の観えるあなたが、なぜか使ったことのないカードです。このカードのテキストはご存知ですか?」
 もちろん知っていた。コイントスをして、当たりなら手札が5枚になるようドローする。はずれなら次の自分のターンを飛ばす。
「ご存知のようですね。テキストによれば、コイントスを行うのは私であり、あなたは黙って見ているしかない。――しかし、せっかくギャンブルがさかんな国にいることですし、あなたにも参加してもらうことにしましょう」
 ジュリアはもう一度、コインを取り出した。
「ヘッド・オア・テール。どちらか選んでください。亜理紗さんの選択をそのまま私の選択とし、コイントスを行います。もちろん強制はできませんが――未来を知っているあなたにとって、拒否する理由がありますか?」
 完全にジュリアの術中だった。たとえあたしが「カードの未来以外はわからない」と真実を告白したところで、この場では言い訳にしか映らない。あたしのチカラを信じてくれる人は、完全にゼロになるだろう。
 受けないという選択肢はない。だがこれを外せばどうなるのか――考えたくもない。
「テールを」
「裏でいいんですね? もう一度考え直してもいいですよ?」
 無意味な挑発とわかっていても、プレッシャーは精神を削った。彼女の余裕は、結果を知っていることから来るものではない。負けて失うものは何もないからだ。
 なぜならジュリアはデュエリストではないのだから。
「テールでいいです」
「なら、私もテールを選びますね。コイントスを行います」
 再び銀の硬貨が宙を舞う。
 結果は――
「日本語にはこんな言葉があるそうですね――「裏目が出る」。まさにこの状況にぴったりの言葉です」
 それを言うなら「裏目に出る」だと普段なら言えただろうけど、頭が真っ白になって、なにも言い返すことができなかった。
「3枚ドローしたのち、『徴兵令』が解決されます。――ああ、よかったですね。『ジャイアント・オーク』ですよ」
 巨大なオーク。攻撃力は2200。
「『便乗』と『神の恵み』を発動。……バトルフェイズを、続行します……『オーク』でワーウルフに攻撃。さらに魔法カード『強制転移』によって、オークとガンナードラゴンを交換してもらいます。カードを一枚伏せて、ターン、終了……」

   †

 『ギャンブル』は成功させなくてはならなかった。ラストの大逆転のために。
 次のターンのスタンバイフェイズで、あたしは伏せたばかりの『光の封殺剣』を発動させて、バルバロスを封印した。

   †

「――これでバルバロスは使えません。どうぞ、ターンを続けてください」
「『光神機−桜火』を召喚します」
 さらに、とジュリアは笑う。
「桜火に『愚鈍の斧』を装備。攻撃力が1000ポイント上がります。ガンナードラゴンを攻撃し、さらにオークでダイレクトアタック」
 桜火もオークも高い攻撃力と召喚のしやすさに見合ったデメリットを持つモンスターだが、『スキルドレイン』下では完全無欠のアタッカーに化ける。あたしのLPは1750ポイントまで落ち込んだ。
「いま、亜理紗さんのライフを0にしました」
 あたしのライフカウンターを指して、ジュリアがいきなりそんなことを言う。
「どういうことです?」
「ここまで『神の恵み』があなたにもたらした総ライフはちょうど1750ポイント。もしその一枚がなかったら、いまの攻撃で私の勝ちでした。あなたがまだそこに立っていられるのは、偶然『神の恵み』を最初に引いておいた、運のおかげでしかない」
「馬鹿馬鹿しい。「もし」をいちいち認めていたら、あらゆる平行宇宙の話をしなくちゃならない。仮定の話なんて無意味です。起こったことは起こったことだし、起こらなかったことは起こらなかったことなんですから」
 そう、「もし」の話を考えても、いまさらどうしようもない。
 どれだけ悩んでも、悔やんでも、五代目決闘王が死んでしまった事実は変えられないように――


 再び生きていけると知った日から、五代目決闘王が死んだままだと知った日から、生と死について考えない夜はなかった。
 「もし」M&Wと出会わなかったら。「もし」五代目と関わらなかったら。「もし」イカサマデュエルなんかしてなかったら。
 あの人は、いまも生きていたんじゃないだろうか。
 あたしを生き返らせ、病気まで治してくれたのは間違いなく冥界の王だ。たぶん、神様と呼ぶべき存在。イザナミノミコト。五代目はそう呼んでいたけど、死者の国の支配者として思いついた名前を挙げただけかもしれない。中国では閻魔。ギリシャでハデス。古代エジプトのオシリス。発する音は違えど、意味するところは皆おなじ。
 そんなすごい神様が、あたしなんかを理由もなく生き返らせてくれるはずがない。ではその理由は? ……チカラしか考えられない。ではそのチカラはどこからきた? ……五代目しか考えられない。のちにムーアからエックスの話を聞き、あたしは自分の考えが正しかったことを確認した。
 あのとき冥界で何が起こったかについて、今はほぼ答えが出ている。
 鍵となったのは千年アイテム。シャム神のカードが存在している限り、アイテムもまた現世にあるべきもので、彼岸に持ってきてはならなかった。だから冥界の王は最初、アイテムと一体化している五代目を生き返らせるつもりだった。
 しかし五代目はそれを拒んだ。自分の代わりに、あたしを生き返らせてほしいと頼んだ。どうしてそこまでしてくれたのか、理由はわからない。もしかしたら生前、あたしとデュエルしたときに“観えた”光景がそうさせたのかもしれない。
 とにかく彼はあたしにアイテムをくれた上で、あたしと決闘した。その証拠に、チカラは決闘が始まったときから与えられていたし、デュエル中、彼は一度もチカラを使わなかった。おそらく決闘は、あたしが生き返るために必要な儀式みたいなものだったんだろう。神様はたしか、『闘いの儀』と呼んでいた。
 イノチもチカラも五代目から受け継いだものだと気付いたとき、あたしは彼と関わったことを後悔した。生きていることはもちろん涙が出るくらい嬉しかった。でもそれ以上に、自分の生が彼の犠牲に立っているという事実が許せなかった。あたしは病院のベッドの上で、五代目が生きていたかもしれないあらゆる可能性について考え、自分を責め続けた。あたしが殺したも同然だと思った。――あたしは生きていてもいいんだろうか? 考えても考えても答えは出ず、何日も悩んで悩んで、ようやく悩んでも仕方ないのだと気付いた。いまさら事実は動かしようがない。これからどうするかを考えなくちゃいけないんだと。
 自分の人生について、初めて真剣に考えた。どうすれば彼に報いることができるのか、自分はこの後どう生きていくべきなのか、病院のベッドの上で考え続けて、退院してからも悩みぬいて、やっと答えを出した。
 彼のあとを受け継ぐ――あの人と同じくらい強くなって、プロになって、五代目がいなくなったことで世界に開いた穴を、あたしが埋めるのだ。

 彼と同じ、最強のデュエリストとなって。


 ――ジュリアをにらみつける。彼女のアイテムは【天秤】だ。能力はわからない。けれどこのデュエル中、ジュリアは確実に能力を使ったはず。
 盤面を逆転させ、ジュリアの思考をたどる。
 『強欲な贈り物』は本当にあたしに恥をかかせるためだけのものだったのだろうか。
 『強欲な壷』のタイミング。あれはまるで、あたしが『便乗』を伏せるのを待っていたようではなかったか?
 『万能地雷グレイモヤ』をわざわざ見せてから伏せた理由は?
 それからもうひとつ、『ギャンブル』には不審な点がある。
 ――まさか。
 一見ばらばらに見えるヒントの全てを説明できる、一筋の論理のライン。それが浮かんだとき、あたしは驚愕した。――でもまさか、そんな途方もない能力があるっていうの?
 もしそうならば、確かめる方法がひとつある。しかしそれには、もう一度、【ドコニイル】を発動させなくてはならなかった。失敗すればペナルティが発生し、このデュエル中は二度とチカラは使えなくなるだろう。
 本当にこの答えは正しいのか、確かめるためだけに【ドコニイル】を使うべきなのか。不安が心を曇らせる。けれど、五代目のことを思い出したとき、不安は晴れた。大丈夫、あたしは信じられる。味方だと言ってくれた、あの言葉を。

 ――【ドコニイル】!

「……やっと、わかりました。ジュリアさん、あなたの能力が」
 思えばヒントは最初からあった。ジュリア自身もヒントとなるものを持っていたし、そうだと気付けなかっただけで、あたしは既に能力を目の当たりにしていた。
「ジュリアさん、あなたは『便乗』が出てくるまで『強欲な壷』を使わなかった。それはつまり、あたしの『便乗』が見えていたということ。つまり、あなたは何らかの知覚系能力者だと考えられる」
「……それで?」
「『便乗』を待ったこと、そして『強欲な贈り物』と、あたしに先攻を譲ったこと。あたしは最初、相手にカードを引かせることによって発動する能力だと思っていた。でもそれじゃ、『グレイモヤ』を見せたことの説明がつかない。あたしに恥をかかせるため? いいえ、ちょっとしたハンデを与えて余裕を演出するより、堅実な手で勝ったほうがよっぽどあたしに恥をかかせられるってことに気付かないほど、あなたは馬鹿じゃない。つまりグレイモヤも、あなたの能力を発動させるために必要な行動だった。それらを含めて考えたとき、出る結論はひとつ」
「私は推理小説の犯人みたいに、婉曲な状況証拠だけでべらべらと自白はしませんよ。あなたの結論を聞かせていただきましょうか」

「――これは、“闇のゲーム”なんかじゃない」

 ジュリアの顔に、初めて動揺が浮かんだ。
「……根拠は?」
 訊きかえす声は、わずかに震えていた。
「あたしの能力は、デュエリストに対してだけじゃなく、普通の人間にも使えるんです。あなたはこの空間を、声しか通り抜けられない、現実から隔離された空間だと言った。現実に対してこちらから干渉することはできないと。でもあたしはさっき、応援席にいるお父さんとお母さんを“視る”ことができたんです」
 準決勝と決勝戦のチケットは、デュエルディスクを買った店で予約した。けれど本当に来てくれるかどうかはわからなかった。あれからお父さんとは、必要最低限の会話しかしていなかった。
「それとあなたは『ギャンブル』の失敗を恐れていませんでした。あなたはこのデュエルに負けても、デュエリストじゃないから失うものはない――のかと最初は思いましたけど、闇のゲームに敗北したら、あなたは【天秤】を失うはずです。なのにリスクのある戦術を取ったのは、本当はそんなルールはないから。さらにもうひとつ。あたし、実はいちど闇のゲームを体験してるんです。知ってました? あのゲームでは、戦闘によって「匂い」まで発生するんですよ」
「………」
「これが闇のゲームでないとすれば、あたしの眼が見えるのはなぜか? 答えは簡単、それがジュリアさんの能力だから。闇のゲームだと偽って説明したことがそのまま、あなたの能力だった。あなたの眼が見えるから、あたしの眼も見える。世界が狭くて変な色に濁っているのは、ジュリアさん、あなたがかけている眼鏡のせい。ううん、視界と同じ色をしているから普通の眼鏡にしか見えないけど、本当はそれ、サングラスなんじゃありませんか?」
「……いちおう度は入ってます」
「あなたの能力は、公平な【天秤】。デュエルのあいだずっと発動し続け、一方が情報を得れば得るほど、もう一方も等価の情報を得ることができる。眼には眼を。自分の伏せカードを公開すれば相手の伏せカードがわかるし、相手がじぶんより多くカードを引けば、自分が次に引くカードを知ることができる――違いますか?」
 このデュエル中、ジュリアは一度だけあたしより多くのカードを引いたことがある。『撲滅の使徒』から逃れるため、『徴兵令』を発動させたときだ。あのときあたしは自分の意思とは関係なく、ジュリアのデッキの一番上がわかった。
「……そこまで気付かれているのなら、言い訳は時間の無駄ですね。私の使っていた能力の効果は、ほぼその通りです。しかし、それが分かったからといって、あなたに対抗する術はありますか? 亜理紗さんの未来視にとって、私の力は天敵。あなたが私の手札やデッキを知れば知るほど、私もあなたに対して同じことができる」
「その言葉、そっくりお返しします。あなたの【天秤】が発動するためには、あたしに価値ある情報を渡さなくてはならない。でもそんなことしたら、あたしのカードの餌食になる。お互い能力を発動させなければ、デュエリストとしての力はあたしの方が上です」
「果たしてそうでしょうか?」
「ここからがデュエルです! あたしのターン! ドロー、スタンバイ!」

 引いたのは、二枚目の『ディフェンドガイ』。手札にあるモンスターはこれと、『魔導戦士ブレイカー』のみ。これでしのぐしかない。
「カードを2枚伏せて、モンスターを守備表示。ターンエンドです!」
「私のターン」『愚鈍の斧』の効果で250ポイントのダメージを受ける。「桜火で守備モンスターに攻撃します」
「速攻魔法『月の書』発動! 桜火は裏守備表示になって攻撃は中止され、さらに装備魔法『愚鈍の斧』は破壊されます!」
「オークで攻撃します」
「『ディフェンドガイ』の防御力のほうが上です!」
 巨大オークの振りおろした手がはじき返され、反射で500ポイントのダメージが入る。
「なら……このカードを伏せておきましょうか」
 ジュリアはふたたび手札を一枚選んで裏返す。『聖なるバリア−ミラーフォース』をあたしに見せ、いったん手札に戻すようなしぐさをしたあと、やっぱり思い直したように場に伏せた。これであたしの伏せている手札破壊トラップは知られてしまった。
「さらに、もう一枚伏せておきます。これでターンエンド」
「あたしのターン! 『徴兵令』を伏せます」ジュリアと同じように、カードを見せてから伏せた。これでジュリアの伏せたカードのうち、ミラーフォースではないほうのカードがわかる――『手札抹殺』。両プレイヤーの手札を全て抹殺し、枚数ぶん引きなおす魔法カード。
「さらに『魔導戦士ブレイカー』を召喚。桜火に攻撃!」
 罠が発動するかと思ったが、ジュリアはモンスターを守らなかった。守備力は1400。鋼の剣が閃き、伏せカードを真っ二つにした。
「さらに一枚伏せて、ターンエンド!」
 伏せたのは『収縮』。これでオークが攻撃してきても、返り討ちにできる。

「私のターン。ドロー。スタンバイフェイズで『ディフェンドガイ』の効果によってさらにドローします」
「それに『便乗』します。あたしも2枚ドロー」
「ではそれにさらに『便乗』しましょうか」
 一瞬、どういう意味か分からなかった。それがそのままの意味――永続罠『便乗』の発動を意味していたのだと気付くのに要した時間は10秒。
「なんで……!? 『ミラーフォース』を伏せたはずじゃ……!?」
「伏せていませんよ。惜しかったですね、闇のゲームを看破されたときはどうしようかと思ったのですが、あなたの考えはその先までは及ばなかった。あなたの眼が見えているのは私が見えているから、つまり――」
「まさか……ジュリアさんが眼を閉じると、あたしの眼も見えなくなる……!?」
「その通り。しかし、一瞬だけ見えなくても、眼の錯覚か、無意識によるまばたきだと気にもしなかったでしょう。そのあいだにカードを入れ替えさせてもらいました」
 ジュリアの思考力に戦慄した。グレイモヤはこのための伏線だったのだ。あたしに能力を気付かせるためのヒントであると同時に、謎を解かせた後、「ミラーフォースは能力のために公開した」と信じさせ、あたしの能力で確認させないための。
 もしジュリアの能力に依存せず、【ソコニイル】で視ていれば、『便乗』の存在は事前にわかったはずだった。
「ちなみに、このターンの開始時までに、お互いのデッキから出したカードの総数は、あなたが22枚、私が20枚です。つまり、ふたりとも40枚デッキだとしたら、残りは18枚と20枚になりますね」
 ジュリアのデッキは40枚だった。デッキ枚数は公開情報だが、こういう大会でそれを訊ねるデュエリストはほぼ皆無といっていい。中級以上のデュエリストなら、相手のデッキを手に取った瞬間、重さと厚みで正確な枚数がわかるからだ。
「あたしのデッキが40枚だとは限りませんよ。それに2枚差ってことは、あたしのデッキが43枚以上なら、先にデッキ切れを起こすのはジュリアさんですよね」
「問題ありません。デュエルの前に計測したところ、正確な枚数は分かりませんでしたが、どんなに多く見積もっても、44枚以上ということはありませんでした」
 ということは、ジュリアは最初からあたしのデッキが43枚だと計算した上で、この状況を作り出したことになる。
「……『サイクロン』が手札にあるんですね。ジュリアさんがしようとしていることは――」
 このターンの開始時、あたしとジュリアの手札は2枚ずつだった。ジュリアが『便乗』するまでに、あたしとジュリアが2枚ずつドローしたので、あたしのデッキが40枚とした場合、デッキの残りは16枚と18枚。そこから2枚ずつ減っていく。
 すなわち、

 ジュリア            あたし
 手札 4枚/デッキ18枚→手札 4枚/デッキ16枚
→手札 6枚/デッキ16枚→手札 6枚/デッキ14枚
→手札 8枚/デッキ14枚→手札 8枚/デッキ12枚
→手札10枚/デッキ12枚→手札10枚/デッキ10枚
→手札12枚/デッキ10枚→手札12枚/デッキ 8枚

 となり、たとえあたしのデッキが43枚だったとしても、4ループ目で手札12枚/デッキ11枚。手札の数がデッキを越えてしまう。この時点でジュリアが手札から『サイクロン』など使って自分の『便乗』を破壊、さらに罠とモンスターを場に出せば、手札9枚/デッキ10枚。場に伏せた『手札抹殺』が使えるようになる。
 これに対し、あたしに残された対抗手段はひとつしかない。ジュリアの『便乗』または『サイクロン』にカウンターして、『徴兵令』を「失敗」させる。もし4ループ目までのどこかでデッキトップがモンスター以外のカードだった場合、そのカードを手札に加えさせることで、手札10枚/デッキ9枚となり、デッキ枚数が足りないので、『手札抹殺』は発動できない。
「では、念のため訊いておきましょう。私の『便乗』に対し、何かカードを発動しますか?」
「あたしは――」
 【ソコニイル】発動。デッキの一番上は――モンスターカード。
「させません。続けてください」
「ではドローします。私がカードを引いたことにより、あなたの『便乗』が発動する」
 一ターンにチカラを2度以上発動させたことはなかった。短時間の連続使用は、【ドコニイル】を使うよりもさらに負担がかかる。
 けれど、生き残る可能性がそこにしかないのなら、やるしかない。
 ――【ソコニイル】!
 発動したた瞬間、視神経に電流が走った。焦点がずれ、内臓を根こそぎ持っていかれたような嫌な感じが胸の中を暴れまわる。加速する動悸。呼吸することさえも辛い。
「また……モンスターカード……っ!」
「……どうしました? 早くドローしてください」
「2枚、ドロー……」
「では私も2枚ドローします」
 ラストチャンス。あたしは全神経を集中させ、チカラを使った。
 ――視えない。
 歯の根が合わない。四肢ががくがくと震えた。しっかりと足を踏みしめ、もう一度、覚悟を決めて【ソコニイル】を発動させる。
 それでも、なにも、視えない。
 チカラの限界なのか、それとも覚悟が足りないのか。
「どうしました? リアクションがないのなら、あなたのドローですよ?」
 もう一度だけでいい。目を閉じて祈った。あともう一度だけ、視せてほしい。
 ……初めてKCを訪れた日、ムーアさんにかけられた言葉を思い出す。あのときのあたしは何も分かっていなかった。この世界の厳しさも、人の持ちうる暗い感情のことも。
 だけど何も分からずに覚悟があるかと訊かれて、是と答えたあたしの選択が、間違っていたとは思わない。
 たとえいまのあたしがあの日に戻れたとして、やっぱり答えは決まっているから。

 ――城ヶ崎亜理紗さん、きみに覚悟はありますか?

「【ソコニイル】ッ!」
 声に出して叫ぶ。後先など考えず、全感覚を“視る”ことだけに収斂させる。
 そして闇の中、一瞬だけ、ふっと、視えた、そのカードの、色は。
 赤紫でも、緑でもなかった。
「また……モンスター」
 精神、体力共に限界に来ている。もはやこのデュエルでチカラを使うことはできないだろう。それにもう、次を視る意味もない。
 ここまできたら、次のタイミングで『徴兵令』を発動しなければ確実に負け、「成功」しても、やっぱりあたしの敗北になるからだ。
 胸から上が燃えているようだった。だけど、今倒れるわけには行かない。
「――しますか?」
 ジュリアの声。霞む目でジュリアを見る。
「カードを発動しますか?」
 首肯する。ターンプレイヤーには優先権があるため、『サイクロン』にチェーンしないと、『手札抹殺』の発動より先に『徴兵令』を使うことはできない。ぶるぶると震える指で、罠カードを発動させた。
「徴兵、令を……します」
「ではデッキをめくります……『スキルドレイン』です」
 やった。これで『手札抹殺』は発動できな――。
「他に何か発動しますか? なければ、『手札抹殺』が解決されますが」
 瞠目。いつの間にか場からジュリアの『便乗』が消え、手札抹殺がいままさに発動しようとしていた。
「え、あの、サイクロン、は……?」
「とっくに発動しましたよ? リバースカードを使うのかと訊いても、あなたはずっと黙ったままだったじゃないですか」
「うそ……」
 記憶が飛んでいる。忌々しいことに、その現象には心当たりがあった。生き返ってからの一週間、同じことがたびたびあった。治ったと思って油断していたけど、よく考えたら、あれからまだ数ヶ月しか経ってない。
 ――よりにもよって、一番大事な場面で……。
「何もなければ、『手札抹殺』を解決します。互いに手札枚数がデッキ枚数を超えているので、このデュエルは引き分けです」

   †

 あたしは笑った。すべてはあたしの見た光景どおりに進行した。
「誰がこれで終わりだといいましたか?」
「この状況で、使えるカードがあるというのですか……?」
「ええ。その前にひとつ言わせてください、お察しの通り、あたしのデッキは43枚です。つまり現時点で、あたしの手札とデッキは12枚と11枚。手札を一枚減らすことさえできれば、生き残ることができます」
「しかし、あなたのデッキに手札をコストするカードはない。違いますか?」
「その通り、手札をコストとして発動するカードはありません。コストなら」
「……っ! そうか!」
「『徴兵令』にチェーンして、リバースカードオープン。『マインド・クラッシュ』! 指定するカードは『神炎皇ウリア』!」
 『ウリア』は世界に一枚、あたししか持っていないカードだ。当然、『マインド・クラッシュ』は失敗する。
「ペナルティによって、あたしの手札が一枚減る……これで、あたしの勝ちです!」

   †

 ロンドン国際デュエルトーナメントが終わると、すべてはジュリアの思惑通りに運んだ。デュエルの結果はともかく、ジュリアこそが実質的な勝者だったとは誰もが主張するところだったし、あたしもそれに賛同せざるを得なかった。デュエル中にあたしがやらかした不審な行動、失敗の数々もあって、もはやあたしをイカサマ師だと思わない人間はいなかった。準決勝の後、ジュリアは役目は終わったとでもいうように姿を消し、表彰式にも現れなかった。そのことで世間はいっそうジュリアを賛美し、あたしを蔑んだ。ジュリアは目的を果たしたのだ。たとえあたしがデビューしても、誰にも受け入れられないことは必至だった。
「わるいけど、デビューはさせてあげられない。君は有名になりすぎた」大会のあと、ムーアは気の毒そうにそう言った。「一年だけ、冷却期間を置こう。今度こそマスコミをシャットアウトして、地味にポイントを稼いで、今度は日本でデビューしよう。アジアなら君の名はほとんど知られてないから」
 しかし、一年後もKCが同じ気持ちだとは限らない。あたしよりはるかに強いエックスが現れれば、今度はあたしが『天才』エリーのあとを追うことになる。
 そのエリーにも散々莫迦にされた。格好悪い。莫迦みたい。ざまあみろ。お前なんかプロになれるはずがなかった。ヴェロニカからもいくつもメールが届いた。「プロになれなくておめでとう」「うそつき」「イカサマ」「卑怯者」
 あたしに返せる言葉はなかった。
 雌伏の一年は、ほぼ受験勉強に費やした。デュエルからしばらく離れていたかったこともあるし、あたしの学力が、合格ラインをぎりぎり下回っていたせいもあった。
 帰国子女枠は普通に受験するより採点が甘い部分との噂だが、うわさほど当てにはならないものはない。それはこの数ヶ月で身に染みて知っていた。あたしはじっくりと自然科学や数学、日本語と向き合った。そのかいあって、季節が一周したころ、府秦高校から入学許可証が届いた。このときばかりはお父さんも相好を崩した。
 ひとつ歳を取り、やがて春が来た。あたしは生まれて初めて、もうひとつの故郷に足を踏み入れた。

 美空町。
 初代決闘王が住んでいたという、童実野町から近くも遠くもない学生街。
 かつては羽住町という名前だったらしい。美空町という名前になったのは平成になってからで、今でもときどき羽住と名前のついた場所が残っている。府秦高校も以前は羽住大学付属高校という名前だったそうだ。いまの理事長が就任すると同時に名前が変わった。
 あたしとお母さんは、高校からほど近い場所にアパートを借りて暮らし始めた。日本は土地がないことは知っていたけど、この狭さは予想をはるかに上回っていた。電車の中で生活しているみたいだった。
 KCから社宅を提供するという話もあったが、両親は断った。お父さんは来年か再来年にはこちらに異動して来れるとのことだった。

 入学式。『菊と刀』なんかよりよっぽど奇妙な世界がそこにあった。なんなの、この人たち。なんでこんなに礼儀正しいの? なんで同じタイミングで立ったり座ったりできるの? なんであんな聞き取りにくい号令で動けるの? これで本当にあたしと同い年? まるで監獄か、軍隊だった。足音まで揃っていたら、あたしは間違えて自衛隊の入隊式に来てしまったと思っただろう。
 あたしは隣に座っていたお母さんに小声で訊いた。
「ここって、自衛隊の関連校とかじゃなかったよね?」
「日本の学校はどこへ行ってもこんなもんよ。これでも20年前に比べればずいぶんましなんだから」
 理事長のお話はずいぶん面白かったけど、まるでクラシックでも聴いているかのように、笑い声ひとつしなかった。終わったら礼儀正しい拍手があっただけ。あたしだけ違う種類の人間だと見せ付けられているみたいで、居心地が悪かった。
 式が終わるとあたしたち特別クラスの人間が集められて、単位の話や任意出席の授業スケジュールなどが伝えられた。点字になった書類を貰ったけど、あたしは読めなかった。
 やっと終わったと思ったら、なぜかあたしにだけ、理事長からじきじきにお話があるという。悪いことをしたわけでもないのに心臓が縮んだ。小学生の頃のあたしは、よく喧嘩や悪戯をしてはスクールカウンセラーに呼ばれたものだったけど、校長室に呼ばれたことは一度しかない。そして理事長というのは校長先生より偉いはずだ。
 理事長はハタノヨウスケといった。70代か80代か、もしかしたらそれよりずっと年配かもしれない。接見は2分もなかった。KCから君の事は聞いている。デュエリストとしては優秀らしいが、学生の本分は勉強であるからして、自分を特別な人間だと思って勉学をおろそかにするべからず、などとありがたいお話を聞かされた。
 高校生活が始まった。
 お母さんは空いた時間で英語を教え始めた。あたしは一人でいることが多くなった。任意出席の授業は、家のパソコンの前で授業を受けているのとあんまりかわらない。他人とはしばらく関わりたくなかった。日常は怠惰で退屈だった。ちょっと前までいろんな人に注目されていたのが夢みたいな日々。ムーアさんはロンドン大会以降、エックスの気配を感じたとかでイギリスに居ついているらしい。マーガレットさんは次の仕事をしているんだろう。エリーは知らない。既にプロになったか、まだプロになるために頑張ってるんだろう。
 約束の一年はとっくに過ぎていたが、予想通りKCからは何の音沙汰もなかった。日本語ばかりの世界にも慣れてきて、あたしはこのまま、盲目の女子高生としての生活がずっと続くように思っていた。日常の終わりは、5月ごろ、一本の電話と共に訪れた。
「亜理紗、ウィリアムさんから電話」
「ウィリアムさん?」
「ほら、ムーアさんと一緒にニューヨークの家に来た」
 電話を代わった。ウィリアムさんは流暢な日本語であたしに告げた。
「さて、亜理紗さん、デビューの準備はよろしいですか?」


「まったく、あんたと関わったせいでこんな東洋の果てまで呼び出されて、こっちはいい迷惑だわ」
 マーガレットさんの口の悪さは相変わらずだった。それすらもなんだか懐かしく、微笑ましかった。
「お手数をかけます。あとでおいしい日本料理のお店に案内しますね。きっと気に入ってもらえると思います」
「そ、そう? ……ま、日本は前から来てみたいと思ってたし、そんなに気を使う必要はないわよ」
 大きくも小さくもない、けれどレベルの高さでは五本の指に入る中規模大会だった。主催はもちろんKC。正式に表彰として設けられているわけではないが、優勝者や上位入賞者の多くがプロデビューしている。五代目決闘王もいちど優勝している。
 出場者のほとんどが日本人なのを見て、マーガレットさんはちょっと不安げに、
「いっとくけど、あたし日本語はコンニチハしか喋れないし、たいした助けにはなれないわよ」
「大丈夫です。あたしは大会が始まったらずっと座っていればいいし、マーガレットさんにしてもらうことはありませんから」
 開会式までのわずかなあいだ、会場の隅であたしたちはちょっと雑談する。
「そうそう、この大会、エリーも来てるんだって」
「そうなんですか? もし見かけたら教えてくださいね、久しぶりだから会えるのが楽しみです」
「うっわー。余裕の発言ね。こっちは顔も見たくないわよ」
 割り込んで来た声は、一年前よりちょっと低く、かすれていた。
「エリーさん? 久しぶりです」
「はいはい久しぶり。あんたまだ高校生? 若いっていいわねえ」
「エリーさんも十分若いと思いますけど」
「はっ。ハタチ越えたら女はおばさんよ。古生代の化石がおいでおいでって手招きしてるわ」
「ちょっと、聞き捨てならないわね」
「マーガレットさんのことじゃないわよ、うちの母親の話。あなたはまだ、せいぜい中生代ってところじゃない?」
「誰がアンモナイトですって?」
 一年前はあんなに嫌いだった人たちと、一緒にいるのがぜんぜん苦痛にならない――そのことにあたし自身が驚いていた。たぶん、あたしの方が彼女たちに交じるにはガキ過ぎたのだ。ちょっと言葉遣いが乱暴なだけで、親切心から言ってくれてることに悪意を感じて反抗したり、偶然を故意と決め付けて恨んだりした。だから嫌われたんだと思う。
 大会のトーナメント表が発表され、よりにもよってあたしとエリーは一回戦で当たった。
「まったく……やってらんないわね」
 苦々しげにエリーが言う。一年前のあたしだったら思わず謝っていたところだ。さすがに今はそんな失礼なことはしないけど。
「いちおうあんたの弱点はわかってるつもりだし、この一年で実力もだいぶ上げたわ。どこまで通じるか、試させてもらうわよ」
「全力で迎え撃たせてもらいます」
 会場に響き渡る笛が鳴り、一斉に一回戦が始まった。広い会場の中で、あたしたちを含めて約100組がデュエルしている。朝早いこともあって、ギャラリーはほとんどいない。マーガレットさんは、泊まっているホテルでなにかトラブルがあったとかで外に出ていた。あたしたちのデュエルを近くから覗き込んでいるのは、たった一人だけだった。
「エリー、久しぶりだな」
 その唯一の見物人が口をきいたので、デュエルの手がちょっと止まった。
「ディ。あんた……何でこんなところに。あんたとの縁はとっくに」
「動くな」かなり小声の、しかも早口の英語だったので、一瞬何を言われたのか分からなかった。
「エリー、いまお前の背中にナイフを突きつけてる。ポケットの中だから誰からも見えやしない。わかったら動くな。声を出すな。そっちのちっちゃいのもだ」
「……あの子は関係ないでしょ」
「黙れ。殺すぞ」
 男の声は、あたしには本気に聞こえた。皮膚があわ立って、テーブルの下で膝が勝手に震え始めた。
「そもそも原因はそいつなんだろ? おい、エリザとか言ったな。エリーはすげえ天才なんだ。本当ならとっくにプロになったはずなんだ。それがおめーのせいでまだアマチュアどまりだ。この責任どう取るつもりだよ? ああ?」
「やめなさい。あたしの実力が足りないのなら、それはあたしだけの責任よ」
「黙ってろ。三度目はないぞ。エリー、おめーもおめーだ。こいつがどんだけ強いのか知らねえが、天才と呼ばれたお前が才能で劣ってるはずがねえ。なのにこいつにゃいっつも負けてやがる。たるんでんじゃねえのか?」
「何も知らないくせに、勝手なこと言わないで」
「へへ、まあそう言うなよ。これはおめーの悩みを取り除いてやろうっていう、おれっちの親切心なんだぜ? いいかてめーら、このままデュエルを続けろ。誰か来ても何も言うな。黙ってデュエルを続けろ。勝ったほうは見逃してる」
「……負けたら、どうなるんですか?」
「お前が負けたら、これまではイカサマでエリーに勝ってたっつーことでぶっ殺す。そんでエリー、てめーが負けたら努力不足っつーことでぶっ殺す。逃げようと思うな。そんなことしたらふたりともグサリだ」
 これは――罰だろうか。
 罪を犯し、周りを傷つけてでも、自分の要望を押し通そうとしたあたしへの。
 デュエルは40ターン続いたが、けっきょくエリーさんのデッキが先に無くなってしまい、あたしの勝ちになった。
「よおしエリー、覚悟は出来てるな?」
 何が嬉しいのか、男の声はこれから起こることが待ちきれないと言っていた。エリーは気だるげな声で、
「……最後の一服くらいいいでしょ?」
 と言い返した。
「おめー、いつから煙草吸うようになりやがった」
「あんたの前では隠してただけで、昔から吸ってたわよ。一日50万本は吸ってるわ。文句ある?」
 シュボ、とライター石をこする音がした。いがらっぽい紫煙の匂いが漂い始める。エリーは長々と息を吐き出し、あたしに向かって言った。
「巻き込んで悪かったね、決着はついたんだし、あんたはもう行きな」
「行かせるわけねえだろ。こいつが吸い終わるまでここにいな」
「わがままなやつ。……なんでこんなのと付き合ってたんだろ」
 エリーは嘆息した後、急に思いついたようにあたしに向かって、
「ごめんな。むかし、あんたのスカート切り刻んだの、あたしなんだわ」
「……知ってましたよ。あのあとエリーさん、急に優しくなって、あたしを助けてくれましたよね」
「でもその後、あんたの情報をリークしたりもした。未来が見えるってやつと、五代目と関係があったって話」
「どうせデビューしたら、自分の口から言おうと思ってたことですから」
「莫迦。そしたらまた変なヤツらがわんさか寄ってくるだろうが。あんたは謎の女のままでいいんだよ。超能力かもしれない、脳の未知なる力かもしれない、超人的な推理力かもしれない、どれかだって言い切ったら角が立つからさ、ちゃんと考えてうまくやんな」
「わかりました」
「……それでさ、墓の下まで持ってくから、あたしにだけは教えてよ。あんたのそれ、本当に超能力なの? それともイカサマ?」
 最強のデュエリストになりたかった。一度も負けなければ、五代目みたいになれると思った。
 でも、あたしはあの人の代わりにはなれなかった。
 勝ち進むごとに否定され、みんなから嫌われた。
 考えたら当たり前の話だ。
 あたしはあの人からもらったチカラを振りかざすことしかしなかった。勝つことだけしか考えなかった。
 あたしが彼に惹かれたのは、彼がチカラを持っていたからでも、最強のデュエリストだったからでもなかったのに。
「イカサマに決まってるじゃない」
 気付けば口をついて出ていた。恐怖は不思議と感じなかった。
「口の中に通信機が入ってるの。知ってる? 最近は奥歯に偽装したヤツがあるのよ。それでずっと手札を覗いてるヤツと通信してるの。本当に超能力だと思った? あはは、バカじゃねーの。エリー、あんたがそこまで低脳だと思わなかったわ。だからいっつも負けるのよ。この負け犬。あんた才能ないわ。だって命を賭けたデュエルですら勝てないんだもん。あ、だからこれから死ぬのよね。負け犬のあんたにはお似合いの死に方だわ。ふふ。おいそこの変態テロリスト野郎、ぼーっとしてないで、あたしが勝ったんだからさっさとこのバカ女刺せよ、そんでお前は死刑になりやがれ、このサ」
 エリーが大声を上げると同時に、男はあたしの予想通りの行動を取った。
 すぐに男は警察に捕まり、あたしは病院に搬送された。


《亜理紗です。久しぶりに日記をつけます。
 ずっと入院してて――あ、今も入院してるんですけど、やっと身体を動かせるようになりました。
 昨日やっとお母さんからデッキを返してもらって、いま、いじってます。
 楽しいことは楽しいけど、やっぱりまだ……いろんなことを思い出してしまいます。

 あたしの傷は、そんなに深いものじゃなかったそうです。あの男が持ってたやつは、もとから人を殺せるような代物じゃなかったんだって。それはそうですよね、元恋人を本気で殺そうとするはずないんだから。
 でもやっぱり、傷跡はちょっと残ってしまうそうです。
 お父さんとお母さんには眼から火が出るほど怒られました。なぜかエリーさんにも謝られながら怒られました。
 マーガレットさんとは、けっきょく一度も会わせてもらえませんでした。彼女のせいじゃないけど、やっぱり彼女にもちょっとは責任があることになるんだそうです。
 KCは入院費を全額払うといってくれたらしいけど、お父さんとお母さんはカンカンになって突っぱねたそうです。あたしはそれを聞いて、ちょっと嬉しくなりました。変ですよね。
 最終的に入院費はうちが払うけど、通常の料金で、KCと縁のある病院に特別待遇で入院させてもらえることになりました。けっこう広い個室で、毎食のご飯も三つくらいのメニューから選ばせてくれます。ちょっとラッキー……っていうのは、不謹慎ですね。
 あたしは覚えてないけど、入院してからしばらくは、夜ごとに飛び起きてナースコールを慣らしまくってたそうです。看護師のみなさん、その節はご迷惑をおかけしました。
 おかげさまで、今はもうそんなに悪夢も見なくなりました。セラピストの人も、あとは時間が解決してくれるだろうって言ってくれます。

 でも、M&Wを続けていく自信はありません。
 ウィリアムさんはまだあたしのデビューを考えてくれているそうだけど、2度もチャンスをつぶしちゃったわけですし、どの面下げて、って感じですよね。
 もしもう一度プロを目指すとしても、最強は目指さないでおこうと思います。
 あの人は最強のデュエリストだったけど、それだけじゃなくて、最高のデュエリストだったから。
 あたしが目指すとしたら、そっちになると思いま――

(勢いよくドアの開く音)

「おいアキラ、最高のデュエリストが来てやったぞ」
「……ど、どなたですか?」
「ええと、美作ミドリと申しますが――君は?」》

   ***

 お母さん、聞いて。あたし、友達ができたの。
 ちょっとおっちょこちょいなんだけど、一緒にいてすごく楽しい人。
 ううん、女の子よ。美作ミドリさんっていうの。お母さんとおんなじ名前だね。

 ねえ聞いて、お母さん。あたし、親友ができたの。
 ミドリがね、あたしのこと亜理紗って呼んでくれるようになったんだ。
 だからあたしもミドリのこと、ミドリって呼ぶの。

 ……まさか。嘘でしょう、お母さん。
 ミドリって……男の人だったの?
 ……信じられない。

 ねえお母さん、あたし、どうしたらいいかな。
 謝ればいいの? 笑い飛ばせばいいの? なかったことにすればいいの?
 日本で育ってたら、こういうとき、どうしたらいいのか分かったのかな。

 ……あたしは、どうしたいかって?
 あたしは、ミドリとずっと親友でいたい。
 男だろうと女だろうと、ミドリはミドリだもの。

 お母さん。どうしてあたしはまだ生きてるの?
 こんな気持ちになるんだったら、あの時死んでた方がよかった。
 ……うん。わかってる。ごめんなさい。
 でも、今日だけは……ごめんなさい。

「未来を変えろ――『リロード』!」

   ***

《最高のデュエリスト。
 それはたぶん、ミドリみたいなデュエリストなんだと思う。
 彼とデュエルすると、勝敗に関係なく、すごく楽しいの。
 デュエルってこんなに楽しかったんだって、心の底から感激できた。
 だからミドリに負けたときは、本当に嬉しかった。
 あたしが、今までの人生でずっと無敗でいたことの意味が、初めて報われた気がした。
 ミドリがはじめての相手で、本当に良かった。
 彼はいま、本当の意味で最高のデュエリストになったんだから》

   ***

 油断があったんだと思う。
 あたしはもう最強でなくてもいい。世界にはミドリがいるから、あたしが何もしなくても、五代目の穴は彼が埋めてくれる。心のどこかに、そんな横着な考えがあった。

「ひひひ! ざあんねえん! 『ラーの翼神竜』の「元々の攻撃力」はゼロ! 「元々の攻撃力」を半分にする『収縮』は効かない!」

 負けたのは、単純なミス。
 『オシリス』には『強制転移』が通じないことを忘れていた。
 かつて『ウリア』を奪われた戦略を防ぐため、あたしはまったく無駄に『ミスティック・ソードマンLV2』を出してしまった。
 あたしはそのデュエルに負けて、意識を失った。

   †

「こんなの――無意味です」
 ジュリアが言うと、世界の色がだんだんと薄れ始めた。
「そうですね、こんな勝利は無意味です。あたしはあらかじめ、このデュエルで何が起こるのか知ってた。ぜんぶ覚えていた。なぜならこれはあたしの見ている夢で、本当はこのデュエルから一年半も経っているから」
「そうよ。現実のあなたは、『マインドクラッシュ』は『バルバロス』を封じるために使ってしまった。ラストターンに伏せられていたのは『光の封殺剣』だった」 
 そしてそのカードでは『便乗』の破壊を防ぐことは難しかった。【ドコニイル】を使って『サイクロン』を封じたとしても、『非常食』か『ツイスター』が手札にあれば、『サイクロン』と同じことができる。だから『徴兵令』に賭けるしかなくなり、けっきょくデュエルは引き分けに終わった。
 ジュリアの顔をした女は言う。
「あなたは言ったわ。仮定の話に意味はない。起こったことは起こったことだし、起こらなかったことは起こらなかったことなのだと。だったらなぜ、あなたはこんな夢を見ているの?」
 あたしは答えた。
「辛い現実を直視するだけが、死者に報いる方法じゃないと気付いたからです。起こったことだけにこだわるんじゃなく、いろんな「もし」を考えて、ちゃんと自分の人生と向き合って、それから自分がどうするのか決めるべきなんだと、やっと気付いたから」

   †

 目覚めたとき、あたしは薬品の匂いがする部屋で、ベッドに寝かされていた。
 倒れてからそれほど経っていないらしい――たぶん、医務室かなにかに運ばれたんだろう。
 起き上がろうとしたとたん、右脳と左脳が殺し合いをしているような頭痛が襲い掛かってきた。
 この痛みは良く知っている。14のとき、あたしはこの病気で死んだ。
 止まったはずの時計が、ふたたび動き出していた。
 ベッドの中で、あたしは少し泣いた。




 ☆アトガキ☆

 短編連作といっておきながら、とうとう100KBを超える話を書いてしまいました
 いつもの倍以上はあります。ものによっては3倍あります。
 お疲れ様でした。
 読んでくださり、本当にありがとうございます。

 こんにちは、プラバンです。
 作中に登場する、よく似た名前の人ではありません。
 よーく見てください。微妙に違ってます。

 この話は、番外編『無敗のデュエリスト』の続編です。
 エックスという話を考え始めたときから、ずっと頭の中にあった話です。
 このストーリーを思いついたことが、エックスを書くきっかけだったともいえます。

 いちばん書きたかった話でした。
 暗い部分も多々ありますが、読んでくださった方にとって、一行でも楽しいと思ってもらえる部分があったことを祈るのみです。
 再び、読んでくださった方々に、心からの感謝を。

 ありがとうございました。

 次回から本編に戻りますが、亜理紗の話は、もう少し続く予定です。



※現実のニューヨーク州の法律でも賭博は禁止されてます。亜理紗のようなケースは起こりませんので、実際にやっちゃだめですよ。

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