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彼の名は決闘王

原案 カハル 作 プラバン

もくじ
プロローグ
scene 1. 武藤遊戯   scene 6. 水沼
scene 2. ATEM     scene 7. 彼
scene 3. ミーマ
scene 4. 西園寺
scene 5. 麻美

題名をクリックするとその章に飛びます。





プロローグ

 祖父が、亡くなった。
 小柄で、ゲーム好きで、子供のような人だった。
 あの春の日差しのように優しげな眼差しが、あたしは好きだった。
 あたしの手には、祖父が残したデュエル・ディスク。
 M&Wという、おじいちゃんがこよなく愛したカードゲームの。
 その携帯用ボード。
 電源を入れると、ちゃんと動く。
 静かな処理音が祖父の息遣いに聞こえて。
 一緒に過ごした日々が、脈絡もなく駆け巡った。
 あたしの頭を撫でるおじいちゃん。
 一緒に行った縁日。
 サンタクロースみたいな笑い声。
 もっとずっと一緒に居たかった。
 いいたいこと、いっぱいあったのに。
 あたし、なにも伝えられなかった。
 ねえ、おじいちゃん。
 わがままばっかりいってごめんね。
 あたし、あんまりいい孫じゃなかったよね。
『そいつはどうかな』
 ……え?




scene 1. 武藤遊戯

 家に帰ると、まずパソコンを立ち上げるの。
 この習慣は、今やあたしの日常の一部だ。
 メールソフトを立ち上げると、二通のメールが来ていた。
 パパとママから一通ずつ。
 どっちもあたしの健康を気遣う文章から始まっていて。
 ママは、いつもどおり仕事の愚痴と自慢が半分ずつ。
 パパは、発掘した品について延々と語ってる。
 おじいちゃんのことについても書いてあった。
 それぞれに返信を書きかけて。
 ふと、机の上のデュエル・ディスクが目に留まった。
 ちょっと迷ってから、時代遅れの精密機械をそっと横に置いて。
 下敷きにしていた雑誌を広げる。
 何十年も昔の雑誌だから、表紙が日焼けして変な臭いがする。
 ページの角が折られていて、目当ての記事はすぐに見つかった。
 五十年以上前、ここ童実野町を舞台に繰り広げられたM&W大会――通称、バトル・シティ。
 優勝者の名前に見覚えがある。
 武藤遊戯。
 このハイセンスな名前の持ち主こそ、だれあろう、あたしの祖父だったりする。
 写真も載っているから間違いない。
 間違いない……と、思いたいんだけど。
 やっぱり疑ってしまうわ。
 おじいちゃんが昔、こんな怖い眼をしていたなんて。

 ところであたしの名前はヒトミレンという。
 漢字で書くと人見恋。
 名前に「未練」が入っているから、あんまり好きじゃない。
 おじいちゃんがつけてくれたんだけどね。
 好きな言葉は才能。
 嫌いな言葉は平凡。
 自慢じゃないけど、家庭環境がすごい。
 ママの名前は人見知佳。
 その筋ではかなり有名なバレリーナだったりする。
 イギリスのロイヤルバレエ団に所属していて、年に会えるのは……そうね、二、三回ってとこかしら。
 運よく日本公演があると、五、六回に増える。
 パパ――人見康は、考古学者。
 大学の教授なんだけど、二年前から、念願だった僻地の発掘許可が下りたとかで、中国の奥地に行ったきりになっている。
 そんなわけだから、現在、あたしはママの実家に身を寄せている。
 あ、おじいちゃんは亡くなったけど、おばあちゃんはまだ健在なの。
 この人の来歴がまた凄い。
 かつてはモダンにその人ありといわれた、天才ダンサーだったんだって。
 いまでも週二回、スタジオを借りてバレエスクールを開いている。
 こういう環境って、少女漫画とかだと、あたしもなにがしか才能を持ってたりするんだけど。
 現実は全然そんなことなくて。
 二歳からバレエスクールに通ってはいたんだけど、中学に入ると同時にやめちゃったし。
 考古学に至っては、才能どころか。
 歴史のテストは、いつも赤点ギリギリ。
 つくづく自分の平凡さが嫌になるわ。
 ああ、どこかに。
 転がってないものかしらね。
 世界に通じるような、あたしの才能。

 遺品としてもらったデュエル・ディスクには問題があった。
 ううん、機能面は問題ないの。
 数世代前のモデルだから、操作に固い部分が残ってたりするんだけど。
 この手のハードって、とどのつまりは画像をダウンロードして映写するだけだから。
 ラジオと一緒で、電波さえあれば、何十年、何百年経っても使えなくなるってことはないの。
 問題は別にあって。
 起動させると――自分でも馬鹿馬鹿しい話だと思うんだけど――頭の中で男の人の声がする、ってとこなの。
 ちょうど、多重人格とか、そんな感じ。
 ありえないと思うでしょ。
 あたしもそう思った。
 何らかの電波――たとえば携帯の会話が、デュエル・ディスクを介して内耳に響いてるんじゃないか、とか色々考えたわ。
 でも、あたしの質問にそいつ、きちんと答えられるのよ。
 偶然じゃ説明できない。
 名前も教えてくれた。
 武藤遊戯。
 ……ありえない。


scene 2. ATEM

 強い……!
 モニターを見ながら、私は震えが止まらなかった。
 膝から、腰から、ぞくぞくするような興奮が駆け上がってくる。
 これを武者震いといわずしてなんと言おうか。
 かつてない――そう、プロリーグの決勝戦でも味わったことのないほどの――興奮を、私は感じていた。

 五月雨の午後。
 一人のカード・プロフェッサーが引退を表明したことを、私は週刊誌で知った。
 もともとマスコミ露出も少なく、華々しい成績を残したわけでもない。
 特に話題になることもなく、とある有名人の急逝が騒がれている裏で、ひっそりと彼は表舞台から姿を消した。
 実力不足、が原因ではなかった。少なくとも今の若手など、軽く一ひねりするくらいの実力はあったはずだ。
 ただ、天下無比に強くもなかった。彼の成績は上から数えても下から数えてもいつも同じだった。
 M&Wのプロリーグはショービジネスだ。実力があるものが生き残れるわけではない。
 誰よりも遠く先を読むことができ、それゆえ素人目には八百長にすら見えてしまうデュエルは、玄人受けはしても、観客受けは難しかった。
 昨年、複数のスポンサーに契約を打ち切られたと聞く。
 彼の名がリーグから消えるのと入れ替わりに、私は三つ目のプロリーグを制覇し、史上初の三冠王となった。
 虚脱感がつきまとうように、なった。
 この時代に生まれてきたことへの、絶望。
 誰ひとり、対等に戦える者のいない寂しさ。
 理由は簡単だ。現代のカード・プロフェッサーはリスクを犯さない。もっとも安全で確実な手をうち、堅実にランキングに名を残す道を選ぶ。
 初代決闘王のように戦うデュエリストは、もういない。
 先日、三冠王の祝賀会で、同期にプロになった男と話す機会があり、初代決闘王の名前を、訊いた。答えられなかった。
 彼の名前すら知らない人間が、プロになれるというのか。帰り道、私は笑った。そして呪った。この時代に生まれてきた、自分を。
 人は私を強いと褒める。かの無敗伝説を打ち立てた、五代目決闘王の再来だと。
 この私が!
 笑わせる。私が強いのではない。周りが弱すぎるのだ。
 初代決闘王、武藤遊戯のデュエルを見よ!
 私など、足許にも及ばないじゃないか!
 そういうと、人は決まって私の謙遜を褒める。
 確かに初代決闘王のデュエルそのものは、現代から見ればそれほど高度なものではない。だがそれには理由があるのだ。
 彼が初代決闘王となった時代、M&Wを販売していた某国は、国内でテロを起こした組織に対し、国連の反対を押し切って報復戦争を起こした。
 その結果、各国は不買運動を起こし、カードの輸出がストップ。レアカードはインフレすらひき起こした。
 現代では当たり前の『三枚積み』さえ、当時はままならなかったのだ。
 そのような状況でも、あれほど激しいデュエルができた当時の人間は、まさに鬼才ぞろいだったといえよう。
 その後、報復戦争は多くの犠牲と悔恨を残しつつフェードアウトし。
 何事もなかったようにM&Wの輸入が再開。カードプールは満たされ。
 リスク管理に長けたデュエリストの時代が来た。
 ……この時代に生まれたことに、私はずっと水の中の閉塞感を感じている。

 私が引退した彼――名前は西園寺という――を尊敬していた一因に、彼が三十年にもわたるプロ人生で、デッキスタイルを一度も変えなかったことが挙げられる。
 まるで理想以外を頑なに拒否する若者のように、彼は常にビートダウン――武藤遊戯と同じデッキタイプだ――と共にあった。
 私も彼に倣い、プロになってからは一度もスタイルを変えたことはない。
 だが、私の意図に気付いた人間は皆無だった。
 あるいは誰かは気付いたのかもしれないが――その誰かは認めたくなかったのだろう。
 日本最強のデュエリストが、中堅の老デュエリストに、憧れを抱いているなどとは。
 たかが天才である私は、いつだって孤高の座に座らされるのだから。

 この歳になってファンレターを書くとは思わなかった。
 オンラインデュエルを申し込むはずの手紙はいつのまにか脱線し、彼のデュエルに感銘を受けたこと、そのスタイルに私淑していたことにまで及んだ。
 送信ボタンを押す手が震えた。
 西園寺さんは受けてくれるだろうか?
 立場上名前を明かすわけにもいかず、私はプロ級の実力をもつアマデュエリストということにしておいた。
 見方によっては、倣岸不遜なアマチュアに見えたかもしれない。
 返信が来るまでの五日間、私はラブレターを渡した女子中学生のようにそわそわとして過ごした。
 一週間後、pm7時。以下のアドレスで。
 そう返信が来たとき、私は十代の頃に若返ったようにすら感じた。
 西園寺さんと闘える!
 実力の差はあるかもしれないが、少なくともリスク管理に特化したデュエリストより、よほど深いデュエルができるはずだ。
 私は喜び勇んで感謝のメールを返した……。
 そして話は冒頭に戻る。
 私は彼の実力を見誤っていた。
 なんという読みの深さ!
 なんという思い切りの良さ!
 ビートダウン同士の削りあいが、もう一時間は続いているだろうか。
 私がバブーン率いる獣軍勢で地を制圧すれば、彼は黒炎竜という高みからこちらを見下す。
 にらみ合いはしばらく続いたあと、火花を散らしてぶつかり合い、またにらみ合いに戻る。
 私は押されていた。
 彼の得意とする黒炎竜をロック要素と思い込んだのがそもそもの誤りで、彼ははじめから黒炎竜をフィニッシャーと定め、最後の最後まで温存していたのだ。
 中盤、私の意図していたコンボが綺麗に決まったのも油断を誘った。もう一撃、と踏み込んだところで無警戒の罠から反撃をくらい、一気に形成が崩れた。
 私のターンが終わると同時に、彼のハンドルにポインタを合わせて、チャットを呼び出した。
「これほどの実力がありながら、なぜ引退したのですか?」
 しばらく横文字のハンドルを眺めていたが、返信はなかった。
 Atem。
 アテン。あるいはアテム。由来は何だろう? Attendee(参加者)の打ち間違いか。Anthem(国歌)やAttempt(誘惑)ではしっくり来ない。逆から読むとMeta。しかしデッキにメタ要素は見当たらない。アテン、で検索して、エジプトに同名の神がいることを知った。
 では彼は自身を神と同一だと言っているのか。
 面白い!
 正体がばれることを恐れて、慣れないビートダウンを使うのではなかったと、贅沢な後悔が押しよせてくる。
 互いに布石はじゅうぶんだ。次のターン、彼は私の地雷原に足を踏み入れる。彼か私か、どちらの読みが上かで勝敗は決まる。
 私のターン。
 引いたカードを見て、私は神に感謝を捧げた。
 私が最初のターンで張った布石を、この男は覚えているだろうか。
 さあ、私のターンはこれで終わり。
 勝負だ。


scene 3. ミーマ

 デュエルディスクを起動させると聞こえてくる、自称武藤遊戯の声曰く。
 あたしのおじいちゃんであるところの武藤遊戯は、むかし魔法のパズルを手に入れたそうだ。
 それは完成させた人間の願いを、なんでも願いを叶えてくれる魔法のパズルで。
 アラビアンナイトの魔法のランプのように、中に人の魂が封印されていた。
 それが、いまあたしと話している『武藤遊戯』なのだという。
 おじいちゃんは彼と仲良くなったんだけど。
 彼は彼で、パズルに封印される前のことが知りたくなり。
 色々あって、記憶の手がかりがとある大会にあることを知り。
 見事その大会で優勝。手がかりとなる三枚のカードを手に入れた。
 ここで彼の記憶は途切れ、気がついたらあたしの部屋に居たらしい。
「それじゃあ今度はあたしの番ね」
 日曜の昼下がり。
 我が身に降りかかった怪奇現象を解決すべく、あたしは再びおじいちゃんのデュエル・ディスクを手にしていた。
「いい? あんたはあたしの心の弱さなのよ。統合失調症ってやつ。おじいちゃんの死にショックを受けた不幸な美少女が無意識に作り出してしまった、おじいちゃんの真似をするあたしの別人格なの。そういう本読んだことあるもの。インナー・セルフ・ヘルパーかトリックスターか、その辺りよ」
 間違いないわ。
 ダニエル・キイスが嘘つくはずないもの。
「本当なら病院に行くべきなのかもしれないけど、あたしはおばあちゃんに心配かけたくないの。わかるでしょ? だから、二度と話しかけてこないで。あなたがそのまま存在したいっていうなら、あたしの心の片隅に住まわせてあげてもいいから」
 言葉を区切って、相手の反応を待つ。
 ややあって、あたしの別人格はこう言った。
『あんたに頼みがある』
 今までにないほどクリアなボイス。
 こいつ、あたしの話を聞いてなかったのかしら。
「何をしろっていうのよ」
『武藤遊戯を探してほしい。オレの帰るべき場所がそこにある』
「無理よ」
 冷たく言って電源を切った。
 物言いがムカついたから……っていうのは、言い訳ね。たぶん。
 本当は、また泣いてしまいそうだったから。

 気になることが、ひとつ。
 あの雑誌の写真だ。
 写っていたのは、あたしの知っているおじいちゃんじゃなかった。
 おじいちゃんは、絶対にあんな怖い眼はしない。
 じゃあ、あの写真に写っていたのは、誰?
 ……まさかね。

「あ、レンちゃ、髪切ったんだ」
 忌引き明けの月曜日。
 後ろからそう声をかけられた。
 振り向くまでもなく、あたしには声の主がわかった。
 あたしをレンちゃと呼ぶ人間は、世界中探しても一人しかいない。
「ん、ちょっと気分転換に」
 振り返ると、予想通りの顔。
 にもかかわらず、あたしはぎょっとした。
「……どうしたの、その格好?」
と訊いたのは、決して彼女の服装が常識はずれなものだったからではない。
 あたしの美意識に反していたからでもない。
 というか、人の服飾をとやかく言えるほど、あたしはファッションに気を使ったことがない。
 うちの中学は私服だけど、その日のあたしは、レーヨンのブラウスにチェックのスカートという、ごく普通のいでたちだった。
 周りを歩く他の生徒も似たような恰好で。
 だからこそ、彼女の喪服はひときわ浮いていた。
「……誰か亡くなったの?」
 あたしが訊くと、急に泣きそうな顔になって、
「……うん、あたしがいちばん尊敬していた人。今朝、死んでたって新聞に出てて……」
「芸能人? あたしの知ってる人?」
「知らないと思う。武藤遊戯っていうおじいさんなんだけど」
 あたし、思わず彼女の肩をつかんだ。
「武藤遊戯って、あの武藤遊戯? ミーマ、なんで知ってるの?」
 ミーマは円らな瞳をさらに大きくして、
「レンちゃこそ、なんで知ってるの?」
「知ってるも何も、それあたしのおじいちゃんよ」
「え、でも苗字ちがうよ?」
「娘の娘だもん、あたし。お母さんの旧姓が武藤」
「うっそ」
「本当。で、ミーマはなんでうちのおじいちゃんを知ってるのよ?」
「初代決闘王だもん。M&Wやってる人間なら、誰でも知ってるよ」
 いわれてようやく気づいた。
「そっか……有名人なんだ……」
 あたしにとっては優しいおじいちゃんでも。
 他の人にとっては、憧れの的なんだ。
 なんだか悲しい。
 あたしの知らない、デュエリストとしてのおじいちゃんを知っている人が大勢いるなんて。
「レンちゃは、M&Wやらないの? 楽しいよ?」
 あたしの心中を読んだように、ミーマが言う。
「でもあたし、あんまり頭よくないし……」
「頭なんて関係ないよ。ね、放課後、あたしんち来ない? ちょうどデュエル・ディスクも二つあるし」
「デュエルディスクなら、あたしも持ってる。おじいちゃんのだけど」
 口が滑った。
 ミーマはキスしそうな勢いであたしに詰め寄った。
「見たい!」

 デュエル・ディスクを左腕に嵌め、起動させる。
 細かな処理音がして、盤面が水面のように淡く光りだす。
 と、そこへ例の声がした。
『おい、オレの話を……』
 あたしは黙殺した。
「これでいい? 付け方、間違ってない?」
「ん、ぐらぐらしてなきゃ大丈夫。それじゃ、デッキをセットして」
 放課後。
 あたしはミーマにM&Wのルールを教わっていた。
『デッキはそこじゃないぜ』
 むくれたような声が口を挟む。
 当然、無視よ。無視。
「あああ、そっちは墓地。そこじゃなくて、手の甲に、こう」
「ここ? 大丈夫? 途中で落ちたりしない?」
「だいじょうぶだいじょうぶ。結構がっちり固定されるから、たとえ人を殴っても外れないよ」
 からからと笑うミーマ。
「……あ、そう」
 ミーマがいうと冗談に聞こえない。
 この子、思い込みが激しいっていうか。
 冗談だと思ってたら本気だったってことが、たまにあるのよ。
 喪服にしたって、普通、学校にまで着てこないわよね。
「んじゃ、あとのルールは実戦で教えるから。あ、ルールはスーパーエキスパートルールね。それじゃ、お願いします」
「お、お手柔らかに」
 手札を五枚引く。
 ミーマの先攻だ。
「先攻ドロー。カードを二枚伏せ、『マーメイド・ナイト』を攻撃表示」
 うわああ。
 なんか出てきた。
「レンちゃ、ウィザーズの立体映像は初めて?」
 意外そうに目を丸くして、ミーマがM&Wの略語を口にする。
 目の前に現れた、凶暴そうな半人半魚。
 体全体で燐光を放っているから、ホログラムだということは一目瞭然なんだけど。
 ふつう、ホログラムといえばハリウッドの映画とか。
 地下鉄の窓を流れる田園風景しか見たことないから。
 こういうグロテスクなのって、ちょっと違和感があるのよね。
「あたしはこれでターンエンド。レンちゃのターンね。とりあえず、自分の考えで自由にやってみ。失敗してもいいから」
 自由に、と言われても、いったい何をすればいいのか、皆目見当がつかないあたしである。
 カードゲーム自体はおじいちゃんの相手をしたこともあるから、右も左もさっぱり、ってことはないけど。
 マナがないのが気になるなあ。
「あたしのターン……笑わないでよ」
 ミーマは答えずにただ笑みをうかべている。
 この女、楽しんでるな。
「えっ、と」
 罠カードは一度伏せないと使えないのよね。
 で、星が5つ以上のモンスターは、生け贄が必要、と。
「罠カードを伏せるね。それから、『ジェネティック・ワーウルフ』を、召喚」
「こらこら、わざわざ相手に情報教えてどうするのよ。そういうときは、カードを伏せる、っていえばいいの」
「あ、そうか。それよりミーマ、攻撃したらそのカード発動させる?」
「だーかーらー、それを教えちゃったらゲームにならないでしょうが」
「友達だと思ってたのに」
「だから厳しくするんでしょ」
「ひどい。じゃあ、ターン……」
『発動させないぜ』
「へ?」
 おもわず反応してしまった。
「ターンへ? じゃないでしょ。エンドするの?」
 ううん、ちょっとまって。
 そういいかけて、あたしははっとした。
 なに言いなりになってるのよ、あたし。
「うん、エンドする」
「じゃ、こっちのターンね。ドロー。『マーメイド・ナイト』を生け贄に『ジェノサイドキングサーモン』を召喚」
 うわ、凄そうなのが出てきた。
 たしか生け贄で出すのって、強いモンスターよね。
「さらに伏せカード『撲滅の使徒』を発動して、レンちゃの罠カードを消し去るわ」
「えっと、じゃあインタラプトして『サイクロン』を発動。ミーマの伏せカードを破壊するね」
「なっ……!」
 牛に踏まれたみたいな悲鳴を上げるミーマ。
「レンちゃ、ずるいっ。罠カードって言ったじゃんっ」
「え、で、でも、このシンボルがついてたら、相手ターンでも使えるんでしょ? 罠カードじゃないの?」
「……レンちゃが人の話を聞かないってことはよくわかった。とりあえずゲームを進めるわよ。あたしの伏せカードは『生贄封じの仮面』でした」
 なんだ、攻撃用の罠じゃなかった。
 さっき攻撃しておけばよかった。
『攻撃しておけばよかった、と思ってるだろ』
 うるさいわね。
 一度当てたくらいで、いい気にならないでよ。
「『ジェノサイドキングサーモン』で、『ジェネティック・ワーウルフ』に攻撃」
『オレに任せれば勝てるぜ』
「無理だと思うけど」
「もう! M&Wに召喚酔いは無いって、さっき説明したじゃない!」
 わ、しまった。
 聞こえちゃった。
「そうだっけ? あはは」
 あたし、下を向いて笑った。
 恥かいちゃったじゃないか。このやろう。
『そら耳や多重人格にデュエルはできないだろ? オレが勝てば、オレを本物と認めてくれ』
「……認めるだけよ?」
 武藤遊戯を探せとはいわないのね、と言外に込めたつもりだった。
「ああ。相棒を探すのは、あんたがオレを信用してからでいい」
 ふうん。
 変な奴。
 でも、こいつがなんなのかを知る、いい機会よね。
 こいつが負けてくれれば、幻聴だったってあたしもすっきりすることだし。
「一度だけよ」
「だ、か、ら、そもそも召喚酔いって概念が無いの! 一度だけじゃなくて!」
「ごめんごめん。それで、どうなったんだっけ」
 フィールドには、上級モンスター『ジェノサイドキングサーモン』が一体。
 ライフポイントはあたしが3600、ミーマが4000。
 手札は互いに四枚ずつ。
 正直、あたしにはこの状況をくつがえせるとは思えないんだけど。
 とりあえず今だけは、声だけの彼を信じることにした。
「あたしのターン。ドロー……」

 圧勝した。


scene 4. 西園寺

 心を奪われたように言葉が出てこなかった。私はメールの作成を諦め、立ち上がってカーテンを開けた。
 朝陽に眼がくらんだ。
 徹夜をしたのはいつ以来だろう。
 学生の頃は毎日のように、仲間うちで集まっては夜通しカードに明け暮れたものだった。周りは私より強い人間ばかりで、劣等感が影のように付きまとっていた。あの頃の仲間とは今でも付き合いがある。ほとんどは一般企業に就職している。子供もいる。
 私だけが、こちら側に残った。
 選ばれた民だと思えたの最初の一ヶ月だ。プロになって、想像と現実が違うことをはっきりと思い知らされた。厳しさは覚悟していたつもりだった。それでも手放さない信念が、自分にはあると信じていた。
 海馬杯優勝という冠を背に、鳴り物入りでこの世界に入った。授賞式の帰り道、同席したタクシーの中で、親切な先輩から警告をいただいた。
 アマの世界と同じだと思わないほうがいいよ。
 プロになって早々、私の覚悟は、0勝9敗という成績に粉々に打ち砕かれた。

 郵便受けを開け、手紙の束を取り出す。クリーニング屋のハガキとピザ屋のチラシを抜き出し、残った七通の封筒を裏向きに並べる。これと定めた一通をひっくり返すと、はたして請求書だった。残りの六通はまとめて裏返す。すべてダイレクトメール。
 こうやって勘を養うのだと教えてくれたのは、大学時代の友人だ。ゴンさんと呼ばれていた。実家は弁当屋で、名物のゴン巻き弁当にはずいぶんお世話になった記憶がある。仲間うちで集まるときはかならず人数ぶん注文していたから、彼が自主留年までして卒業しないのは、私たちが原因だという噂まで立ったものだ。
 卒業するまでにプロになってやる。
 酒に酔うと、いや酔わずとも、彼は決まってそう言った。次々と奇抜な戦術を発明し、常に私たちを驚かせる彼の実力は口癖に見合うもので、私は密かに仲間うちでいちばんにプロになるのは彼だろうと考えていた。
 人生には波がある。共に出場した海馬杯でゴンさんを下したとき、私はちょうど大きな波に乗っていた。勢いは優勝するまで続き、その年、私はプロになった。ゴンさんは大学を去り、家業を継いだ。
 ……もし、あの時の結果が逆だったら。
 自分の望む結果を得られなかったとき、歩んできた道を振り返って、あの選択は間違っていたのではないかと憂うのは私の悪い癖だ。自省に見えて、やっていることは現実逃避と変わりない。あれは間違いだった。過去の自分のせいだ、と嘆けば嘆くほど、勝利の女神は遠ざかる。どこの世界でも同じなのかもしれないが、この世界では特に。
 9連敗は私に一つの真実を教えた。どこまでも論理的に、あらゆるリスクを計算に入れた上で、もっとも安全でつまらない道を取る。プロになるということは畢竟そうしたデュエルを受け容れろということだ。私は受け容れた。ゴンさんへの負い目がそうさせたのかもしれない。皮肉にも、あれほど好きだったデュエルがつまらなくなった途端、私の勝率は目に見えて上り始めた。
 インタビューで、あなたにとってデュエルは何かとよく訊かれる。楽しむものです、と答えることにしている。嘘はついていない。デュエルは楽しむものだ。たとえそれが叶わなくとも。
 だがプロになってからずっと、心の奥底でくすぶっているもう一つの真実があった。昨夜のようなデュエルは何年ぶりだろう。安全策など何の役にも立たない、あれこそ真のデュエルだと、声を大にして叫びたい私がいる。
 Atemが私の心に火を放ったのだ。
「よし」
 呟いてパソコンの前に戻り、昨夜のデュエルログを開いた。スリーゲーム先取のマッチで三連敗。針に糸を通すように一手一手の可能性を模索していく。勝敗の分け目はどこにあったか。もっと有効な手はなかったのか。どうすれば勝てたのか。平行して相手の分析も行う。デッキ構築の癖やプレイング、勘の鋭さ。前者が情報の積み重ねであるのに対し、後者は情報を斬り捨てていく作業だ。余計な外装をはがし、相手を丸裸にする。たとえ再戦の可能性が無くてもだ。地道な作業で積み上げたものは決して無駄にはならないと、経験から知っている。
 分析が一試合目の終盤に差し掛かったとき、ふと手が止まった。唯一のチャットログが残っていた。
「これほどの実力がありながら、なぜ引退したのですか?」
 疑問は消えていない。むしろ大きくなっている。
 彼の実力は本物だった。なぜ引退するまで隠していた? なぜ私にだけ見せてくれた?
 いったん作業を中断し、知り合いに電話をかけた。彼の元弟子である。二度目のコールで繋がった。
「もしもし」
「あ、先生。お疲れ様です。どうしたんですか」
 軽薄な声が腕を伝わってくる。移動中らしく、ときどき雑音が入る。
「先生はやめてくださいって。今日、対戦は入っていませんよね?」
「入ってたら電話に出られませんよ」
「それもそうです。ところで、西園寺さんの電話番号、ご存知ですか」
「知ってますよ。あれ、先生、このまえ、西園寺先生のメールアドレス差し上げませんでしたっけ」
「メールでは書きづらい用件なので、直接お話したくて。それと先生はやめてください」
「ちょっと待ってくださいね。いま探しますんで……あ、そうだ。先生」
「なんですか」
「この前のクイズの答え、わかりましたよ。海馬瀬人でしょう、初代決闘王」
「違います」
「あれ、自信あったんだけどなあ……ああ、ありました。病院の番号」
「病院?」
「昨日の、17時ごろだったかな。突然倒れられて、入院されたんですよ。胃潰瘍でした」
 一瞬、誰の話をしているのかわからなかった。
「……嘘でしょう?」
 だったら。私は誰とデュエルしたというのだ。
「ホントホント。僕、徹夜でずっと手術室の前に張り付いてましたもん。さっきやっと容態が安定してきたんで、いま先生の家に服とか取りに行く途中なんですよ」


scene 5. 麻美

「こんにっちはー!」
 放課後。
 インターフォンに呼ばれてドアを開けてみると、実に十人以上の面々があたしを迎えてくれた。
 はて、今日の来客は一人だったはず。
 不思議に思ってその一人の姿を探すと、人垣に隠れるように後ろのほうで縮こまっているのを見つけた。
「麻美サン? これはどういうことかしら?」
 あたしが釈明を求めると、ミーマは観念したように姿を現して、
「喋るつもりはなかったの……でも、口が滑っちゃって。レンちゃ、ごめんね?」
と得意の猫なで声&上目遣いであたしを見る。
 宿題を忘れたときなど、ミーマはよくこの手を使う。
 意外と同性にも利くんだそうだ。
 事実、あたしも「ま、いっか」と思った。
 有名人の娘と色眼鏡で見られるのは慣れっこだもの。
 それが有名人の孫になったからといって、大して変わりゃしないわ。
「それじゃ、みんなついてきて」
 さすがに部屋に十人も入ると苦しいから、みんなを裏庭に誘った。
 ガレージ横の細道を抜けると、土がむき出しになっている場所に出る。
 ママがガーデニングのために確保した場所なんだけど、多忙がたたって、花はひとつも咲いてない。
 車道に面してないから、昔はよくここでバドミントンしたっけ。
 あたしがくだんのデュエル・ディスクを取り出すと、おおっ、とどよめきが上がって。
 おそるおそる、といった感じでみんな眺めはじめた。
「触ってもいい?」なんて訊きだす子もいる始末。
 あたしは苦笑して、その子に決闘盤を預けた。
 ご神木じゃないんだから。
 電源を入れないように云いふくめて、人数分のお茶を淹れにいった。
 お盆いっぱいの麦茶を手に戻ってみると、デュエル・ディスクを手にして撮影会が始まっている。
 そんなにいいものなのかしらね。
 初代決闘王のデュエル・ディスクってことは、あたしにとっては……森下洋子のトゥ・シューズ?
 うわ、ちょっとわかるかも。
 ――一通り撮影会が終わって。
 デュエル・ディスクを返してもらったあたしは、腰が抜けるかと思った。
 電源が入ってる。
「ちょっと、電源入れたの誰?」
 あたし、とエミコが挙手した。
「ごめん、今でも使えるのか気になってさ」
「それはいいんだけど、なんともない? へんな声……音が聞こえたりしなかった?」
「ぜんぜん大丈夫。ちゃんと動いた。やっぱKC製は凄えわ」
 あたし、デュエル・ディスクに目を落とした。
 成仏したのかしら。
 女の髪には霊力が宿る、と聞いて、短くしたのが良かったのかしら。
 腕に嵌めてみる。
『よう』
 電源を切った。

 またひとつ、気になることを見つけた。
 この人、おじいちゃんとは全然違う声だ。
 あたしのおじいちゃんは、やわらかくて、気持ちのいいアルトだったけど。
 この『武藤遊戯』の声は低いバリトンヴォイス。
 ……だからって、彼の話を信じたわけじゃないけど。

 ミーマほか数名を家に呼んでから、一週間。
 その間、あたしの家に来た人間は、のべ五十人を超える。
 秘密にしてね、っていってるのに、どこから聞きつけてくるのか、武藤遊戯のデュエル・ディスク目当ての人間は留まるところを知らない。
 譲ってくれ、なんて不謹慎なことをいう輩まで出る始末。
 遺品だからと断ると、じゃあ服でもチョーカーでも靴でもデュエルグローブでもデッキケースでもカード一枚でもアクセサリーでも食器でも下着でも靴下でも決闘王に関するものなら何でもいいからと食い下がってくる。
 冗談じゃないわ。
 幸いそういう人たちは沈静化しつつあるけど、あたしが初代決闘王の孫だって噂は容赦なく広まっている。
 どんどん尾ひれがついて、いつの間にか、あたしがおじいちゃんの一番弟子って話になってるらしい。
 プロデビューするにはどうしたらいいか、なんて相談もされた。
 もう何十回デュエルを申し込まれたことか。
 ぜんぶ断ったけど。
 もうすぐ中間テストだってのに、そんなことやってられないわ。

「レンちゃ、ちょっといい?」
 テストを明日に控えた昼休み。
 化学の問題集と格闘していたあたしに、頭上から声が降ってきて。
 いつも決闘を申し込んでくる男の子の声じゃなかったことにほっとしながら、顔を上げた。
「ミーマ、なんか用?」
 ドリルで半分顔を隠しながら訊く。
「……まだ怒ってる?」
 あたしが本から顔を上げないのを誤解したのか、ミーマは叱られた犬のような顔を作った。
「最初から怒ってないわよ。ほら、これでいい?」
 問題集を下げて「聞くポーズ」を作る。
「わ、レンちゃ、眼が真っ赤」
 口元に両手を当てるミーマ。
「わかってる。肌もガサガサよ。だから見られたくなかったのに」
「寝不足?」
「そう。寝たのは5時ごろだったかしら。ミーマはいつもどおりね。頭のいい人ってうらやましいわ」
「そんなことない。あたしだって英語は苦手だもん」
「あたしなんて全教科苦手よ。それで、用ってなに?」
 ミーマはいっしゅん躊躇うような様子を見せてから、
「テストが終わったら、もう一度あたしとデュエルして欲しいの……今度は、みんなの前で」
「どういう意味?」
 訊き返したあたしに、ミーマがたどたどしい言葉で説明したところによると。
 彼女は彼女なりに、あたしを有名にしてしまったセキニンというのを感じていて。
 公衆の面前であたしの実力を明らかにすることで、無責任な噂を終わらせたいのだという。
「レンちゃも、このまま噂が一人歩きするのは嫌でしょ? 武藤遊戯さんの孫ってだけで」
「確かにねえ」
 あたし、溜息をついた。
「それとなーく、目立ちたがり屋さんな人たちからは色々言われてるわよ。二組の山崎さんとか。『人気があっていいわねえ』って」
「じゃ、早いほうがいいよね。テスト最終日なんてどう?」
 身を乗り出すミーマ。
「あたしは構わないけど」
「決まり。部屋の確保と人集めはあたしに任せて。それじゃ、邪魔してごめんね。テスト勉強がんばって」
 早口で言って立ち去ろうとする、その背中に向かって、
「ミーマ、わかってると思うけど」
 あたしは釘を刺した。
「あのときミーマに勝てたのは、ただのビギナーズラックよ。悪いけどあたし、隠れた実力も才能もないからね。リターンマッチなんか期待しないでよ」
「わかってるって、レンちゃ」
 ミーマは振り返らず、夏休みを待ちきれない子供の声で答えた。
「二度と噂が立たないよう、こてんぱんに負かしてあげるから、楽しみにしてて」


scene 6. 水沼

 カード・プロフェッサーになれるかどうかは、手札を見る前に何手先まで読めるかで決まる。アマチュアの多くは手札を見てから戦略を立てるが、それでは遅すぎる。公式戦で与えられれる思考時間は、先攻ターンのみ5分、一ターンにつき7分(相手が終了してからカードをドローするまでに2分。ドローしてからターン終了するまでに5分)。このわずかな時間で、自分のデッキ、手札、場、相手の手札、相手のデッキ、思考パターンをすべて考慮し、最善手を練らなくてはならない。この手札を引いたらこの作戦、とあらかじめ考えておかなければ到底間に合わないのだ。序盤で展開しうる戦術など、どんなにトリッキーなデッキでもせいぜい数百手なのだから、網羅した上でデュエルに挑めと私はいつも若手に言っている。
 かくいう私が何手先まで読めるかというと、デッキシャッフルを終えた時点で6手、手札を引いて8手までだ。この業界ではそれほど高い数字ではない。私と同時期にデビューし、長らく西園寺さんに親炙していた水沼という男など、手札を見ずに8手先まで読めると豪語している。デビューしたてのプロならせいぜい3手先まで。それから数千数万というデュエルを経験してようやく一手増やせる。デュエルの道に王道なし、と言ったのは誰だったか。
「すると、その局面局面で臨機応変に対応していく、という戦い方ではない、と?」
 少壮の記者はメモを取る手を止め、アンドロイドが既に完成していたと知った科学者のような表情を浮かべた。
「そういうデュエルは、プロ同士だと滅多にありません。お互い三ターンも打ち合えばデッキの構造は95パーセントまで理解してしまいますから、あとは残りの5パーセントを探りつつ、相手のミスを待つ守りのデュエルになることが多いですね。若い人がプロに勝てないのは、この5パーセントを軽々しく扱ってしまうからなんです」
「たった三ターンで、ですか?」
 信じられないとでも言いたげに、彼は瞠目してペンの尻をこちらに向けた。
「どんなデッキにも戦略があります。戦略と言うのは勝つための『型』です。その『型』が分かれば、使用しているカードはもちろん、何ターン目が弱いか、何ターン目に仕掛けてくるかなどたいていのことはわかります。M&Wがいつ生まれたかご存知ですか?」
「たしか20世紀の末頃でしたよね」
 彼は即答した。
「そうです。その日から多くの先人が『型』の研究をされ、WBI大学の研究チームが、すべての『型』の抽出に成功したのはほんの十年ほど前です。爾来、M&Wは囲碁や将棋と同じく、何手先まで読めるか、に重点を置くようになりました」
 もっともM&Wは囲碁や将棋と違ってショービジネスである。場を盛り上げるため、わざと自分を危険にする『次善の手』が必要なときもある。『演出』を拒むデュエリストの行く末は二つしかない。運がよければトップデュエリスト、悪ければ西園寺さんのように引退を余儀なくさせられる。
「先生は最高で8手先まで読めるとおっしゃいましたが、どうやってイメージするのか、具体的に教えていただけますか?」
「そうですね。まずデュエルの前は、あらゆるパターンの手札を引いた場合を想定してシュミレーションを行います。これが基本。実際に手札を引いて、手札にこのモンスターがある。5ターン目に出して2ターン生き残った後、相手の罠にやられるだろう。そうすると相手の場はこうなっているから、そのときこの魔法カードを使おう、と、こんな思考をすべての手札に対して同時に行う。簡単に言うとこんな感じです。私の場合、それと並行して終わらせ方も考えます」
「ゲームが始まった時点で終わらせ方を?」
「はい。相手のデッキを分析し、まず一番理想的ななゲームエンドを想像します。そのとき墓地は何枚で、場はこういう配置で、手札はこうで、最後に使うカードはこれ、という風に。すると一ターン前の状況はこう、その前はこう、と、何パターンか考えられますよね。その状況に近づけていくわけです」
「お互い3つまで数字を数えて、20を取ったほうが負け、というゲームみたいですね」
「そうです。20を取ったら負けということは、19を取ればいい。19を取るためには15を、という考え方です。あのゲームでは常に4の倍数から1を引いた数字を取れば勝てますが、デュエルはそうはいきません。とつぜん分数が割り込んでくることがありますから」
 大して気の利いた例えだとは思わなかったが、若い記者は大げさに笑った。
「いやはや、先生のお話を聞いていると、本当に雲の上のお人なんだなあと思い知らされます。最後にひとつ、下界に住む我々にもご利益のあるお言葉などいただけませんか?」
 むろん私は雲の上の人間などではなかったが、彼と彼の雑誌の読者が望む人物を演じることができないほど若くはなかった。彼が求めているのは『いま決闘王に一番近いデュエリストの言葉』なのだ。私は用意しておいた科白を読み上げた。
「すべての『型』が白日のもとに晒されたとはいえ、M&Wは囲碁や将棋に比べて非常に歴史の浅い遊戯です。デッキの枚数一つとっても、まだまだ研究の余地は残されています。まず、M&Wをもっとよく知ることからはじめてください。具体的にデッキを作る上で、私が常に注意している点を三つほど挙げますと――」


 記者が帰ると、私はパソコンを起動させた。起動すると同時に専用ブラウザが立ち上がり、とある民間のODC(オンラインデュエルコミュニティ)に繋がる。早速検索ページに『ATEM』と打ち込んだ。
 お探しのデュエリストは見つかりませんでした(0件)。
 何十回目かの失敗に心の中で舌打ちし、探し人掲示板へと進む。ここは、特定の相手ともう一度戦いたいと思ったデュエリストが、情報を交換しあう場所だ。ハンドルネームしか知らないオンラインデュエリストを探し当てるのは至難の業だが、無数にあるODCをすべて渡り歩くわけにもいかず、これ以上の方法が見つからなかった。
 だが、ATEMと戦ったことのある人間は、このコミュニティには私以外いないようだった。私が戦った後、ATEMにデュエルを申し込んだ人もいたが、断られたらしい。
 このコミュニティでは、デュエリストの戦歴およびログイン歴は公開されている。思いついて、ATEMの履歴を調べた。初ログインは一週間前、すなわち私がATEMとデュエルした日で、以来ATEMはログインしていない。戦歴は1勝0敗。つまりATEMは私とデュエルするためだけに現れ、そして消えてしまったということになる。
 なぜ? 何のために?
 ATEMが西園寺さんではないことはわかっている。私がATEMとデュエルしていたとき、彼は手術の真っ最中だった。しかし、彼の指定したデュエルルームに、彼の指定した時間ぴったりに入ってきたということは、ATEMは西園寺さんが頼んだ代役という可能性もある。彼の元弟子である水沼にそれとなく訊いてみたが、何も知らないという答えが返ってきた。
 ATEMというのは何者なのだ? リスクを恐れぬ若さと、決闘王クラスの実力を兼ね備えた人物。さながら現代に蘇った初代決闘王の亡霊か。そういえば彼が決闘王になったのは、たしか高校生のとき……。
 はっとしてカレンダーを見た。……間違いない。今はちょうど、どこの学校でも中間考査の時期だ。ATEMが実は学生で、テストのためにログインしなくなったのだとしたら――。
 いや、それはありえない。試験が行われているのは、おおよそ先週から今週にかけて。私とATEMがデュエルしたのは先週だ。ATEMがよほど怠慢な学生でない限り、テスト期間直前(あるいは最中)に明け方までオンラインデュエルをやっている余裕などあるはずがない。
 検索画面に戻った私は、横車を押そうとして断られる悪質クレーマーのように、ATEMと打ちこんではNot Foundを呼び出していた。どうする。打てる手は打ちつくした。他にATEMに迫る方法といえば、サイトの管理側に連絡することしか思いつかない。だが、なんと説明する? 「実は私、日本最強のデュエリストなんですけど、敗北した相手を知りたいので教えてください」? それこそ悪質クレーマーだ。
 ふと、無愛想なNot Foundが消え、文章が切り替わった。なんだろうと思い視線をやって、椅子から転げ落ちそうになった。
 ――そう、ATEMがよほど怠慢な学生でない限り……。
 デュエリストが見つかりました(1件)。
 倉皇としてマウスのポインタを合わせ、クリック。ATEMの使用しているデュエルルームに入る。デュエルはまだ始まっておらず、二つのハンドルネームだけが、ぽつんと表示されていた。
 ATEM vs Mami、と。


scene 7. 彼

「恋、探し物は見つかった?」

 おばあちゃんの家は平屋だ。
 それなりに広いぶん、部屋や物置の数がとても多い。
 うっかり冬物を仕舞った場所を忘れると、家中をひっくり返して探し回ることになる。
 加えて、ママもおばあちゃんも業界じゃ有名なダンサーだから、取材記者やらお弟子さんやらファンやら、人の出入りが激しい。
 いつの間にか物の位置が変わってた、くらいのことは日常茶飯事。
 だからあたしが探しものをしていることを、おばあちゃんには絶対に気付かれていないと思っていたぶん、あたしの衝撃は大きかった。
 具体的には、鼻からお味噌汁を噴き出しそうになった。
「ななな何のこと?」
 かろうじて口の中のものを飲み込むことに成功して、美少女のイメージを崩さずに済んだわ。
 とぼける演技のほうは失敗に終わったけど。
 おばあちゃんはあたしの目をじっと見つめて、
「探し物があったから、屋根裏とか引っ掻き回してるんじゃないの? おばあちゃんにいってくれれば、一緒に探してあげるのに」
と笑った。
 わざわざおばあちゃんの留守中を狙って家捜しをしてるのは、断じてやましい動機からじゃない。
 頼めばきっと、おばあちゃんは協力してくれるだろうし、それが一番の早道だということもわかっていた。
 それをできなかったのは、週二回のバレースクールでは鬼の形相でお弟子さんを叱り飛ばす彼女が、テレビドラマの陳腐な別れのシーンで簡単に泣いてしまうことを、あたしは知っていたから。
「ごめんなさい。……おじいちゃんの写真を探してたの」
 もはや言い逃れは無理と判断して告白すると、おばあちゃんは優しい声で、
「気を使わなくていいのに」
と笑って見せた。

「恋、ちょっと来なさい」
 呼ばれておばあちゃんの部屋に入ると、どこに仕舞ってあったものやら、大量のアルバムと雑誌が山積みになっていた。
 アルバムを開いてまず目に飛び込んできたのは、おばあちゃん。
「あ、若い」
 それに美人。
 ワンレンなのがちょっとダサくて昔の人っぽいけど、今でも十分もてると思う。
 服装からして派手な人で、常に写真の中心で独特のポーズを決めている。
 いっぽう、おじいちゃんは見つけるのに時間がかかった。
 写真の隅っこで、はにかむような笑みを浮かべている。
「可愛いね」
 あたしが言うと、おばあちゃんは照れたように笑った。
 ところが雑誌を開くと、そこにいたのはあたしの知らないおじいちゃん。
 眉をぐっとよせた、不機嫌そうな顔。
 なにが気に入らないのか、挑発するような三白眼。
 鋭い眼光。
 ときどき片頬を歪めてキザっぽく笑ってみせる。
 ミーマあたりなら「クールでカッコいい!」って狂喜するのかもしれないけど、あたしのタイプじゃなかった。
「なんだか怖い」
 おもわず見たままを述べると、おばあちゃんはそうね、と笑って。
「でも、優しいひとだった」
と言った。
 そのときの彼女は、まるで失恋した相手を思い出すような眼で。
 おじいちゃんを思い出すときの、悲しみの中にも安らぎのある表情とは、ぜんぜん違ってて。
 だから、あたしはそのときようやく、確信したの。
 ああ、あの武藤遊戯の話は、本当だったんだなあ、って。

「話があるの」
 部屋に戻ったあたしは、真っ先にデュエルディスクの電源を入れた。
 昨日充電しておいたから、長い話をしても大丈夫なはず。
「ずっと黙ってたけど、あたし、武藤遊戯を知ってる」
『本当か!?』
 辛い話になるけど、と前置きして、あたしは話した。
 武藤遊戯は、あたしの祖父にあたる人物であること。
 初代決闘王として、数十年経った今でも有名人であること。
 二週間前、惜しまれながらも亡くなったこと。
 あたしが話しているあいだ、彼は一言も発しなかった。
 彼の心中を察してしまうと、胸が押しつぶされそうになるから、できるだけ淡々と事実を述べるようにした。
 話を終えると彼はようやく、
「武藤遊戯は、幸せだったか」
 泣きそうな声で、そう言った。
 あたし、答えられなかった。
 もちろん、不幸だったとは思わないけど。
 幸せだった、と断言してしまうのは、なんだか怖かった。
 他人の幸せを断定してしまうみたいで。
「あたしは、おじいちゃんといて幸せだった」
 だから、そういう言い方をした。
 あたしはあんまりいい孫じゃなかったけれど。
 おじいちゃんと過ごす時間は好きだったし、おじいちゃんもそう感じてくれていたと思う。
 古希を越えて生きた人間の幸せなんて、20歳にも満たないあたしにはわかんないけどさ。
 幸せだったんじゃないかな。
 きっと幸せだったんじゃないかな。
 もう一人のあたし――じゃなくて、彼は、やっぱり何も答えなかった。
 ただ――あたしの気のせいかもしれないんだけど――寂しそうに笑った、ような気がした。

 それからの一週間は、あっという間に過ぎた。
 テスト初日から、日本史の難問に呻吟したり。
 三日目の生物は簡単すぎて拍子抜けしたり。
 最終日の英語の選択問題を、自前の推理力で見事正解したり。
 そして――その日の放課後。
 かねてからの約束どおり、あたしとミーマは、視聴覚室にいる。
 見物人は予想以上に多くて、30人くらい。
 M&Wクラブの人がほとんどだけど、野次馬っぽい人もいる。
 なにが驚いたかって、ミーマがM&Wクラブの部長だった、ってこと。
 つまりこれは、部長としての面子をかけたリターンマッチでもあるわけだ。
「レンちゃ、準備はオッケー?」
 テストが終わった直後とはまた違った興奮で顔を上気させたミーマが、最終確認を取る。
 返事の代わりに、あたし、持参したデュエルディスクを掲げてみせた。
 そのディスクは、ケーブルで机の上のラップトップに繋がっている。
 用事があってこの場に来られない人の為に、ネットでデュエルを同時中継するんだそうだ。
「人見さん、ハンドルはなんにします?」
 パソコンの前に座っていた男の子が、耳慣れない言葉を口にする。
「ハンドル?」
「偽名のことです。ネットは誰が見てるかわかんないから、本名は隠したほうがいいんです」
 男の子が解説する。
「ミーマはなんにするの?」
「あたしはMAMI。珍しい名前でもないし、観戦する人がわからないと困るから」
 じゃああたしはRenで。
 と言いそうになるのを思いとどまって、デュエルディスクを二度つついた。
『オレが決めていいのか?』
 デュエルするのはあんたなんだし、あんたが決めて。
 という意味を込めて、再度つつく。
 彼が言った四文字のアルファベッドをそのまま男の子に伝えて、デュエルの準備は完了した。

 ――デュエル!

「あたしのターン。ドロー!」
 いつぞやのミーマを真似して、ちょっとかっこつけてドローする。
『『血の代償』を伏せて、『スナイプストーカー』を攻撃表示』
 指示を聞いて、あたしは耳を疑った。
 いくら初心者といっても、彼の戦略がどれほどリスキーなものであるかくらいはわかる。
 けれどあたしは「大丈夫なんでしょうね?」なんて訊いたりしない
 これは彼のデュエルだから。
 あたしが邪魔しちゃ、いけないんだ。

 彼の声が聞こえるのはあたしだけ。
 デュエルディスクを起動しないと彼は存在できない。
 だけど、あたしにだって生活がある。
 受験だって控えてる。
 そのあいだ、彼はずっとデュエルディスクの中で孤独に耐えなきゃならない。
 だからあたしは、彼の意思を訊いた。
 このままデュエルディスクの憑依霊としていたいのか。
 それとも、いっそのことディスクを壊して解放されたいのか。
 彼は現状維持を望んだ。
 相棒と会えないのは辛いが、この時代に来たのは、何か意味があるはずだから、と。
 ごめんね、とあたしは謝った。
 おじいちゃんのデュエルディスクなんかもらわなければよかった。
 そしたら、彼はずっと眠ったまま。
 いつか、おじいちゃんのところへ行けたかもしれないのに。

 彼の指示通りにデュエルするのは、あたしができる唯一の罪滅ぼし。
 その必要はない、と彼は言ってくれたけど。
 彼が運命によってこの時代に来たのなら、あたしが彼に協力するのも運命だという気がした。
 そうすることで、彼がこの時代に来た意味を、一緒に探してあげたかった。

 運命を決めている誰かがいるとしたら、あたしは訊きたい。
 なぜ、彼をこの時代によこしたんですか、と。




 デュエル小説を名乗っておきながらここまでデュエルなし。
 本格的なデュエルはもちょっと先です。



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